~ 前編 ~
俺の名前は平凡人17歳。名前を覚える気のないやつからは『地味メガネ』などと呼ばれている。まぁ、その通りの見た目だ。黒髪黒縁メガネに顔も背の高さもすべてフツー。特徴など何もないに等しいのだからな。
「おい」
昼休み、不良の島田がニヤニヤしながら声を掛けて来た。
「エロい動画ダウンロードしたんだけど、屋上行って一緒に見ねーか?」
「興味ない」と俺が言うと、島田は馴れ馴れしく肩に触れて来た。
「レア物だぜ? 女優の○○の流出動画だ。お前も好きだろ? な、ジミー?」
ジミーと呼ばれるのは嫌だが、やめろと言ってもそう呼んで来るので仕方がない。
俺は無表情を崩さず、もう一度だけ言った。
「興味ない」
すると島田はゴキブリのように後ずさり、俺を崇めるように座り込み、彼にしては精一杯の丁寧語で言った。
「へへーっ! あんた、やっぱり? 女に不自由してないからこんなもんには興味ないんっスね!? へへーっ! さすがジミーっスわ! 伊達に黒縁メガネかけてねーっスわ!」
俺は無視して次の授業の準備を始めた。早く向こう行ってくれないかなと思いながら。
すると島田が「やっぱジミーには敵わないっスわ!」と尊敬する目で俺を見ながらようやく向こうへ行ってくれた。
島田は一年の時、俺をいじめていた中心人物である。
下校時、俺が一人で玄関へ向かっていると、廊下の途中で女子に待ち伏せされていた。
「あっ、あのっ……、平くん!」
またか……。と、うんざりしながらも俺は立ち止まる。
「あっ、あたしっ……。3組の織田わにゃにゃって言いますっ……! そのっ……! いっつも平くんのこと見てますっ! よかったらあたしと……付き合ってくださいっ!」
俺はいつもの台詞を口にした。
「好きな人がいるんだ。ごめんね」
嘘ではない。俺には好きな女子がいる。彼女の名前は槇原みどり。それほど人気のある娘ではないが、俺にとってはマリア様だと言ってもいい。俺は彼女以外とは付き合うつもりはない。まぁ、もし槙原みどりから告白されたとしても、付き合う気はないのだが。
島田も織田も、知らないのだ。アレを知らないながら、それまで何も出来ないいじめられっ子だった俺の纏うオーラが変わったことになんとなく気づき、そこに畏れに似た感情を抱き、それを勝手に尊敬の念だとか恋心と間違えているだけだ。そんなものに付き合う趣味はない。
廊下の真ん中で顔を覆って泣きはじめた織田なんとかを放って、俺は靴を履き替え、外へ出た。
「平くん」
夕日の射しはじめた校門のところで、槇原みどりに待ち伏せされていた。俺は目を逸らすと、無視して帰ろうとする。
槇原が俺の手を後ろから握って来た。
「平くん、こっちを向いて」
仕方なく俺は彼女のほうへ振り返る。告白されても付き合う気はないが、嫌われるのは嫌だからな。
槇原の翠色の瞳が俺の目を覗き込むように見つめて来た。サラサラの碧色のロングヘアーが夕暮れの風になびく。くそっ! 見せるな……俺は君に恋しているんだ!
「♪おー、まきはーらー、みーどーりー」
動転して、俺は変な替歌を歌い出してしまった。彼女の名前が歌に入ってしまった。くそっ……! こんなことをして俺の気持ちが槇原にバレてしまったらどうするんだ! 誤魔化すため、俺は続けて替歌を歌った。
「♪空ーは、澄ーみー、ヤマーダ電器」
最後、違う歌に着地してしまった! 死にたい!
