第百十七話 親友だからだ
朧は、餡里と相対する。
餡里を止めるべく、刃を向けて。
「間違いないみたいだね。君、本当に朧なんだ……」
「そうだ」
朧の声を聞いたからなのか、朧の意思を感じ取ったからなのか、ついに、餡里は、目の前にいる男が朧なのだと確信する。
あの忌まわしき意思は、朧そのものなのだと感じて。
そう思うと、怒りを露わにしてしまいそうだ。
すぐにでも、殺してやりたい。
だが、悟られないように、余裕の笑みを浮かべてみせる。
彼は、柚月に殺させてやると心の中で激しい憎悪を燃やしながら、決断して。
「ちっ。楼の奴、食い止められなかったのか……」
朧が、ここへ来たという事は、楼は、朧を食い止められなかったという事だ。
餡里は、少しばかり、苛立ちを隠せず、舌打ちをして、呟いた。
それもそのはず、楼が朧と陸丸の前に現れた直後、陸丸は、楼と戦って、朧を先に行かせたのだ。
朧を餡里の元へと向かわせるために。
これも、兄としてのけじめをつけるつもりなのであろう。
弟である楼までも巻き込んでしまった責任を取るために。
「まぁ、いいか。どうせ、君も殺す予定だったし。ここで、死んでもらうよ」
餡里は、本心を偽る。
朧を殺すことを目的とはしていない。
柚月を駒としたうえで、朧を殺すつもりだ。
なんとも、悪趣味な考えなのであろう。
だが、餡里は、なぜか、朧を絶望に突き落としてやりたいと無性に思っているのだ。
それは、千里以上に執着しているようにも感じる。
千里が相棒と認めたからなのか、それとも、別の理由があるからなのか。
今の餡里には、結論は出ないようであった。
それでも、悟られないように、あえて、殺すと宣言する。
これも、柚月を捕らえる為であった。
「だったら、止めてやる」
朧は、眉を細める。
餡里と交戦する覚悟はできているようだ。
これも、柚月を救うため。
そして、餡里と止めるためであった。
「来い!餡里!」
「望むところだ!」
餡里は、朧に襲い掛かる。
鋭利な足を朧につきつけようとして。
だが、朧は、瞬時に回避し、餡里の足を斬り落とす。
切り落とされ、血が飛び散る。
餡里は、悲鳴を上げ、後退し始めた。
一瞬の出来事であった。
餡里ですらも何があったのか、わからなかったぐらいだ。
――朧の奴、強くなってやがる!
――あの短時間で、何があったの?
朧の瞬時の反応を見ていた九十九も瑠璃も驚きを隠せない。
あの朧が、妖を憑依させた餡里を一瞬でも追い詰めたのだ。
今までとは見違えるほど、素早い動きで。
まるで、封じられていた動きが解放されたかのようだ。
九十九も瑠璃も、朧が、格段に強くなっているのを感じ取っている。
聖印京に戻ってから、再び、ここに来るまでの間に何があったというのだろうか。
二人には、想像がつかなかった。
「こいつ、動きが!」
餡里は、内心、舌を巻いていた。
彼も同様に、朧が格段に強くなっている事を悟ったのだ。
だが、なぜなのかは、彼も、理解できていない。
それゆえに、動揺を隠せなかった。
足を切り落とされた餡里であったが、すぐに再生させた。
どうやら、憑依させている妖は、再生能力を持っているらしい。
天鬼ほどではないが、足の一つや二つ、瞬時に再生できるのであろう。
だが、それでも、朧は、動じることなく、次の攻撃へと移るために、餡里に迫る。
朧は、餡里を追い詰めて、妖を操り、憑依化を無理やり解かせようとしているのだ。
足を斬り落としたのは、餡里をひるませるため。
傷つけるのは、不本意ではあるが、それくらいしなければ、餡里を追い詰める事はできない。
致し方ないと判断し、朧は、餡里の足を切り落としにかかった。
「ちっ!」
劣勢を強いられた餡里は、朧の刃を回避するために、すぐさま、土の中へと潜り込む。
これなら、朧も手が出せまいと、確信を得ながら。
「な、なんだ!?」
土の中に潜った餡里を見た朧は、思わず立ち止まってしまう。
餡里が何をしたのか、状況を把握できていなのだろう。
餡里は、どこへ行ってしまったのか、目で追うこともできず、朧は、戸惑った。
「また、潜りやがった!」
「これじゃあ、見つけられない」
九十九も瑠璃も、舌を巻く。
餡里が土の中に潜ってしまったら、彼の居場所を把握できず、劣勢を強いられてしまうからだ。
いくら、強くなった朧でも。
二人は、焦燥に駆られ、見回すが、やはり、餡里の気配を探る事は不可能であった。
「妖気をたどれない……」
「土に潜ったからな。妖気を弱めて、移動しやがってるんだ」
朧でさえも、餡里の妖気を探れないようだ。
やはり、餡里は、自分が土の中に潜れば、居場所を知られないと知っているようだ。
妖気を察知できない理由を九十九は、朧に教えた。
「九十九、餡里は、何の妖を憑依させたんだ?」
「小景って言う百足の妖だ。それも、土に潜むことができるらしい。こいつのせいで、気配をたどれねぇんだよ」
「厄介だな……」
餡里が、憑依させている妖と言うのは、小景と言う名の百足の妖怪らしい。
朧は、百足は、再生能力にたけている妖だと聞いたことがあった。
それも、足だけであるが。
彼は、憑依させることにより、発動できる技・土潜によって、土の中に身をひそめることができるようだ。
この技のせいで、気配はおろか、妖気でさえも、探る事は容易ではない。
