娘・沙羅
……どうやらごはんが炊けたみたい。
ちょうどいいタイミングで焼きあがった塩鮭を魚焼きグリルから取り出し。
最後に味噌汁の味を確認。
……うん、いい感じかな?
じゃあ、そろそろお母さんを起こしに行こう。
そして、お母さんの寝室。
……やっぱりカワイイ寝顔。
昨日も一緒に寝そこねたのが悔やまれる……!
まあとにかく起こさないと、お母さん遅刻しちゃう。
「起きてー」
お母さんはむにゃむにゃ言ったけど、起きる気配がない。
「起きてー!」
まだ起きない。
「……早く起きて!」
やはりダメか……それなら!
「起きてったら!」
思い切り布団を引っぺがしてやった。
「……おはよう」
まだだいぶ眠そうな声。なかなかおつかれのようだ。
でも寝起きのお母さんはやっぱセクシー!
「おはよう、お母さん。まったく、相変わらずねぼすけなんだから」
困った風に言う。けど、わたしはお母さんを起こすのが嫌いじゃない……。
お母さんの役に立ってるって実感があるから。それに役得もあるし……?
「ほら起きて、ごはんできてるから!」
まあともかく朝ごはんだ!
「ほら、もうあんまり時間ないんだからちゃっちゃと食べる!」
そう、お母さんは外ではしっかりしてるけど、家ではのんびり屋さんだから。わたしが世話を焼いてあげないといけないのだ!
「ありがとう、沙羅。……今日も美味しそう」
にへへ、おせじだとしてもうれしいな。
「そんなたいしたことはしてないよー、別にきっちりダシ取るところからやってるわけでもないし」
正直に答える。
事実、味噌汁はだしの素だし、鮭は切り身を買ってきて焼いただけだし、サラダも適当に野菜を刻んでちぎって盛りつけただけ。
そんなのでもお母さんがよろこんでくれるならなにより!
「全く、出来のいい娘を持って私は幸せ者だわ」
お母さんはそう言うけど、それはこっちのセリフ! こんなにカッコよくてカワイイお母さんなんて、ほかにいないんだから!
「にへへー、ほめてもなにも出ないよぉ」
せいぜいわたしが笑顔になるくらいだ。
わたしはニコニコしながら、お母さんの食事風景を眺めた。
「ほら、忘れ物はない? 今日は帰りに降るかもしれないから折りたたみ傘も持って! 急がないと電車、間に合わないよ!」
お母さんは毎朝かなりギリギリに家を出る。
その上うっかりやでもあるから、わたしが気をつけてあげないと!
外ではカッコいい自慢のお母さんだけど、家の中だとけっこう抜けてるんだ。
「よっしぜんぶオッケーだね! さあ急いだ急いだ!」
まだ多少は余裕があるけど、急ぐにこしたことはない。
お母さんは玄関に向かい、……こっちを振り向いた。
なんか物欲しそうな目……。これは……やっぱアレかな?
「ん? どうした? 忘れ物でもした?」
ちょっとイジワルしてみることにする。
「…………あの、あれ」
お母さんこういうときめっちゃカワイイんだよなぁ……。だからちょっとイジメたくなる。
思わず笑みがこぼれた。
「…………」
「黙ってちゃわからないよ?」
お母さんはなにかをこらえるような顔になって、
「……………………行ってらっしゃいの、ハグ、して」
最高にカワイイ声でそう言った。
「まったく、しかたないなぁお母さんは。時間もないのに」
やれやれ、といった風に装いながらも、内心ドキドキが止まらない。
両手を広げる。
するとそこに、泣きそうだけどうれしそうというアクロバティックな顔をしたお母さんがすっぽりはまりこむ。
そのまま、ギュッ、として、頭を軽くなでる。
お母さんはされるがままだ。
そしてわたしも心臓の高鳴りが止まらない!
「ほんとにしかたのないお母さんだ」
照れ隠しにそうつぶやいたら、お母さんはわたしの胸により深く顔を埋めた。
お母さんは、なぜかわたしに抱きしめられるのが好きらしい。
わたしもお母さんを抱きしめるのが好きなので、まさにWin-Winの関係と言える。
正確な状況は憶えていないけど、泣いているお母さんを見て、なんとかその涙を止めてあげたい、と思ってやったのが始まりだったかな?
