再来
位置づけとしては『在来線駅員の一日』の続編です。
少し前、とある乗客二人が痴漢事件を起こした。俺の部下であり、新米の駅員である安田がその際暴力を振るった為に安田は懲戒免職、俺は責任をとって自主退職をした。今は安田とともに求職を行っている。なかなか見つからないが、知り合いの三上が就職先を見つけてくれるらしい。三上には無理を言って悪いが、安田の再就職先も探してもらっている。
今日の十四時に喫茶店で集まって話をする約束をしている。俺が先に喫茶店で席を取り、その後に安田と三上が来る手筈だ。俺は集合時間の十四時の十五分前に喫茶店に入り、席を取った。
この喫茶店は比較的静かな場所で、俺もこの喫茶店はよく利用する。ただ、俺が座った席の後ろがやけにやかましい。気づかれないように目の端で覗くと、女子高生四人組の集団のようだった。やかましいとは思うが、変に絡まれても面倒だな。ここは放置しておくか。まだ十五分前だから、あいつらが来るのはまだまだ掛かるな。適当にコーヒーでも飲んで待つか。
コーヒーを一杯注文すると、バッグの中からネットブックを取り出し、三上から教えてもらった求職情報のページを開いた。しかし、やはり駅員には戻れないかもしれないな。気に入った職だったんだが。悩みながら選んでいると、やがて安田と三上がやってきた。
「本田さん久しぶりですね」
安田はそう言いながら俺の隣に座った。
「ああ、そうだな。転職先は見つからないがな。安田の方はどうなんだ?」
俺がそう訊くと、安田からは予想通りの返事が来た。
「いや、全然駄目ですよ。やっぱり暴力事件起こしたのはまずかったです」
安田がそう言うと、安田は店員を呼んでコーヒーを二人分頼んだ。すると、三上がテーブルの上にいくつかのプリントの束を出して話し出す。
「じゃあ、そろそろ話を進めようか。本田は部下の不祥事の責任を取って自主退職だから安田君よりかは見つけやすいと思う。いくつかピックアップしたから確認してくれ」
三上はそう言いながらプリントの束を俺に渡す。
「でも安田君は実際に暴力沙汰になっている訳だから、再就職先は見つけにくいと思う。このまま探しても見つけるのは現実的じゃない。見つかったとしてもブラック企業という可能性も十分にあり得る。知り合いに自営業やってるのがいるから、声を掛けてみるよ」
三上がそう言うと、安田は三上に礼を言った。俺は三上が用意してくれたプリントを確認している。三上が用意してくれている就職先は多岐に渡るものであり、非常に役に立ちそうなものだった。
「三上ありがとうな。これでなんとかなるかもしれない」
俺も三上にそう礼を言った。
「何言ってんだ。昔は俺の方こそ世話になっただろ。まだ返しきれてないよ」
俺は、以前の三上と全く変わらないなと思いながら喋る。
「その謙虚な姿勢は相変わらずだな。まあ、なんにせよ助かったよ」
すると店員がやって来て、安田と三上の分のコーヒーを置いた。三上と安田はゆっくりとコーヒーを飲んだ。三上はミルクも砂糖も入れずに飲んだが、安田は砂糖を小さじ一杯だけ入れた。
「それにしても、近所にこういう場所があるといいな。俺の地元にはスーパーや服屋はあるが、喫茶店なんてしゃれたものは無かったからな」
三上はコーヒーを飲みながらそう言う。俺はそれに相槌を打つ。
「確かにそうだったな。喫茶店が近所にあると、何かとうれしいからな」
俺と三上と安田はそれから他愛のない会話を交わした。それから数十分程経った後、俺たちは喫茶店を出ることにした。俺は立ち上がって財布を出すと、三上がそれを遮る。
「おいおい、ここは俺が奢るよ。働いてないやつに払わせる訳にはいかないだろ」
三上はそう言って請求書を取った。
「そうか、いつかこの埋め合わせはするよ」
俺と、三上と安田は喫茶店を後にした。
