【前篇】
以前投稿した「山に住む人魚の話。」と同一世界観で、多少の繋がりはありますが、単品でお読みいただけます。
もう一人の人魚、雨夜星の話。
天羽真白は天使だった。
とおいとおいむかし、故郷である山岳から下界へと下った、天使の末裔だった。
岩山を飛びかう真っ白な鷲の翼をもって生まれた、白色個体の先祖がえりだった。
池野雨夜星は人魚だった。
とおいとおいむかし、故郷である海から陸へとすまいを移した、人魚の末裔だった。
海溝を覗きこむと見える青と深淵のはざまのような眼をした、少女だった。
ふたりはまったく無関係な場所で生まれ、育った、赤の他人だった。
種族も生き方来し方もまったく違った。
しかし、彼らは【亜人】だった。
【亜人】であるが故の本能を、彼らは持ち得ていた。
おおよそ接点などなかったふたりが、唯一同調できたモノ。
それは―――。
《ドーム》の中空に映し出されるスクリーンで、女の子が笑う。
最新の合成食料の映像広告。
桃色の髪。淡い青の目。背中に小さなカナリヤの翼。最近よく見る亜人のアイドル。
真白は目に飛び込んできた広告に首を反らし、カナリヤの翼の少女がにっこり笑ってポーズをつけるまでの一部始終を、なんとなしに見ていた。
広告は最初に戻って、同じ映像をループする。
中央広場の花壇のふちに座っていた真白は、繰り返される映像から視線を外してうなだれた。
なんというか、今日はついていない日だった。
アルバイト先では怒鳴られ続け、道行けば知らない人間から理不尽な言葉をあびせられ、自販機で飲料を買えば自分の前で売り切れた。
なにより最悪なのは、書類提出期限をひと月もずれて伝えられたせいで、次年以降配給されるはずの補助金の交付が受けられなくなったことだ。
手違いがあったのはお役所の方だというのに、害を被るのは一般市民。何百年も変わらない行政の隠蔽体質に憤るよりも先に、来年からどうやって暮らしていけばいいのか。アルバイトと補助金だよりの暮らしをおくる真白には、まずそれが重大な懸案だった。
亜人には生きにくい世の中だ。おもわず大きなため息が出る。
「かわいい子だね」
軽やかでいて、しっとりした声だった。
広場は閑散としていたけれど、人のざわめきや広告やヒーリング音楽やらで、静かではない。
だというのに、その声は、ぼんやりしていた真白の耳に届いた。力のある声だった。
真白は、体を半分に折るくらいうつむいていたので、それが自分に向かってかけられた言葉だとは気がつかなかった。
「ねぇ、ねぇ、」何度かの呼びかけに、ようやく面を上げて、その声が自分への声だと認識した。首だけで横を向く。
光の加減で真っ青に見える深い紺碧の瞳が、真白を見ていた。
「最近は、ああいうのがはやりなの?」
人懐こく笑みのカタチに細められる目に、真白は、言い難い得体の知れなさを感じた。
「さあ。でも、あの子は最近よく見るね」
口をきくつもりはなかったというのに、言葉はするりとこぼれた。そのことに、肌をやすりで逆なでられるような、不快感を感じる。
意思を捻じ曲げられたような、圧迫感と、気持ち悪さ。胸に湧き上がる警鐘。
あからさまに警戒する真白を、それでも笑みでみつめる少女。人三人分は離れた場所から、足を組んでほおづえをつき、花壇のふちに尻を乗せて、青い目が真白を捉える。小首を傾げて、彼女は言った。
「立派な【天狗】の翼だね」
真白は、その言葉にイラつくより先に、ちょっと驚いた。
「【天狗】なんて、古い言葉を、よく知ってるね」
「身内に古モノ好きがいてね。でも、そんな大きな翼は、久方ぶりにお目にかかるよ」
真白の背中に視線を流して、ゆったりと話しかける少女は、ほれぼれとしたため息を吐く。その声には、さっきのような圧力を感じず、ただ感嘆しかなかった。ので、真白は素直に受け取った。
真白の背中には、広げれば身の丈よりも大きい、一対の翼がある。
翼は、真白が何者であるかを知らしめていた。
亜人。環境に適応して進化しやすい遺伝子を持った、人類の総称。
その中でも、翼をもつものを、大まかに【翼主】と呼称する。
東の一部地域では、翼主は今世界でまかり通っている通称【天使】でなく、【天狗】と呼ばれていたという。《シェルター》で知り合った老人がそんなことを言っていたと、真白は記憶している。久しぶりに引き出された記憶であったので、懐かしい気持ちになった。
