出来損ないの運び屋、少女と出会う
酸性雨が降り注ぐ夜の中立都市クロスロード。路地裏は派手なネオンサインが映し出す虚ろな顔の群衆で溢れている。
この街では、あり得ない力…『因子』を持つ連中が厄介事を起こす。腕が変形するチンピラ、目にも止まらぬ速さで駆け抜ける盗人。そいつらは「因子持ち」と呼ぶ。
俺に因子はない。
俺はマナ。この街の裏側で、自分の頭と足とちょっとした技だけを頼りに、危険な依頼をこなして日銭を稼ぐ運び屋だ。
路地裏の錆びた鉄扉の前で、俺は依頼の品である木箱を受け渡していた。
「…報酬は?」
「ククク…これだ」
どこかの組織の下っ端らしい男が、革袋を投げてよこす。
中身は契約の半分にも満たなかった。
「話が違うな」
「依頼は『配達』じゃねえ。『捕獲』だ」
罠だった。俺は、短く息を吐いた。
「…だろうと思った。三流以下の組織は、やることまで三流だな」
その言葉に、男の表情が怒りに歪む。
「―因子!混沌の爪―《カオス・クロー》!」
彼の腕が、おぞましい爪を持つ異形へと変わった。
だが、俺はもう駆け出していた。生き延びるための、いつもの戦いの始まりだ。
追手を振り切るため、雑踏に紛れ込もうとした、その時だった。
「いっ…!」
誰かと激しくぶつかり、俺は勢いよくアスファルトに倒れ込んだ。黒いフードを目深にかぶった少女が、同じように尻餅をついている。
すぐに気づいた。彼女もまた追われている。
ただし、俺を追うチンピラどもとは違う。
スーツの女が、彼女の退路を塞いでいく。
最悪だった。俺を狙うチンピラと、少女を狙うスーツの女。
2つの狩りが、この狭い路地で鉢合わせやがった。
「ターゲットを発見、確保に移る」
スーツの女が報告していた。その目は、少女を捉えている。
「待て、そいつは俺たちの獲物だ!」
チンピラが、俺を指差して叫ぶ。
スーツの女は、俺たちを一瞥し、そしてチンピラの男に向き直った。
「財団のチンピラが我々の任務の邪魔をするな。その男はどうでもいい。その女を渡しなさい。」
「ふざけるな、俺たちの目的はその男だ!貴様ら教会の犬こそ、俺たちの狩場からとっとと失せろ!」
互いに、一歩も引く気はない。交渉の余地はなく、残されたのは、力による排除だけだった。
「―因子!光の鞭―《ライトウィップ》!」
スーツの女が光の鞭を少女めがけて放つ。
同時に、チンピラの男が混沌の爪を俺に突き立ててきた。
2つの脅威が、同時に迫る。
俺は、まず、自分に迫る混沌の爪を睨みつけた。
「――分解」
俺は、自らの能力…因子分解を発動。爪が俺の胸を貫く寸前。俺の掌が、その禍々《まがまが》しい因子に触れた。
混沌の爪は、まるで砂の城が崩れるように、その先端からサラサラと光の粒子へと変わり、俺の掌の中に吸い込まれて消えていった。
「なっ…!?」
チンピラの驚愕の声が響く。
よし。まず一体。
俺が、そう確信して、少女の方を振り返った瞬間。
光の鞭が、もう、彼女の目の前にまで迫っていた。
(しまっ…!間に合わねえ!)
俺の能力は、直接対象に触れなければ発動できない。今から駆け寄っても、少女が攻撃される方が早い。
少女は、目の前に迫る光の鞭を、ただ、じっと見つめていた。
光の鞭は、彼女の体に触れる寸前、まるでブラックホールに吸い込まれるように、音もなく、その輝きを失い、彼女の小さな身体の中に吸収されていった。辺りには、一瞬だけ、陽だまりのような温かい光が揺らめいた。
静寂。
「なにっ…!?」
スーツの女も、チンピラも、自らの力が「消滅させられた」という、あり得ない現象を前に、呆然と立ち尽くしている。
その数秒の硬直が、俺たちの運命を分けた。
「…とにかく、逃げるぞ!」
俺は、少女の手を掴み、全力でその場を離れた。
追手たちの怒声が、背後で遠ざかっていく。
静寂が戻った路地裏で、俺は息を切りながら、隣を走る少女の横顔を見た。
こいつは、一体、何者なんだ。
その時、彼女が、俺の視線に気づいたように、こちらを向いた。
そして、こう言ったのだ。
「……やっと会えた。私と同じ人」
(第一話 終わり)




