不可視の魔法
食事を終えて、「ごちそうさまでした」と手を合わせた後、エルリスは隻眼隻腕の男を隠す為の不可視の魔法を施した。
男の姿が薄れ、消えていく。
これで彼の姿を見ることの出来る者は、相応の魔力耐性を持つものだけだが、恐らく魔法という技術のないこの世界においてはこの魔法の効果を退けることのできるものはいないだろう。
「うわっ、なんだこれ」
そして、それは不可視の魔法を施されてた本人も例外ではない。
自身の姿が消えていく。
意識だけは残っているが、肉体だけが失われていく妙な光景に彼は軽い恐怖を覚えた。
「ただの不可視の魔法よ。特に体に害はないから気にしないで」
「……分かったけど、魔法ってなんだ」
「それも気にしないで」
エルリスは言い、食べ終わった食器をソニアに手渡す。
「というかこんなの使えるとかお前ほんと何者だよ。無敵じゃねえか」
「ふふ、私はただの子供よ。それにこの力は別に万能ではないわ」
本当のことは隠して、彼女は答える。
そう、この魔法も洗脳魔法と同じで言うほどに万能というわけではない。
あくまで姿形を見えなくするだけの魔法で、透明化しているわけではないので物体を通り抜けることはできず、発する音や気配を遮断することはできない。
だからこの魔法単体では使い道は限られており、それを補う為に他の魔法の発動が必須になってくる。
「嘘つけ。お前がただのガキなら俺はなんなんだよ」
「さあ」
「……これ俺の姿は誰にも見えないのか?」
「ええ、普通は見えないわ」
「……」
そっと隻眼に隻腕の男は僅かにソニアの方に身を傾ける。
「おにいさん、当然だけど術者の私には貴方の姿は見えてるのよ……、」
ソニアのスカートを覗きこもうとする男をじっと睨む。
「っ、そ、そうだよな、わかってる、冗談だって、あはは」
「全く……、これだから男は……」
肩を竦めてエルリスは幼い身ながらにどこか達観したかのように呟いた。その大人びた姿に彼は思わず「おまえ、ほんと幾つだよ」と漏らした後、直ぐに気を引き締めて本題に入る。
「それで、俺にこの魔法とやらを施した理由は何だ。もしかして逃走の為のものか」
期待に片目を輝かせるが、即座に彼女は否定する。
「そんなわけないでしょう。貴方の逃走の手助けは後回しよ」
「え、そんな……、俺このままここにいるとまじで殺されるんだが」
「それは心配しなくてもいいわ。私に協力してくれている以上はきちんと護ってあげる」
見た目は完全に幼女の言葉なのに、そこには不思議な説得力があった。
「そ、そうか。ならいいけど」
正直少しでも隙があれば暗殺を続行するつもりだった。
その為に機会を粛々と伺ってはいた。だが、結局はこの様だ。
目の前の幼女に全く隙がなかったわけではない。いや、むしろ隙だらけなのに何故か手を出すことはできなかった。
手を出せばその瞬間に返り討ちにあう。暗殺者として何度も命のやり取りをしていたからこそその予感を得た。そして、それはおそらくは正しい。
自分では目の前の白髪の幼女を殺すことはできない。
勝つ負けるという次元の問題ではない。まず戦いにすらならない。
逃げることもきっと叶わない。それ故に彼は諦めて、エルリスに言われるがまま従うことにしたのだった。
(ほんと何者だよ、このガキ)
そう思いつつ、
「で、なら俺にこの魔法をかけた理由はなんだ?」
彼は問う。
「決まっているわ。まず私と一緒に行動するのにあなたの姿は邪魔だし、それに骸鳩とやらを仕留める為の鉄砲玉にもなってもらいたいの」
「……は」
思わず絶句する。
◆
今目の前の幼女は何と言った。
骸鳩を仕留める?
絶句が段々と深い驚きに切り替わる。
ありえない。
そんなことできるはず……
(いや、このガキなら)
できないとは言い切れないのが恐ろしい。
骸鳩の怖さは自分がよく知っている。
かつて同じ暗殺者の何人もが情報を外部に漏らした裏切り者として拷問の末に殺された。その暗殺者の中には自分よりも強いものが多くいた。
骸鳩は属する者の情報のほとんどが不明。だが、それでも軽々と実力者を始末できるほどの闇の組織だ。
普通は喧嘩売ったところで返り討ちにあい、女子供といえど容赦なく殺されるだろう。
それなのに。
問答無用で「できない」とは否定できなかった
いや、それどころか、
(できるかもしれない)
そんな風にすら思ってしまった。