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06 初めての街とデート

 



 ・・◆




 何度も繰り返し読んだ小説、冒険物語。街に立ち寄って買い物をする。そんな描写を読んでは何度も想像した。


 シエナにとって妄想だった世界が、今現実として目の前に広がっていた。



 エストに連れられてフリエル領の街にやってきた。

 住宅地を少し歩いた先に、さまざまなお店が立ち並ぶエリアがある。

 メインストリートは見渡しがよく、人々が行き交い賑やかな声が響いていた。


 箱入りシエナはこういった場所に来たことがない。出かけるのは自分や友人の屋敷、それから時々王城にある図書館へ、そして夜会で貴族の屋敷に出かける。欲しいものは希望すれば届けられた。




「これは全部お店なのですか?」


 通りには30を超える建物が並んでいるが、それぞれ看板に書かれている文字や店先に並んているものが違う。


「そうだよ。」


「野菜がたくさん売っていますね、これが八百屋。あちらは魚が並んでいる魚屋。すごい、全部違います。

 ここのお店たちは全部見てもいいのでしょうか。」


「いいよ。」


「ありがとうございます!」


 どのお店にも特に興味はなさそうなエストだったが、シエナを急かすことはしなかった。店の中まで入ることはせず手持ち無沙汰でシエナのことを待っている。



「先に食事にしない?」


 5軒目のお店をじっくり見たシエナにエストは提案した。


「本屋に行ったら、夜まで店から出てこなさそうだし。」





 ・・




 メインストリートの真ん中に広場があった。

 ベンチがいくつかおいてあり、小さな花壇が並ぶだけのシンプルな広場だ。

 ここに座っていて、と言われたシエナは大人しく広場のベンチで待っていた。




「おまたせ。」


 5分ほどで戻ってきたエストは紙袋をもっていて、何やら香ばしい匂いが漂っている。



「ここで食べよう。」


 エストはシエナの隣に座る。そして袋から紙に包まれた棒状の物を取り出しシエナに渡した。

 これが食事なのだろうかと一瞬思ったが、確かにあたたかくていい匂いがする。



「ここで食事ですか?」


「うん。」



 シエナが周りを見渡すと、広場は何組か人がいる。おしゃべりを楽しんでいるご婦人、走り回る子供たち。

 飲み物を飲んで休憩している人もいるが、とても食事をする場所とは思えなかった。



「街の人はここで屋台の物をよく食べるから、大丈夫。」



 戸惑っているシエナに気づいたのか、エストはそう言って包みを少し開いて、かぶりついた。


 シエナも包みを開いてみる。パンだろうか。よく見ると薄いパンが折りたたまれていて中に何か具材が入っている。

 エストのマネをして、かぶりついてみる。



「わ、あつ。」


 パンはふわふわサクサクで、噛むと中からはドロリとしたシチューが口の中にあふれる。大きくカットされたお肉やポテトの触感も楽しい。



「おいしいです…!これはシチューが中に入っているのですか。」


「そう。ナイフやフォークを使わなくてもいいから楽だろ。研究が忙しい時も片手で食べられるし。」


「本当ですね。エスト様の中身はまた違うんですか。」


「これはハムとチーズ。そのシチューのがおすすめだけどこれもおいしい。気になるならまた食べたらいい。」


「はい…!」



 再度かぶりつくと、その後は夢中であっという間に全部食べ終えてしまった。

 おいしかった…!とつぶやくと、隣のエストの目線を感じる。さっさと食べ終えたらしいエストは、シエナの食べる様子をじっと見ていた。



「何かついていますか?」


 口元が汚れているかも、と慌ててシエナがハンカチで口元をぬぐうと



「いや、やっぱり君は喜んだと思って。」



 そう言いながらシエナを見る顔が優しくて。


 今までシエナを見る瞳は何の温度もなかったのに、少しだけ熱を感じる。私に興味を持ってくれたのかしら、なんて自惚れだろうか。

 感じた熱に、嫌な気は全くしなかった。




「喜ぶ、ですか?」


「君は庭で過ごすのが好きだから、こういったところで食べるのも好きだと思ったんだけど…違った?」


