八.霊能力の仲間
どこか遠くから聞こえてくる。
──……天津神 国津神 八百万の神達共に聞召せと恐み畏み白す
これは、禊祓詞だ。
玲子はぼんやりしていた意識を取り戻し、ゆっくりと目を開くと、
「気づきましたか?」
見知らぬ顔が覗き込んできて、ハッとする。
気づけばどこか木陰のあるベンチに横たわされていた。ブランコやシーソーの遊具や可愛くないパンダの乗り物があることから、天守閣がある山頂を下りた麓の広場だと分かった。
「……あなた、通信の生徒?」
おそらく生徒だろうとは思ったものの、相手に注意を払いながら玲子は問う。
「はい、一年の正剛清隆です」
どっかの武将のような名前だ。外見も名前負けせずに#恰幅__かっぷく__#良く雄々しい。ほほぅ。といった感じに玲子は拝み見る。だが、顔は男子高生らしく初々しかった。
「今のお祓いは……正剛が? もしかして実家、神社とか? あ、私は三年の里見玲子。実家が神社なの」
「いえ、俺は独学で少し身に付けただけです。里見さんのことはよく耳にしてます。……気分、やっぱり良くならないですか?」
自信のない顔で心配をしている。
「ううん、だいぶ良くなってきてるよ。帰ったらきちんと祖父に祓ってもらえるから、大丈夫」
笑ってみせたが、内心では独学とは思えない力に驚き、負けた……完敗だ。と、神社の娘を名乗った事を恥ずかしく撤回したくなった。どこかに穴はないかと探す。
「今、工藤先生が学校まで車取りに行ってますから。駅まで送ってもらうといいですよ」
「ゲッ」
「ゲッ?」
「いや、なんでもない……」
すっかり忘れていた記憶が蘇ってきて青ざめる玲子に、「頭痛とかしませんか? 熱覚ますシート貼ります?」と、正剛は救急箱の中身をゴソゴソと確認して優しく気遣ってくれる。
「じゃあ城の上で九字切ったのも? 女霊はどうなったの?」
「はい、九字護身法を使ったのは俺です。退治は何とかできたんですけど、霊魂そのものの浄化を行う余裕はなくて……すみません」
「いや、別に謝らなくても。あれは、そう簡単に浄霊できるレベルじゃなかったし。工藤は? あの時……」
「……何が起こったのか、よく分かっていないみたいですね」
「だよねぇ」
やはり何一つ霊感のない体質のようだ。しかしあの時、
──ゆいこ
そんな名前を工藤が口にしたのを玲子はを思い出す。まさか女霊の名前ではあるまい。名前を呼んだという事は知り合いなのだろう。だが、あの場に他に人はいなかった。
玲子が何かを探っている様子を正剛は黙って窺っていた。あの場に居合わせた正剛もまた、不可解な現象を目にしていた。意識がしっかりとしていた玲子ならば正確に視えていただろう──あの白い霧のような謎の物体を。
うーん。と、玲子はまだ鈍く重い頭を抱えた後、
「なんで独学なんかしてんの?」
自慢の注意散漫な思考で話を飛ばした。正剛は拍子抜けて、「えっと、それはですねぇ……」と言葉を迷わし、自身の生い立ちを頭の中で軽く整理整頓してから説明に入ろうとしたところへ、
「何を仲むつまじくおしゃべりしてんだ?」
少々、息の上がった声を出して工藤が戻って来た。フゥと息をついて、ベンチの隣にある切株の形をした椅子に「よいしょ」とオッサン臭い仕草で腰かける。正剛も先程から、そのいくつかあるキノコの椅子にちょこんと座っていたのだった。
ここで突如、玲子の眼が鋭く光る──何かを発見する。
それを見て、工藤は再び息をつく。そして手に持った〝昔なつかしい〟がうたい文句のアイスクリンを「ほら」と手渡した。玲子はすかさずかぶりつく。
