〜 後編 〜 (後)
それから学校で会うたび槙原が近寄って来る。
「平くん」
「平くん!」
「ねぇ、お話が……」
「なんで逃げるの!?」
俺は逃げた。当たり前だ。もし告白でもされたら断れる自信がないからな。
しかし付き合うわけには行かない。全人類を消し炭にしたとしても、槙原だけはしたくない。槙原を憎みたくない。そのためには愛するわけにも行かない。
あれから島田は俺の背後にある『何か』に畏怖の念でも覚えたのか、俺に媚びへつらって来るようになり、俺はヤツのグループからいじめられることはすっかりなくなった。
謎めいた魅力でも感じ取るのか、俺に告白して来る女子が多くなった。もちろんすべてを断り続けた。俺に構うな!
槙原は俺がどれだけ無視しようと俺に近寄ろうとして来る。俺は逃げた。逃げ続けた。
しかしその日は逃げることが叶わなかった。
「平くん」
夕日の射しはじめた校門のところで、槇原みどりに待ち伏せされていた。俺は目を逸らすと、無視して帰ろうとする。
槇原が俺の手を後ろから握って来た。
「平くん、こっちを向いて」
仕方なく俺は彼女のほうへ振り返る。告白されても付き合う気はないが、嫌われるのは嫌だからな。
槇原の翠色の瞳が俺の目を覗き込むように見つめて来た。サラサラの碧色のロングヘアーが夕暮れの風になびく。くそっ! 見せるな……俺は君に恋しているんだ!
「♪おー、まきはーらー、みーどーりー」
動転して、俺は変な替歌を歌い出してしまった。彼女の名前が歌に入ってしまった。くそっ……! こんなことをして俺の気持ちが槇原にバレてしまったらどうするんだ! 誤魔化すため、俺は続けて替歌を歌った。
「♪空ーは、澄ーみー、ヤマーダ電器」
最後、違う歌に着地してしまった! 死にたい!
「平くん……」
しかし槇原は俺のそんなボケを華麗にスルーすると、慈悲深い声色で、言った。
「わかってるんだよ? 私、知ってるんだ。君の秘密……」
知っている。それでも俺に優しい目を向けて来る君のことを、だから俺はマリア様だと思っているんだ。そしてその秘密があるから、君と付き合うことは出来ないんだ。
「ポケットにいるんだよね?」
槇原が俺の胸ポケットを覗き込む。碧色の髪が風に揺れ、俺の顎をくすぐった。
「出ておいで。姿を見せて?」
すぐに鋭いツメの生えた太短いチビ竜の前脚が出て来た。
「にゅ?」
そう言いながら、ポドラが胸ポケットから顔を見せた。
「可愛い!」
槇原が電撃に打たれたように笑顔で跳ねた。
「初めて近くで見た! ミドリガメみたいにちっちゃいのに、本当にドラゴンくんなんだね!」
「あまり近づくな」
俺は警告した。
「コイツは見た目は可愛いが、凄まじい力を持っている」
「知ってるよ。あたし、見てたもん」
「あんなものを見たのに、怖くないのか?」
「凄い力だとは思うけど、でもこの子の意思じゃないんでしょ? 平くんがこの子に炎を吐かせてるんでしょ?」
槙原は顔を上げ、俺の顔を翠色の瞳でまっすぐ見つめると、優しい微笑みの色をそこに浮かべ、言った。
「平くんのこと信じてるから怖くないよ。だってあの時、島田くんに炎吐かせなかったじゃない」
ズキューン! と俺の鼻の奥のほうで音がして、目から血の涙が出そうになった。
くそっ! だめだだめだ! 嬉しがっちゃだめだ! 愛しちゃだめだ!
