四話 『ドラゴン、ドラゴン、ドラゴンだ』
「え……は……? え……?」
状況が理解できない。
意味不明を通りこして、一周と半分は回ってどこか明後日の方向に意味が飛んで行った。
かゆいような熱いような奇妙な感覚だけが、腹の右側あたりに唐突に発生する。
「うるるう」
その姿かたちに見合わず、不自然に可愛らしい唸り声をあげるドラゴン。
その大きな両の瞳――双眸には、シガラミトウジの現在の姿がはっきりと反射している。
つまるところ、わき腹を大きくかじり取られ、肋骨も内臓も露になったまま直立している、間抜け面で地味な顔をした青年が映っている。
「え……痛……」
神経の伝達。
痛みというものは神経線維を通って脳のいくつかの箇所――前頭葉、帯状回、小脳などで正しく認知される。
痛みは生物の進化の上で必須の感覚であり感情だ。
それは危険のサインであり、命を維持するうえでこれ以上のないヒント。
ただし人によってその感じ方は大きく異なる。その時の精神状態や個人差によっても痛みの大きさにはかなりの振れ幅があるだろう。
この場合は、不幸にも――
「――――」
トウジにとっての“痛み”は人類史でも稀に見る強さだった。
「あああああfっがyがygyがhがうあがぎゃっややっや――!?」
自身の体のむごたらしい事態を正しく認識する。
それと同時、身体の均衡を失ったトウジの上半身は背骨ごとぽっきりと折れ、まるで『くの字』のようになったまま地面に受け身すら取れず倒れこんだ。
ドロリと落ちた内臓とおびただしい量の血が、美しい原色の草花を容赦なく汚していく。
あと一噛み、ドラゴンの歯が奥まで食い込んでいてくれればトウジは一瞬で絶命できただろう。
中途半端に繋がった上半身と下半身が、悲しくももはや助からない事は間違いないトウジの命を執拗に繋ぎとめていた。
「うそ、うそうそううそすそうそすうそうそうそうそうそそ嘘……」
純度の極めて高いペイン。それなのに頭はやけに冴えている。
トウジの脳を過去最高の速度で駆け巡る記憶と感情が、アラート、エマージェンシー、気の利いた走馬燈ですらなく、嘲笑を思いきり投げかけてくるのが分かった。
『調子に乗り過ぎた馬鹿の末路』
『自業自得で因果応報』
『この世界はお前に都合のいい甘ったれた世界なんかじゃない』
『お前如きにチーレムとか、もったいないから』
『キモオタ、乙』
『ざまぁ』
錯綜する死体蹴りのような自己否定感と、同時に真綿で締め上げるように強まっていく痛み、痛み、痛み、痛み。
いっそこれで気でも狂った方がマシだったが、それすら異世界は許してくれないようだった。
「ふうっひー」
トウジの口から洩れる呼吸音ではない。
あらわになった肺から直接漏れる呼吸音が、どこか滑稽かつコミカルにこの場に響き渡る。
それを合図にしたように、ドラゴンは更に一歩近づき、鼻先をトウジに擦りつきそうな位に接近させる。
「て、めえ……許さ……許さん……ぜったぜったぜった……」
トウジはその生涯、過去最高の敵意を込めて、そのドラゴンを睨みつける。
返ってきたのは鼻で笑うように(見えた)仕草だけだったが。
――この時、虚勢を張るとかではなく、トウジの怒りが痛みと釣り合ったのはかなり奇跡に近かった。
命の火が消える直前の、シガラミトウジの人間としての最後の矜持――意地のようなものが、彼の人生の中で唯一発揮されて輝いた瞬間といっていい。
「うにゅう」
ドラゴンは更に、更に更に口を大きく開く。
そこに『止めを刺す』以外の意図を汲み取ることは、全くもって不可能だ。
「――あ」
シガラミトウジが最期に見た光景は、ドラゴンの嗜虐的な鱗や歯や瞳。
そして。
ドラゴンの背後にちらりと見えた、黒い人影だけだった。
読んで頂きありがとうございます。明日は二話くらい投稿できる……はず。
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