七.女霊退治
広場をフラフラと歩いていると、
「おっ、玲子ちゃん!」
地井の大きな呼び声に足を止める。
「お弁当、まぁだ? こっちいらっしゃい」
白川や他の十代の生徒たちも一緒にいた。もはや学校の遠足ではなく、家族揃っての行楽に見えた。
「もしかして気分悪いの? 顔色悪そうやけど……」
一年の時から具合を悪くしやすい事を知っていて(霊的ものが原因だとは知らないが)、いつも気に掛け心配してくれる白川だ。
「いや、大丈夫だよ」
「なんかあったら、オッチャンに言うんやで!」
そう言ったオッチャンは、ガテン系だ。確かにそこらの教師よりも頼もしいかもしれない。
玲子は苦笑して、「ありがと。でも私もうちょっと向こうの方で食べるよ」そう言って、お誘いを軽く断り、他の生徒達から少し遠ざかった。
適当な木陰がある場所を見つけて、その下にしゃがんで座り込むと、フゥー。と、大きく息を吐き出す。
結局は視たところ、大きな問題はなかった。消耗してしまった体力と精神力も少し休めば回復できそうだった。
ただ──工藤はまだ視れていない。一斉に広場で霊視のつもりが、最後尾にのこのこ上って来たせいだ。が、それは言い訳で本当は視る勇気がなかった。
(あいつにはきっと何かいる)
だが、何が視えても今の玲子には浄霊する力はないのだ。それに、平気そうな本人自身を見る限り、ただの守護霊などの類の可能性が強い。このまま放っておいて様子見でも良さそうに思えた。
工藤からもらったエネルギーチャージのゼリーを十秒で吸いつくすと、目を閉じて心身を休息させる。日差しがきつくて初夏を感じさせる暑さの木漏れ日の中、しばしウトウトとしていると……お約束のように、そいつは現れる。
「んなとこにいやがったか」
パチッと目を開けば工藤の顔。
「……なんですか?」
「なんで、じゃない。ふにゃけた顔でお昼寝している場合じゃないぞ。もう少ししたら広場に集合だ」
そうである。春の遠足という名において、修学指導というよく分からない話し合いが班ごとに分かれて行われるのだ。
ふにゃけた顔とは何だ。と、玲子は文句を言いかけて、ジュルリとよだれが垂らしかける。見られたかもしれないと思うと急に恥ずかしく、スクッと立ち上がる。そして逃げるようにスタスタと歩いていく。
「おい、どこ行く」
「集合までにまだ数分時間あります」
腕時計で確認して言うと、広場の周りをぐるりと囲っている柵へと近付き、それをヒョイッと身軽に乗り越える。
「おいっ?」
玲子は城下を見下ろした。建ち並ぶビルや電車、道路を走る車が、まるでミニチュアみたいに動いている。遠くに山々と海が広がっているのが一望できた。少し、殿様気分を味わい優越感に浸ってみる。
「里見! 危ないから戻れ」
「大丈夫ですよ、落っこちたりしません」
柵の外側は崖ぶちまで一、五メートル程の幅があった。
「……戻りなさい」
聞いたことのない生真面目な低いトーンの声に、玲子は後ろを振り返る。いつものへらへらした顔は消えていた。真剣さを帯びて向けられている眼差しに、思わず玲子は怯み、おずおずと大人しく従って柵の内側へと戻る。
「いい子だ」
と、すぐに元通りの顔だが、何だか子ども扱いされた言い方が玲子は気に入らなかった。
「教え子に万が一、何かあったら、俺は首吊らなきゃいけないからな」
「いや、そこまで責任取って頂かなくてもいいです」
ピンッ
「──っ」
いきなり指先で軽く額を弾かれた玲子。
「先生の生徒愛を見くびるんじゃないぞ」
その愛する生徒にでこピンする教師を意味も分からぬまま、玲子はおでこを押さえて前方を先行く工藤の背中を恨めしく睨みつける。
いつしか二人は天守閣の裏側を迂回する形となり広場へと向かっていた。
──ズキッ
突然、玲子のこめかみに痛みが走った。痛みはすぐに頭全体に広がり輪がかかったように締めつけられていく。体全身には鉛のような重みがのしかかってくる。……嫌な予感は通り過ぎて、これは間違いがなかった。
(……なんで)
そういえば、去年も一昨年もこの場所には来ていない。それでは気づくはずもなかった。