「いえ、好きです。」


「そ、そうか!ならよかった。」



 表情が明るくなるエストにシエナの心も安らいだ。夜会で行われてきた腹が読めないやりとりとは違う。




「貴族なのに、はしたないとは思わないですか?」


「君は思わないだろ?」


「はい。」


「なら、思わないよ。」


「そうですか。」


「あとで他の物も食べよう、色々あるから。」



 エストはその質問には興味がなかったようだ。




 エストと一緒にいるときの私が一番好きだ、とシエナは思った。



「美しくて可憐なシエナ」「教養のある淑女のシエナ」「ティルヴァーン家の令嬢のシエナ」

 そう言われてきたし、そうあるべきだと信じ、そうなれるように頑張ってきた。



「どんなドレスやアクセサリーも貴女がつけていると輝きを失うね、装飾品も必要ないほど美しい。」


 と夜会で口説いてきたあの令息は、今日の私を見ても同じことが言えるかしら。


 少し汚れたワンピースで広場でパンを頬張る私を見ても、美しいと言えるかしら。



 シエナと言えば、美しくて、慎ましくて、教養もマナーもあって、どこに嫁いでも歓迎される公爵家の令嬢なのに。


 それなのにエストは、シエナのことを買い食いを喜ぶ女だと思っている。


 シエナに対してそんなイメージを抱いているのはエストくらいなものだ。



 でも、エストのイメージの中にいる自分が好きだった。



 ・・




 時間が過ぎ、街がオレンジ色に変わる頃、ようやくシエナは本屋から出た。

 王都にはない小説もたくさんあり、選ぶのは本当に悩んだ。悩みに悩んで選んだ本は15冊。

 お会計を済ませて、積み重ねた本を落とさないように気をつけながら外に出る。



「君が持つと前が見えないだろ。」


 本の向こうから声が聞こえて、視界が開ける。エストが本を奪うように受け取ったのだ。


「ありがとうございます。」


 シエナはお礼を言ったあと、うつむいてこっそり笑みを殺した。乱暴で突き放す言動は照れ隠しなのがわかったからだ。




「本当に悩みました、珍しい本もあってもっと購入したかったんですが…。」


「また来ればいいだけだろ。」


 当たり前のようにエストは言うが、彼にとっての当たり前がシエナにとっては特別だ。素っ気ないなんでもない優しさが嬉しかった。





 ・・♠




 街から離れる馬車の中、外の景色をシエナは名残惜しそうに見ていた。



「今日は本当にありがとうございました。どこも楽しかったです。」


「王都のお店の方がよかったんじゃ?田舎の店なんて大したものはないし。」


「いえ、本当にどれも楽しかったです。」



 エストが想像していたよりもシエナは喜んでいたと思う。エストの日常にあるごくごく普通なものに驚いて、喜んで。まるで初めて言葉を知った赤子のようになシエナは全てを報告してくれた。

 そのたびにエストの心にも嬉しさは積もった。



 それなのに今、シエナの表情にどこか影が差すのは、夕日が沈む時間だからだろうか。



「田舎なんて何もないからな。」


「何もないことが、贅沢なんですよ。」


 彼女は、外の景色を、いやもっと遠いところを見ている。



「自分のための時間は、とても贅沢です。」



 外の景色を見ながら、彼女は言葉を閉じた。



「普段は好きなことをして過ごせないのか?」


「いえ、小説を読む時間はありますよ。でもどうしてでしょうね、窮屈に感じてしまうのは。」



 貧乏貴族のエストには、公爵令嬢がわからない。


 田舎で楽しく過ごしているシエナが、王都ではどのような生活をしていたか全く想像がつかなかった。



 王都の貴族令嬢は、夜に向けて輝くために日中も過ごしている。

 意見交換をして、ドレスやアクセサリーを選んで……。



 しかし、そんなシエナの姿は全く想像できなかった。

 彼女と夜会で会った男たちは彼女をどう思っているのだろう。



 でもエストが1つだけ気づいたことがある。

 シエナはワガママなわけでない。自由がほしいだけなんだと。

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