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海の泡になれずに

 ドアを開く瞬間まで、悩んだ。

 最初の顔は、笑顔?マジ顔?どっちにしよう?

 運転席のれんさんは、ひどく真面目な顔をあたしに向けた。

 覚悟して来た顔してる。

 あたしに泣かれる覚悟を決めて来たんだ。

 

 馬鹿にすんな。泣いてなんかやるもんか。

 あたしは、こぼれるほどの笑みを浮かべて、車に乗り込んだ。

 

 エムさんの容態を、れんさんはポツポツ語った。

 「車椅子に乗るにも、もう一段階リハビリが要る状態だ。

  もう別人みたいに気弱になっててね。

  エムが人に頼るとこなんか見たことがなかったから、僕もショックだった」


 「エムさんはポッキリ折れてしまったんだね。

  れんさんと別れた時に、すごく頑張って変身して。

  あたしに譲ろうとした時、いい人をやろうとして頑張って。

  いつも頑張って、ビシッとしてたから。

  れんさんが死んだと思った途端、なんにも頑張れなくなっちゃったのね」


 あたしはエムさん、好きだった。

 シャンと顔を上げて立ってる、気品のあるオーラが。

 れんさんには、女の子をそうさせる力がある。


 「エムについていてやりたいんだ。

  出来れば一生、僕が守りたいと思う。

  あやちゃん、ごめん。

  君との約束は、守れない」

 

 頭を下げたれんさんを前にして、叫び出しそうになった。

 やだ!

 あたしを好きだって言ったじゃない!

 恋人にしてくれるんでしょう?

 トロトロに愛してくれるんでしょう?

 やだ!やだ!やだ!

 あたし絶対やめないからね。

 れんさんの真ん中、やるんだからね。

 腰砕けのエムさんなんか、捨てちゃってよ、れんさん!


 れんさんは、頭を上げない。

 あたしは待った。

 状況が変わって、運命が変わって、奇跡が起こるのを待った。


 何にも起こらなかった。

 そんなに都合の良いことは、何処にも転がってない。

 わかってた。


 例えば浮気でいいから、エムさんに内緒で付き合ってくれと頼むとか。

 最後に一回でいいからデートして欲しいと言って、ずるずると引っ張るとか、やりようはまだある。

 きっとそういう恋でも、れんさんは対応してくるだろう。

 そんな卑怯なれんさんでも、あたしは欲しい。

 でも、そんなあたしを、あたし自身が嫌うだろう。


 あたしは、最近増えてきた肺活量いっぱいに、息を吸い込んだ。

 それを大きく吐き出した。

 ここは、あたしのステージだ。

 れんさんは、ちゃんと楽譜をくれた。

 イントロが流れて来たら、歌わなきゃ。


 「やあね。そんなにかしこまらなくたって!」 

 れんさんが、はっとした風に顔を上げる。

 「あんな約束、社交辞令ってバレバレですよ。

  えっちした直後くらい、甘いこと言ってくれなきゃ面白くないもの。

  れんさん、えっちもうまいけど、アフターケアも上手よね」

 「あやちゃん‥‥」


 「れんさんには感謝してるんですよ。

  あたしの体から、兄貴の足跡を消してくれた。

  そういう人がいないかなって、ずっと思ってたんです。

  エムさんにも感謝してます。

  れんさんを貸してくれてありがとうって、伝えてください!」

 にっこり笑って、車を降りた。


 「あやちゃん!送っていくのに!」

 れんさんの声が追いかけてくる。

 振り向いたら、泣きそうだ。

 頑張れ、頑張れ、人魚姫。

 ここで泣いたら、泡になって消えちゃうぞ。


 「れんさんはもうお役御免ですよ!

  キスもくれない送り狼は、イリマセン!」

 小さく舌を出して手を振ってやった。


 立ち去る自分の後姿に、拍手!

 よく頑張りました、花マル!

 携帯を取り出して、エムさんのメールを読んだ。


 『あやちゃん、ごめんなさい。

  無理やり頼んで、あなたに押し付けておきながら。

  廉ともう一度やり直すことにしました。

  ごめんなさい。

  ごめんなさい。

  ごめんなさい。

  どうか、私に廉を返してください』


 あたしは駆け出した。

 みんなバカヤローだ。

 みんなヒトデナシだ。

 みんなみんな、泡になって消えてしまえ!



 カンツォーネ。

 カンツォーネ。

 カンツォーネ。

 部長からの着信を、全部1秒で切ってやる。

 陸橋の上は、ひと気が少なくて、見晴らしもいい。

 おまけに騒音がすごいから、少々騒いでも大丈夫!


 さっきメールを送っといたんだ。

 

 『玉砕しました。

  ただ今、ユース前陸橋の上で、“はかなし愛の誓い”を熱唱中!』


 雨が降りはじめた。

 日が暮れて、明かりが点り始めた町並みが、雨にぬれてにじんでゆく。

 涙があふれても、これならわからないね。


 あ。部長が来た。

 あわててペダルを漕いでるのが、暗い路上でもよくわかる。

 自転車で携帯かけてたらつかまっちゃうよ。

 あ、おばさんに怒鳴られてる。

 

 早く来てね。

 急いで来てね。

 涙で見えなくなっちゃうよ。

    

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