【第13話】 月夜の一室
意識が覚醒し――、
「―――」
目先には、何重にもなった輪が特徴的な木目が映ってくる。窓からは月光が差し込み、花瓶にさされた一凛の花は、どこか儚さを纏っていた。
自分は前にも同じような体験をしたのだろうか。天井は質素で、味気もなく、無機質なオーラを纏っていて、横ではミナが手を握ってくれていて――
「何やってんだろうな俺」
かつての記憶を彷彿とさせる天井に、名のない男はただただ己の不甲斐なさを嘆く。我ながら情けない話だ。記憶を亡くした程度で、八年もの間ただ無意味な時を過ごし、ようやく意味のある時を送れるかと思いきや、美奈という強大な存在に怯え、またもや無意味な時を過ごし、今やこうやって怯えていたはずの存在を追い回して――この様だ。
それだけでも十分滑稽な話だが、その全てが己が見ていただけの幻想かもしれないと思うと、余計に腹立たしい。ただ、これが全て幻想であったとしても、美奈だけはどうか幻影でなく、本物であって欲しいと心底願う。
――あの愛おしさが虚偽なはずがない
夜も本格的に更け始める頃、そんな感慨に耽っている男の居る部屋に一人の少女が入ってくる。
「み、美奈っ!」
男が反射的に『美奈』という言葉を口にし、手を伸ばした先には、寝巻き姿の金髪が光り輝く若年風の少女が、愛用の熊型人形を抱え、蔑んだ目線をこちらに送ってきていた。
「ママ――って、違うのかよ。キモ」
出会って早々に暴言を吐いてきた少女は、紅い目を更に鋭くさせ、愛用であるはずの熊型人形を力の限り、抱き潰す。その抱きかかえている腕は、傍目から見ても理解できるほどに震えていた。
それを悟った男は、なるべく少女の不信感を煽らないように、己のここに辿り着いた経緯を聴取していく。
「あ、ああ、すまん。母親を探してるとこ、悪いんだけど、俺ってどうやってここに?」
「あ? 子供扱いすんじゃねーよ」
「してねぇよ――」
生意気な態度の少女は、男の質問に耳を傾けることはせず、ひたすらに嫌悪だけを押し付けてくる。ただ、それは単なる虚勢でしかなく、その内にある挙動不審さは、当たりの強い言葉では隠しきることのできないほどに膨大だった。少女は足踏みを加速させ、視線を泳がせ、人形はますます圧縮されていく――、
「ね、ねぇ、ママは――」
「んなの、知らねぇよ。俺は今起きたばっかだ」
「―――」
虚勢を張ることを諦めない少女は、目を潤ませながらも、それでもやはり強がりだけはやめない。大粒の涙を蓄えた紅い目は多方に振り向き、母親の存在を確認する。辺りに母親がいないだろうと推測した少女は、男には一言も話すことなく逃げるように足を走らせていった。
「結局、なんだったんだ――」
そんな身勝手すぎる少女に、男は目を丸くし唖然する。だが、無力感や徒労、憂鬱さを拗らせるには高水準だった月夜の一室、それに甘える自分の陰鬱は、少女とのやりとりで、少しばかりは晴れたような気がした。
――イカイ人!
「イカイ人、か」
そこへ新たなマイナス要素が付与される。槍を携え、己をイカイ人とあだ名した女の言葉が、脳裏に改めて焼き付く。生命を踏みにじる――、
言葉の棘は強く心に刺さり、その棘が削がれることは無い。それは、あまりにも言葉が己に同調してきたから。ワタルという人物の人生に土足で踏み入り、美奈という命を踏みにじった――それが俺という存在
「ホント、俺は愚弄者だよ」
イカイ人という単語がどうにも呑み込めないでいたが、その大半の解に今、辿りつけた気がした。
――それが俺の名だ
まともな名前も見つけられていないのだ、イカイ人という名で差支えないだろう。いや、この際クズでも下衆でも愚弄者でもなんだっていい、それも全て俺の名なのだから。ただ、それ以上の下衆があの美奈に護られた男、という事実もまた、一つの解ではある。その認識が脳内でズレることはない。だから、アイツを殺す、とイカイ人である自分は心に誓ったのだ。必ず、殺してみせる。
「随分、やさぐれてんな。イカイ人ってのは――」
背後の壁に背中を預けることで起き上がり、部屋を一望しようとした際、ベットの真正面に位置する化粧台に、虚ろな目をした男が居た。その男は、こちらに絶望の眼差しを送って、無理やりの笑顔を作る。
