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テノールへようこそ

 午前6時のJR在来線ホーム。

 線路にこぼれ出しそうなほど、我が南高の制服があふれている。

 一般の乗客に迷惑が掛からないように、大林先生が走り回っていた。

 「一箇所に固まるな。

  番号順に出入り口が振り分けてある。

  前の番号の者について順に詰めていけ!」


 席は自由席なのだが、事前にプリントで番号が指示してある。

 それを見ながら、順に席を詰めていくと。

 あれれ?あたし、ソプラノを通り抜けちゃった。

 アルトの人に番号を見てもらったけど、あたし、もっと後ろだ。

 とうとう次の車両まで来てしまい、ドアを開けた。


 「キンギョちゃん、ここ、ここ」

 部長が自分の席の隣を指差して呼んでいる。

 4人がけで、もろにテノールばっかりのド真ん中。

 「あのお‥‥部長‥‥」

 脱力感に襲われた。

 向かいの席に座った、羽賀先輩と久住先輩がゲタゲタ笑っている。

 「緑川ぁ。めっちゃ職権乱用だな!」

 「悪いか。使えるものは使うぞ、僕は」

 この車両、テノールが全員集まってる。男子だらけで一般客もビビッている。


 「そんなににらむなよ。

  ソプラノにいたって、息が詰まるだろ」

 部長はまるで気にせず、あたしの荷物を網棚に放り上げた。

 「こういうヤツだから、諦めてよキンギョちゃん」

 羽賀先輩がニヤニヤ笑う。

 仕方なく、部長の隣へ腰を下ろした。


 「オレは歓迎だよ。

  席に女の子いた方が楽しいじゃん。

  他のところも混ぜろや、女子と」

 紫藤先輩に「ゴン狐」とこき下ろされてた久住先輩、部長の足を蹴って言った。

 ああ、これが花井先輩のモトカレ。

 2秒でディープ、4秒で下半身。


 「いいよなー。キンギョちゃん可愛いよなー。

  いっつもにこにこしてて、度胸もあって」

 羽賀先輩が笑いかけてくる。

 「おい、手え出すんじゃないぞ」と、緑川部長。

 「えっらそーに!お前のモンかよ?」

 「そ・う・だ!」

 なんてこと言うんですか。


 閉口して窓の外に視線を移した。

 ところがそこに、とんでもない物を見てしまった。

 あたし、気がついたら立ち上がっていた。

 向かい側のホームに、れんさんがいる!!


 れんさんと一緒にいるのは、昨日のジーンズの女性だった。

 二人の距離が、明らかに昨日より近い。

 れんさんは彼女から大き目の荷物を預かり、自分の肩に担いだ。

 「夕べ待ち合わせてどっかに泊まったな」

 服装が同じだからだろう。

 窓の外に気付いた部長がそうコメントした。


 あたし、力が抜けて座席に座り込んだ。

 れんさんのバカ。

 わかってたけど。

 わかってたけど、目の前で証明されるとショックだ。

 モトカノとは、切れてない。

 あたし、やっぱり最初から蚊帳の外だったんだ。


 ♪ハッピバースデー トゥ ユー

  ハッピバースデー トゥ ユー♪


 あの朝のオルゴールが、耳の中で蘇って来た。

 トラウマになりそうだ、この音。

 あの人とは、お泊り。

 あたしは置き去り、蚊帳の外。

 キスマーク、夕べは何処に付けた?