「にゅっ!」
いきなりポドラが俺の胸ポケットから飛び出した。
「あっ?」
嬉しそうな声を上げる槙原のブラウスの胸ポケットに飛び移った。
「おいっ!」
俺は思わず槙原の胸ごとポドラを鷲掴みにしそうになった手を慌てて引っ込める。
「懐いてくれるんだ? 嬉しぬ!」
槙原が無邪気に喜んでいる。
「可愛いー! よろしくね、えーと……?」
名前を尋ねるように槙原が俺の顔を見た。『ポドラ』という名前に緊張感がなかったので、殊更恐ろしいものの名を告げるように、俺は自分が考えついていたそいつの正式名称を口にした。
「ポケット・ドラゴン・ファイヤーだ」
すぐに槙原が略した。
「つまりPDFね」
「ファイル形式みたいな略し方やめろ」
「アハハ」
すぐに槙原が訂正した。
「それぞれの頭を取って『ポドラちゃん』でどう? ポドラって可愛いと思わん?」
「か……可愛いな」
なんだこの女神は。なんでもお見通しか!
「ねぇ、平くん」
「なんだ」
「あたしと付き合ってください!」
「なっ、なんだと!?」
しまった! 言われてしまった!
当然のように、俺は断ることが出来なかった。感動に涙が止まらなくなり、つい、OKしてしまったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
わずか4年後、俺達は結婚していた。
くそっ! なんで結婚してしまったんだ! 槙原を愛すれば愛するほど世界が危険になるというのに!
しかし新婚さんになるまでの道のりが楽しく、あまりの楽しさに俺はつい、夢を見てしまった。永遠の愛を信じるように、永遠に彼女を憎むことなどないように思えてしまったのだ。
「健やかナル時モー、病める時モー」
外人の神父が俺達の真ん中で言う。
「愛し合い、決して憎み合うことのナイことを誓イマスカ?」
俺は口ごもった。すると目の前で、目が眩むようなウェディングドレスに白くなったみどりが、はっきりとした声で言ったのだった。
「はいっ!」
その声に反応するように、俺の胸ポケットから顔を出したポドラが、嬉しそうに言った。
「にゅうっ!」
二人を見つめていると妙な自信が湧いて来た。俺もつい、フッと笑い、大きな声で誓っていた。
「誓います!」
◇ ◇ ◇ ◇
みどりは不妊症だった。原因不明で治療できる見込みもないそうだ。
俺の両親は彼女に表向き優しくしたが、内心はやはり一人息子の俺に孫が出来ないことにショックを覚えているようだ。何かあるとすぐに「あーあ。子供も産めないくせに」などと、みどりを詰る。
そんな両親を俺が憎みそうになると、みどりが笑って拳をてのひらで包んでくれた。そして言うのだ。
「あたしは気にしてないよ。お義母さんが言うこともっともだもん」
「しかし……。自分の母親とはいえ、お前にあんなことを言うのは許せん……っ!」
「じゃ、ポドちゃん、預かる」
そう言うとみどりは俺のポケットからポドラを抱き上げ、自分の胸ポケットに移した。
「ポドちゃん、大人しいでしょ? あたしはお義母さんのこと憎んでない。だからあなたも……」
「ぐおーっ!」
俺はポドラがいなくなると、抑えきれない怒りと憎しみをクッションにパンチでぶつけまくった。
「みどりに……。あんなことを! あんなことを言いやがって……っ!」
みどりとポドラが、そんな俺をニコニコしながら見ていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ポドちゃんがあたし達の子供だよ」
ベッドに並んで寝ながら、みどりが言う。
「あたしはそれで幸せ。あなたは?」
「そうだな」
俺は彼女の綺麗な瞳を見つめながら、答えた。
「俺もそれでいい」
「にゅーっ」
俺達の間にお座りしているポドラが嬉しそうに笑った。
「おっ……と! ちょっとポケットから出しすぎだな!」
