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四.目生神社の娘

 学校から駅までは徒歩十五分の距離にある。そこから電車に乗って揺られ続けること約四十分間。駅のホームへ降りて改札口を抜けると──


「玲子ー」


 白髪で肌が少し浅黒く眉がキリッと凛々しい顔立ちの老人男性が玲子の名を呼んだ。


「じーちゃん、お待たせっ」


 玲子の祖父が迎えに来て待っていた。最寄駅と家の距離は車で十分程。いつも祖父が送り迎えをしてくれている。正直、車通学した方が手っ取り早いが、今日のような日があるので、心配されてなかなか許されない。加えて、玲子の運転が荒々しく危なっかしいせいもあった。技術力はあるはずなのだが、同乗する者は安心していられない乗り心地だった。

 車の助手席に乗り込むや否や、


「あー気分わるーい……じーちゃん、御神酒ある?」


 そう言いながら、なぜかダッシュボードに入っている御神酒が入った瓶を取り出すと、それを当たり前のように口に含んだ。……玲子は車の免許取得をできる年齢だが、まだ未成年である。

 御神酒を三口に分けて頂くと、玲子は全身からエネルギーが満ちてくるのを感じた。血が体を巡って顔色も徐々に良くなっていく。


「あぁ、生き返るぅー」


 仕事帰りにビールを一杯飲んだサラリーマンのようにプハーと息を吐く。玲子にとって御神酒は栄養ドリンクのようなものだ。もちろん、普段は飲んだりしない。


「何じゃ、久しぶりに視たんか? そりゃあ、いかん。あとでお祓いもしておかねばのぅ」


 邪霊を見つけたならば見逃さずきっちりと祓う神主の祖父だ。が、玲子のようにはっきりと視える強い霊感はない。なので、玲子に指摘されるまで気づかない事も多々ある。そんな時、決まって「神主とて人間だ」と開き直って言うのだった。


「今日、晩ご飯はお惣菜でいい? 帰って作るの面倒。ちょっとスーパー寄って。えーと、明日は今日予定だった塩サバ焼くとして、明後日は……」


 ブツブツ言って、玲子はまるで主婦のように頭の中で冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を考え始める。こう見えて家事全般はできる。子供の頃からずっと家事手伝いをしてきたからだ。というのも、玲子は祖父母と三人暮らしで、両親は交通事故で亡くなってる。高速道路での悲惨な事故だったが、同乗していた玲子は奇跡的にも無傷で助かった。だが、それもまだ玲子が物心がつく頃の話であり、玲子にとっては祖父母が両親同然のようなものだった。


「ねぇ、明後日、何食べたい?」


 リクエストを尋ねると、


「カレー」


 と、一言。

 とりあえず、カレー。という工藤のプロフィールを思い起こされてしまい、なぜか顔をしかめる。男とはカレーというメニューしか知らないのではないだろうか。「またカレー?」と、玲子は不服に文句をつけた。 

そうこうしている内に、車は国道を抜けて実家のある町内へと入った。玲子の住む町は少々辺ぴな土地である。遠くを眺めれば山々が囲むようにあり、その下には見渡すが限り田園が広がっている。その中にポツポツと民家があった。間違いなく〝ド田舎〟だろう。だが玲子にとっては、この大地と草木の匂いが香る生まれ育った土地が好きだった。

 玲子はスゥと深く息を吸い込む。


(うん、今日も清浄)


 この地にすまう神々を鎮魂しているのは目生神社だ。空気が淀みなく澄んでいるのは穢れがないのを意味している。心身を癒すように何度か深呼吸をした。

 近所のスーパーへと寄り、買い物をサッと済ませてようやく家に着くと、ドカッと玄関の上がり端にバッグとスーパーのレジ袋を三つを置く。そして再び両手に提げて台所へと向かうと、祖母が流し台に立ち米を研いでいた。


