【第15話】 ルーフ・メージ
――単刀直入に言う、お前は異界転移者。つまるところ、イカイ人ってのがそれだ。もう、お前が望んでる世界には帰ることなどできん
そんな一言が飛ばされた団らんの味を、名のない男は噛みしめていた。差し出された鍋というものが、随分美味だったのは記憶に新しいが、それ以上の衝撃を浴びた男には微かな記憶と成り、それを忘れないよう、口を湿らせる。
「イカイ人――」
男を引き連れる親子は、絶望の淵に突き落とされたような顔つきに、口を出せずにいた。子であるアカリは、食卓に居合わせた時のようなつんけんな口振りはせず、気まずさに母の太ももに抱き着いている。脚に付きまとわれるウユの方は、男の不吉な雰囲気になんとか飲まれることなく、話しかけるタイミングを常に伺い、ようやくその時を迎えることとなった。
「――それじゃ、今夜は私の部屋で寝ていってください。私は娘の部屋で寝ます。」
「あぁ」
月光は勢いを増し、光一つ一室には存在しないというのに、単体で盛大な輝きを顕現する。その輝きはまるで、前まで男の居た世界――憎き存在があぐらをかいている世界の星空の輝きを再現しているようだった。
「帰る…か」
美奈への恐怖心から逃げ出し、夜道を走り続けた出来事を男は思い出していく。
あの足を少しでも美奈の居る家へ、引き返す事ができたのなら運命というものは変わっていたのだろうか――そんな悔恨が男の心に張り巡らされている。悔恨は晴れることなく、残り続け、男に後悔の味を永遠に味わわせるのだろう。
隻眼の男――アスファロ・メージによると、この世界は名のない男のような存在が五万といるらしい。アスファロも、その家族も世間的にはイカイ人に分類されるらしく、そんな存在がたむろしている街が、今男の居る場所だということも話していた。ただ、外見上の特徴は妻であるウユ以外は、一般の人間に酷似しているとのことだった。その例に男も含まれるらしく、街は出歩くなとアスファロが語っていたため、逃げ出すことも男は出来やしない。
「なぁ、ちょっといいか――」
「はい?」
去り際のウユに、男が声をかける。随分としゃがれた声は、張りが無く、耳にするだけでその声の持ち主が、声しか持っていないのだと分かるぐらいに、絶望を奏でていた。
「迷惑はかけない、ここにもう少し居させてくれねぇか――」
絶望の中から少しの希望を見出そうとする男は、唇を震わせ、不安に目を揺らしていた。
「対価が必要ってなら、なんだってする。ダメか……?」
二度と絶望を味わう気のない声は、返事の帰ってこないウユに動揺し、さらなる己の要求への条件を追加する。
『なんだってする』――なんていう言質は、男をいばらの道へ駆り出す可能性だってあるはずだった。もしや、また他者の命を刈り取ることになるかもしれない。ただ、男にとってそんな事は気に掛けるほどでもなかった。現実逃避を出来さえすれば、どうだってよかったのだ。
「対価だなんて――いいですよ、居たいだけ居てくれればいいです」
ウユの返事は毎度の如く、優しく、朗らかで、慈愛に満ちている。男はその返事に満足そうに頬を引きつらせていたが、それに不服を申し立てるアカリの腕は、母の脚を思いっきりのままに揺らしていた。
アカリはアスファロ、ウユ、そして自分が唯一の一人娘でいることに誇りを持っている。強くて、勇猛果敢な父、優しく、温厚篤実な母、その下に居られているのが幸せだった。というのに、部外者である男がその輪に割り込んでくるのが、どうしてもアカリにとっては、腹立たしかったのだ。それ故、大好きな母親に対しても、反抗をせざるを得ない。
「じゃあ、おやすみなさい――居させて欲しい、って言ってくれて嬉しかったわ」
娘の粗暴な態度に目を伏せるウユは、男との会話を切り上げ、娘の寝室へ足を急かす。これ以上娘を気のままにしておくと、何を仕出かすか分かったものではない。部屋に娘を即座に連れ込んでしまい、二日ぶりに一緒に寝られるという餌に引きつらせればなんとかなる、というのがウユの算段だった。
その計画に助けられた男は、異界での寝床を得る。目覚めた時と同じように布団へ入り込む男の背中は、萎れていた。