後日、俺は三上から受け取った資料を頼りにして、就職活動を続けている。安田は、自営業をやっている三上の知り合いの所に行っている。安田はあの時暴力を振るったとはいえ、基本的には温厚だから、なにかトラブルが起こることはそうないだろう。とにかく今は俺自身の転職に集中しよう。今日もいくつかの企業に面接の約束をこぎつけてある。早いところ就職を済ませないとな。俺は自分を奮い立たせ、面接会場に向かった。
数時間後、一通りの面接が終わった俺は自宅に帰った。幸い面接官からなじられるようなことはなかったものの、面接官の態度はあまり良好ではなかった。今回も駄目かもしれないな。心身ともに疲れ切っている俺は、コーヒーを淹れると、テーブルの前に座ってテレビをつけた。時刻はもう六時を回っているのでテレビではニュースをやっていた。政治経済や、感染症に関するニュースが大半の為、今の俺にはあまり関係がなかった。しかし、時事問題が面接で飛んでくる可能性も否定できないから、見ていて損はないな。ニュースを見ていると、小学生失踪事件や殺人事件がこの付近で起きていることが解った。この辺もいつの間にか相当物騒になったな。俺がここに引っ越してきた時は不良や暴走族もあまりいない平和な所だったんだがな。
やがてニュースが終わり、時刻も六時三十分になった。夕飯を作り始めるのに頃合いな時間だ。冷蔵庫の中には昨日の夕飯の残りと生野菜が少しだけある。俺は生野菜を適当に切ると、昨日の夕飯の残りと合わせてテーブルに並べた。誰が見ても質素な夕飯だが、求職中じゃ仕方ないな。俺がそう思って食事をしていると、唐突に玄関のチャイムが鳴った。この時間に訪問してくるような人はいなかった筈だと思いながら玄関に行き、覗き穴から覗いて、訪問者を確認すると、扉の前にいる人物は意外な人物だった。
「夜遅くに悪いな。夕飯持ってきたから許してくれよ」
そう言って入ってきたのは三上だった。三上の後ろには安田もいる。
「どうしたんだ? お前がここに来るなんて珍しいじゃないか。まあ、とにかく入れよ」
俺は三上と安田を自宅に招き入れた。テーブルにある夕食を見た三上が呆れたように言う。
「またこんな貧相な食事なのか。すこしはまともなもの食べたらどうなんだ」
安田はそう言いながら手に持ったレジ袋をテーブルの上に置き、中に入っている弁当を出した。
「で、何で今俺の家に来たんだ? 何かあったのか?」
俺がそう尋ねると、安田は自慢げに言う。
「ええ、ついに俺の就職先が決まったんですよ」
予測は大体ついていたが、安田が決まったようで安心した。
「そうか! 良かったな安田。また事件起こしてクビになるなよ」
すると、三上が言う。
「お前はまだ決まってないんだろ? 早くしないと置いてかれるな」
俺は三上の煽りに反論する。
「解ってるよ。もうそろそろ決めるから安心しろ」
俺はそう言いながら弁当を食べ始めた。安田と三上も弁当を食べ始める。
「そういえば、安田はどこに決まったんだ?」
俺がそう訊くと、安田はものを食べながら答える。
「工業用の精密部品工場です。三上さんの知り合いの人の工場を紹介してもらいました」
安田がそう答えると、俺も言う。
「そうか、良かったな。俺も早く社会復帰できるよう頑張らないとな」
その後は、三人で雑談をしていた。夜も更けてくると、三上と安田は自宅に帰っていった。
数日後、俺もIT関連の仕事に就き、安定した生活を得ることが出来た。幸い安田と俺の職場は近く、度々会うことが多い。週末には互いの職場の話をしている。というのも、安田の就いている工場と俺の就いている企業はかなり関係が深く、工業用品などのハードウェア部分を安田の工場が製作し、ソフトウェア部分を俺の企業が担当しているという関係になっている為である。安田の所ももちろん楽ではないが、俺の企業でも覚えることが多くて楽ではない。ただ、仕事に就けるだけありがたいと思わなければならないな。
「おい、本田」
唐突にそう呼んだのは、俺の上司である伊藤重里だった。
「なんですか伊藤さん」