「あら、お帰りぃ」


 丸くふっくらした頬の祖母は、まるで恵比寿様のような笑みで、お迎えした。


「まぁ、ようけ買ってきたねぇ」

「ほとんど、じーちゃんのだよ」


 スーパーのレジ袋三つ分の内、二袋には、ジュースとお菓子と菓子パンで埋め尽くされていた。

 たまにしか一緒に行かない祖父をスーパーへと連れて入ると、いつもこんな状態になってしまう。この大量のお菓子をどうやって戸棚にしまおうかと玲子は困る。


「じーちゃん! これどこ置いておくのー?」


 半ばイラつき気味に、台所の向こうにいるだろう祖父に大声を上げた。


「玲子! 後にしろ。拝殿に行くぞ!」


 向こうからも負けないくらい大きく張り上げられた声が返ってくる。


「んもー」


 玲子はとりあえずレジ袋を台所の隅へ置き、急かされるまま祖父の後を追った。


   ◇


 家の庭から続く、大人が一人通れる幅の穏やかな坂になった雑木林を八メートル程通り抜けると、本殿の横へと出ることができる。 

 時々、何も知らない参拝客が、この雑木林の向こうはどこへ通じるのだろうと、ドキドキしながら歩を進めたものの、その先はどっかの知らない民家の庭だった。という、残念なオチがつく。

 玲子の実家は昔ながらの古風な瓦屋根の母屋と離れの二棟に分かれた造りだ。この頃はもう家を建て替え時には、二階建て住宅にするご近所さんがめっきり増えていた。

 本殿の手前に位置する拝殿へと足を踏み入れると、シンとした静寂に包まれた厳かな空気が漂う。自然と背筋がピンと伸びる。と、通常であるそのようなイメージと雰囲気などなんのそので、それをぶち破るかのように玲子は大きくあくびをして床に寝転がった。

 古くて少しざらつきのある板張りの床に頬をくっつけて撫でる。玲子にとっては心が安らぎ心地の良い居場所だ。


「しゃんとして座らんかっ」


 祖父はいつもの様に呆れ顔で叱咤する。神聖な場でこの振る舞い。無神経なのか鈍感なのか。大いなる神に対して無礼で不作法というよりも、まるで甘えているように見えた。そのように神を慣れ親しんでしまう玲子こそ、祖父は畏怖する。

 はぁい。と、不真面目な返事をしてむくっと起き上った玲子は、ちょこんと正座した。白い大麻を手に持った祖父──神主は、それを玲子に向かい左右に振りかざすと、禊祓詞を奏上する。すると、スゥと玲子の身体から悪気が通り抜け、全身にまとわりついていた重みが取れて軽くなった。顔色もみるみると明るく浮き上がる。


「全っ快!」


 玲子は大きく全身で気持ち良く背伸びをしてみせた。

 厳粛さの欠片もないと祖父は肩を落としかねないが、玲子にとっては堅苦しい形式など何も必要はない。もとより、神道において正しい形式などはない。それを教え知りもせず、玲子は自然と生まれながら感じて受け取っていたのだ。


 ──この子は神の申し子か。


 などと、祖父は一人で壮大に物語るが、誰の子でもない。実の血を引く息子の子であり、普通の可愛い孫である。


「ご飯、すぐ炊けるよ。ビール冷やしてるからね」

「じいちゃん、もう少ししたら行くけん、先行っとれ」

「はーい」


 玲子は軽々とした足取りで拝殿を出ると、その横に荘厳にそびえ立つ一本の大きな桜の木にそっと寄り添う。

 もう満開だった花びらは散って葉桜になっている。玲子はこの桜の木が好きだった。玲子にとってこの木は〝道しるべ〟だからだ。道に迷うと、いつも助けてくれた。


「今日も一日、お疲れさま」


 神社の御神木でもあり、毎年参拝者が訪れる。玲子のように葉桜も好む参拝者もいる。なので日中は撮影会で桜の木も忙しいのだった。


「おやすみなさい」


 挨拶をしてから、家へと続く雑木林を小走りに通っていった。



   ◇


 食卓にはスーパーで買って来た惣菜のコロッケとポテトサラダ、祖母が作ったワカメの味噌汁が並んだ。


「今日な公民館の掃除に行って聞いたんやけどな、上田さんとこの息子さん、お嫁さんもらうんじゃて! あー、玲司も早うお嫁さんもろうてくれんやろかなぁ……」

「……ばーちゃん、兄ちゃん、まだ二十四だよ? 気が早いって」


 玲子には兄が一人いて、東京で一人暮らしをしている。大学へ進学するために上京すると、そのまま都会人と化してしまった。そして、何やら境地を開いたらしく、秋葉原を生息地として、毎日萌えに燃えて生きているという。