それは、鏡に映った自分だった。頭上の黒髪はささくれ、顔には返り血がこびりつき、病衣のような服を纏って、なんとも惨たらしい姿だ。これがイカイ人という奴か。その容姿は人々が脅威と感じるにはあまりにも、脆弱過ぎた。
「――ママー? いるー?」
イカイ人の居る部屋に、随分と可愛らしい声が届く。それは先程、部屋から姿を無言で晦ました少女の声だ。『男の寝ている部屋には届かないだろう』、という謎の自信からくる大声は、わずかではあるが月夜の一室に届いていた。
それを聞き、少女が己の前から姿を消した理由に心当たりが見つかる。あの子も、イカイ人である自分に恐れ、涙し、逃げ出したのではないか――そんな推察が脳内で闊歩していく。その疑惑が本当だとするなら、あの子にはとても悪いことをしたな、と心の中での謝罪を行う。
「あ、ママ! ただいま!」
部屋に隣接する廊下から、扉の施錠を外す音と開ける音がほぼ同時に聞こえ、それに呼応するように声を弾ませた少女の声もまた、聞こえた。
「ただいま、あーちゃん――」
「ね、ねぇ、あの人誰? ママの部屋で寝てたけど」
「あー、あの子ね、夕方ぐらいにお父さんが担ぎ込んできたの」
「え! パパ帰ってきてたの?」
新たな新情報が開示される。どうやら、イカイ人をここまで運んだのは少女の父にあたる人物らしい。全くをもってその人物のことは知らないが、どうやら命の恩人である、ということだけはよく理解した。
「元気にしてた?」
「う、うん!」
「あ、ごめん、あーちゃんじゃなくて、その担ぎ込まれてきた子――」
「え、あ、うん」
期待に満ちた少女の声は、想像もしていなかった不意打ちの発言で砕かれ、少女は肩をすくめ、本格的に泣き出してしまう。
「ごめーんごめん、あーちゃん。お母さんが悪かったね」
「ママは悪くない……」
涙する少女をあやす母親の声音は、姿が見えずとも本当の親類縁者だと分かるぐらいに、母性に溢れ落ち着いていた。
「お母さん、ちょっとその子の所へ行ってくるね」
「え、わ、私も行く!」
その子――つまり、自分の事だ。親子の足は木製の廊下を軋ませ、距離が近くなるほど、足音は大きくなっていく。
やがて音は消え、男の横に金髪の少女と、亜麻色の髪をした女性が現れた。
「あ、起きてる――ごめんなさいね、変な匂いとかしなかったかしら?」
「するわけないじゃん、何言ってんの」
女性は相対した瞬間、的外れな質問を投げかけてきた。その問いには男が答えるまでもなく、それより先に少女が速攻で答える。少女は男と対峙する時の震え具合が嘘だったかのように、母親が傍に居るというだけでどこか楽しげで、頬は笑顔に加担していた。
「あの――」
「急にこんな状況ですみません」
母親にあたる女性は、常に申し訳なさそうな表情を浮かべ、その背後にある尻尾をしならせる。
「え――」
女性の背後に付いている尻尾というものは、本来獣に備わっている器官であり、人間の構造上には本来、存在しない。だが、そこには確かに尻尾を備えた女性が突っ立っている――よく観察してみれば、頭にも本来は人間にはあるはずのない、獣のような耳が付いているのが分かった。
その衝撃に、男は目を何度も何度でも瞬いていく。
「その耳――」
「あら、イカイ人だって聞いてたけど、見た目はごく普通の人間に近いのね。この子とそっくりだわ」
「んな!? 心外な!」
男と少女が同類、そんな母親の言い回しに娘である少女は頬を膨らませる。怒り心頭になりきれていない少女の顔は、可愛げしか持ち合わせていなかったが、本人的にはその怒りは怒髪天を衝く勢いであった。
「こんな奴と一緒にしないでママ!」
「まぁ、そんな言い方して」
見た目がどれだけ可愛さを繕おうとも、言葉だけは不愛想そのものか――と思われたが、母親に『ママ』という名詞を付けているあたり、言葉の棘もさほどのものではなさそうだ。
「ダメでしょ―――ごめんなさいね」
「ああ、俺は構わんが」
その言葉の重きを大きなものと捉えた亜麻色髪の女性は、振り向きざまに男への謝罪を行う。反対に、その娘の方は母親に言いくるめられたことが余程ショックだったのか、涙目で俯いてしまっている。
「出会って早々あれなんですが、名前を聞いても?」
亜麻色髪の女性は娘への注意と、男への謝罪を済ませ、今度は男との名刺交換にでも洒落込む気なのか、名前を聞いてきた。
「俺に名前はない――イカイ人ってのが名前で良いってんなら、それが名前だ」
