真実
暗がりで目が覚めた。
何か起こったな、と思った。
目を開けると、真っ暗な部屋の床の絨毯の上で寝転んでいた。
あたしの部屋だ。
夜なのに、電気が点いてない。
あたし、いつ部屋に帰って来たっけ?
「キンギョちゃん! キンギョちゃん!
頼む、返事をしてくれ!
道がわからないんだ、おい!どうなったんだ?」
どこかで部長が叫んでる。
あたしの部屋なのに、どうして部長の声がするのかな。
起き上がって見回すと、ベッドのそばに開いたままの携帯が転がっていた。
「もしもし、部長?」
「キンギョちゃん! 無事なのか。
どこかに怪我は? そばに誰かいるのか?」
部長が切羽詰まった様子でたたみかけた。
「あたし、どうかしたんですか?」
「‥‥覚えてないのか」
「駅で解散したのは、覚えてます。
それからバスで帰ってきたはずなんですよね」
言いながら、自分の体を見下ろした。
服装が乱れている。
ブラウスの裾が、前半分だけスカートから引き出されている。
スカートの方はめくれていて、太ももが丸見えだ。
下着の位置がおかしい。
ブラジャーもパンティーもきちんとしてない。
明らかにとんでもないことになっている。
なのに、頭の中がシーンとしている。
少しも気持ちが騒がない、不気味だ。
何か以前にも、こういうことがあったような気がする。
「今そっちへ行くからな。
旭町のバス停までは来てるんだ。
そこから先がわからない。道を教えてくれ」
「部長がどうしてうちへ来るんですか?」
「頼む、しっかりしてくれよ。
誰かに乱暴されただろう?
君は駅で解散した後、バスに乗った。
降りたところで、僕が電話を入れたんだ。
家まで話しながら帰って来たはずなんだ。
その後は悲鳴しか聞こえなかった。
誰か家にいるのか?
部屋に鍵はかかるのか?」
あたしは立ち上がって部屋の明かりを点けた。
それからドアの鍵をかけた。
東京本選から持ち帰った荷物が、床に転がっている。
隣の部屋で、人の気配がする。
何があったのか、だいたい分かって来た。
お兄ちゃんが帰って来ているのだ。
あたしは知らずに家に帰って来て、いきなり遭遇したわけだ。
れんさんにあれだけ言われてたのにな。
何も確認せずに帰っちゃったんだ、あたし。
日曜の夜8時に親がいないなんて、思ってもみなかったから。
それはもう仕方ないことだ。
いまさら言ったってしようがない。
問題は、あたしの記憶がないことだ。
そして馬鹿みたいに冷めてることだ。
こんな目に会ってるのに、少しも悲しくないことだ。
「ああっ。 15ブロックがあった。15の8がこのへんだ。
キンギョちゃん、同じブロックにいるよ。
清水さんってでかい家の前だ。 このへんだろう?」
携帯の中で、部長が息を切らして叫んでいる。
「部長、もういいです。 すみませんでした。
もう大丈夫ですから、家には来ないで下さい」
出来るだけ普通の声で、言った。
「‥‥何言ってるんだ‥‥」
「部屋に鍵をかけました。
もうこれ以上、何も起こりませんから大丈夫です」
「キンギョちゃん! これは犯罪なんだよ!
