十一.仲良し修行同盟
七時限目の授業が終わってすぐ、#玲子__れいこ__#は校舎四階にある一学年の教室へと向かった。
教室に入ってキョロキョロと辺りを見渡していると、
「玲子さん」
正剛の方が先に玲子を見つけて名を呼ぶ。
ちょうど帰宅しようとしていたのだろう、リュックを片側の肩にかけて机の椅子から立ち上がっているところだった。なので、「ちょっといい?」と玲子は尋ねる。
「あ、ハイ」
「先週はありがと。ちゃんとお礼言えてなかったから。これ、きゅうりのからし漬け。よかったら食べて」
「からし……漬け? ありがとうございます」
あまり聞き慣れない漬物に少し首を傾げたが、快く受け取った。しかも何のためらいもなく、そのまま入れると匂いそうなタッパ―をリュックに入れると、玲子と一緒に席に座り直す。
「おじいちゃんは? あの後。具合の方は大丈夫?」
「あ、ハイ。無事にテレビドラマ見れたようです。病状も安定していて、来週には退院できそうです」
「そっかぁ、良かった」
どことなくソワソワと落ち着かず、目線と体をあちこちに動かしていた正剛が、そろりと下から覗き込むように玲子に話を切り出す。
「……玲子さんは、あれから大丈夫でしたか?」
「うん? 見ての通り元気元気」
「いや、そうじゃなく……いや、それもですが」
正剛はずっと気にして考えていた──天守閣で女霊を退治した際に視た工藤から放たれた謎の白い物体の正体を。玲子は倒れていたため視ていたのかどうか定かではないのもあったが、工藤本人がいる前では話すのを避けた方が良いと判断して、この間は黙っていた。
モゴモゴしてうつむいて何か深刻にしているのを「?」と玲子と思いながらバックの中から水筒を取り出してミルクティーをカップに注ぐ。
「……俺、工藤先生から何か、視えたんですよ。俺の霊力じゃフィルター越しのようでハッキリとは視れませんでしたが」
「うん?」
半日を過ぎて生ぬるくなってしまったカップの中身をゴクゴク飲み干しながら玲子は眉を上げる。
「間違ってたら工藤先生に大変失礼ですが、あれは邪気を含んでいたような……いや、やっぱり間違えかもしれません」
「ううん、工藤に何かいるのは確か。私も知ってる。工藤に気も遣わなくていいけど、てっきり守護霊とかの類で悪いのじゃないと思ってたから……それは、変」
「変、ですか?」
「って、実は私にはまだハッキリ視えた事ないの。でも邪気含んだ何かがとり憑いてるなら側にいて気持ち悪くなるはずだし、そんな気配はないから、だから、邪気だとしたら、それは──変。でも、その守護霊様だか何だか知らないけど、ちゃんと姿現してくれない限り間違ってるって言えないし……でも、やっぱり変」
玲子は仮にも担任教諭に対して「変」を強調するかのごとく連発する。
「そうなんですか……このまま放っておいていいんでしょうか? いや、素人である俺がどうこう言う事じゃないですが。そこは専門の里見さんの判断でお願いします」
頭を軽く下げられ、それほど信頼されるほどの霊能力だと自覚もしていないので、玲子は思いっきり勘違いされているようで、困惑気味にポリポリと頭を掻く。そもそも本当はハッキリと視えた事がないのではなく、ハッキリと視る気が失せていた。
「……どうせ、女」
「え?」
あの時、工藤の口から〝ゆいこ〟という名を確かに聞いた。何らかの関係があるのだろうとと玲子は思えた。そこに、もしも男女の事情などがあったりなどした場合──何とも厄介事だった。男女のしがらみを解くほど難しいものはない。腐り縁とは言ったものだが、鎖縁とも呼ばれる。鎖なので切れずに繋がっているという意味だ。
「七面倒臭っ」
「へ?」
「ううん、何でもない。本人気づいてないし、そうゆうの気づいたら逆に凹んで悪い方へと転がる人いるし。人体に悪影響まで及ぼすようなヤツだったなら、まぁ助けるよ。初穂料、高めに」
「はぁ……」
急に不機嫌な口調になった玲子に対して、何か触れてはいけない話をしてしまったのかと、正剛は気まずく口をつぐむ。
一方で玲子は、助けてやると偉そうに言ったものの自信がないとどころか、そもそも浄霊の一つできない無能で役に立たない巫女である。
