あたしのツボ
“7時まで公園横にいる”
れんさんのこのメールは、定型文だ。
勝手に待って、時間になったら勝手に帰る、と言っている。
いちいち気を使うな、と言っている。
れんさんらしい。
その日、あたしは6時半に公園に行った。
時間前なのに、れんさんは車を移動しようとしていた。
あたしの姿を見て、あわてて戻って来た。
「何かあったんですか?」
車に乗り込みながら聞くと、
「前にすごいのが停まっちゃったから」
すぐ前に縦列駐車している車をあごで示した。
うわ。確かにすごい。
ガラスに、足の裏がべったり見えてる。
つまり、中で踏ん張っちゃってると言うことで。
どういうカッコになってんだ、これ。
スモークガラスで中は見えないけど、声と振動は丸わかりなんだよねえ。
夜というには早い時間帯なのに。
車内で盛り上がっちゃってるカップルというわけですね。
「さすがに後ろに停めとく気になれなかった」
れんさんは苦笑して、車をスタートさせた。
「れんさんのモトカノって、同級生の人だったですか?」
近所のファミレスで、カフェオレを前に、あたしは聞いてみた。
「そうだけど、なんでわかる?」
「卒業と同時に別れるといったら、そうかなって。
相手の方は、今どうされてるんですか?」
「‥‥ミス・ベーコン」
「はい?」
「彼女、京都の大学に行ったんだけどね。
向こうでキジマハム主催の美人コンテストで優勝して、キャンペーンガールになったと連絡が来た」
「それが、ミス・ベーコン?」
「あぶらギッシュな名前だろ?」
「じゃ、美人なんですね!」
「美人、じゃなかったンだけどね」
「じゃなかった?」
「ちょっと太目を気にしてる、普通の子だった。
それがね、11月ごろ別れ話が出て。
その時言ったんだ、捨て台詞みたいに。
『別れたら、あたしすごーく綺麗になってやる。
道で会っても誰だかわかんないくらい、美人になってやる!』」
「れんさんがふったんだ」
「さあ‥‥どっちかなあ。
お互いもう、恋愛のパワーが落ちてたしね。
進路決まった時点で、遠恋は無理ってわかってたし」
「なら、11月で別れたの?」
「いや、もう少しぐずぐずして。
なしくずしにくっついたり離れたりしてるうちに、受験で学校来なくなるだろ。
で、卒業式で久しぶりに会ったら、見違えた」
「ダイエットしたのね」
「受験しながら、エステも体操もやったらしい。
『女は、復讐が原動力になれば、なんだって叶えられちゃう』
そう言われたよ」
「キレイになった彼女見て、やりなおしたくならなかった?」
「‥‥なった」
胸が痛んだ。
それこそ、彼女の思うツボだったろう。
「勝ち誇ったように断られたよ。
女の子は怖いね。
あの一瞬だけのために、彼女は頑張ったんだ」
「わかる気がするわ、そのキモチ」
「オトコはまずやらないな。
例え頭で考え付いたとしても、ね」
「でもれんさん、別れたはずなのに、どうして連絡が来るんですか?」
「さあ。」
れんさんは、お手上げ、という仕草をした。
その恰好のまま、彼は静止した。
窓から見える駐車場の様子に、釘付けになった。
「どうかした?」
「さっきの車だよ。
足の裏の主が降りて来るぞ」
あたしも思わず身を乗り出して、窓の外を見た。
確かにさっきのスモークガラスの車。
「デートコースが同じってのが、ムッと来るね」
れんさんが言った時、ドアが開いて、中の二人が下りてきた。
「おいおい、制服じゃないか。大丈夫か。
女子高校生だ。いいのかあれ」
ちょっと!かんべんしてよ!
またあの女だよ‥‥ユルミ。
ユルミと連れの男は、店に入って来た。
ユルミの今日の相手は、背広を着た30歳前後の男だった。
どうしたって、エンコーにしか見えない。
ただ、ユルミの辞書に恋愛と言う文字がないとしたら、エンコーとデートの違いもほとんど意味を成さない。
「あ〜!あやちゃんだあ。
よく会うねえ〜!」
会いたくね〜!
ユルミは親しげに寄って来て、図々しく同じ席に座ろうとした。
背広の男が困ったように、ユルミの腕を引っ張って止める。
もともと会いたくなんかないけど、今日は特別強烈にいや!
まず、れんさんをユルミの鼻先に出したくない!
ヨダレたらして欲しがられたらたまんない。
次に、違う人といるとこばっかり見られるのがイヤ。
ミント。緑川部長。れんさん。
ユルミの眼から見たら、あたしも相当手当たり次第に見えるんじゃないか?
「こんにちはあ!近藤です!」
ユルミはれんさんに挨拶した。
小学生みたいな挨拶だ。
「広瀬です。‥‥もしかして、ユルミちゃん?」
れんさんの台詞、後半はあたしあてだ。そうだとうなずく。
「広瀬、何さんですかア?ワタシ、ユミです」
「廉です」
「もしかして、ハーフですかあ?」
「違うよ。これでも、カケラも混じってないそうだ」
「ちょっと!ゆみちゃん!」
連れを放り出して、れんさんに興味を示すユルミを、あたしは牽制にかかった。
「ミントはどうしたの?
あんたんちに転がり込んでるはずでしょ?
なんで学校に出て来ないの?」
「ネギちゃん?帰ったよお〜」
「帰った?」
「3日くらい前かなあ。
でも、風邪で熱あったし、なおったら行くんじゃないのお?」
「風邪ねえ‥‥」
どうせ、服着る暇もなかったろうさ。
その時、ユルミがれんさんの方をみて、クスリと笑った。
「あやちゃんってさあ、案外‥‥」
思わせぶりに声をひそめる。
面食いね、と言われるかとかと思ったら。
「コエデイク?」
ユルミは謎の台詞を吐いた。
一瞬、“恋で浮く”と聞こえたので、ドキッとした。
「‥‥何て言った?」
「コエデイクでしょ」
ユルミが繰り返した。
もう一度聞き返そうとしたが、背広の連れがせかすので、ユルミは別の席に移って行った。
漕いで、行く?
声で、行く?
どう考えても、「声で行く」だよね。
しかも、れんさんを見て。
「あ!まさか!」
あたし、いきなり赤面した。
そうよ。あのユルミの言うことなのよ!
「あやちゃん、なんか大人しくなったね。
ユルミちゃんに、何か言われた?]
車に乗り込んだ時、れんさんに聞かれた。
とっさに返事ができなかった。
聞かれた途端に、子宮に直撃を食らったのだ。
ユルミは正しいかも知れない。
「声で、イク」
あたし、れんさんの声に反応してる!!
前回ユルミに会った時、あたしは部長と一緒だった。
部長の声は、あの通りの美声だ。
それでユルミは、あたしが声フェチかとからかったのだ。
残念ながら、部長の声にはあたし反応しないけど。
その代わり、お兄ちゃんの声には反応する。
ボソボソした、低めのテノール。
昔から、この声で“来る”のがあたしの悩みだった。
れんさんの声は、普段ごくありきたりのテノールだ。
ただし、イントネーションの加減で、低音だけかすれる特徴がある。
このザラついた一瞬の低音が、時々モノすごくセクシーなのだ。
あたし、やっとわかった。
この低音に、あたしの子宮は反応してるんだ。
わかったところで、ショックを受けた。
なんて動物的なの?
なんて下品なの?
ロマンのかけらもない。声聞いてイッちゃうなんて。
しかもユルミに言い当てられるなんて。
あの女と同じ次元で反応!?
やだやだ、勘弁して!