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立体交差状況

 「気になる?戻ろうか」

 部長があたしを肘でつついた。

 「戻ってどうするんですか?」

 「朝からずーっと詰めてるんなら、昼休みくらい取るだろう。

  あの女と一緒に出て来ると見たが、どうだ」


 「そうだったら?」

 「上手に後をつけて、会話を盗み聞きするか。

  上手に誘って、同じテーブルに着くか、どっちがいい?」

 ‥‥内緒で聞きたい。

 本音を言ってるところが聞きたい。


 部長の読みは正しかった。

 階段の踊り場に半分隠れて見張っていると、れんさんが講義室から出て来た。

 「廉!」

 さっきの女が、後ろから追いかけて来た。

 「廉、いいのね?」

 「いいよ」

 「ホントね?ホントにいいのね?

  わたしずっと待つわよ?」

 「ずっとって、エムの仕事ってどうせ9時より早くは‥‥」

 そのまま声が遠ざかって行ったので、あたしたちは後を追った。


 れんさんたちは、校舎の反対側の階段を使って、下に下りて行った。

 隠れながら追いかけていくと、1階の食堂の前で一瞬、二人を見失った。

 食堂の中に入ったのだと思ってのぞいてみると、女の方だけ見つかった。

 カッターシャツとネクタイという、硬い服装の男と二人でテーブルをはさんで座っていた。


 れんさんが消えてしまった。


 「後で会おうと言ってたな」

 「いつの話かはわかりませんけどね」

 「どうせ今日か明日だろう」

 「何故ですか?」

 「あれがモトカノだとしたらの話だけどね。

  大学生で、キャンペーンガールなんだろ?

  だったら土日はイベントの仕事で忙しい。

  こっちで仕事があったから来て、それが終わったら京都へ帰るんだろう」

 その可能性は高いと、あたしも思う。

 どっちにせよ、まだ縁が切れてないのがわかってしまったのが、ショックだった。


 覚悟を決めなきゃいけない気がする。

 ここであきらめるか、思いっきりドロドロをやり尽くすか。

 ため息ついたあたしに、部長が自販機のコーラを握らせてくれた。

 冷たさで我に返った。


 「あ。おい、いた!」

 廊下の先を指差して、部長が叫んだ。

 実験科学室と書かれた謎の教室の前で、れんさんは女の子に缶コーヒーを渡していた。

 うつむいて受け取った白いワンピース姿に見覚えがあった。

 「茉理さんだ」

 「誰?」と、部長。

 「兄貴の彼女。こないだ別れた‥‥」

 そう、あれは、れんさんの目の前で起こった喧嘩だった‥‥。


 実験室はとくに使われていない部屋で、臨時に資材置き場にされているようだった。

 れんさんは茉理さんを連れて、そこに入って行った。

 「あれはもう手を付けてるぞ」

 部長が囁いた。

 「なんでわかるんですか?」

 「普通、無関係な女性の下半身に手は触れない。

  部屋に入るのに、押したり引っ張ったりするなら、肩か腕だろう。

  さっきあいつ、あの子のどこを押して部屋に入れた?」

 「茉理さんの腰のへんでしたね」

 「そこ、普通触ると怒られないか?」

 ‥‥確かに。

 

 二人は廊下側の壁を背にして椅子に腰掛けた。

 開いた下窓に耳を近づけると、会話が聞き取れた。

 そのままでは不自然なので、床に部長と二人でベットリ座って寄り添った。

 いちゃついてるカップルという設定なら、この姿勢もアリだろう。


 「‥‥電話だとまだ耐えられるんだけど」

 茉理さんが、小さいけどはっきりした声でしゃべっていた。

 「なんだかすごくイライラしてて。

  抱く時も、強姦みたいに‥‥」

 「何か原因を話した?」

 「‥‥はっきりとは言わないのよ。

  でも多分、彼、妹のあやちゃんと何かあるのよ」

 「それは僕もわかる」


 「最初の時、彼ね、ダメだったの」

 「茉理さんと初めての時?」

 「そう。で、すごくわたしをなじったの。わたしが悪いって」

 「八つ当たりだね」

 「ええ。でも、そのあと、携帯の写真をじっと見てるの」

 「あやちゃんの写真が携帯に?」

 「そうよ。それを見て、復活しようとしたのよ。異常でしょう?」

 「‥‥そうか」

 「あたし、妹の身代わりよ?最初の日からずっとよ!

  こんなのやってられないわよ!!」

 茉理さんの泣き声が聞こえて来た。


 どうしよう。

 途中で逃げようとしたけど、逃げられなかった。

 部長に全部聞かれてしまった。

 部長もあたしも、身じろぎも出来ずにいた。

 カモフラージュのためにあたしの肩に回した部長の手が、じっとりと熱くなっていた。


 「‥‥部長」一番小さな声で、あたしは言った。

 「この話、忘れて下さい」

 「あとでそうする。事実なのか?」

 「‥‥兄貴の気持ちなんか、あたしには解りません」

 「思い当たるのか」

 「兄貴はビョーキです。それは知ってます」

 「何かされたことがあるのか」

 「忘れました」

 「‥‥わかった。僕も忘れよう」


 れんさんが、泣いてる茉理さんを慰める声が続いていた。

 この声を、あたしは知ってる。

 あたしもたくさん聞いてもらった。

 聞くことで、心の枷を取ってもらった。

 れんさんはとても上手に人の話を聞く。

 そして取り除いた重荷の代わりに、上手に恋心を置いていく。

 隙を突いて、ふらりと体の中まで入って来る。

 茉理さんもそうやって、入り込まれてしまったんだろう。


 部長は、別れ際まで肩を抱いていてくれた。

 大学構内を出て、長い坂を降り、バスに乗る瞬間までだ。

 そうしないと、あたしはふらふらして危なっかしく見えたんだろう。


 「おい。明日は朝6時集合だぞ。遅れず来いよ」

 バス停で、部長はあたしの肩をパンパンと叩いた。

 「歌なんて歌いたくない‥‥」

 あたしは愚痴っぽくゴネて見せた。

 

 「歌は歌え。悲しい時にこそ、歌え。

  僕は死ぬ瞬間まで歌ってやるぞ。

  声を出すことで、救われるって信じてるんだ。

  今夜は早く寝ろ。

  きっと思いがけずいい声が出る!」


 あたしは部長の顔を見上げた。

 そうだ、この人は、恋の後悔に死ぬほど苦しんだ人だった。


 「僕は今日は役得だった。

  キンギョちゃんの肩を、30分も抱けたからな。

  明日は雄雄しく歌いまくってやるぞ!」

 あたしがバスに乗り込む時、部長はそう言ってガッツサインをした。


 

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