パートタイム・ラヴァー
「広瀬 廉は、ユルミと寝たぞ」
「‥‥いつ?」
聞き返す自分の声が、他人の物のように頼りなかった。
ミントは勝ち誇って教えてくれた。
「夕べ、ユルミが電話で言ったぜ。
きのう、あーやの家から帰るとこを、車を停めて誘ったんだってさ」
正気の沙汰じゃない!!
6時の時間切れと同時に、ユルミと。
あたしを可愛いと抱きしめてくれた、たったの30分後!
そのあとミントとどんな会話をしたのか記憶にない。
4時間目の授業も、覚えていない。
気がつくと、3年生のクラスの前に立っていた。
緑川部長があわてて出てきて、あたしを屋上に連れ出してくれた。
弁当を下げてきたところを見ると、昼休みなのだ。
「キンギョちゃんは、弁当は?」
食べる気にはなれそうになかった。
「その、サルくんの言うことは、あてになるのかな」
話を聞き終わった部長は、首をかしげた。
「確認した方がよくないか?」
「‥‥ユルミにですか?」
できるわけない、死んでもいやだ。
敗戦を勝者に確認なんて。
「いや、その広瀬氏本人にさ」
「言うわけないじゃないですか」
「そうは思わない。多分、聞かれたらホントの事をしゃべると思うね」
食べ終わったほか弁の空箱を片付けながら、部長は断定した。
「僕の見たところ、この男のビョーキは、単なるオンナ好きじゃない。
何かのタブーのタガが外れてることが問題なんだ。
例えばキスまで仕掛けて、これからオトすかもしれない女の子に、モトカノにキスマーク付けた話をするのは、結構珍しいぞ」
その意見にはうなずけるものがあった。
れんさんと会話していると、恋愛観が奔放過ぎて、戸惑いを感じることがある。
自分がオトコが好きかどうかも、すぐに決められなかった男なんだ。
「つまりは、未分化ということなんだろうな」
部長はそう分析して見せた。
「赤ん坊の頃は、誰でも快と不快の2種類しかない。
それが経験によって、喜怒哀楽に別れ、その後さらに複雑に別れて行く。
大人になると、愛といっても家族愛だの友愛だの、恋愛以外に区別してるだろう。
でもたまにいるんだ、そういうことがどこか分裂しきれてないヤツがね」
れんさんは、オンナを自分から狩り歩くプレイボーイじゃない。
特定のオンナ以外を拒絶するだけのポリシーがないだけだ。
昨日のユルミと悪ガキたちの話も、聞かれたらスルリと話した。
わざわざ自分から切り出さないだけ。
確かに、ウソをついてまで隠すほどの気持ちはないかも。
「ダメです」
あたしは絶望的に首を振った。
「ダメです、ダメです、とても聞けない!
その通りだよ、なんて言われたら、どうすればいいんですか!」
「そんなことされたら傷つくからやめてと頼むんだ」
「頼まれないとわからないもんじゃないでしょう?」
頼まれたからって、してくれるもんでもないし。
「わからないのかも知れないよ」
そこまでビョーキだったら、もう治りっこないのでは。
メールを入れずに、公園横へ向かった。
これは、やらない方がいいやり方だ。
部長の言うように、直接聞いてお願いする方がまだましだ。
なのにどうして、わざわざいけない事をやっちゃうんだろう?
入り口の木の陰に隠れて、こっそり見る。
れんさんのオプティマはもう来てる。
時間は4時40分。
あたしの時間よりちょっと前。
息を詰めて見る。
車内にすでに、誰かいるのだ。
“これから校門を出ます”
メールを打った。
唇を噛み締めて、ユルミが車を降りて来るのを隠れて待った。
ドアが開いて、車から女の子が降りて来た。
思わずアッと叫んで、自分で自分の口を塞ぐ。
ユルミじゃ、ない!!
見たことのない女の人。
ロングヘアで20歳くらい。
何処かの制服らしい、エンジのエプロンを着けている。
慌てたように降りてきて、はっとした様子で胸のボタンを留めた。
そのまま住宅街の方へ、急ぎ足で去っていった。
一体、何人出て来るんだ?
全身の力が抜けて、しゃがみこんだ。
もう聞くのも見るのもダメだ。
忘れてしまおう、とりあえず。
あたしの夢は、5時からだ。
それまで待てば、素敵な彼が手に入る。
5時ジャスト。
窓のガラスをノックして、オプティマの助手席に乗り込んだ。
我ながら、小ずるいほどの笑顔が作れた。
れんさんの笑顔がまぶしかった。
まるで今来たばかりのように、涼しい顔。
ばか。
大好き。
死んじゃえ。
愛して。
世界中の愛の言葉と、世界中の呪いの呪文を、あなたに。