聖アングルス王国の巫女
食卓には会話はほとんどない。
最初の挨拶と、その次の一言二言程度の会話とも言えぬようなやり取りだけで食卓からは言葉が途絶えた。
静寂に包まれて、その中で微かに聞こえるものは食器の音や使用人たちの足音だけ。
窮屈な食卓である。
とても家族の団欒の場とは思えないが、貴族の家は大体こんなものだということを彼女は、理解している。
生前の彼女の幼少期の食卓もまたこの場と同じく、笑顔というものは一切なかったからだ。
エルリスはソニアの運んできた食事を次々と口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼し、ごくりと飲み込み、驚いた。
(……美味しいわね。この世界の技術は私の元いた世界のものよりも高いのかしら)
味覚を通しての情報だけではーーこの料理から得た情報を見れば元の世界のものよりも、高い。
彼女の元いた世界は基本的に魔法で何でも出来る為、それ以外の技術を発展させる必要がなかったからだ。
彼女は手を止めて注がれた紅茶を口に運ぶ。
(……なにこれとっても美味しいわ)
エルリスは今まで味わったことのないような強烈な甘味を舌に受けて、思わず悶絶しかける。
彼女は別に紅茶を飲んだことがないわけではない。むしろ貴族としての社交場では当然のように紅茶が振る舞われた。
だが、その時に飲むような紅茶は甘味とは程遠い、苦いものである。
なので、彼女は紅茶を飲み込む瞬間まで、無自覚の域で苦いものだと考えていた。
故に驚いた。だけど、それは決して表に出すことはせずに何事も無かったかのように紅茶をテーブルに置き、食事を続ける。
そうして彼女は黙々と食べ続け、出された料理を全て食べ終えると席を立ち、両親に一礼だけして食堂を出ていく。その後を追いかける形でソニアも出ていった。
「お嬢様、本日の予定ですが……」
歩くエルリスの小さな歩幅に合わせて、ソニアも後に続き、開いた手帳から一日の予定をつらつらと読み上げる。が、エルリスは自身の予定はとっくに決めている。
(悪いわね、ソニア。まずは今置かれている状況のことを調べたいの)
ぱちんとエルリスは指を弾く。と、
「ーーーーーーーーーー」
予定を読み上げるソニアの言葉が止まり、ぼわりと目から光が失われた。
催眠。
生前よく使っていた、人類の開発した技術の一つーー魔法。
この、催眠魔法は五感を利用し、対象を催眠に陥れる。
今回利用したものは聴覚である。
これでソニアの精神はエルリスの手中に収まった。
「ソニア、私はしばらく地下の図書館に籠る。周りの者たちには適当に誤魔化していてちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
ソニアは機械的に頭を下げて、ふらりとエルリスの元を離れていく。そしてエルリスも地下の図書館に向かう。
◆
ーー聖アングルス王国の王城の外観は、神秘性を帯びた純白に彩られていた。
湖に囲まれた広大な敷地の中に、聳える巨大な城は、見る者全てを圧巻とさせる。
その王城の最も高い部屋の中。
白いベールに覆われた玉座に、一人の少女が座す。
白無垢に角隠しで頭を隠した、見た目は十代の少女で、
その手前、白フードの大男が膝を床につけ、頭を垂れる。
「……巫女様、ディアボロス家はいかがいたしましょう」
大男は口を開き、玉座にあるこの国の最も偉い『巫女』たる少女に問う。
「ディアボロス家ですか。先日ここに来た、あの低俗な一族のことですね。それで……? どうするとは?」
「……巫女様は先日彼らに予知を齎されました」
聖アングルス王国の巫女は、神の声を聞き、それを神託として人々に齎すという役割を持つ。
その神託が、数日前にディアボロス家の頭首に齎された。
内容は『生れし雛は羽ばたく為に親鳥を食い殺し、止まり木に滅びを齎すであろう』というもので、その意味としては「貴方たちは子供に殺され、家は滅びを迎える」という感じである。
「予知を回避する為に動いたのですか?」
「はい、ディアボロス家が本格的に動き出しました」
ただ、巫女の神託とはいってもそれは完全に確定された未来ではない。
現在のままいけば訪れる未来というだけで、それを避ける方法は幾つもある。
神託を受けた者は良い未来の予知ならばさらに励むための活力とし、悪い予知ならばそれを避ける為に行動すればいい。
それはディアボロスの者も同じである。予知を避ける為に行動すればよく、実際ディアボロス家も今この予知を覆す為の行動をしている。だが、その予知を回避する為の方法が、彼らには看過することができないものだった。
「巫女様。彼らはどうやら最悪な方法で神託を覆そうとしているようです……。どうします? 彼らの行動を打ち砕く為に動きますか?」
巫女は、大男の言いたいことの全てを理解する。
「ああ、成程。そういうことですか……、自滅の道を選ぶとは愚かな連中ですね」
ふふ、と巫女は微小を漏らす。
「別に止める必要はないでしょう。あの家は邪魔なので、早々に自滅してくれるのは私たちにとってもありがたい」
「しかし、巫女様。それはまだ幼い彼らの子供を犠牲にするということです」
「ええ、そうなりますね。ですが、どうせあの家に生まれた子供、いずれ彼らと同じような屑になります。なので今の内に死んだほうがいい」
「……」
頭を垂れたまま大男は黙り込む。
何か言いたいことがあるのだろう。だが、これ以上は何も言うことができない。
巫女はこの国にとっては絶対の存在で、法にして神であり柱のようなものでもある。なのでその決定には従うしかない。
「わかり、ました」
大男は無理やりに己を納得させ、了承の意を示す。
「何だか不服そうですね。そんなに子供を見殺しにすることは耐えられませんか?」
「いえ、そのようなことは……、巫女様の決定に不服など決してありません」
「……まあいいでしょう。とりあえずディアボロス家への監視を強化し、何かあれば直ぐに私への報告をお願いします」
「はい、かしこまりました」
そうして話を終えた大男は立ち去り、部屋には巫女が一人きり。
「それにしても、子供殺しとは……、」
巫女は苦笑混じりの溜息を洩らす。
ディアボロス家が詠まれた神託を回避する為に選んだこと。
それは元凶の排除。つまり自らの子供を殺すこと。
恐らくディアボロス家は家の崩壊を防ぐ為に、実の娘を手にかける。
確かに神託を回避するのにこれほどまでに効率のいい方法はないだろう。
だが、そんなこと普通はしない。
まともな倫理観や道徳心を持っていれば、まず選ぶことのない選択肢だ。
にも関わらず神託を受けて直ぐに子供殺しに走るあの一族はやはり狂っている。
「いい機会。これで彼らを一掃できればいいのですが」
彼女は穏やかに笑い、玉座に寄りかかる。