第百九話 全てを失った
信じられない話であった。
自分の命とも言える聖印に妖気を取り込むなど、考えられない事だ。
正気の沙汰ではない。
本来なら、禁じられた実験であったであろう。
それが、聖印渡しの正体などと受け入れがたい事であった。
「妖気を……取り込むなんて……」
「信じられないでしょうね。ですが、もう、これしかない。私は、そう思ってしまったのです」
高清も、今となっては、信じられない事だ。
いや、悲劇が起こったからこそ、恐ろしさを実感したのだろう。
だが、その時は、恐ろしいと、危険だと思うこともなかった。
人工的に二重刻印を増やす方法は、もう、これしかない。
高清達は、追い詰められていたのだ。
失敗した挙句、五年も、結論に至っていないのだから。
だからこそ、冷静さを失い、判断力が乏しくなってしまったのだろう。
「ですが、これ以上、犠牲者は増やしたくない。そのため、聖印渡しの最初の被験者は、私、春日、要の三人。複写を安城家の頼んだのです」
「なぜ、安城家に頼んだのだ?」
高清達は、五年前の悲劇を繰り返したくない。
犠牲者を出さないようにするために、自分達が、被験者になろうと決意したのだ。
だが、自分達だけでは、この実験は行えない。
そのため、高清達は、安城家に協力を依頼した。
聖印を複写し、渡してもらえるように。
しかし、なぜ、安城家を選んだのだろうか。
勝吏は、高清に尋ねた。
「……安城家の聖印能力・憑依は、私達にとって、手に入れたい能力でした。それに、私は陸虎の妖、春日は空鳥の妖、要は海蛇の妖に変化できました。なので、相性は、良いのではないかと……。いえ、結局は、欲望に負けたのです……」
安城家を選んだ理由は、安城家の聖印を欲したからだ。
妖に変化することしかできない真城家にとって、妖を憑依させ、戦闘能力を高める安城家の聖印能力は、憧れであった。
それゆえに、安城家の聖印を手に入れたいと欲望に負けたのだ。
だが、それだけではない。
高清達は、妖に変化できるため、相性はよいのではないかと考えたようだ。
それは、研究の末の結果だった。
それも、言い訳だったのかもしれない。
安城家の聖印を手に入れるために。
「安城家には、詳しい実験の事は、話しませんでした。密命でしたし、千代乃の時のように、反対されては困るからでした。ですが、憑依の力を制御できると嘘をつき、安城家に実験に参加してもらうこととなったのです」
安城家には、聖印渡しについての詳細は、説明しなかった。
ただ、実験に参加してほしいと。
詳細を知られれば、懸念され、反対される恐れがあったからだ。
かつて、千代乃が反対したように。
もしかしたら、静居にも知れ渡ってしまうかもしれない。
それを、恐れ、高清達は、安城家の人間に詳細を話さなかった。
だが、安城家が、承諾するはずがない。
もちろん、高清達も、わかっていた。
そのため、嘘をついたのだ。
聖印の力を増幅させ、妖を操り、憑依させやすくする実験だと。
実際、安城家は、妖を捕らえ、憑依させていたのだが、強い妖を操ることまではできず、命を落とした事があった。
強力な力を持っていたが、制御できなかったのだ。
だが、制御できると言われれば、安城家も承諾しないはずがない。
彼らは、実験の参加に同意したのだ。
この時、高清達は、罪悪感を持っていなかった。
これで、実験を行えると、己の事だけを考えていたのであった。
「実験を行い、私達は、二重刻印をその身に宿すことに成功しました」
「安城家には、聖印渡しはしなかったのか?」
「実験が、成功したと確信し、大将に報告してからやるつもりでした。ですが、それは、叶わなかったのです……。なぜなら、実験は、失敗していたからでした」
実験を行った結果、高清達は、二重刻印をその身に宿すことに成功したのだ。
どれほど、喜んだだろうか。
どれほど、涙を流しただろうか。
その時が、幸せの絶頂だったと言えよう。
これで、実験は、成功だ。
あとは、大将に報告し、安城家にも、詳細を明かし、聖印を渡そう。
きっと、彼らも、喜んでくれる。
高清達は、そう信じて疑わなかった。
だが、それは、叶わなかった。
実験は、失敗していた。
高清達は、まだ、この事に気付いていなかった。
「私達は、捕らえた妖を使って、憑依させました。私は陸虎の妖、春日は空鳥の妖、要は海蛇の妖を」