「―――」
男の瞳が潤み、洪水が発生するのをなんとか堪えようという目頭が、無駄に力んでいく。
「くっ、なんでだよ。美奈、美奈ぁ――」
愛する人の名を呼び、それに呼応する声が男に聞こえてくることはない。
――美奈は世界から消え、その世界さえも男の目の前から消えたのだから
「なぁ、イカイ人――」
美奈の代わりの呼び声が男の耳に届く。その正体は隻眼の男――アスファロだった。
「そんな寂しい顔してんなよ、少し歩かねぇか?」
アスファロから男の予想もしていない案が出される。夜道を出歩かないか、と神妙な顔つきで提案してくるアスファロに、男は『分かった』と答えるしかない。
「ふっ、じゃあ早速行くか」
アスファロは満足気に顔を歪め、声を荒げていた。
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真っ暗な街並みに、数個の松明が光を交わし合っている。光は滅多にないというのに、人々――人型の獣らは、絶えることなく笑顔を振りまいていた。
「ビクッたか?」
「あ?」
動物園もいいところの街中に、二人の人間が言葉を発する。一人は、眼前の状況に怯むことなく、声を荒げ、もう独りの方は、肩をすくませ、無意味に強がりをみせていた。それもそのはず、二人の内の一人であるアスファロは、この街の住人であり――長でもあるのだから。
「人間だけで出歩くのは危険とか言ってなかったか?」
アスファロがここの長であることを知らぬ男は、素朴に疑問を投げつけ、隻眼を睨みつける。
「ちょっと待て、お前も俺も人間ではねぇよ――見た目が人ってだけだ」
その疑問の前提の齟齬に、アスファロが首を傾げ、男の方を睨み返す。男は異世界転移に遭うまでは人間だったといえるが、転移した先の異世界では獣と同類と扱われ、蔑まされるのが常だ。男含め、この街全体が世界から嫌われ、あしらわれている。
「あ?面倒な奴だな――見た目が人だからあぶねぇんじゃねぇか、って言いたかったんだよ」
世界に嫌われている男が愚痴を吐く。それを受け取るアスファロは今一度神妙な顔つきをし、男を改めて睨む。
「あのな、お前も俺もあんなクズ同然の人間とは違う――というよりこの世界の人間と同じにすんじゃない。俺らはアイツらとは違う」
『違う』と繰り返すアスファロに、男はだんまりを決め込んでしまう。アスファロの顔は殺伐としており、憎悪が潜んでいた。
「なんてな」
が、アスファロは一瞬の内に顔を戻し、陽気な雰囲気を取り戻す。男はその様子に肩を震わし続けていたが、アスファロがそれに感づくことはなかった。
「めんどい奴ですまんかったな。この街の住民はすげぇだろ、人型なのに耳、尻尾、牙、本来獣についてるモンがついてやがる」
「あ、ああ」
「ただ、お前は珍しいパターンだな。俺もだが、クズの連中と酷似してやがる」
意気揚々としているアスファロは、微笑を浮かべ、男の肩を叩く。豪快なアスファロは、大きく足を踏み出していた。
「なぁ、お前どこ行こうとしてんだ」
「特に理由があるわけでもないが、いい景色でも見て少しは心を落ち着かせろ」
「別に落ち着いて――」
「涙、出てるぞ」
見せかけの豪快を着るアスファロは、繊細な男の心を上手に扱う。足を進めながら涙を垂れ流す男に、距離を置きつつ泣いていることへの指摘を行っていた。
その指摘を誤魔化すように、男は瞳を擦っていく。
「う、うるせぇ」
「――そうか、ほらいくぞ」
男の涙について多くは語らず、アスファロは足を再度進めていた。それに、男も安堵し、微弱ながら足を進めていく。
「あ! お前ら――」
感情を抑えきろうとしていた男に、豪快な声が響く。アスファロの腰程度の背丈しか持ち合わせていないイカイ人に、アスファロは声を荒げ、怒りをぶつける。
「アカリに何かしたんだって? ウユから聞いたぞ」
「え、い、いやぁ。悪かったって」
アスファロの顔つきにおののくイカイ人は、引き連れていた仲間の顔を伺いつつ、軽い謝罪を行う。その謝罪に満足のいかないアスファロは、少年らに再三の注意をする。
「本当にそう思ってんのか? 見た目がクズと同じでもなぁ、俺やこいつを含め、みんなこの世界での行き場を失くしてんだ――仲良くしようぜ」