小さい頃のわたしは、お母さんはなんでもできるすごい人だって思っていた。
でも泣いている姿を見たとき、「わたしがなんとかしてあげなくちゃ」っていう気持ちでいっぱいになった。それで気づいたんだ、お母さんだってけっして完璧な存在じゃないってことが。
だから色々とがんばった。お料理にしてもそうだし、掃除や洗濯だってできるお手伝いはなんでもしようとした。なにせ今の時代、掃除機やら洗濯機やらといった便利なものがあるんだから、小学生にだってできることはあった。
でも、お母さんの苦労が本当の意味で分かったのはもっと大きくなってから。
わたしにはお父さんがいない。親戚も近所には住んでいない。
だから、お母さんは頼れる人もなく、それでも必死でわたしを育ててくれたんだ。
それに気がついたとき、お母さんのことが好きっ! って感情が何十倍にも何百倍にも膨らんで、たまらなくなった。
そしてわたしは今――。
と、ここまで考えたところで終業のチャイムが鳴った。
いや、一応ちゃんと授業は受けてたよ? お母さんに心配かけるわけにいかないし、常に平均点以上はキープしてる。
でもなぁ、将来はどうしようかなぁ? 高校出てすぐ働くのもアリだと思うんだけど、お母さんきっと「大学ぐらいは行っておきなさい」っていうよなぁ……。
そう勉強したいこともないけど、大卒のほうが給料いいっていうし、将来的にお母さんに楽させてあげられるかなぁ……。
まあとりあえず買い物でも行くか。
今日はたまに行くドラッグストアが特売だったから、そこ寄ってからいつものスーパーでいいかな……。
わたしはよく「大変だね」と言われる。
母子家庭で、家事とかもやってるからだ。別にそうたいしたもんでもないと思うんだけど……。
まあともかく、「だから付き合いが悪い」ってことでみんな納得してるらしい。
友達となかなか遊ぶ時間が取れないのは事実だ。ただ、その理由はちょっと違ってて……。
わたしはお母さんが好きだ。ぶっちゃけマザコンだと思う。だから、自分の時間はなるべくお母さんのために使いたい。お母さんに喜んでもらいたい。
だからまっすぐ家に帰るのだ。お母さんはまだ帰ってなくても、掃除をちょちょっとしておくだけでお母さんの役に立てる、少しだけでも。これもつまりお母さんと時間を共有しているようなものだ(?)。
まあつまりわたしの優先順位は友達よりお母さんのほうが高いわけだ。
だって……わたしはお母さんが好きなんだから!
買い物を済ませて帰宅したら、夕食の準備。
今日は手作りハンバーグ! ……といってもレシピサイトを参考に見よう見まねで作ってるだけだから、そう自信はないけど。
支度をしながら思い出していた。
わたしはお母さんが好き、じゃあこの好きっていったいなんなの? そう考えたことがあった。
親子の情、これは当然。でももはや、わたしの気持ちはそれに収まるものじゃないかもしれない、と気づいたのはつい最近。
わたしはお母さんに恋をしているのだ、きっと。
きっかけは友達とダベっていたときの会話。たまたま初恋の話になったんだけど、わたしは初恋はまだ。そう思っていた。
『沙羅はマザコンだからなー』
……って友達にからかわれたんだけども。
それで、気がついた。
わたしの初恋はお母さんだ、って。
昔からカッコいい男の子を見てもドキドキしなかった。
じゃあまさか女の子が好きなのか? と自分で自分を疑った時期もあるけど、どうもそうでもないらしい。
けど、みんなの初恋話を聞いているうちにふと思った。
好きな人を見るだけでドキドキして、相手のことで頭がいっぱいになって、一緒にいるだけでうれしくなって。
それらはすべて……わたしがお母さんに抱いているものと同じだった!
男の子にドキッとしないのも当たり前だった、わたしはお母さんが好きなんだから。
女の子ならいいってわけでもない、わたしはお母さんだから好きなんだ。
ずっと一生懸命わたしを育ててくれて。
いけないことをしたらきちんと叱ってくれて。
いざというときにはわたしを全力で守ってくれて……。
カッコよくて。優しくて。それでいて、カワイイ。
そりゃ惚れるでしょ!
そのことに気がついた瞬間、まさに天啓を受けたかのようになった!
そうだ、わたしは……。
お母さんが、好きなんだ。
ボーっとしながらでも料理が作れるとはわたしも進歩したものだ。……失敗してないかちょっと不安だけど。
とりあえずお先にいただく。お腹が空いた……というのももちろんあるんだけど、お母さんが帰ってくるまでに食べておきたいのが理由としては大きい。
そうすれば……お母さんが食べるところをゆっくり眺められるからだ!