慌てて俺が起き上がると、みどりが先に立ち上がり、冷蔵庫からミルクを持って来てくれる。
ぴったん、ぴったん、と音を立てて細長い舌でミルクを舐めるポドラを、俺達は見つめた。
コイツはポケットの中にいれば何も食わなくても生きているが、ポケットから出した途端、ミルクを飲ませなければ結構あっという間に衰弱してしまう。ポケットのない格好で一晩眠り、朝起きたら死にかけていたことがあったので、それ以来注意してやっているのだ。
「かわいいな」
もう10年以上付き合っているポドラを見ながら、俺は呟いた。
「かわいいね」
みどりも目を細め、うなずいた。
「いつまでも一緒にいようね」
◇ ◇ ◇ ◇
俺達はもちろん喧嘩もよくした。正直、お互いに相手を殺したいとまで思ったこともあるだろう。
しかしポドラは火を吹かなかった。俺がどれだけみどりを、みどりがどれだけ俺を憎んでも。
奇しくもそれはポドラのお陰だった。
「本当は子供が欲しいって思ってるんでしょう!?」
犬も食わない夫婦喧嘩をきっかけに、理性を失ったような泣き顔で、みどりがそんなことを言い出した。
「それは思っていない!」
俺は必死で彼女をなだめた。
ポドラが心配そうに、俺の胸ポケットから顔を覗かせた。
「ちょっとポドちゃん貸して!」
「あっ!?」
みどりが自分のポケットにポドラを入れた。この状態で憎しみを俺に向ければ、俺は消し炭にされることだろう。
「ううっ……!」
みどりが嗚咽を漏らす。
「ごっ……ごごごごごごごご!」
噴火前の火山のような音を口から漏らした末、みどりが泣き出した。
俺はごくりと生唾を飲み込む。
「ごめんなさあぁぁあいっ!」
そう言って俺の胸に飛び込んで来るみどりを抱き締めた。
俺を消し炭にはしたくないようだ。ポドラが彼女の憎しみをコントロールしてくれたのだ。
結婚して20年、俺達はこんな風に、憎しみが爆発しそうになると、自らポドラをポケットに入れ、自分の憎しみを抑えて来た。高校生の時、俺が島田への憎しみをコントロールしたように。それは自分の力というよりは、やはりポドラの力なのだった。ポドラがいるお陰で俺達は自分の憎しみを抑制できた。抑圧にまでなりそうな時にはパートナーのポケットに預かってもらい、思う存分発散もした。
◇ ◇ ◇ ◇
「あなた」
病院のベッドに横たわり、みどりが言った。
俺は何も言わず、彼女の言葉を聞いた。
「先に行ってしまうけど、ごめんなさいね」
皺だらけの顔が笑う。俺はその白髪頭を撫でてやった。
俺の上着のポケットからはポドラがのろのろとした動きで顔を出す。
「楽しかったよ、私の人生」
みどりが笑う。
「あなたと、ポドちゃんのお陰」
「うん……」
言いたいことはいっぱいあるはずなのに、それしか言えなかった。
俺が彼女の手をぎゅっと握る。
ポドラがその手を細長い舌でペロペロと舐めた。
「……ありがとう」
その言葉を最後に、安らかに、みどりは天国に行ってしまった。
病院を出ると、夜空に星が滲んでいた。彼女を連れ去った運命の神様を俺は憎んでいなかった。
空に向かってポドラに炎を吐かす? そんなことは出来ない。あそこにみどりがいるかもしれないのに。
俺は幸せな人生を送った。みどりと、ポドラのお陰だ。
今、俺に言えるのはこれだけだ。
「俺のほうからもありがとう、みどり。お前が俺と、ポドラを愛してくれたお陰だよ」
64年間、ポドラは炎を吐かなかった。
夜空に色んな思い出が浮かび、その中でみどりの顔が、笑っていた。
お読み頂きありがとうございましたm(_ _)m
構想していたトンデモ展開のラストを、仕事のあまりの忙しさに、すっかり忘れてしまいました。
もっととんでもなくハッピーなラストだったはずなんですが……。
どうしても思い出せないので、新しく構想し直し、こんなラストにしてみました。
感想、評価、ツッコミ等お待ちしておりますm(_ _)m