俺がそう言うと、伊藤さんは仕事の話をするのとは違ったやや軽い口調で言う。
「小耳に挟んだんだけどさ、うちと同じく工業部品の受注関係にある畑中工場の安田っていう新入社員と知り合いだってのは本当か? 噂だと、本田と安田はJC-Eの駅員だったとか」
この企業の面接時にも言ってあるし、別に隠すようなこともないので俺は正直に話す。
「ええ、安田は俺の部下でした。ちょっとしたことがあって退職しましたが。何か問題でもありましたか?」
俺がそう話すと、伊藤さんは口調を変えずに言う。
「そうか、別に何も問題ないよ。ただの個人的な興味だよ」
伊藤さんはそう言うと、更に俺に近づいて言葉を出す。
「それはそうと、最近物騒な話が多いよな。最近は子供でも加害者になるからどんなことが起きるか予想できないな」
さっきまでは仕事の話と捉えられなくもない内容だったが、突然世間話になった。今は休憩中なので別に話をしてもいいが、上司から勤務時間中に世間話をされたことがなかったので、少し驚いた。
「そうですね。ただ、あんまり重く見てもいいことないと思います。俺はこの仕事を覚えるので精一杯なので」
俺がそう言うと、伊藤さんは俺から離れた。
「そうか、それもそうだな。まあ、今日は金曜日だし一杯やるか? もちろん俺の奢りでな」
すると、俺は答える。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
俺がそう言うと、伊藤さんは自分の業務の席に戻った。俺も自分の業務の続きを進める。
やがて、定時になると、俺は帰り支度を済ませる。伊藤さんは後から来るらしく、俺は先に店に行き、席を確保することにした。適当な居酒屋を見繕い、席を二人分取ると、伊藤さんを待った。やがて十数分経つと、伊藤さんが来た。
「ここはお前がいつも利用している居酒屋なのか?」
伊藤さんが周囲を見回しながらそう尋ねたので答える。
「ええ、そうです。とは言っても、そうそう来てはいませんが」
すると、伊藤さんは俺が取った席を一瞥すると、着席しながら喋る。
「まあ、いいや。取り敢えず飲もうか」
伊藤さんはそう言うと、生ビールを二つ注文した。すると、伊藤さんはまずは仕事の話から切り出した。
「仕事には慣れたか?」
伊藤さんがそう尋ねたので、無難な答えを返した。
「ええ、完全にとはいかないですが」
まずはありきたりの話から始め、それから仕事の話や世間話などをして伊藤さんと談笑した。
暫くして二十時位になったところでお開きにし、伊藤さんと俺は帰宅した。
翌日、安田が俺の家に来た。
「本田さん。今日も来ましたよ。それにしても、土曜日にここに来るのが日課になりましたね」
安田は相変わらずの明るい口調でそう言った。
「でもちょっと変わったことがありまして、最近三上さんと連絡が取れないんですよ。ただ単に忙しいだけかもしれないですけど」
安田の予想外のその言葉に少し驚いた。
「そんなことがあったんだ。まあ、念の為こっちからも連絡送っておくから」
俺がそう言い、この話題は短く終わった。
次の日の日曜日、三上に電話をしたが、三上の返答はなかった。三上の携帯電話にメールだけ残し、念の為三上の自宅に向かった。三上の自宅に訪問したが、不在のようで進展はなかった。少し不安にかられたが、これ以上詮索する手段がない為、ひとまずは放っておくことにした。
翌日会社につくと、伊藤さんが珍しく出社してこなかった。伊藤さんをよく知ってそうな人に訊いてみた。
「よくは知らないが、娘さんに何かあったらしい」
とのことだった。就職難のこの時代に再就職ができたのは幸運だったが、自分に直接関係はしないものの、立て続けに二つの事件らしきことがおき、幸運なのか不幸なのか解らなくなってしまった。
安田の方ではうまくいっているか心配にもなったが、今は自分のことで精一杯だ。今度の週末にでも安田と話しに行くか。前回の暴力事件の時といい、いつ何が起こるかわからないことだらけだ。