第3話 出会い
「すみませんね。あんまり人は入っていなくて。空いている席にご自由にお座りください」
初老の男性は丁寧にそう言うと、奥のカウンターに行き、デキャンターからコップに水を注ぐ。ここはお酒も飲めるようで、男性の背後の棚には瓶に入った様々な酒瓶が置いてあった。
「マスター」
店内にいる客に呼ばれ、初老の男性はカウンターから出ていく。
どうやら、彼はマスターで通っているようだ。
フリージアは、狭い部屋を後方から見渡してみた。
店内は薄暗いが暖かみのある電気に照らされており、最初に入ったときよりは明るく感じた。そして、適度な暗さも居心地が良く感じられた。
店内には、中央1番前の小さい円卓に男女が1組と、右端の円卓に男性が1人座っているだけだった。
フリージアは人がいない左端の円卓の席を選ぶと、静かに座り被っていた帽子をそっと取る。
するとマスターが、どうぞ、と小さく優しい声で、フリージアの円卓に水が入ったコップを置いてくれた。
ありがとうございます、と小さく会釈したあと、フリージアはマスターの顔を見上げる。
「あの、すみません、あそこのピアノですが、誰も弾かないのですか?」
フリージアは、店内前方の中央に置かれるグランドピアノを指さす。
「あぁ…そうですね、今日演奏する予定だった人が急に来られなくなってしまいましてね…。すみません、せっかくお越しいただいたのに」
申し訳なさそうにマスターは頭を下げ、小さくため息をつくと、前に置いてあるピアノを見つめる。
「以前は、ここも賑わっていたんですがね。ここ最近は、めっきりお客は来なくなってしまってね…。近くにできた、新しい店にお客を取られてしまってね。ほら、あそこの小窓から見えるかな」
マスターが指さす先には、この店の斜め向かい辺りに、キラキラと華美な装飾を施した外観の店があった。
この店内が静かなせいもあってか、向こうの店から漏れ聞こえる音楽は騒がしく、ズンズンという低音が目立って響いていた。
(なるほどね…)
ここ最近、他の国の音楽が流行り出しており、静かなピアノ演奏よりも、多くの楽器で盛り上がる曲の方が人気だった。
「あの…もしダメでなければ、私があのピアノで何か弾いてもよろしいですか?」
フリージアは、前方のグランドピアノを指さす。
「構いませんが…、お客様も少ないですが、宜しいのですか?それから、大変申し訳ないのですが、お客様が個人的に演奏される場合は、謝礼はお出ししていないのですが…」
「お金はいりません。それより、店主様が今何を一番望むか、お聞かせくださいませんか?」
「私が望むこと…ですか?そうですね…。やはり、以前のようにお客様をここにいっぱいにしたい…ということでしょうか」
「なるほど…」
(叶えてあげたいけど、それは私の能力ではできないわね…)
フリージアの演奏では、この場にいる人の心を懐柔できても、いない人をどうこうはできない。つまり、演奏でこの場にいない人を、今すぐここに呼び寄せることはできないのだ。
(どうしようかしら…そうだ、ここにいる3人だけでも、このお店にまた来てくれれば…噂で人が集まるかもしれない。そのためには、3人がこのお店を好きになる、そんな演奏をすればいいじゃない!)
「マスター、この場にいるお客様がまたここに来たいと思えるような、そんな演奏を私がしてみせます」
フリージアは、自信たっぷりにマスターを見つめる。
「それは嬉しいですね。お嬢さま、よろしくお願いします」
最初は驚いたマスターだったが、優しく微笑むと、前方中央にあるピアノへどうぞ、と手のひらを向ける。
フリージアは自分の頭を撫でウィッグを慣らすと、深呼吸をしてピアノの方へと向かう。
フリージアが着ている白いワンピースが、薄暗い店内の中で、まるでスポットライトを浴びているかのように目立つ。
フリージアは何も言わずにピアノの椅子に座ると、小さく息を吐き目の前の鍵盤を見る。
フリージアがピアノの前に座ったことで、1番前の男女は話をやめ、そして右端の男性は顔をあげフリージアを見る。
フリージアは3人の注目が自分に集まったのを感じたその直後、鍵盤の上に手をのせると軽やかに弾き始める。
最初こそ軽快に、徐々に滑らかな旋律へと変化するその演奏に、フリージアは願いを込め始める。
(ここにいる皆様が、このお店を好きになりますように。そして、ここのお店にまた来ますように!)