「平くん……」
しかし槇原は俺のそんなボケを華麗にスルーすると、慈悲深い声色で、言った。
「わかってるんだよ? 私、知ってるんだ。君の秘密……」
知っている。それでも俺に優しい目を向けて来る君のことを、だから俺はマリア様だと思っているんだ。そしてその秘密があるから、君と付き合うことは出来ないんだ。
槇原は見ていた。俺が初めてにして、今のところ最後に、コイツを使ったところを。
「ポケットにいるんだよね?」
槇原が俺の胸ポケットを覗き込む。碧色の髪が風に揺れ、俺の顎をくすぐった。
「出ておいで。姿を見せて?」
すぐに鋭いツメの生えた太短いチビ竜の前脚が出て来た。
「にゅ?」
そう言いながら、ポドラが胸ポケットから顔を見せた。
「可愛い!」
槇原が電撃に打たれたように笑顔で跳ねた。
「初めて近くで見た! ミドリガメみたいにちっちゃいのに、本当にドラゴンくんなんだね!」
「あまり近づくな」
俺は警告した。
「コイツは見た目は可愛いが、凄まじい力を持っている」
「知ってるよ」
あんなものを見たのに槇原は穏やかに微笑んでくれる。
「あたし、見てたもん」
◇ ◇ ◇ ◇
俺は島田を中心とした不良グループにいつもいじめられていた。
全国ニュースになるレベルと比べれば可愛いものだったかもしれない。しかし毎日学校に行くのが憂鬱で、家の屋根裏部屋に隠れていた。親に見つかった。怒られた。それで学校へ行くと、待ち構えていたように島田がニヤリとしながら近づいて来た。
購買で6人ぶんのパンを買って来いとかクラスのみんなが見ている前で犬の真似をさせられるのは精神的に辛かった。クラスの中の最底辺にさせられている気分だった。その頃はまだ槙原のことは特に何とも思っていなかったが、未来永劫にクラスの誰も彼女になどなってはくれないことを突きつけられているようで鬱になった。
悔しかった。力が欲しかった。自室のベッドの上で妄想した。俺の胸ポケットの中にはポケット・ドラゴンが住んでいるのだ、と。
名前はポドラ。見た目はマンガに出て来るようなちびドラゴンそのものでとても可愛い。しかし凄まじい攻撃力を持っている。
その小さな口から吐く炎は小さな山ぐらいなら一瞬で焼き尽くす。人間のいじめっ子など10%の力も使わずに消し炭に出来る。
俺のてのひらに乗った可愛いポドラが島田の右手を、次いで左手を焼き、炭になってボロボロと崩れ落ちる自分の身体を見ながら泣いて許しを乞ういじめっ子の顔を妄想しながら、ベッドに寝転がって俺はニヤニヤした。そんな妄想で何が変わるわけもないと知りながら。そしてまだ着替えていなかった学ランの胸ポケットに手を突っ込みながら、呟いたのだった。
「あーあ。ポドラ、欲しいなぁ……」
「にゅ?」
突っ込んだ手がゴツゴツとした小さなものに触れた。とても固い松ぼっくりのようなものだった。それを掴み、引き出すと、丸い目で不思議そうに俺を見つめるポドラがいた。
「わぁ!?」
「にゅ? にゅ?」
それがポドラとの出会いだった。
早速俺はその夜、ポドラを試すために出かけた。
炎、本当に吐けるんだろうか。半信半疑で期待しながら、学ラン姿で夜の住宅街を歩いた。
何を焼こう? 何を焼いてみよう? そうだあれがいい。
俺は前々からムカついていたオブジェの前で立ち止まると、ポケットからポドラを取り出した。
それは金ピカの像で、誰だか知らない小さなオッサンが偉そうに胸を張っているオブジェだった。何かの小さな会社の前に置いてあるので、おそらくはその会社のお偉いさんを模したものなのだろう。俺にはまったく何の関係もないが、通学で前を通るたびにムカついていたのだ。
「ポドラ。これを焼いてみろ」
「にゅ?」
「炎、吐けるんだろ? この金ピカのオッサンを見ろ。ムカつくだろ? 消し炭にしてやれ」
「にゅう~?」
てのひらに乗せると、ポドラはオブジェのほうを向いたが、すぐに俺の顔を振り返った。あどけないまなざしで、不思議そうに俺の目をまっすぐに見て来る。
「なんだよ。炎は吐けないのかよ……」
俺は諦めて、家のほうへ引き返しはじめた。
月が雲で霞んでいた。
缶コーヒーを買って、公園のベンチで飲むことにした。
夜十時の公園にはさすがに誰もいなかった。俺はベンチの隣にポドラを下ろすと、ミルクコーヒーを飲むのかどうかはわからなかったが、てのひらに少量垂らして与えてみた。
「おーにゅ! ぴったん、ぴったん!」
ポドラは嬉しそうに、細長い赤い舌を出してそれを舐めた。ぴったん、ぴったんと音を立てながら、おいしそうにミルクコーヒーを舐めるポドラの舌の感触が可愛くて、俺は思わずくすっと笑った。
急に、本当に唐突に、彼女が欲しくてたまらなくなった。
今、一緒にポドラの可愛さを味わってくれる女の子が隣にいてくれたら、どんなに幸せだろうという気がした。
しかし俺はいじめられっ子だ。クラスの最底辺だ。誰もが俺のことなんか無視するか、あざ笑うだけだ。
たった一度の俺の高校時代。俺には彼女など出来ないことが確定している。
島田の顔が浮かんだ。俺を見下すその笑い。ゲスな顔に生えた薄いひげ、汚らしい金髪。
あいつのせいだ。あいつのせいで、俺の青春には彼女が出来ない。
それを思うと怒りが、憎しみがこみ上げて来た。
遠くの小山に、立ちはだかってニヤニヤ笑う、巨大な島田の姿が見えて来てしまった。
憎い!
憎い!!
憎い!!!
「島田ァァァア!! 消えてなくなれ!!!」
「ボアアアアアア!!!!」
隣のポドラが顔を上げ、叫んだ。俺と同じところに視線を向け、口を大きく開けると、そこからとんでもなく大きな炎をかたまりを吐いた。炎は隕石のように飛んで行き、巨大な島田を描いた小山に当たった。びっくりして俺がそれを二度見した時、小山は跡形もなく消失し、その向こう側にある町の灯りが見えていた。
「……ポドラ?」
俺はまじまじと、ベンチの上で威嚇するように背中をそらせているポドラを見た。
「……にゅ!」
ポドラは満足そうに、後ろ脚で頬をポリポリ掻くと、俺の目を見上げた。
「……すごい!」
いつの間にか俺の隣に座っていた槙原みどりが声を出したので、俺は飛び上がりかけた。