同じ穴のむじな
練習が終わって帰ろうとすると、緑川部長に呼び止められた。
「キンギョちゃん、明日の昼休み、ここに来れる?」
「‥‥はい?」
180数cmの長身を、あたしは振り仰いで首をかしげた。
緑川部長はテノールのパートリーダーでもある。
でも、しゃべる声はビンと響くバリトン。
ダサダサの黒ぶち眼鏡をやめたら、結構いいオトコだと思うんだけどな。
「9月の定期公演のことでちょっと」
「あたしがですか?」
「まあ、他にも何人か来てもらうから。 30分くらい頼むよ」
「はい。 明日の昼休みですね」
「あ、それと、キンギョちゃん」
「はい、って、キンギョはやめてくださいよ」
あたしがぼやくと、部長はハハハと美声を響かせた。
「じゃあ、かなをさん」
「はい」
返事をさせておいて、部長は黙ってしまった.
「あの、なんですか?」
「いや、やっぱりいいよ。 お疲れ様」
なんか思わせぶりで、気になる。
その時、後ろでピーと変な音がした。
キーボードのミ♭が鳴っている。
「あれえ? おかしいな」
帰りかけてたれんさんが、また戻ってキーボードを確認した。
コンセントは入ってなかった。
「ちょっとお! あーや、どうなってんの?」
校門のところで、クラスメートの尾谷奈月に腕をつかまれた。
彼女は、ミントのいるバドミントン部のマネージャーをしている。
「どうって、何が?」
「根岸よ。 クラブはここんとこサボりっぱなしだしさ、なんかボーッとして様子おかしくない?
あんたたち、付き合ってるんでしょ?
何があったか、聞いてない?」
「クラブに出てない? いつから?」
あたしには初耳だった。
「この間の土曜、午前中の練習に出たっきりよ」
土曜ってつまり、ユルミにあった日。
なんだかいやな予感がした。
「かなをさん! 送ろうか」
背後からクラクション。
びっくりした。 オプティマの運転席から、れんさんが手を振っている。
奈月があたしにしがみついた。
「やだ! あれ誰?
いつのまに、あんなイケメンを隠し持ってたのよッ!
そーりゃ、根岸がぼろぼろになるはずよねええ!」
えらい誤解をされてしまった。
れんさんの車の中は、兄貴の車と同じ匂いがした。
剣道の防具が積んであるのだ。
「すみません、送って頂いて」
頭を下げたら、
「じつは下心ありでね。
お兄さん、もし家にいらしたらお目にかかれないかなと。
高校剣道部のゴールデンウィーク合宿呼ばれてるんだ。
ご一緒にどうかとお誘いしたいんだがどうだろう?」
れんさんはぺろりと舌を出した。
「兄貴、今日は早く帰るって言ってましたよ。
ゴールデンウィークは、大学の剣道部も合宿かも知れませんけど」
あたしが言うと、
「まあ、それも口実だから」
と、れんさん、もう一度舌を出す。
「お顔が見たいだけ、ってのが本音だな。
お兄さん、すごい人なんだよ、知ってる?」
「そんなに強かったんですか?」
「伝説の人なんだよ。 強くもあったけど、気迫というのかな。
あの人の勢いだけで、全国行けたようなもんだから」
ハンドルを握るれんさんの横顔を見ているうちに。
あ。ヤバイ。
あたし、なんかキテるみたい。
ああ、来る。
背骨にズン、と落ちて来る。
子宮の中が熱っぽくなる。
いったい、何にキテるんだろう?
お兄ちゃんの話題に?
車の中の、この匂いに?
それとも目の前の、このイケメンに?
もしもれんさんにキテるんだったら。
お兄ちゃんの影を振り切るチャンスかも知れない。
この人と恋愛して、この人とエッチができたら。
あたしの脳に、この人が相手よ、とインプットしなおせばいい。
そこまで考えて、愕然とした。
この思考回路は、ユルミと一緒じゃないか!
エッチして、もし良かったらそいつと恋愛するんだと言った、あの宇宙人と。
あのゴキブリ捕獲箱と!
うわー、サイテー!絶対イヤ。
でも、そうなんだ。
ユルミも、多分なにかあるんだ。
脳がインプットした、間違った何か。 そこに入り込むと、針ごと持ってかれちゃう、レコードの傷みたいなものが。
それが何か知りたいとは思わないけど、あの女も苦労してるってのは、認めよう。
宇宙人ユルミと、あたしは同族だった。