フリージアは思いを音楽にのせ、途切れることなく弾き続ける。
(そろそろいいかしら…)
壁にかけてある時計を見ると、演奏時間が15分ほど経過していた。頃合いかしらね、とフリージアは曲をいい形に演奏を終える。
パチパチパチパチ
3人から拍手をもらい、フリージアはピアノの前に出てお辞儀をする。
(どうかしら、いい感じで、効果をかけられたかしら…?)
ピアノの前からさっとはけると、フリージアは元いた席に戻る。
「ありがとうございました」
マスターが目を輝かせて、フリージアの元にやって来た。
「本当に素晴らしい演奏でした。こんな素敵な演奏を無償でさせてしまい、申し訳ないくらいです。心ばかりで申し訳ありませんが、こちら宜しければお召し上がりください」
マスターは器に入ったフルーツの盛り合わせを出すと、フリージアの円卓にのせる。
色とりどりのフルーツが、新鮮だからだろうかキラキラと光って見え、そして飾り付けが芸術のようにとても美しかった。
「いいのですか…!わぁ〜ありがとうございます!」
フリージアは笑顔でマスターにお礼を言うと、出されたフルーツを美味しそうに頬張る。
(ん〜!おいし〜い!)
シード公爵家で出されるフルーツよりも格段に甘くジューシーで、厳選されたいい品質なのがよく分かる。
(この味を求めて、お客さんが来てもいいくらいなのに…)
フリージアは、色とりどりのフルーツをうっとりと見つめながら考えていると、ふっと誰かがフリージアの円卓に近寄る。
ゆっくりと顔を上げると、背の高い黒髪の男性が立っていた。
先ほどまで、右端の円卓に座っていた男性だ。
座っていたので分からなかったが、こんなに背が高い人には会ったことがない。
それに、薄暗い中でも分かるほどに、端正な顔に思わず見惚れてしまう。
「急に近寄ってすみません。先ほどは、素晴らしい演奏でした。それを伝えたくて、失礼かとは思ったのですがつい話しかけてしまいました」
すると、この男性の話に同調するかのように、前列の円卓に座っていた男女がこちらを振り返り、笑顔で頷きながらパチパチと手を叩く。
「あっ…いえ、そんな、ご丁寧にありがとうございます…!こちらこそ、大した演奏ではないのに、お聞きいただきまして、ありがとうございます」
「私が今まで聞いた演奏の中で、一番上手く素晴らしい演奏だと思いました。お聞きしてもいいでしょうか、やはり、ピアノは幼少の頃から弾かれているのですか?」
「あっ、はい、幼い頃に母から教わりまして…。あ、あの宜しければ、お席に座られますか…?」
フリージアは黒髪の男性に、自分の隣の椅子をすすめる。
「いいのですか。ありがとうございます。では、失礼します」
男がゆっくりと椅子を引き品よく座るその動作に、フリージアは急に異性を意識してしまいドキドキと胸の鼓動が高鳴る。
緊張のせいで、食べていたフルーツもいつものように食べられず、スプーンも円卓に置いてしまった。
「あぁ、私のことは気にせず食べてください。時間がたつと、味が落ちてしまいますから」
(いや、意識しちゃって食べられないんですけど…!)
男性経験が乏しいフリージアは、緊張で体も顔も固くなる。
男はそんなフリージアを見ると、フリージアが置いたスプーンを手に取り、盛られたフルーツをサクッとすくう。
「私は、ここのマスターがつくる料理が好きでして。このフルーツも絶品でして、マスターが自ら厳選して提供しているのですよ」
そういうと、男性はフルーツをすくったスプーンを自分の口に運ぶ。
「あっ…!」
(私の使っていたスプーン…!)