「……まったく。倒れたのは腹減ってたせいもあるだろ? 幸せそうに食ってやがるし、もう大丈夫そうか?」
工藤はもう一つのアイスクリンを正剛に差し出しながら、容態を尋ねる。
「いえ、このアイスの効能はおそらくすぐに切れるかと……あ、俺はいいです」
倒れたのは邪気に生気を奪われているためなので祓いが必要だという内容は正剛は伏せて話し、アイスクリンを手で断った。
「だな、アイスのためにゾンビのようによみがえっているだけだな、まだ顔色が悪い。なんだ、アイスいらないのか? 生徒のひいきはしたくないから、食え」
教師にそんな事を言われては断れず、「いただきます」と受け取る。そんな二人のやり取りの間にペロリと食べ終わった玲子は、携帯で時刻を確認した。
「家はこっから車で一時間くらいか?」
と、聞きながら工藤も腕時計を見た。
「えぇ、そうです。今日は電車だけど……今ちょうど発車しました」
実家の最寄駅までの電車は一時間に一本しかないという、ド田舎ぶりだ。玲子は「あと一時間、寝ます」と言って、うな垂れるようにベンチに横になった。
工藤は隣でアイスクリンを完食するのにやたら手間取っている体格の良い男子生徒の姿を珍妙に観察したのち、立ち上がる。
「よっし、おまえらチャチャッとまとめて送ってくぞ!」
気合い一発言ったも、
「あ、俺すぐそこの総合病院に用があるんで、結構です」
秒速で消沈させられる。
「え、総合病院って、どこか悪いのか?」
「あ、いえ。祖父が入院してるんですけど、二時から始まる二時間テレビドラマの再放送がどうしても見たいって言ってて……テレビカードを買いに行ってあげなきゃいけないんですよ」
「なんかめっちゃ地味な用だな。てか、おまえの早退の理由ってそれか?」
玲子が上体をムクッと起こし、
「先生、お年寄りにとったらテレビはまだまだ生きてく上で重要な物なんです! 特に起きてる時間帯に放送されるお昼のワイドショーとドラマは! ……正剛、おじいちゃん、大丈夫なの?」
工藤をピシャリと一喝したのち、正剛の祖父を優しく気にかける。
──こいつ、送ってやるのやめようか。と、どことなく疎外感からそんな気持ちに工藤は駆られたのだった。
口は立ったが足元はまだふらついている玲子は、正剛の肩を借りながら(工藤の肩は絶対に借りず)城の裏門にある工藤の車を置いた駐車場までへとやって来た。
「里見、やっぱり送ってく前に病院へ寄るぞっ。ちょうどそこの総合なら救急もやってる。正剛と一緒に、ほら行くぞっ」
「いーえ、だから結構ですって、ただの虚弱体質ですから、大丈夫です!」
と、玲子は工藤の言いつけを頑なに断り続ける。
邪気にやられた体にはお祓いしか効果がなく、病院へ行っても付ける薬はないからだ。
押し問答の末、工藤は病院へ連れて行くのを諦めて、このまますぐに自宅へと玲子を送って行く事にした。
玲子は工藤の乗用車の助手席に乗り込むや否や、
「暑い」
車内はサウナのようになっていた。
まずエアコンのスイッチを強に設定して、最初は熱風が吹きそうな噴き出し口を上に向けてからシートに倒れ込み、エンジンがかかるのを玲子は待つ。
──なに、この用意周到? と工藤は思ったが、洒落にならない暑さにエンジンキーをすぐに差し込んで回した。
「正剛、今日はすまなかったな。病院、間に合うか? 乗ってくか? あそこらの道、ゴチャゴチャしてるからな、おまえなら走った方が早いか?」
「はい、走れば余裕で間に合います」
冗談のつもりで言ったが、本気で走り出しそうだ。
「そうか、じゃあ気をつけな。おじいちゃん、お大事にな」
「はい、ありがとうございます」
律儀に一礼すると踵を返して、本当に走って行った。