口振りは優しくとも、アスファロの態度は憎悪の塊であった。正式にはその憎悪は人間共に向けられたものだったが、それに気づくことのない少年たちは逃亡を謀るが、足を滑らせ、失敗に終わっていった。
「ゆ、許して――」
「これから仲良くしてくれればいい――ああ、こいつも今日から俺の家族だから、よろしくな」
「は?」
容易く、男を家族呼びするアスファロに、男は驚愕に口を大っぴらにする。少年らはそれを聞くや否や、早々にアスファロから逃げ出していった。
「おい、お前、今のどういう――」
「ついてこい」
衝撃を緩和できていない男は、アスファロの走りに置いて行かれぬようその背中を追いかける。
正体不明の男を、冗談でも『家族呼び』だなんて、いくらなんでも正気じゃない。男にいつ背中を襲われてもおかしくないというのに、アスファロが振り返ることはなかった。
必死に足を走らせる男の視界に、突如、光のない街並みが広がる光景が映る。
「ここって――」
「景色いいだろ、まぁ、こんな深夜にライトアップなんてことはないがな」
光のない景色にアスファロが声を荒げ、顔はようやく男の方を振り返っていた。
「なぁ、お前。家族って話、もちろんいいよな?」
無理やりの要求に、男が返事を出すことはなかった。
「よし、オッケーってことだな。じゃあ、ほら」
アスファロは手を広げ、男を睨む。不器用なアスファロの態度に、男は微動だにせず、沈黙を貫く。
「あ?」
アスファロに抱きしめられる男は、動揺を露わにする。アスファロの筋肉質な腕は、男の背中を優しく支え、普段は人間ばかりを殺しているはずの体は、男の心を少なからず温めていた。
「何してんだおめぇ――」
「家に長く居させてくれって言ってたろ? 構わねぇよ、名前も付けてやる」
アスファロは男の本心を見抜き、優しく包み込む――、
「名前は、ルーフ・メージとか? 名前無いのは初でな、雰囲気でカッコいい奴にしてみたが――」
「どうだっていい」
その優しさに埋もれかけてしまいそうになる男は、なんとか反抗の心を保つ。ただ、その痩せ我慢はアスファロの一言によって決壊していった。
「泣けよ」
雑にみえる一言は、男の心を深く貫き、涙を生んでしまう。
「ふっ、ははっ、ああ、あああぁ」
男の瞳から大粒の涙が流れ、洪水を引き起こす。大洪水は止む気配がなく、アスファロの体を汚していく。
「アカリもこんな感じだったなぁ、懐かしいぜ――こんなことウユにすんなよ? これでもアイツの夫だからな、嫉妬してしまうかもしれねぇ」
月夜の生温かな雰囲気に羞恥を抱くアスファロは、それを紛らわそうと冗談を発する。その様子に微笑をも生む男は、更に洪水を引き起こしていった。
「助かった――家族になるつもりはねぇが、家に住ませてくれ」
「結構、恥ずかしい事言ったんだが? つめてぇな、お前」
「名前、ぐらいは受け取っておいてやるよ」
「それ、家族になる事と変わんねぇんだけどな……」
家族への受け入れを拒否する男は、名前だけ奪い取る。そのことが、家族になるも同然であることには気づかず――、
「ルーフ・メージ、気に入った」
「そっか、良かったよ」
アスファロから貰い受けた名前を再度呼びなおし、その名称への関心をつぶやく。
男――ルーフは名前を貰い受けるまで己の名前を語ることができないでいた。記憶喪失のルーフに、記憶を持っている自分の名前を語ることは、腹立たしかったのだ。
千丈治 渡――その名を語ることも、思い出すこともこれからはしなくてもいい事に、ルーフは苦笑を浮かべた。
「俺は、ワタルじゃねぇ――ルーフ・メージだ」
ルーフのつぶやきに、アスファロは体を震わす。
「? どうしたんだよ」
「――いーや、ワタルって名前があるならそれでいいじゃねぇか」
無責任とも取れる発言に、ルーフが怒ることはなく、口を押さえ怒りを抑えることで、再度声を出していく。
「――その名前じゃダメなんだ」
「そうか」
ルーフはそう言うと、そっと体をアスファロに委ねた。
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