難儀すぎる問いかけに、男は苦し紛れの回答をひねり出すしかない。頓珍漢な回答に、娘である少女は母親の影でひっそりと鼻で笑っている。きわめて腹の立つ態度ではあるが、それに反論する余地は無いのではないかとも思う。
鏡に映る男の情けなさを一目見れば、誰だって腹を抱えて笑うはずだ。もしくは、軽侮でもしてくれればいい。それぐらいに男はみすぼらしく、非力であった。抗う術も無い男に価値など存在しえない。
「そうですか」
誰もが舌打ちをするであろうぶっきらぼうな男の物言いに、亜麻色髪の女性だけは真摯にそれを受け止め、しかし気まずさを隠すことだけは、母親と呼ばれる女性にも苦行だったらしい。少女の母親である女性は、心にある動揺を視線を散らすことでどうにか隠しきろうとしていた。
「こんな馬鹿みてぇな話してすまなかったな――」
その反応をしかと見届けた男はベット際に立ち上がり、母親と少女から距離を置くことで、部屋の出口へ脚を進める。脚は――すくんでいるのか、痙攣しているのが分かった。
「立ち上がって大丈夫ですか?」
「へ、平気だ」
拙い歩きを不安視する母親たる女性の声は、どこか寂し気で寂寥感を纏っている。その声に男は脚を進めるのを躊躇いかけるが、男の道はここで目覚めたときからずっと変わってはいない。
――美奈に護られたあの男を殺す
「俺には、殺さなくちゃいけねぇ奴がいるんだ」
「――そうでしたか」
母性本能を板につけたような女性には、殺害宣告など真正面からきっぱりと断られると思っていたが、意外に許容してくれるようだ。その子供である少女の方はというと、涙が枯れるぐらいに怯えている。
今回に限っては少女の方が正常だ。人前で殺害予告してくる男など、恐怖心を抱いて当然である。
「お気をつけてください、危篤状態とまでは言いませんがかなり体が弱っているとお見受けするので――」
「んなの、赤の他人のアンタよりよっぽど理解してる」
男の宣言に動揺することのない女性は、拒絶するどころかむしろ心配をしてきていた。不気味すぎる声掛けに、男は背後を振り返りそうになるが、唇を嚙むことで堪え、月夜の一室を後にする。
部屋から脱した男には、親子の温かさが感じられるようなランタンの光が、行き届く。その光は家内の全てを照らせるほどでは無いが、それでも温かさだけはこの家を包み込んでいる。温かく、優しい光に、男は脚を止めそうになってしまっていた。
――自分もこんな家族に恵まれていたら
そんな無謀な希望が男を照らしている。
「世話になったな――その、父親にもそう言っといてくれ」
「はい、伝えておきますね」
玄関に辿り着いた男の後ろには、見送りをする女性とその娘が手を握り合いながら足を止め、立っていた。二者とも男を呼び止める素振りは見せないでいたが、両者は男の行く末が気掛かりで仕方なさそうだ。なにしろ、先程この家に瀕死状態で運び込まれたばかりの男が、起き上がって早々人殺しを目的に旅立とうとしている――心配以外の感情を持ち合わせる方が不自然だ。
「また、来てください。今度はお茶でも用意しておきますから」
弱っている体で人殺しを目論む――死にに行くのも同然の男に、女性は生きる目的を与える。人殺しが失敗に終わったのなら、それに絶望し死ぬのではなく、ここへまた帰ってこればいい、と。
「―――」
温情な一言に、男は目を潤ませるが、男に帰ってくる気などさらさらない。今度こそ美奈に護られたあの男を殺し、己もその後に続く――必ず成功させる。
扉が開かれた。
「うおっ」
「あ、パパ!」
「――あなた?」
扉を開いたのは男の覚悟かと思われたが、現実ではそうはいかない。買い物袋を抱え、大剣を背後に携える隻眼の男、否、この家の大黒柱である少女の父親にあたる人物が、帰宅のために扉を開けたにすぎなかった。
その奇跡的な拍子に起きた出来事に、人殺しを目指す男は仰天し、声を上擦らせる。それを多少恥じらいつつも、男は家から脱することをいの一番とし、脚を走らせた――が、隻眼の男の腕によって、進行は抑止された。
抑止してきた男は数秒間無言になり、咄嗟に声を荒げる。
「お前が人殺し? 笑わせるな」
隻眼の男は『笑わせるな』と言い放ち、それとは矛盾するように口を大っぴらき、哀れな男の姿を嘲笑していた。
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