恐る恐る向けた目線の先に姿を現わしたのは──白い着物姿を身に纏った女の邪霊。垂らした長い黒髪の間から蒼白の顔面にギョロリとした白い目玉が覗く。
「ぎゃー! 出たー! 一番嫌なやつーっ!」
いきなり雄叫びを上げた玲子にビクッと工藤が肩をはねらす。
「な、なに?」
日本人なら誰もが怖がること間違いなしの容姿をした、まさしく〝幽霊〟だ。背景の城にとてもマッチングしている。
玲子の存在に気づいた女の霊は、ゆらりと全身から霊気を立ち上らせた。ドロドロとしたどす黒い怨念がひしひしと伝わってくる。もはや相手が敵か味方かさえも判断できないくらいに、女霊は狂ってしまっていた。
(どうする……っ)
動揺している間にも生気が吸い取られるよう奪われていく。玲子は膝をガクリと落とした。
「おいっ、大丈夫か? 今日はどうした? 具合悪いなら病院行くか?」
もしも救急車を呼んで逃げられるならばそうしたい気分だ。しかし、例によって工藤は全くの平気だ。
リュックの中から清めのためのペットボトルを取り出そうとするも、正午の強く照りつける直射日光のせいか、目が眩んで視界がぼんやり暗くなっていく。
工藤はズボンのポケットから携帯電話を取り出して他の教員に連絡を取ろうとする。が、その間に霊女から放たれた霊気がこちらに向かい襲いかかる。何かを察知してハッと顔を上げた工藤──体から白い何かの物体が浮かび上がった。
「由衣子──?」
何? 誰? 遠ざかる意識の中、工藤が小さくこぼした誰かの名を玲子は遠のく意識の中で耳にする。一体何が起こっているのか。暗闇の中、みえない。
霊女とそれが真っ向っから衝突しようとした時──、
──臨・兵・斗・者
今度は知らない誰かの声だ。
──皆・陣・烈・在・前!
唱えて手刀で力強く切り下ろされる。
霊気が閃光を発して放散すると共に、女霊は苦悶の悲鳴を高く上げる。体は散り散りに裂け、命からがら逃げるようにして消え去っていった。
ほんの一瞬の出来事。謎の白い物体の姿も、もうない。
「……おまえ、正剛?」
そこに勇ましく仁王立ちしている男性生徒の名を工藤は呼んだ。
「はい、そうです。大丈夫ですか?」
「俺はな。って、何が起きたんだ? 何してんの、おまえ?」
事態を丸っきり握できないでいる工藤をチラッと横目で盗み見した正剛は、状況説明を省いて玲子の方を気に掛ける。
「この人は、里見玲子さんですか?」
「え、あぁ。このお方は里見玲子様じゃ」
冗談を口にした工藤の腕の中で、玲子はぐったりとして、うーん。と、唸っていた。体に力が入らず、何が何だか思考がぐるぐると巡り巡っていた。
「貧血を起こしてる感じですね」
「あぁ、この暑さの中、熱中症じゃくてな。とりあえず下に連れてく。ちょい待てよ、他の先生方に連絡入れっから」
工藤が携帯電話を耳に当てたところへ、天守閣の向こう側からゾロゾロとやって来たのは、梨奈と体育教諭だ。
「玲子見ぃーっけ! って、ほら伸びてんじゃーん」
梨奈が呆れて心配をしつつも、なぜか楽しそうに笑っている。
「工藤先生、もう全員集合してますよ。どこ行ったかと思えば……あらら、里見さん。相変わらず今日も大変ねぇ」
いつもこうなのか? と、工藤は軽く汗を流しす。
「すいません。今、連絡しようとしてたところです。里見をですね、取りあえず下まで運んでですね、それで……」
「玲子ちゃん!」
そこへ、どこからともなく出没した地井が工藤の連絡事項を遮り、
「よっしゃあ! オッチャンが下までおぶってっちゃるけん、任せとき!」
気合いを入れたものの、すかさず工藤と体育教諭に「行事に戻って下さい」と制御される。
「ほら、正剛も戻れ」
振り向けば、ヒョイッと玲子を軽々しく抱き上げた正剛だ。
え? と、フリーズしたのは工藤のみ。梨奈が口元を押さえて吹き出しそうなのを必死に耐えている。
「俺、授業早退しますんで。里見さん、下まで運びます」
「ちょっ、ちょい待てッ! あっ、後の事お願いします!」
颯爽と立ち去る正剛を慌てて追いかけ、上って来た時の石段ではなく、滑り落ちて転倒しそうなほどの急斜面の坂道を一気に下った。