齧りたい1
第三章 転 『思い内にあれば色外に現る』あたりの八島視点になります。
手を、のばす。
我が主の背に向かって。しかし、気付かれる前に指を握りこみ、手を下ろす。
齧りたい。食いたい。……取り入れたい。
人はうまいことを言うものだと思う。喉から手が出るとはまさにこのこと。主を食いたくてたまらない。
もちろん、わかっている。そんなことはしない。食ってしまったら、千世様はいなくなってしまう。そんなことはできない。この方のいない世界など、最早考えられない。
あれほど主などいらないと考えていたのに、今ではそう考えていた自分が理解できなかった。
常にひたひたとした生気が注ぎ込まれ、それが我が存在を揺らし、自我を内から炙る。その感覚に、それを追うことしか考えられなくなる。
ああ、もっと、もっと、もっと。
けっして満たされるはずがないというのに、求めずにはいられない。
主が神でなければどうであるか、わかっていた。人の貧弱な気では体を満たすことはできないと。そのために、わざわざ神ではないものを主としたのだ。
満たされてしまえば、あの剣のように、あるいは人形たちのように、自我を失い、主の道具に成り果てる。そんなのは真っ平だった。
だが。
千世様を得て、知った。
あの剣は、今も恍惚の中にあるのだろう。そして人形たちも、満たされた中で存在を失っていった。
それを愚かと思いながら、羨望する自分がいる。
主の傍に自ら侍ることもできず、永遠を共にすることもできない。そんなのは御免だと冷静に考えるのに、満たされたならば、それはどれほどの恍惚かと焦がれずにはいられない。
それでも、普段は我慢できるのだ。
体の中でひたひたと流れる生気の流れを感じているのは、ひどく心地よいことであるから。本来、荒魂である本性は主の生気に慰撫され、むしろ鎮まる。
しかし、主の心が乱れると、そのうねりはそのまま我が中で反響し、我という存在を揺さぶる。
特に、主の心の中が、我がことでいっぱいになり、その瞳に我しか映っていないとなれば。
もっと、もっと、もっと、と思う。もっと我でいっぱいになり、我以外見てくれるな、と。そうして、もっと我を満たしてくれ、と。
ないはずの食欲が現れ、飢餓感に苛まれる。
齧って食って、この身に主を取り込んでしまったところで、満たされはしないとわかっているのに。そうしたくてたまらなくなる。
なぜそうなるのかと千世様は聞かれたが、それは私にもわからない。ただ、そう感じてしまうのだとしか、答えられない。
ああ、また我が主が心を揺らす。今度は何をお悩みなのか。
高まってくる飢えに、その心地よさに、自然と唇の端が上に吊り上がる。
「千世様」
声を掛ければ、それだけで生気がうねる。主が振り返る。我が姿を目にして、うねりが大きくなる。
不思議そうに、けれど瞳を輝かせて、はい、と答えてくださる。
お可愛らしいと、齧りたいという気持ちで、いっぱいになる。
……千世様。我が唯一無二の主よ。永劫の時をあなたと。お許しくださった約束のままに。
「なんですか、八島さん」
小首を傾げた主に、今度こそ私は手を差し伸べた。