「そうかい? 二十四は普通じゃろ?」


 キョトンとした祖母は決して世間に疎い訳ではない。実家の跡取り息子が結婚すると一緒に同居して、ゆくゆくは老後の世話をしてもらう。という、こういった古い考え方が田舎ではまだ残っていた。


「ばーちゃんな、看護師さんや介護士さんしよるお嫁さんがええわぁ。しっかりして頼もしい子がきてくれるとええなぁ」


 顔に花を咲かせて何とも高い理想を夢見る祖母に、玲子は口にコロッケを頬ばっったままピタリと顎の動きを止めてしまう。今どき、一緒に同居して暮らしてくれる嫁はいるかどうか。せめて、生身の三次元のお嫁さんだといいね。と、心の中で玲子は願ってあげた。

 それを黙って聞いていた祖父は、


「結婚したって、あれはもうこんな田舎に帰ってや来んっ」


 フンッと荒く鼻を鳴らした。


「そなんこと言うたら、この神社はどうなるんやろか……」


 ぽつりとこぼした祖母の言葉に、祖父も下をうつ向き一緒に沈黙する。そして、二人の視線が玲子に注がれた。


「えっ?」


 いわんとすることが一瞬に伝わって来て、玲子は両腕でペケを作り首を左右にブンブン振る。


「無理無理無理! 才能ないの知ってるでしょっ?」

「わしは一言も神主になれなどは言うとらんぞ」


 と、今まさに言ったも同然だ。


「神社の娘とて、女性には厳しい職じゃけんねぇ、おじーさん」

「そうじゃあ、ばーさん」


 こんな時だけ、二人は仲良く呼吸を合わせて頷く。そして、玲子に向かって異口同音に合唱。



『お婿さんをもらえ!』



 玲子は頭を両耳を塞いで、


「イヤ!」


 ガウッと反抗の目で唸った。

 それでも祖父母にはダメージは与えられず、「どこぞにええ人おらんやろか?」や、「玲子なら引く手あまたじゃ」と好き勝手言いたい放題だ。


(冗談じゃないっ)


 お茶碗のご飯を一気に口にかき込み、ダンッとテーブルの上に叩き置くと「ごちそうさまっ」と不機嫌をあらわにした。

 さすがに半分悪ふざけではしゃいでしまった事に、祖父母は大人しく口を結んで茶をすする。

 ──ブニッ

 コタツの中で玲子の足先に柔らかいものが当たる。里見家で飼われているペットの〝ミケちん〟だ。三毛猫なのでミケちんと安直に名付けられた。どこにでもいる普通の猫なのだが、神社の境内にいるという事だけで、何気に人気者だったりする。

 玲子に足先でグニグニと押し揉まれてコタツからもぞもぞと出てきたミケちんは、玲子の膝の上に乗っかり、刺身を見つけて目をギラつかせた。


「ミケちん、重ーい。また太ったんじゃない?」

「今日も参拝者さんの方からおやつもらっとったからの。見てみぃ、カリカリ残しとるわい」


 最近、キャットフードをよく残す。だけど刺身にはこの反応だ。どうやら美味しいおやつをもらって舌が肥えてグルメになってしまったようである。


「猫にエサやり禁止の貼り紙でもしとくか」

「エサ代うくからこのままでいんじゃない?」

「これ以上、太って病気にでもなられたら困るわぁ」


 三者三様の意見を交わしつつ、里見家のいつもの家族団らんの時は過ぎていった。

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