いつ、どこで、現れるかもしれない状況で二人は、戦いを繰り広げていたというのだ。
今の餡里は、朧達にとって、恐ろしく、厄介な相手であろう。
「けど、今なら……」
朧は、ある提案が、浮かんだようだ。
餡里が、土に潜っているというのであれば、こちらが、作戦を立てていても、気付かれることはまずない。
ならば、これは、絶好の機会かもしれない。
餡里は、自分が二重刻印をその身に宿している事も、制御に成功したことも、まだ、知らないはずだ。
作戦を立て、餡里に対抗するには、今しかなかった。
「九十九、頼みがあるんだ」
「なんだ?」
「まだ、契約は、続いているはずだ。だから……」
朧は、ある提案を九十九に持ちかける。
彼は、推測したようだ。
蓮城家の聖印能力によって、九十九とは十年前から契約が続いている。
契約を破棄してもいない。
朧には、感じているのだ。
まだ、九十九との契約は続いているのだと。
「俺に、憑依してほしいんだ」
「え?」
九十九との契約が続いているからこそ、憑依もすぐに可能であろう。
朧は、そう判断したようだ。
妖を憑依させるには、自身の聖印と妖の妖気を同調しなければならない。
そうでなければ、瑠璃達のように、憑依することなどできないのだ。
妖に体を乗っ取られ、殺されてしまうのだから。
だが、蓮城家の聖印によって契約されているし、その影響により、九十九は、朧に憑依したことが何度もある。
今にして思えば、安城家の聖印もあったからこそ、できたのであろう。
それゆえに、同調させる必要はないだろう。
何より、九十九とは、親友だ。
契約していなかったとしても、同調などすぐにできるはず。
朧は、そう確信していたがために、九十九に憑依してほしいと懇願したのだ。
これには、九十九も瑠璃も驚きを隠せなかった。
「ひょ、憑依って……。けど、お前……」
「俺のことなら心配いらない。二重刻印を制御することができたんだ。頼むよ、九十九!」
「……」
九十九は、自分が朧に憑依する事で、また、暴走してしまうのではないかと懸念し、朧の身を案じるがゆえに、ためらってしまう。
だが、朧は、自分は、二重刻印を制御で来た事を明かす。
だからこそ、今しかないのだ。
餡里を止めるためには。
朧は、再度、強く懇願する。
だが、九十九は、朧の身を案じてしまい、承諾することができなかった。
その時だ。
朧の足元から、土が盛り上がり始めたのは。
「うあっ!」
「朧!」
朧が、土が盛り上がっている事に気付いた直後、打ち上げられてしまい、朧は、上空に吹き飛ばされてしまう。
九十九も、跳躍し、朧の救出へと向かうが、まだ遠い。
手を伸ばしても、届かず、九十九は、歯噛みした。
九十九とは違い、風圧に耐えられず、体勢を整えられない朧。
ここぞとばかりに、餡里は、容赦なく、朧に迫る。
九十九よりも、早く。
餡里の鋭利な足が、朧の体に向けて突き刺そうとしていた。
「おらっ!」
「九十九!」
だが、九十九も、あきらめるわけがない。
餡里を踏み台にして、さらに跳躍し、さらに、餡里をひるませることに成功した。
その隙に、九十九は、朧の元へとたどり着いた。
「自信はあるんだよな?朧」
「もちろんさ」
九十九は、朧に問いかけ、手を伸ばす。
制御は、完璧なのかと。
信じていないわけではない。
むしろ、朧を信じているからこその問いだ。
もちろん、朧は、うなずく。
自信に満ちた表情を浮かべて。
九十九は、もはや、疑う余地はないと判断したのであった。
「……仕方がねぇな。信じてやるよ。お前の事!」
「ありがとう、九十九!」
「あったりめぇだろ?だって、俺達は……」
「うん、だって、俺達は……」
餡里の鋭利な足が、二人に迫っていく。
だが、九十九は、振り返る事も、反撃するために、明枇を構える様子も見せず、背を向けたままだ。
ただ、朧に向かって手を伸ばしていた。
朧を信じることにしたようだ。
朧が、制御できたというのなら制御できたのであろう。
だが、それは、当たり前の事であった。
なぜなら、朧と九十九は……。
「「親友だからだ!」」
朧と九十九は、互いの手をつかむ。
「親友」だと声をそろえながら。
その時だ。
朧の体が光り始め、九十九さえも、取り込んでいく。
九十九の体から妖気が沸き起こり、その妖気は、朧さえも包みこむようだ。
餡里は、その光に吹き飛ばされ、地面へと降下した。
「ぐっ!」
吹き飛ばされた餡里は、体勢を整えて着地する。
餡里の後を追うように、朧も勢いよく降下し、着地した。
その瞬間、瑠璃と餡里は、信じられない様子で、目を見開き、驚愕していた。
「な、何だよ……。お前、なんで……」
「朧……妖を憑依させられるようになったの?」
餡里は、何が起こったのか、現状を把握できていない。
だが、瑠璃は、察したようだ。
朧が、九十九を憑依することができるようになったのだと。
それも、聖印を暴走させずに。
朧の姿は、九十九のように紅の瞳を持ち、銀髪と同じ色の耳と尻尾を生やし、刺青が体中に刻まれている。
朧が、聖印能力・憑依・九十九を発動させることに成功した瞬間であった。
――なるほどな。やるようになったじゃねぇか、朧。
九十九は、確信していた。
朧が、二重刻印を制御できるようになったのだと。
朧は、妖刀・明枇を手にし、構えた。
明枇の影響を受けることなく。
「覚悟しろ、餡里!」