「正剛……」
「は、はい」
見れば、しょんぼりと泣きそうな顔にギョッとした正剛は、──よく分からない人だ。と不安感を覚える。
「……本当は、私は視えるだけで、お祓いさえもできなくて……正剛の方がよっぽど……独学だっけ? 何でそんな修業なんかしてるの?」
と、ちょうどここで工藤に断絶されていたのを二人は思い出す。
「あぁ、それはですね。実は俺、子供の頃からよく寝込んでたんですよ。病院で検査をしてもハッキリとした原因も分からず……そんな時、ひょんなことをきっかけにお寺の住職さんに憑けていると言われて。どうやら自分は憑かれやすい体質だというのを知って。それで、独学で身を護る術法を学び始めただけです」
寝込むという単語が実に似つかわしくない正剛の体を改めてまじまじと玲子は見る。
「すでに出席日数が危ういと担任から半ば脅されていた高校を思い切って中退し、八十八カ所巡礼に一人旅立ちました。けど、最初のたった四日目ですぐに根を上げて後悔してしまい……それでも気合だけで遍路道を歩き切った頃には、不思議と病弱な身体はどこかへ飛んでいってました、これは本当です。その後、結願しに高野山へ。その足で全国の霊山にもいくつか登りましたよ。おかげで脚力がつきました」
壮絶で身の毛もよだつような恐ろしい修行体験談に玲子は、──引く。そこまですれば脚は達者になるだろうが、それ以外はどうやって鍛えたのだろうか? という疑問を抱く。
「そうだったんだ……ハァー、やっぱり努力なくして成長なし。だよね」
自分の筋肉のないぷよぷよした太ももをつまみ溜息をつく玲子に、ハッとして慌てて正剛はフォローを入れる。
「そ、そんな荒修行とかしなくても大丈夫です! 一人、霊山登ったりとか危険です! それに、里見さんの方が詳しいと思いますが、神社ならば鎮魂行法など行っていますし……」
イメージとして滝に打たれる、あれだ。禊と呼ばれる。実際には海や川でもよいし、それこそ風呂場で水を浴びるのでもよい。また、正坐をして大祓詞などを奏上したりもするが、これは真面目にやればかなり時間がかかる。いずれも、罪・科・汚れを祓うために行うものである。
「うん……それが続かなくていつも三日坊主。続けられるようになるまでどうしたらいい?」
「習慣化してしまえば良いんですが、それに至るまでって事ですね? これは難しい質問ですね、うーん……」
一休さんのごとく、正剛はとんちを働かせる。本来ならば、玲子が考えるべき問題だが、正剛は優しく人が良かった。──が、
「じゃあ、放課後に一緒にやってみませんか? 一人だとどうしてもたるんでしまいますからね、誰かと一緒だと続けやすいと思います!」
小学生並みの知恵を絞り出した正剛は、玲子と同じくどこか天然気質だった。
「んー、確かに。うん、分かった。やってみる!」
こうして二人は仲良く約束を交わした。しかし、放課後にどこで行うつもりかはまだ決めていないが、場所を選ばなければ怪しい宗教団体か何かに勘違いされてしまい兼ねないという事を二人は頭になかった。
「じゃあ、来週からという事にしましょうか」
そう言って教室の時計に目をやる正剛に、玲子が引き留めてしまっていた事に気づく。教室には他の生徒達の姿はすっかりなくなっていて空っぽだった。
「あっ、もうこんな時間。ごめん、ごめん」慌てた玲子に、「俺は大丈夫です。走れば駅まで五分です」と真面目な顔で正剛は返した。
教室を正剛と二人で一緒に出ると、玲子が足をピタリと止める。
「どうしたんですか?」
玲子が向けている視線の先には屋上へと続く階段。一本のビニールテープが行く手を遮断している。まるで結界のように──
「立ち入り禁止のようですね」
それは玲子が一学年の時からずっとだ。
「……やっぱり何か気になります?」
「んー……前から少し〝気〟は淀んでたけど、わざわざ通って上ることもないから放っておいたんだけど」
「そうですね。とりあえず今は様子見るだけにしておきましょうか。俺は毎日ここ通るんで、一応注意は払っときます」
「うん、お願い」
触らぬ神に祟りなし。と、立ち去ろうとするも、玲子は何か後ろ髪を引かれる思いがした。