性?廉潔白
れんさんを伴って、我が家の玄関を開けると、見覚えのある虹色のパンプス。
あ。 茉理さんが来てる。
なんかマズイ様な気がちょっとした。
市川茉理さんは、お兄ちゃんの彼女だ。
高校時代は、剣道部のマネージャーだったというから、れんさんとも面識があるかも。
いや、マズイのはそこじゃない。
昼間に、家族が留守の家に彼女を連れて帰った二十歳過ぎのオトコが、そのあと何をやってるか、明白じゃないか。
だって、このバラバラのパンプス。
いつもはこんな脱ぎ方する人じゃないんだよね。
なんだか怪しい物が、上がりがまちに落ちてるし。
女物のカーディガンだ。
その10歩ほど先のフローリングの上にも、Tシャツが一枚落ちてるし。
さらにそのずーっと先にも、なんだろうなアレ。 ストッキングかも。
理由はわからないけど、玄関に至るまでに爆発的に盛り上がった事は確かだ。
仕方ない、れんさんを待たせておいて、お兄ちゃんに声をかけて来よう。
そう思った時、かすかに歌声が聞こえた。
茉理さんが歌ってる。
歌詞もリズムもない、行為の結果漏れてしまう賛歌。
繰り返す波のような、切ない声で。
恋人の腕の中でしか、決して出さない甘い声で。
わー。 もうだめだ。
ナマ声が響いてちゃ、ごまかしきれない。
あたしはれんさんに頭を下げた。
「すいません、れんさん。
ぜんぜんアレなんで‥‥出直してもらえませんか‥‥」
お兄ちゃんのバカタレ。
いたいけな女子高生に、なんてこと言わせるんだ。
しかもこんな美形に向かって。
あたしの顔は真っ赤になってた。
でも、気まずい思いで見上げたれんさんの顔は、真っ青だった。
「‥‥あの人いつもこんなことしてるわけ?」
抑揚を抑えた声で、れんさんが聞いた。
結んだ唇のラインが、許すものかと言っていた。
「いえ‥‥。いつもってわけじゃ‥‥」
「でも初めてじゃないでしょう?君は慣れてる」
「前に、一回だけ‥‥」
「イヤじゃないの、それで!」
吐き捨てた声音が、僕はイヤだと言っていた。
「なんでれんさんが怒るんですか?」
あたしが聞いた途端、青かったれんさんの顔に、赤味がさした。
「あの‥‥もしかして、兄貴のこと好きなんですか?」
聞かずにいられなかった。
れんさんは片方の手のひらで口を覆ったまま、黙って動揺を抑えようとしていた。
自分の感情に気付いたのは、たった今だろう。
「僕は‥‥いや、確かに憧れてはいた。
僕はこんな外見だから、いかにも日本男児って感じの人がうらやましかった。
それで剣道を始めたんだ。
かなを先輩は‥‥気概があるというのかな。 剣先にも古武士の風格があって。
ちゃらちゃら女の子とくっついてた他の先輩とは全然違ってて。
ああ、だけど僕のほうに、そんな欲求があったわけじゃ‥‥」
泣き出さんばかりに昂ぶる感情を、れんさんは言葉に出来ず首を振った。
「やめよう。 たぶん君の言うとおりだ」
言い捨てて玄関を出て行こうとするのを、追いかけた。
「ごめんなさい!」
「君が謝る事じゃない」
「あたしが聞いていいことじゃなかったです!」
気がつくとあたし、れんさんの腕にすがり付いていた。
引きとめようとして、無意識に。
あ。 まずい、なんで?
これまでにない大きな痺れが、あたしの子宮を直撃した。
心臓がフルスウィングしている。
耐え難いほど、熱い。
おい、うそだろ? 何で今、来るんだよ?
茉理さんのエッチのナマ声でも来なかったくせに。
あたしの脳みそ、馬鹿なんじゃないの?
今、目の前のオトコは、自分がホモだって告白したのよ?
あたしなんてお呼びじゃないのよ?
その途端に来るって。 何考えてんの、あたしの下半身は!
どうすりゃいいんだ。 自分のツボが、全然わかんない!
「かなをさん、離してよ。
君の言うとおり、出直した方がいいのがわかったから」
「じゃあ、名前教えてください。
兄貴に、ゴールデンウィークのこと伝えますから。
それで連絡させますから。
あ、連絡先も教えてください。 ね、そうしましょう」
れんさんの目が、初めてあたしをまともに見た。
彼は静かに携帯を取り出した。
「苗字は広瀬。
れんは、清廉潔白の廉」
「せいれんけっぱく?」
「神に誓って、やましい事は何もありません、という意味」
説明してから、れんさん自分で自分を笑った。
「たった今、超やましい気分になってるけど」
「やましくないですよ!
うまく言えないけど‥‥個人の自由だと思うし」
あたしは言いながら、自分の携帯に彼の情報を写した。
「あたしの名前も入れといてください」
自分の情報を表示する。
「かなを、下の名前は、あやき、です。
綾姫って書きます
「あやちゃん、なんだね」
「あの。失礼ついでに、聞いてもいいですか?」
携帯を写しおわったれんさんに、半分捨て身で聞いた。
「女の子がきらいなわけじゃないですよね?
今、彼女とかは?」
「今はいないけど、苦手じゃないよ。
キスとかも平気だよ」
あっけなく言ってから、彼はもう一度、自分を笑った。
「平気って言い方が、すでにハードルを感じてるなあ」
「か、感じてるんですか?」
「まあ、そろそろしてやるかあ、みたいな時もあるね」
「男の人には?」
「男に抱かれたいかってこと?」
わ。そんなモロに言わないで。
「考えたことなかったなあ」
れんさんは悪びれずに言って、結局笑顔で帰って行った。
明るい人だ。
明るいけど、この人もちょっとビョーキ。
それが嬉しいあたしも、だいぶビョーキ。