少女は首をめぐらせて、ちょこんと小首をかしげた。
「ちょっと街を歩いたけど、翼は退化の傾向にある?」
「そう。あのフザケタ《シェルター》のせいで」
「あぁ、風のうわさで、きいたことがある」
納得の声に、真白は、おや、といぶかしむ。
《シェルター》は随分昔のことで、今では歴史の教科書くらいでしか知る機会はない。教科書でもほんの一行くらいの、ほとんどマイナーな情報だった。それをさも当時人から聞いたように話す少女が、不審だった。
「そうか。人間は、鳥の翼をもいだのか……」
「あのアイドルの羽が、今では珍しい大きさっていったらわかりやすい?」
「なるほど。ということは、君は、とっても珍しいんだ」
「そうなるかもね」
手のひらを広げたような小鳥の翼が希少な時代。
そんな当たり前になったことを、得心したようにうなずく彼女に、真白は違和感を覚える。
生成りのすとんとしたワンピースに、淡い緑のジャケット、合皮と思しきブーツ、ちょっと大きめの茶色いカバン。
街でも学校でもよく見かけるような、なんでもないかっこう。なのに、妙にそぐわない。
真白が思惟をめぐらせていると、ああ、と気付いたように、少女が向き直る。
「あたしは池野雨夜星」
「ぼくは……天羽真白」
「ああ、しろいから?」
「そう、しろいから」
苗字がある、ということは、この子も亜人なのだろう。警戒心が一気に下がっていくのを真白は自覚した。亜人であるならば、多少の世間知らずは理解できた。
過去世、人類は、世界中を巻き込んで、大きな戦争をいくつもおこした。
世界大戦が頻発した“死の百年”と呼ばれるその時代、人間はありとあらゆる兵器を使って、この星を痛めつけた。
その時代は、人類だけでなく、この星に生息する生物全てに直撃した大惨禍であり。
亜人にとって、酸鼻を極める時代でもあった。
“死の百年”から数百年。衰退の一途をたどった人類は、この星ぜんぶを一つの国とする。
環境回復や生産やらを完全管理する方針は、人間にも、亜人にもあてはめられた。
真白でも知っている、戦後の常識。
そして現代、人間と亜人には、わかりやすい区別がある。
名前。
人間は、識別の通し番号しか国に登録されない。固有名詞は管理に不要だから。
一方、亜人は、種族と名前が登録される。
真白でいうと、登録された正式名は『翼主天羽真白』。
亜人は、種族ごと、種族の中で、『家族』という最小単位でコミュニティを作るケースが多い。
コミュニティは血筋である。明確化するためにコミュニティに冠する固有名詞をもつ。これがかつて人間たちも持っていた姓。苗字ともいう。
その中でさらに個人を特定するための固有名詞。これが名前。かつては同じ姓をもつものや親が最初にくれるおくりものだったというが、真白は知らなかった。
翼主『イヌワシの天羽』の血筋、『真白』という個体。真白は名前をその程度にしか認識していない。
「あんた、この《ドーム》では見ない顔だね」
「そう。今日、ここに着いたの」
「都市間移動を許されてるの?すごい。VIPだね」
「そんなんじゃないけど、そうね。大きな貸しがあるから、結構自由ね」
首をすくめた少女……雨夜星に、真白は驚く。
亜人は、その特殊さから、機関や政府の上の人間とのつながりを多少なりとも設けているが、それは多くが庇護と保障であって、対等であることはまずない。亜人は社会的弱者だ。今も、昔も。
ますます彼女を不審に思う真白なんてよそに、雨夜星は機嫌よさそうに中空の映像広告や花壇の造花や街並みを眺めている。
その横顔が整っていることに、真白は今更ながら気がついた。
良くも悪くも人目を惹きやすい容姿が多い亜人。
特に翼主……【天使】は、人間が古い偶像から連想する容姿に近く、人間好みなモノだから、瞬く間に亜人の代表格のひとつとなった。
目立つ翼と容姿のせいか乱獲され、すぐに絶滅寸前にまで追い詰められたけれど。
亜人は、環境に適応して進化しやすい遺伝子を持った、人類。
しかし、人権が認められるまで、実に百五十年以上はかかった。
つまり、その百五十年、それ以前の間に、亜人はありとあらゆる扱いを受けた。
その結果の一つが、真白だった。
愛玩用として需要の高かった【天使】。
人間の体に、鳥類の翼。体は人間であるから、人間との交配も可能なわけで。