 いきなり、視界が真っ暗になった。

 部長が自分の学ランを、あたしの頭にかぶせたのだ。

 この季節だから普通は上着は着ないのだけど、ステージ衣装代わりに全員持って来ている。

 「もう見なくていい」

 彼はあたしの頭を、学ランごと自分の胸に押し付けた。

 あたし、また気付かないうちに泣いてたらしい。


 「あっこの野郎!なにやってんだ」

 「こら緑川!こいつ、好き放題しやがるな!」

 羽賀先輩、久住先輩から抗議の嵐。

 なんだか、他の席の男子も騒ぎ始めたみたいな気がする。

 これ、まずいんじゃないだろうか。


 「部長、もういいです。離してください」

 「泣き顔がモトに戻ったら出してやる。

  言いたいヤツには言わせておけ」


 あたしのあせりと裏腹に涙はなかなか止まらない。

 周囲で騒いでる気配が、興奮を助長したのかも知れない。

 泣き声をこらえるのに苦労するほど、悪化してしまった。

 

 列車が駅を出て5分くらいで、大林先生がやって来た。

 「緑川よ。そりゃまずいだろう。

  女子がえらい騒いでてな。

  ソプラノの間壁が、帰ると言い出した。

  みんなコンクール前で敏感になってるんだ、自重しろ」

 

 「先生、かなをさんはショックなことがあって涙が止まりません。

  こんなじゃ、ろくに声は出ないけど、なんとか参加はさせます。

  マカちゃんがショックで歌えないと言うんなら、連れてきて下さい。

  彼女も同じ扱いをしますよ、僕は」


 そんなことを言っても、プライドの高い間壁先輩がのこのこ来るわけはない。

 下手をしたら、ソプラノ全員が出場拒否しかねない。

 泣いてる場合じゃないぞ。

 みんなに迷惑がかかってしまう。

 あたしは部長の手を振りほどいて、立ち上がった。

 

 間壁先輩は、網棚から荷物を下ろしていた。

 ソプラノメンバーのうち数人が同じ作業をしていたから、危ないところだった。

 あたしはヨロヨロと車両に入って行った。

 そして、間壁先輩の胸の中に走りこんで、抱きついた。

 

 「まかべせんぱあああい!!」

 「きゃあああ?」

 「先輩、ひどい、ひどいです。

  どうして助けに来て下さらないんですかぁ!」

 「キ、キンギョちゃん?」

 「最初からソプラノに席が無いし、いじめじゃないですか。

  アルトのオネエサマ方も、騒いでるばっかりで誰も来て下さらなくて。

  部長は離してくれないし、怖かったああぁ!」

 

 胸のふくらみに顔を押し付けて、わあわあ泣いてやった。

 なにしろ今までホントに泣いてたのだから、涙はいくらでも出る。

 まさか演技だとは誰も思うまい。


 「やだぁ、無理やりだったの?」

 「部長ひどいわねえ」

 「キンギョちゃん、可哀想」

 「ごめんねえ」

 屈託なく言い始めたのは、アルトの人たち。

 間壁先輩は無言だ。

 どちらにしても部長に腹が立つのだから仕方ない。

 でも、先輩は部長に面と向かって抗議が出来ないことも計算済みだ。


 「マカちゃん、女子部から抗議しましょうよ。

  部長だからってソプラノの子を好きにいじってくれたら困るじゃない」

 吉行先輩が息巻いた。

 

 「今、大林先生が部長に説教して下さってます。

  それであたし、出て来れたんです。

  間壁先輩、ひとり席でいいですから、この車両に座らせてもらえませんか」

 

 みんなの前で聞かれると、無理が通せないのがプライドの高い間壁先輩の限界だ。

 結局、あたしは無事に席を確保し、騒ぎは納まった。

 吉行先輩が予想外にかばってくれて、ソプラノの風当たりも思ったほどではなかった。

 でも、後悔は残った。

 とうとう部長を悪者にしてしまった。

 

 あたしの心の中には、間壁先輩にキスを仕掛けた頃にはない感情が住み着いていた。

 緑川部長への感謝の念。

 彼は、部内でたった一人になっても、あたしを守ろうとしてくれる。

 れんさんのくれたものとは違うぬくもりを、あたしの胸の中に積み上げつつある。

 

 合唱コンクール、我が校はなんとか県代表に残れた。

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