実験後、高清達は、研究所で、すぐさま、実験の為に、捕らえていた妖を憑依させたのであった。
自分達が、変化させることのできる妖と同じ妖を。
「憑依化には、成功しましたが、直後に、異変が起こったのです。私達の聖印は、暴走し始めました」
「聖印が、暴走!?」
「だろうな。妖気を取り入れたのだ。無事であるはずがない」
「月読様の言う通りでした。妖気が混じった聖印は、暴走しないはずなかったのです。私は、こんなことにも気付きもしなかった……」
妖を憑依をさせることに成功した高清達であったが、すぐさま、異変が起こった。
聖印は、暴走をし始めたのだ。
当然だ。
妖気を取り込んだ状態だ。
異変が起こらなはずがない。
だが、この時の高清達は、気付きもしなかったのだ。
そんな簡単なことに。
「聖印が暴走してしまい、私達は、妖を憑依させたまま、人間に戻ることはできませんでした。それが……」
「妖人、なのか?」
「はい……」
暴走の結果、高清達は、人間に戻ることができなくなった。
憑依させた妖と融合してしまったのだ。
それこそが、妖人であった。
妖人になり果てた事で、高清達は、ようやく自分達の過ちに気付いたのだ。
だが、時すでに遅し。
妖人となってしまった直後、さらなる悲劇が高清達を待ち受けていた。
「そして、悲劇はさらに起こったのです。複写に協力してくれた安城家の者が、命を落としたのです」
「え!?」
なんと、安城家の者が命を落としたというのだ。
それも、聖印の暴走によって。
これには、朧達も驚愕し、言葉を失った。
高清達も、愕然とし、絶望していたそうだ。
まさか、安城家の者が、命を落とすなどと思いもよらなかったであろう。
また、被害者を出してしまったのだ。
今度は、自分達の欲望に巻き込まれて。
「まさか、原因は、妖気を、取り込んだから?」
「……そうです」
死の原因は、妖気だ。
実験により、抽出した妖気によって安城家の者は命を落としてしまったのだ。
妖気に体が耐えられなかったのであろう。
安城家の人間は、ひどく苦しんだ末、命を落としたという。
彼らが、苦しみ、死んでいくのを目の当たりにした高清達は、衝撃を受け、愕然としたという。
二重刻印を持ったからこそ、妖人となり、妖気を取り入れてしまったからこそ、命を落としてしまった。
「私達は、ようやく、己の過ちに気付きました……」
高清達は、妖人と言う姿になり果て、犠牲者を出してしまった。
実験が終わった時には、何も得ることはできなかったのだ。
いや、全てを失ったと言っても過言ではないだろう。
本来の姿も、名誉も、そして、家族も失った。
残されたものは、何一つなかった。
取り返しのつかない事をしてしまったと高清達は、後悔し始めたのだった。
「私達は、術で、大将に文を送ったのです。、自分が妖人となってしまったこと、聖印渡しを行ったものが亡くなってしまったこと、研究を中止させるようにと」
冷静さを取り戻した高清達は、すぐさま、大将に術を使って文を送ったのだ。
人工的な二重刻印化は、きわめて危険である事を伝えるために。
自分達が妖人となり、命を落とした事を告げたのだ。
偽ることなく、真実を全て記載した。
これ以上の犠牲者を出させないために。
そして、自分達のような妖人を誕生させないために。
「その後、私達は、聖印京から、逃げました。このような姿では、戻れないと考えて……。餡里に真実を告げずに」
真実を記載した文を送った高清達は、妖人のまま姿を消したのだ。
誰にも気付かれないように。
家族に真実を告げる事もしないで。
餡里は、捨てられたと思ったであろう。
だが、逃げるしかなかったのだ。
この姿で餡里の前に出ることなどできるはずがない。
もし、全てを知ってしまったら、餡里は、軽蔑するであろう。
また、周囲からひどい扱いを受けるかもしれない。
それだけは、避けたかった。
だが、今にして思えば、逃げたかったのかもしれない。
罪の重さから。
餡里と向き合うのを恐れて。
「ですが……」
高清達は、これで、研究は中止となったはずだ。
そう、思い込んで今まで生きてきたのだ。
楼霊塔で、楼達と再会するまでは。
彼らとの再会を思いだした高清達は、確信していた。
まだ、悲劇は続いていたのだと。
「研究は、続けられていたようです」
高清は、悔しそうな表情を浮かべ、衝撃の事実を告げた。