お察しな歴史は一通り歩んできたと言っていい。
真白なんかは、正直、愛玩用に飼ってる生き物にそういう感情をもよおすとか、変態じゃねーの、と思う。盛大なブーメラン。確実にご先祖様に変態がいる。《シェルター》で産まれた真白だが、ルーツを考える度、地味に心にダメージを負う。
そこには純愛もあったのだろうが、亜人が大きな理由なく故郷を離れるのは、まず滅多にないことだからお察しである。
純血の【天使】が、こうしてあっという間にいなくなり、巷には混血があふれた。
これは【天使】に限ったことではなくて、見目良い亜人は、すべからくその対象になって、血を薄め、数を減らした。
亜人激減の大きな要因は戦争と環境破壊だったが、次点で大きな要因は、奴隷狩りとも呼べる乱獲だった。
亜人に人権が認められた後も、差別はなくならず、人に紛れるようにその特徴を薄めた亜人ですら、ただ亜人であるというだけで、蔑視され特別視され、就職や住居にも偏見による制限がいまだまかり通っている。まったく亜人にとって生きにくい世の中だった。
――【天使】は、血が薄まり過ぎた。
時代、一大ムーブメントとなった種の保存活動は、その黎明期から終末期に到るまで、とにかく迷走した運動だった。
種の保存イコール純血保護という流れが正当化して叫ばれ、あらゆる種の亜人を純血に帰そうと、交配が繰り返された。
そして、【天使】は。
少しでも血の濃い【天使】を、世界中から一か所にかき集め、汚染された空と大地から地下施設……《シェルター》に隔離した。
ちょっと想像力があるならば、簡単に推測できる。
空を故郷として、大気を友とし空を愛する【天使】……翼主が、地下に閉じ込められたら、どうなるか。
もっとも種族的特性の強い、本能に近い翼主は、発狂した。
亜人は帰巣本能が強い。望郷の念が強い。その地に適応して進化してきたのだから、それは当然で、必定で。
だから、鳥籠に押し込められた鳥は、籠を壊そうと、死にもの狂いに暴れまわった。
真白は目にしなかったが、《シェルター》に蔓延したうわさは、凄惨だった。
飛べないものは壁という壁をかきむしって衰弱死。飛べるものは天井に頭をぶつけ続けて頸椎骨折、頭骸骨陥没。他にもいろいろ。
本能から遠い翼主でさえ、地下での暮らしは、精神を蝕んだ。
翼主の本能は、空を求める。広い場所、開放感のある場所。拘束されない自由を、本能的に望む。
空の見えない環境は、ことほど、翼主にとって毒にしかならなかった。
真白は思う。
そもそも、なんで、地下に閉じ込めたんだろう?飛んで逃げるとか、思ったのか?
ぼくたちには、話せる口があるのに。理解しあえる知性があるのに。
どうして人間は、自分たちの考えることが一番えらくて、正解だと思うんだろう?
亜人は、環境に適応して進化しやすい遺伝子を持った、人類。
つまり、環境に影響を受けやすい。
翼主を地下に閉じ込めて、それは本当に正解だった?亜人の進化は、人間より格段に速い。
《シェルター》が機能していたのは、人間の時間で、たったの七十年。
翼主が進化するには、十分な時間。
押しつけの正義をふるまった人間が、間違いに気付いた時には、もう遅かった。
《シェルター》で生まれ、外に放り出された翼主は、だから、ほとんどが―――。
「ねぇ、」
思考を中断させられて、ハッと雨夜星の方を向く。
「あなた、土地勘はある方?」
「は?まぁ、地元民だし、そりゃね」
「ああ、よかった」
雨夜星は両手をぱちんと打った。
「行きたい場所があるのよ。でも、どうにも迷ってしまったみたいで。あなた、つれていってくれる?」
小首をかしげてころころ笑う雨夜星。
そんなの、自警員にでも頼めよと口を開きかけたところで、遠くから甲高いサイレンの音。
「チッ。もうみつかった」
笑顔からしかめ面にかわった雨夜星の豹変に驚いていると、腕をつかまれぐいと引っ張られる。
とっさに自分の荷物もひっつかんで、真白は雨夜星につられるまま駆け出した。
「きて」
「なんなの?なんで、自警員に追われるの?!」
「あたしはただ、海に行きたいの。あいつらなんかに阻まれる理由はないわ!」
理由になっていない上、わけがわからない。
目を白黒させながら、真白はどんどん近づいてくる自警団員とサイレンを鳴らす警備ロボットを肩越しに確認して、内心今日一番のため息を吐いた。
本当に、今日は、ついていない。