ノア
ノアは振り返り、その声の方を見る。
そこには白髪赤目に白ドレスの幼女が立っていた。
「んんん? キミぃ、誰? ノアちゃんのこと知ってるの?」
にこりとエルリスは微笑み、長い髪を払う。
「上のアレの使い手よ」
「ほほう、ほほほほう!!!」
目を見開き、とんと椅子を滑らすようにノアはエルリスに詰め寄る。
「君が、キミが上のアレを作ったのかい!? それにどうやってここを知ったのかなぁ? 外にはノアちゃんの法具の罠がいっぱいあったでしょ?」
「ああ、そんなの簡単よ。私の力で、法具の操り主を探していたらビルの地下に不自然な動きをする気配があった。だからここに来た、それだけよ」
不自然な気配というのは全く動きのない気配のことだ。
あれだけの事態があれば普通は、何らかの動きがあるはず。
戦力として最上階に向かうか、あるいは組織を捨てて逃げるか。
だが、地下のその気配は全く動きを見せなかった。
ただ、そこにあるだけ。
そんな不自然に動かない気配。
疑うのは当然だろう。
だからエルリスは最上階で法具全ての相手をしている暗黒騎士を、当初の予定通りに犠牲にして、ここまで来た。
「ふーん、なら外の罠はぁ? どうしてどうして、どうしたの?」
「あれらは全て壊してきたわ」
「おほ、ほほほ、ふふ、えへへ、壊してきたんだァ。なんだかノアちゃん、君のこともとっても欲しくなっちゃった♡」
うねうねと蜘蛛のように手を動かして気持ち悪い。
「ねえねえ、お姉さんといいことしないかしらん? いーっぱい満足させて満たして満たして満たしてあげるぅ!!! だ、か、ら、ね? ノアちゃんにあなたのカラダのことを教えてほしーなぁ? 大丈夫、先っぽだけだから」
いつの間にか取り出していたメスを指先で回して、ノアは言った。
「嫌に決まっているでしょう」
「もぉ、なんで? いいじゃん減るもんじゃないんだしぃ、ケチケチドケチ!! でもでもでもでもでもでもでもでも、ノアちゃんは欲しいものはなんでも手に入れちゃうのぉ」
全く予備動作なく、一切の躊躇もなく、その手にあるメスをエルリスの小さな肩に振り下ろした。
が、その手前で、メスの切っ先はぴたりと止まった。
「……いきなりね。こんな子供にも躊躇なく、そんなものを振り下ろすとは」
肩の直前で止まったメスを払い除ける。と、「おほ、おほほほ」という笑声がノアから漏れた。
「素晴らしい、とてもとてもとっても、すばらしぃいいいいいいいいいいいいい」
メスを捨てて、ノアはこれまたいつの間にか持っていた羽根ペンで何か紙に書き出した。
まるで目の前のエルリスを一個の生命体だと認識していないかのようだ。
(成程、これは噂通りの狂人ね)
ノアの名はこの世界では果てから果てまで知れ渡っていた。
勿論それは悪名として広く知れ渡っていた。
(まあ、この方が交渉はしやすいかもしれないわね)
エルリスは小さく細い手で眼前のノアの頬に触れる。
「ねえ、ノアさん。そんなに私のことを知りたい?」
「んん? あは、当然陶然だよ。だってだってだってえ、ノアちゃんは未知が大好きなんだもん」
「じゃあ、私の元に来なさい、ノアさん。いっぱいいっぱい、良いことを教えてあげるわ」
「ん? どういうこと?」
こきとノアは首を傾げる。
「あなたは私が欲しいのでしょう? 私はあなたが欲しいのだから互いの利害が一致しているじゃない」
ノアが何故このような組織に身を置いているかは分からないが、彼女の情報では渡り鳥のように組織を渡り、神具の研究をしているらしい。だからエルリスは、新しい研究素材を提供することでノアを自分の元に来るように誘う。
「おおおおお、成程ぉ! 確かに確かに足し蟹TASHIKANI☆」
ぽんと手を叩き、
「ちっちゃいのに頭いいんだねぇ。ノアちゃん感心」
「……」
本当にこんなのがあの法具の開発者だとは思えない。
一応研究素材として自分を提供するつもりではあるが、全てを捧げるとは言ってない。多少の協力はするが、それでもどこまでを研究素材としていいのかを事前に定めておかない辺り、少しだけオツムが弱い。
きっとバカと天才は紙一重ということなのだろう。
そう無理矢理に己を納得させ、エルリスは肩を竦める。
(これで法具の開発者は手に入れた。後は骸鳩と、その情報ね)
自分の考えはまだ推察の域を出てはいない。
全く疑ってはいないものの、まだ証拠はない。
だからその裏付けを取るためにエルリスは、ここに仕掛けた。
「ノアさん、それで先ず伺いたいことがあるのですが」
「なーに?」
「暗殺の依頼の仲介についてなのだけれど……」
「んー、ノアちゃんはここで神具についての研究してるばっかりでね、その手の話については全くなんだお」
「……成程。なら誰に聞けばいいの?」
「うーん、『砦の剣山』や、後は暗殺者の担当の使者なら詳しいことは分かるんじゃないかなぁ? あ、それに過去の履歴なら暗号化して倉庫にもあるしぃ、うんうん」
「……そう。わかったわ」
本拠地の中にある情報ですらも保存の際には暗号化するとは。
抜かりないわね、とエルリスは思い、ディアボロス家に残っている隻眼隻腕の男に意思を伝達する『念波』の魔法を使って、今の状況を伝える。と、不満そうに「了解」と返ってきた。
(どうしてそうも不満そうなのかしら。そんなに『首輪』が嫌だったの)
まだ完全に彼のことを信用してはいないエルリスは、ここに来る直前に彼に行動を制限する為の『制約の首輪』を施してきた。
生前では魔力耐性の全くない犬などに施して強引に言うこと聞かせる類の魔法だったが、この世界では人間ですら魔力耐性を持たないようなのでこの魔法の効果もそれなりに使えるようだ。
(まあいいわ。そうね、とりあえず私の推察を確固たるものにするべき彼らに聞きにいきましょう)