お母さんはなにか食べるとき、とっても幸せそうな顔をする。それがわたしの料理のときはさらに幸せ度が増しているように見えるのは……気のせいじゃなければいいなぁ。
ともかく、わたしはお母さんが食べる姿を見るのが好きなのだ。一緒に食べるのも悪くはないけど、自分の食事が終わっていればより眺めることに集中できる。
……お母さんのことが恋愛的な意味で好きだということに気づいてから、わたしは暴走気味かもしれない。
「あ、お母さん。お帰りー」
お母さんが帰ってきた! 気分はご主人様を出迎えるワンちゃん、わたしは心のシッポをブンブン振っている。
「ただいま」
その声を聞くとガマンできなくなって……。
「はい、ギュー!」
……思いっきり抱きしめていた。
まあお母さんもうれしそうだし、いっか。なにせ、
「お母さん、朝にイジワルしたらすねちゃったみたいだし」
「…………」
そう、お母さんはわたしにギューってしてもらうことになぜか執着しているみたいで、ちょっとじらすとすぐすねるのだ。
まあわたしもお母さんに抱きつきたいので、そんなに長くはじらさないんだけど……。
ま、それはともかく、
「……今日もがんばったね」
「うん……」
わたしはお母さんをたっぷりとねぎらった。
……最近はこれをやるとドキドキしちゃって大変なんだけど、でもずっと抱きしめていたくて。
わたしはしばらくのあいだ動かなかった……。いや、手だけはずっとお母さんの頭をなでてたけど。
「ほいほい、今日の晩ごはんだよ〜」
「いただきます」
心ゆくまでお母さんを抱きしめたあと。
お母さんは夕食中。
わたしの作った料理を口に運ぶたび、なんとも言えない笑みを浮かべて。
それを見るとわたしの心はフワフワする。
「……何?」
「いや、お母さんやっぱりおいしそうに食べてくれるなーって」
「美味しいもの、実際」
いやぁそれほどでも……と思いつつ、
「うれしいもんだよ、わたしの作ったごはんでそんなに笑顔になってくれると」
と言った。
これは疑いない事実だ。
お母さんのためでなければ、わたしはわざわざ料理なんて作らない。わたし1人ならコンビニ弁当でも菓子パンでも、食べるものなんてなんでも構いやしないのだ。
「見てて飽きない?」
とお母さんは言うけれど……。
「ぜーんぜん。お母さん、食べてるときの顔がけっこうカワイイし」
そう、飽きるはずなどないのだ。こんなカワイイ顔だったら、何時間でも見ていられる気がする……っていうか実際やれる、たぶん。
「な……!」
正直に言っただけなのに、お母さんはわずかに頬を染めた。
そしてつとめてわたしを無視しながら食事を再開。
こういうとこもまたカワイイんだよなぁ……。
夕食後、お母さんにフラれてしまったので1人でお風呂。
そのー、お母さんのことが恋愛的な意味で好きだというのは……そっちの興味もあるということでして。
なぜわたしは! お母さんと一緒に入っていたときのことを憶えていないんだぁぁぁーーー!!
そう、「お母さんと一緒にお風呂に入る!」はわたしにとって当面の最重要課題である。
まあ他にもやりたいことはあるんだけど……。
でもどうなんだろう実際、とシャワーを浴びながら考える。
同性の、しかも実の親にそうした感情を抱くのはひどく珍しいことに違いない。
ただ不思議と、わたし自身は動揺もなく受け止めていた。なんなら小学1年生のときから好きだったのだ、驚くことでもなかったのかもしれない。
しかしお母さんのほうはどう思うのか。
わたしのことが好きなのは間違いない、だけどそれはあくまで『娘』に向けるものだろう……。
わたしの恋路は先行き不安。
お母さんに引かれて、そのうえ距離を置かれるようなことがあれば耐えられない、なぜならわたしはドマザコンだからだ!
身体を洗いおわったので湯舟につかる。
……まあお母さんの反応は考えてもしょうがない。なんせ母娘だから、どっちにしろ恋人になるのは難しいだろう。
しかし逆にとらえれば、わたしとお母さんは「親子」という、すでに比類なく特別な関係にあるとも言えるのだ!
……極端なポジティブ思考はわたし最大の長所である。
ともかく、血のつながりはなにがあっても切れないのだから、ある意味で恋人……いや夫婦以上ですらある。はい解決!
そう考えた場合、最大の障害は……お父さんだ。
正直わたしはよく憶えていない。
けどお母さんが今まで再婚しなかったのは、ひょっとしてまだお父さんのことが好きだからなのでは?
わたしに気を遣って、ということもあるかもしれないけど、可能性としては充分あり得る。
なかなか厄介だ。こればかりはお母さんの気持ちの問題だから、そう簡単にどうこうすることはできない。
「ん〜〜〜」
うなってみてもいい考えは思いつかない。
「う〜〜〜〜〜ん」
……やっぱりダメだ。
「ううう〜〜〜〜〜〜〜ん」
というかのぼせそうだ……。
「ま、いっか!」
わたしはそこで思考を中断した。
なにせ時間はたっぷりとある。じっくり対策を考えよう。
現状、お父さん以外のライバルは不在だ。
もし再婚話が持ち上がったとしても、お母さんは絶対わたしに相談してくれるし、そこでわたしが全力でゴネればあきらめてくれるはずだ、なんだかんだ言ってお母さんわたしには甘いし!
…………繰り返し言うが、極端なポジティブ思考がわたし最大の長所なのである!!
けっきょく考えることを放棄したわたしはお風呂から上がり、「お母さんと一緒に寝る!」というもう1つの最重要課題を実現するため、お母さんのもとへと向かった。
「待っててね……美月」
あ、お母さんを名前で呼ぶ、というのもあったっけ。
これはいつ叶うかな……。
お読みいただきありがとうございました。
「娘にハグしてもらいたがるお母さんが……書きたいっ!」という一念で書き上げた母娘百合短編、いかがでしたか?
少しでも楽しんでもらえたなら幸いです。
下に他作品のリンクも張ってありますので、ご興味のある方はぜひ。