迷宮《ダンジョン》
馬車に揺られること3日。俺とネカは、衛星都市ミノアに到着した。
マナの言った通り、そこはアポロニアのような活気はなく、街のあちこちに風化した遺跡が顔を覗かせる、静かで、どこか物悲しい雰囲気の街だった。
俺たちは早速、依頼の目的地である旧水道橋へ向かう。苔むした石造りの橋。その橋桁の陰に、洞窟がぽっかりと口を開けている。古代の『迷宮』の入り口だ。
「…マナ、今度も、あの館みたいな感じなのかな…?」
彼女の不安げな問いに、俺は首を横に振った。
「いや、違う。ここはギリシャ神話系のダンジョンだ。小細工は通用しない。目の前の敵は、一体ずつ、確実に狩る必要がある」
「…そっか。しっかり、倒すんだね」
ネカの瞳に、覚悟の色が宿る。
「ああ。準備はいいな?」
「うん!」
俺たちは頷き合うと、神話の怪物が待ち受ける迷宮へと、足を踏み入れた。
迷宮に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ひんやりと湿った、何百年も澱んだような匂い。規則的に積まれた巨石でできた壁は、どこにも継ぎ目が見当たらない。まるで、一つの巨大な岩からくり抜かれたかのようだ。俺たちの足音と、壁を伝って滴る水の音だけが、不気味なほど大きく響いていた。
数分ほど進み、開けた広場に出た。高い天井を、十数本の太い石柱が支えている。
その広場の中央に、そいつはいた。
神話獣――ミノタウロス。
身の丈は3メートルを超えているだろうか。筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》たる人の体に、巨大な斧を携えた、雄牛の頭。鼻からは、荒い呼気と共に白い蒸気が噴き出している。
そいつは、広場の中心で、まるで侵入者を待っていたかのように、静かに佇んでいた。
「グルオオオオオオッ!!」
俺たちを視界に捉えるなり、ミノタウロスは地響きのような咆哮を上げた。理性を失っているわけではない。その瞳には、明確な殺意と、知性が宿っていた。
「俺が前に出る!ネカ、距離を取れ! 作戦通り行くぞ!」
「うん!」
ネカは頷くと同時に、
「因子創生、光の鞭―《ライトウィップ》」
光の鞭をその手に作り出す。彼女は深呼吸のように呟いた。
「…脚、武器、頭の順…!」
ミノタウロスが、巨大な斧を振りかぶり、前に出たマナの方へ猛然とこちらへ突進してくる。
俺は横に跳んで攻撃を躱し、奴の膝を狙う。
「――『鋼鉄の礫―《スチール・ショット》』!」
数発がミノタウロスの分厚い皮膚の脚に着弾した。
「グンッ!?」
致命傷にはほど遠いが、確かな痛みと、何より体勢を崩されたことに苛立ったらしい。ミノタウロスが、初めてこちらを警戒した目で見る。
その隙にネカのしなやかな光の鞭が、奴のもう片方の足に叩きつけられ、その肉を浅く削る。
「グルアアッ!」
「今だよ、マナ!」
ミノタウロスが、鬱陶しそうにネカの方へ向き直った。
「もう一度だ――『鋼鉄の礫―《スチール・ショット》』!」
がら空きになった顔面、その右目めがけて、俺は鋼鉄化した礫を撃ち込む。
「グギャアアアアアッ!」
咆哮が、苦痛の絶叫に変わった。片目を潰されたミノタウロスは、怒りのままに戦斧を闇雲に振り回す。攻撃対象がコロコロと切り替わり、巨体を持て余している。好機だ。
「エイッ!」
ネカが、さらにその腕に一撃を与える。衝撃で、ミノタウロスが戦斧を取り落とした。
武器を失い、片目の視界を奪われ、両足にダメージを負った巨獣は、もはやただの的だ。俺とネカは、休みなくその両足に攻撃を集中させる。
やがて、ミノタウロスは膝をつき、雄叫び以外あげられなくなった。
「ネカ、とどめだ!」
「うん!「因子創生―《ファクトジェネシス》、光の槍―《ライトランス》」」
ネカは光の鞭を、訓練通り、その先端に全ての光を収束させた鋭い『光の槍』へと変化させる。そして、膝をついたミノタウロスの、がら空きの首筋めがけて、渾身の力を込めて突き刺した。
ミノタウロスの巨体が、ゆっくりと、そして轟音と共に、床に倒れ伏した。
広場に静寂が戻る。俺は、息を切らしたネカの元へ歩み寄った。
「ネカ、バッチリだな」
「うん!」
俺が差し出した右手に、ネカが嬉しそうに、パチンと軽い音を立ててハイタッチした。
その様子を、物陰から誰かが、気配を殺し静かに見つめていた。
(……ほう)
(第14話 終わり)




