桃色のウソ
「そうか。決心がついたか!」
部長は手放しで喜んでくれた。
あたしはわざと、部室でみんながいる時に、部長に話したのだ。
定期公演のアカペラ、やらせて下さい!って。
ソプラノの中でヒソヒソ話が始まる。
間壁先輩が、にらみ殺しそうな顔でこっちを見る。
こわいけど、もうあとには引けないぞ。
あたしはわざと、さりげなさそうに部長に顔を寄せる。
「もう曲目は決まってるんですか?
譜読みが苦手なんで、楽譜が早めに欲しいんですけど」
「帰りに渡すよ」
「“想”は勘弁して下さいね」
最後はヒソヒソと秘密めかして見せた。
みんなの視線を浴びながら。
“めエ〜♪”
来たッ!
ものすごく間抜けな音が、音楽室を沈黙させた。
部員の視線がキーボードに集中する。
あたしもそちらを見るふりをして、間壁先輩の様子を確認。
やっぱり。
ポケットに手を突っ込んだまま、凍りついてる。
「何あれ」
「ヒツジ?」
いぶかる声が広がる。
吹き出しそうになるのをこらえるのが苦しかった。
一番おバカな音のする音源を選んだのだ。
他人の動揺を観察することで、自分の心は落ち着いてくる。
相変わらず、入るところのないソプラノの列。
「間壁先輩、隣に立ってもいいですか?」
大きめの声で、言えた。
先輩は、何を言ってるんだという顔をした。
「隣で歌わせて下さい」
「あなたの場所があるでしょう?」
「先輩の隣がいいです」
「ふざけないで。自分の立ち位置が決まってるでしょう?」
「戻らなきゃ、いけませんか」
「さっさと戻りなさいよ! 練習が始められないじゃない!」
あたしは、列の正面に出て、大声で言った。
「足立先輩、高屋先輩。
お二人の間に入るように、間壁先輩がおっしゃってます。
よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた。
足立・高屋両先輩は2年生だ。
二人は目を剥き、まず顔を見合わせた。
それからおどおどと間壁先輩を見た。
全員の前で許可した手前、間壁先輩も入れるなとは言えない。
「足立さん、高屋さん、いいですか。
もう始められますか?」
久しぶりに助け舟を出してくれた緑川部長は、あきらかに笑いをこらえていた。
ものすごく変なムードだったけど。
とりあえず練習は無事終わった。
部員がてんでに音楽室を後にする。
「かなをさん、ひとまず2曲分渡しとくよ」
うまい具合に、部長が呼び止めてくれた。
「うわっ、高いですねえ。 ソ♯がこんなに」
「シャウトだから出るよ」
「全部英文なんですか?」
「英語、苦手?」
「いえ、なんとか平気です。
この矢印は、アルトと交差ですか?」
なるだけ会話を長引かせる。
そっと後ろを見る。
案の定、間壁先輩は残っている。
ソプラノのパート名簿か何かを整理するふりをしていた。
音楽室が空になるのを、じりじりしながら待っている。
あの音源を、確かめるつもりなのだ。
「部長」小声で言った。
「協力してくださいね、いろいろと」
「だいたいわかってるよ。まだ残る?」
「はい」
「がんばれ」
部長が出て行ってしまうと、間壁先輩とあたしの二人きり。
先輩は、あたしがいつまでもいるのでいらいらしている。
「間壁先輩」
近づいて行って、話しかけた。
さあ、ここからが肝心だ。
「勝手な真似して、申し訳ありませんでした」
「なんのこと」
「公演のソロを引き受けた事です」
「あたしに関係ないわ。さっさと帰りなさいよ」
「怒ってらっしゃるんですね」
「忙しいのよ」
「先輩みたいに、歌いたかったんです」
間壁先輩は、はっとしてあたしの顔を見上げた。
「あたし、間壁先輩に憧れて入部したんです。
クラブ紹介のステージで、“菩提樹”を歌われたでしょう?
2番が、各パートからソロが出て、凝った四部合唱になって。
あの時の間壁先輩の声がすごく素敵で、眠れませんでした。
いつか先輩みたいに、ソロが歌えたらいいなって‥‥」
自分の自信作を誉められて、いやな気がする人はいない。
憎しみと相反する感情を持て余してか、先輩は無言だった。
「やっぱり先輩、あたしのこと嫌いなんですね‥‥」
泣きそうな声を出して言った。
顔を上げた先輩の表情は、ちょっと気味悪そうだった。
「何を‥‥くだらない事言ってるの」
「くだらなくないです。
あたし、真剣です。先輩の事好きなんです。
友達はただの憧れだって言うけど、あたしは恋だと思います」
「変な事言わないで、キンギョちゃん。
悪いけど私にそっちの趣味は‥‥」
「わかってます。あたしがビョーキなんです。
あたし、男の子、ダメなんです」
「え‥‥」
ちょっと疑いのこもった目で、先輩はあたしを見た。
じゃあ部長の事はなんなのよ、と思ってるんだろう。
「今まで誰にも言った事がなかったんですけど‥‥。
あたし、兄貴に乱暴されたことがあるんです。
それ以来、オトコの人全然、怖くてダメで‥‥」
ウソをつく時には、真っ赤なウソじゃ、すぐばれてしまう。
真実を混ぜ込んだ、桃色のウソをつけ。
何かの小説に書いてあったのを思い出した。
お兄ちゃんには悪いけど、こっちも捨て身でやってるんだ。
「男の子なんか、えっちすることしか考えてないです。
気を許すとどこまでも入り込んで、人のことをめちゃくちゃにするんです。
オトコなんて、嫌いです!」
ここであたしは、れんさんの顔を思い浮かべた。
計画的に、だ。
昨日の今日なので、悲しみをフィードバックさせるのは簡単だった。
あたしの目に、涙がじわっと浮かんで来た。
うん、これはうまくいった。
あたし才能あるかも。
もしも合唱部にいられなくなったら、演劇部でやって行けるわ。
「わかったわ。わかったから落ち着きなさいよ」
先輩は仕方なく立ち上がって、あたしの肩をポンポン、と叩いた。
あたしはその手をつかんで、自分のほおに押し当てた。
「やめてよ」
先輩は気味悪がってふりほどいた。
「ごめんなさい。
でも、もうガマンできなくて」
「だから!私にその趣味はないんだってば!
嫌ってるわけじゃないから、変な事はやめてちょうだい」
「はい」
あたしはハンカチを出すふりをして、ポケットの中の物を操作した。
“めエ〜♪”
キーボードに付いている、マスコットが鳴いた。
れんさんは、あたしにも一つ、リモコンを買ってくれたのだ。
間壁先輩が顔色を変えた。
その手が自分のポケットを探った。
今だ。
あたしはその手を押さえつけ、先輩に抱きついてキスした。