軍師あらわる
朝と同じ駅で解散した直後。
あたしは部長に駆け寄り、頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました。
あの‥‥ありがとうございました!!」
言いながら、小さくたたんだメモを手渡した。
そのままユーターンして、帰り道を目指した。
部長と一緒にいた羽賀・久住両先輩が、
「おおっ」
「ラブレターかな!?」と、てんでに声を上げた。
そのあといきなり、高らかな歌声が響いた。
オペラ「乾杯の歌」のサビ部分を、部長が歌い出したのだ。
恥ずかしいので、思い切り走って逃げた。
メモに書いたのは、なんてことはない。
あたしの携帯番号とメールアドレスだ。
こんなものであんなに喜んでくれるのは、部長くらいだ。
一本目のメールが入ったのは、なんと3分後。
『神に感謝、運命に感謝、君に大感謝!
体は張ってみるもんだ! ‥‥緑川 卓』
部長の第2信は、その日の夜9時。
夕食と入浴を終えて一息ついたところを見計らって、携帯に電話がかかった。
「少しは落ち着いたか?」
小声でそう言われ、何の話をするつもりかすぐわかった。
「はい。でも、ひとりでぐるぐる考えてしまって」
「あれだけじゃ終わらないよ」
「‥‥はい?」
「あれは氷山の一角、と思う」
まだ女がいるってか。
「あのモトカノとは、久しく会ってなかった様子だった。
兄上のモトカノとも、キンギョちゃんとも最近だろ?
ここ一ヶ月だけで3人が同時進行してた。
このペースで行くと、さかのぼればどんどん出てくる」
認めたくない。
けど、ありえる。
そうでなければ、お兄ちゃんもあそこまで言わないだろう。
「友達以上、恋人未満。
あいつは上手に手をつけて、上手に待機させてる。
さあ、どうする?キンギョちゃん。
そんな不実な男はきらいになった、と言ってくれれば万々歳だが、すぐに割り切れやしないだろうね?」
あたしは答えに詰まった。
「まだ、はっきりどうしようとかわからないんです」
部長は笑った。
「それでもこの恋愛に参戦するのならね、作戦くらい練らないと勝ち目はないぞ」
「作戦って‥‥見当もつきませんよ!」
「まず、きみは最後の一線を越えてない。
これが一番の強みと思う」
「ええ?逆じゃないんですか?
ひとりだけ肉体関係がないんですよ?」
「男女の仲ってのは、1回最終ラインを越えちまったら、その後は変化に乏しくなる。
セックスだけが好きな男なら、極上の女をひとりふたりキープしとけば、事足りるんだ。
そうじゃなくて、何人でも同時進行させようというんだから、セックスが目的じゃないんだ。
あいつはそこに至るまでのシチュエーション、発展途上を楽しみたい男なんだよ。
いいか?最終ラインを越えるなよ。
そこまでの道のりを長引かせて、相手に繰り返しトライさせた方が、絶対トクなんだ。
言ってる意味、わかるだろう?」
「わ、わかります。
でも、具体的にどうすればいいんですか?
相手がその気になったら、どうやって断るんですか?
殴っても蹴っても逃げりゃいいってもんじゃないでしょう?」
「いや、殴ればいいと思うよ。
中途半端に拒否する方が怖いだろう。
男は少々イヤがるのを強引に征服するほうが燃えるからな。
殴ってでも蹴ってでも拒んで、それで向こうが遠ざかったら、今度は自分から擦り寄ればいい。
触れなば落ちん風情でしかし触れさせず、ってのがいいんだ」
「誘っといて、かわすんですか?」
「まさにその通り」
「悪質ですね‥‥」
「馬鹿言っちゃいけない。
16歳に手を出そうってのが無茶なんだ。
向こうには弱みがある。遠慮なんかいるか」
「はあ‥‥」
ンなこと言われても、一向に出来そうな気にならない。
「それと、高校生で、バージンで。
まあそのへんも、武器に使ったらどうだ?」
「ぜんぜん分かりませんが」
「可愛いことを、いっぱいしてやるといい。
今日、メモをもらって、僕はものすごく嬉しかった。
そういうことでいいんだ。
背伸びせずに攻めろ」
「あの‥‥部長」
あたしは、気になっていたことを聞く決心をした。
「いいんですか?」
「何がだ?」
「どうしてそんなにアドバイスして下さるのかわかりません。
あたしがれんさんとうまくいっても、部長はいいんですか?」
「うーん」
受話器の奥で、バリトンの声が苦笑を帯びた。
「良くはないけどね。
僕としては、やりたいことをやり尽くして、早く諦めてくれればと思ってるよ」
「ぎ、玉砕前提ですかあ?」
「全弾撃ちつくして、矢尽き刀折れて、僕のところに逃げ込んで来てくれればなあと」
「そんなになるまで戦うんですか、あたしは」
「生煮えで諦めると、後悔が残るだろう」
部長は少し口調を変えて、言い聞かせるように話し始めた。
「キンギョちゃんはね、いつもニコニコしてるだろう。
周囲に愚痴とか悩みとか、あまり振りまかないだろう?
そういう子は、全部溜め込んでしまうと思う。
誰も気付かないうちに、自宅で手首切ってたりしそうで怖いよ。
僕はそれが一番つらい」
「部長‥‥」
そうか、ゆきなさんがそうだったんだ‥‥。
「一つずつ、愚痴ったり相談したりする癖をつけて欲しい。
その相手役に僕がなりたいんだ。
コンピューターの相性診断を覚えているか?
あれは結構、当たっている気がするぞ。
君は外でガンガンとアタックして、僕に相談に来い。
どんな内容でも、僕は受け止められると思う。
嫉妬なんかより、ずっとつらい感情があるのを知っているからな」
あたしは返事が出来なかった。
何て言ったらいいかわからなかった。
もったいない。
この人は、あたしなんかにはもったいない。
あたしは馬鹿だ。
どうしてこういう人に惚れないで、れんさんみたいなろくでもない男が好きなんだろう。
「おい。そこで黙るなよ。
返事がないと恥かしいじゃないか」
「恥かしくないです。
部長はすごい人だと思います」
「その通り、すごい馬鹿だ。自分でもあきれてるんだ。
君もあきれてくれていい。
とにかく、一つずつ言って来てくれ。
思い詰める暇がないくらい、行動しろ。
手始めに何をしたらいいか、自分でわかるか?」
あたしは少し考えてから、言った。
「こないだ、れんさんを拒んでからそのままになってます。
今度はそれを埋め合わせなきゃ。
あたしから誘ってみればいいんですよね。
実はまだ、自分から電話したことがないんです。
そこからトライしてみます」
「なんだ、まだ全弾残ってるのか。先は長いな」
部長が明るい声で言って笑った。