聖騎士テセウス
「君…大丈夫か!」
(何が、起きた…)
脳を揺さぶる耳鳴りと、全身を殴られたような衝撃。俺は、舞い散る粉塵の中でゆっくりと身を起こした。視界の先、数メートル離れた場所で、ネカとケラが瓦礫に埋もれるようにして倒れている。
不意に、力強い腕が俺の体を支え起こした。
俺が顔を上げると、そこにいたのは、傷だらけの白銀の鎧をまとった、燃えるような赤髪の聖騎士。さっき、俺たちが助けようとした男だった。
「何が起きた…」
俺の疑問に答える代わりに、聖騎士は闘技場の中央を睨みつけた。その横顔は、緊張と疲労を滲ませている。
「…テセウスだ。無駄話は後だ。立て。今、奴から目を離せば…お前たちから喰われるぞ」
――事態が急転したのは、ほんの数分前のことだ。
俺とネカ、そしてケラの三人は、迷宮の最深部に続く扉の前までたどり着いていた。扉に近づくにつれて、凄まじい地響きと、獣の咆哮が響き渡ってくる。
「…間違いない。この奥だ」
俺たちが警戒しながら扉を開けると、そこは巨大な円形闘技場だった。そして、その中央では、既に死闘が繰り広げられていた。
たった一人、赤髪の聖騎士が、巨大な怪物と対峙していた。
怪物――いや、もはやそれは、俺たちが知るミノタウロスではなかった。
身の丈は15メートルはあろうかという巨体。その身からは常に黒い瘴気が立ち上り、瞳は狂気の光で爛々《らんらん》と輝いている。暴走した神話獣。
「…チッ、状況が悪すぎるわね。加勢するわよ!」
ケラの叫びに、俺とネカも頷く。
俺たち三人は、テセウスを助けるべく、闘技場へと一斉に飛び込んだ。その、直後だった。
「グルオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
俺たちの乱入に気づいたミノタウロスが、天を衝くほどの咆哮を放った。
それは、ただの声ではなかった。音ではない、純粋な『力』の奔流。凄まじい衝撃波が、俺たち三人をなす術もなく飲み込み、壁際まで吹き飛ばしたのだ。
(…そして今に至る、か)
俺は、テセウスの助けを借りて、なんとか立ち上がる。
目の前では、ミノタウロスが、新たな獲物を見つけた、とばかりに、ゆっくりとこちらへ向き直るところだった。
「いったぁあ…!」
「…ふん。出鼻を、見事に挫かれちゃったわね」
吹き飛ばされていたネカとケラも、瓦礫の中からなんとか身を起こした。幸い、大きな怪我はないらしい。
テセウスが、俺たちを試すように、あるいは鼓舞するように言った。
「…さて、どうする」
「決まってる。ここからが本番だ。」
俺が答えるのと同時に、テセウスが叫んだ。
「奴のあの黒い瘴気…あれが再生能力の源だ! あれをどうにかしない限り、ジリ貧になるぞ!」
ケラが試しに雷撃を放つが、ミノタウロスの体にできた傷は、黒い瘴気が集まると瞬時に再生し、びくともしない。
「再生する霧の因子か…」
絶望的な状況。だが、唯一の可能性が俺の頭にはあった。
「…ネカ!」
俺は叫んだ。
「あの黒い瘴気…お前の力で『吸収』できないか?」
「え…!? あんな禍々しいもの…、大丈夫なのかな」
「やってみるしかない!」
ネカは一瞬怯んだが、すぐに覚悟を決めた顔で頷いた。
「分かった!やってみる」
ケラが即座に俺の意図を理解する。
「私とそこの聖騎士で、奴の注意を引きつける! その隙に、お嬢ちゃんを全力で守りなさい!」
「異論はない!」
テセウスも頷く。
実力者2人が、同時に駆け出した。
「因子――『神聖召喚』!」
「因子――『雷霆召喚』!」
テセウスの聖剣が放つ神々《こうごう》しい光と、ケラの身体を纏う青い雷光が、ミノタウロスの左右から同時に襲いかかる。
「グルオオッ!」
さすがのミノタウロスも、二人の猛攻に動きを止められた。
俺は、後方に下がったネカの前を守るように立つ。ミノタウロスが暴れるたびに、天井から降り注ぐ瓦礫を『鋼鉄の礫』で撃ち落としていく。
「…いくよ!」
ネカは、三人に守られながら、全神経を集中させた。両手を、ミノタウロスに突き出す。
「――吸収!」
最初は、何も起こらなかった。
だが、数秒後。ミノタウロスの体から溢れ出ていた黒い瘴気が、渦を巻きながらネカの両手へと引き寄せられ始めた。
「グ…オオオオオオ!?」
自らの力の源が吸い取られていることに気づき、ミノタウロスが初めて焦りの声を上げた。その狂気に満ちた瞳が、前衛で戦うテセウスとケラを無視し、一直線に後方のネカを睨みつける。
(まずい…!気づかれた…!)
ミノタウロスの全ての殺意が、今、たった一点――ネカだけに、向けられた。
次の瞬間、ミノタウロスは再生を止め、その身に纏っていた黒い瘴気のすべてを、ネカめがけて解き放った。
「きゃあああああっ!!」
ネカの体が、奔流となって押し寄せる黒い瘴気に、完全に飲み込まれた。
その悲痛な叫び声が、闘技場に響き渡った。
第16話終わり