ポカンと口を開けて、思わず男の方へ手を伸ばすフリージア。
男は、フリージアに向けてその端正な顔で微笑む。
(美しすぎる…っ!し、なにその笑顔…!)
胸のドキドキがおさまらず、フリージアは全身の血が体中を駆け巡って、体が熱くなるのを感じる。
「やはり、以前と変わらず、ここのフルーツは美味しいですね」
フリージアの気持ちを知ってから知らずか、冷静に味わっているようだ。
「あ、あのっ…。えっと、昔から、ここに通われているんですか?」
スプーンのことにふれようと思ったができず、違う話題に変える。
「そうですね、ここに通い出したのは最近なのですが、ここは私が息抜きできる貴重な場所なんです。外装は古いですし中もこじんまりとしていますが、温かみがあって居心地が良いんですよね」
「確かに…以前は、もっとお客さんも入っていたそうですし…」
「昔は分かりませんが、私が通い始めた頃は、店の開店時間中はあのピアノも、ひっきりなしに弾かれていましたね。ただ、今は他の店にお客が流れたこともあり、お客のいない場所で弾くのは嫌だ、と演奏者が当日に演奏をキャンセルするとか」
「そうなんですか…!当日になってキャンセルは、いくらなんでも失礼ですよね。今日だって、あなたやあの前に座っているお2人のように、お店に来ている人もいるのに。こんなことされると、お店は悪くないのに人がどんどん減ってしまいますし」
(まぁ、私がこのお店にまた来たくなるよう願いをのせて演奏したから、あなた達3人はここにまた来るでしょうけどね)
自分の陰ながらの協力に、良くやってるわ私、と心の中で自分を褒めていた。
「この店も、もう少し分かりやすい看板をつけてもいいとは思いますが…。店の質はいいのですが、一見入りにくい雰囲気はあるので。…君は、よくここを見つけて入ろうと思いましたね。古い外装ですし、女性なら1人で入るのは、躊躇するかと思いますが」
「あっ…そうなんですよね。でも、ピアノが見えたので…」
本当は嘘だ。外からピアノなんて、見えなかった。
この能力のせいか、ピアノが置いてある場所が、なんとなく感覚で分かるのだ。
「あぁ、そういうことでしたか。本当にピアノがお好きなんですね」
「いえ…ただの趣味程度ですから…」
黒髪の男性の美しい顔に、フリージアはまたドキドキしてしまう。
「まだ話していたいのですが、この後私は用事がありまして。そろそろ失礼します」
「あっ、はい。こちらこそ、ありがとうございました…!」
立ち上がる男に、フリージアも椅子を引きパッと立ち上がる。金髪のウィッグの毛をさらりとなびかせ、頭を下げ男に向かってお礼をする。
すると、男は優しく笑いフリージアを見つめる。
「私は、ファビウスといいます。あなたの、お名前を伺ってもいいですか?」
「あっ、はい!フリージア…と申し…ます」
まさか名前を聞かれるとは思わず、とっさに本名を名乗ってしまい、名乗った直後に言って良かったのか、モヤモヤしてしまう。
そんな気持ちが顔にも出ていたのか、ファビウスはフリージアを見てクスっと笑う。
「大丈夫ですよ。私は、あなたの名前を言いふらすつもりはありません。ただ、またここで会えたら嬉しいですが」
フリージアは一瞬キョトンとするが、すぐに納得する。
(私の演奏の効果が、まだかかってる証拠ね)
フリージアは心の中で今回も成功したと喜び、とびきりの笑顔をファビウスに向ける。
「はい、またぜひここにいらしてください!私もマスターから許可をえて、またここで演奏できればと思っています」
(そうよ、満員になるくらいまでは、ここで演奏してみせるわ)
「ふっ。分かりました。また会えるのを楽しみにしています」
ファビウスは優しい眼差しでフリージアを見ると、彼の身長に対して幾分低い出入り口のドアに身を屈め、1人静かに店を出て行った。
フリージアはスプーンを手に取り、常温により形が崩れできているフルーツを慌てて食べる。
スプーンを口に入れるときは、ファビウスのことを少し思い出して躊躇したが。