このままになんか出来ないんだ。 なんでわからないんだ?」
部長の声を聞きながら、心臓の鼓動をようやく意識した。
目頭がじわっと熱くなった。
よかった、ちゃんと泣くことは出来るらしい。
「あたしに乱暴したのは兄貴です。
今、隣の部屋にいます。
あたしは鍵をかけて、自分の部屋に籠ってます。
これから携帯で兄貴と話し合おうと思うんです。
それ以上、刺激したくないんです。
だから、通話を切らせて下さい」
部長はしばらく黙っていたが、
「‥‥今、君の家を発見した。
門の前に立ってるぞ。
わかった、ここで一旦切ろう」と言ってくれた。
「でも、僕はここで待つからな。
話し合いが終わったら、電話をくれ。
絶対、部屋を出たり鍵を開けたりするなよ。
何かあったら、声を出せ」
「はい」
電話が切れた。
窓を細く開けて、玄関の方を見ると、部長の長身がシルエットになって浮かび上がっていた。
ホントは、あたしを助けてくれるナイトのはずなんだけど。
この時、あたしにはそうは思えなかった。
部長の姿が、あたしの罪をあばく外敵に見えたのだ。
あたしと、お兄ちゃんの罪を。
携帯でお兄ちゃんに電話した。
隣の部屋で呼び出し音が鳴るのが聞こえた。
「いとしのエリー」なのが笑えた。
「アヤキか。 気がついたのか。」
お兄ちゃんの声がした。
突然、あたしの体がブルンと震えた。
すさまじい怒りが全身を貫いた。
このまま壁に火を点けて、焼き殺してやろうか。
「全部言いなさいよ」
あたしは、やっと出たかすれ声で言った。
「お兄ちゃんがあたしにしたこと、全部言ってよ。
あたし全然思い出せないんだよ。
お兄ちゃんが中学入ってからのこと、あんまり覚えてないんだよ。
言いなさいよ、あたしに何回乱暴したの!?」
「ほんとにお前、何も覚えてないのか」
抑揚の乏しい声で、お兄ちゃんが言った。
「おまえが小1の時、テレビ見ながらえっちしただろう?
それから一年は我慢したんだよ」
それはあたしも、覚えてるんだ。
「お前が小3になりたてのころに、最初に抱いて。
今日が3‥‥いや、4回目だ」
「信じられない。‥‥馬鹿じゃないの?」
言葉が浮かんで来なかった。
「最初、あんまり騒ぐんで叩いて頭を打ちつけたら、脳震盪を起こして意識がなくなった。
それ以来、お前は同じ状態になるんだ。
ぷつっとスイッチが切れて、失神状態になる。
俺も怖くなって、頭をなぐるのはやめにした」
「恥知らず」
「アヤキが好きなんだ。 ずっとそうなんだ」
「お兄ちゃんは異常だよ」
「俺が異常か! ああ、そうかもな!」
お兄ちゃんは、開き直って大声を出した。
「だったら聞くが、広瀬は正常なのか?
あいつだって、相当とっ散らかっててマトモとは思えんぞ。
お前の友達で、ユルミってのがいただろう?
あの女はどうなんだ。
俺の学校でも有名なパッチンカードだぞ。
性癖なんてものはな、人それぞれなんだよ」
「強姦も性癖で片付けるつもり?
そういうのをね、盗人猛々しい、って言うのよ!」
お兄ちゃんは鼻先で笑った。
「被害者面するなよ。
お前だってたいしてまともじゃないだろ?
スイッチ切れてる時、お前ちゃんと反応するんだぜ?
今日なんか、さすがに4回目になるとカラダが馴染んで、ちょっとはいい声も出すように‥‥」
あたしはサイドテーブルを蹴倒して、壁にぶつけた。
ドライフラワーの花瓶を、壁に叩きつけて割った。
お兄ちゃんの笑い声が、壁越しにもよく聞こえた。
「だって、そうじゃないか。
お前はちゃっかり計算してるんだよ、アヤキ。
こないだ広瀬が来てる時は、スイッチ切らなかったろう?」
ピンポンピンポン、と玄関のドアチャイムが鳴った。
いけない、大きな音を出したから、部長に聞こえてしまった。
「ごめんください、かなをさーん!
おーいキンギョちゃん、大丈夫かー!」
ああ、よく通るバリトンだなあ、近所に響くなあ。
「あれは誰だ?」とお兄ちゃん。
「うちの部長。 心配して来てくれたんだよ」
「ばか。追い返せ」
わかってるよ。部長は巻き込まない。
あたしとお兄ちゃんは共犯者なんだ。
やっとわかった、お兄ちゃんがあたしに命令口調なワケ。
この人の頭の中では、強姦はとっくに和姦になってるんだ。
あたしはそこで電話を切って、部長にかけなおした。
「おい、大丈夫なのか」
「大丈夫です。 ちゃんと話もしました。
部長、ありがとうございました」
「だめだ、ちゃんと顔見せろ。
このままじゃ、心配で帰れないだろう!」
「お願いですから帰ってください。
兄貴が怒り出したら、余計に大変ですから。
もうあたし、部屋から出ませんから心配いりません」
ああ、限界が近づいてきた。
もう少しで、涙腺の堰が切れてしまう。
あたしはそれ以上言葉を継がず、部長が立ち去るのを待った。
長い夜になると思った。