『全自動選別機 ひかりセンサー えんたま』(卅と一夜の短篇第13回)
気付いたら、真っ白な空間に、僕はいた。
――病院かな?
初めにそう考えた。
冴え冴えとした白い光が降り注ぎ、シミひとつ見当たらない空間の、真っ白い床に寝かされていたのだ。
『寝かされていた』と思ったのには理由がある。
まず、自分の服ではなかった。
真っ白な半袖に揃いのハーフパンツという姿だ。服は浴衣のように前を合わせて、左右それぞれを紐で縛るようになっている。
僕の記憶では、こんな格好をさせられるのは、病院などでの健康診断の時くらいしかない。
だが、床に寝かせられるとはどういう状態なのだろう。普通なら簡易ベッドやストレッチャー、そうでなきゃせめてベンチとか……
――いやまて、そもそも健康診断の予定だってなかったぞ?
ようやく僕は飛び起きた。
周囲を見渡してみたが、やはり白くて凹凸もわからない。
ひょっとしたら、体育館よりも広い空間で凹凸などないのかも知れない。しかし、こんな施設はこの街にあっただろうか?
照明がどこなのか、その前に天井がどの辺りなのかもわからないまま、おそるおそる立ち上がってみる。
床はほんの少しだけひんやりするが、半袖にハーフパンツ、おまけに裸足という格好でも快適な気温だった。
――さて、どうすべきか。
僕は悩む。いや、そんなに悩んでないけど、どうしようか。
耳を澄ましてみても、なんの物音も聞こえない。床に耳を当ててみたが、何かしらの振動もない。よほど防音、防振性に優れた素材なのかも知れないが、近くに誰もいないと考えて間違いないだろう。
大声を出して誰かに呼び掛けてみるか、ひとりでここから出られる方法を模索するか――そういえば、ホラーゲームやパニック映画などでは、大声や物音を出すと大概ロクなことにならないのだ。静かにしておくか。
――じゃあとりあえず、この空間の端を探しに行こう。
とはいえ、『ここ』に戻って来られる保証はない。なんの目印もない白い空間で、しかもひょっとしたら『ここ』に誰か迎えを寄越すかも知れず……
あ、結局悩んでしまった。
いや、でもここにいたところで状況は変わらないのだから、移動してみよう。
僕は元来、考えるより先に身体が動くタイプなのだ。こんな慎重過ぎる自分は、自分でも気持ち悪い。
凹凸がそれほどなければ、多少離れても『ここ』に誰か来たら見えるだろう。
どちらに歩を進めるか、と首を傾げ、寝ていた時に頭が向いていた方向に行くことにした。立ち上がってキョロキョロしてしまったので、正確な向きはもうわからないが、多分こっちだ。
おそるおそる一歩ずつ踏み出す。ひょっとしたら、この不思議な照明のせいで陰影が見えなくなっているだけなのかも知れないからだ。
鋭利な凸部があれば、裸足の僕は怪我をするだろうし、予想以上の凹部があれば、転倒の危険もある――そう思いながら十数歩進んだが、床面はあくまでも平らにできていた。
――なぁんだ……
ホッとして更にもう数歩進んだところで、突然右足が何かにつまづいた。
「えっ?」
バランスを崩しながら、思わずもう一歩、左足を踏み出してしまう。
「やばっ」
この先に何かあったら――逆に、『何も』なかったら――しかしそう簡単に止められるわけでもなく、未知の恐怖を抱えながら左足が着地するであろう場所を凝視する。
「――あぁ、なぁんだ」
足が着いたのと、ほのかな陰影を僕の眼が捉えたのは、ほぼ同時だった。
真っ白な布のようなものが、くしゃくしゃと丸められたままいくつも放置されていた。左足の裏には床面とは違う柔らかい感触。
油断して床面を見ずに進んだ僕が悪い。
つまづいた布を持ち上げてみる。
真っ白なのでシーツやタオルかと思ったが、薄手の毛布のような手触りと重さがあった。大きさは毛布より小さい。試しに羽織ってみると、バスタオルくらいの大きさだ。
この布が散乱しているらしく、そこかしこにうっすらとシミのような影が見える。かすかな陰影を見分けられる程度に目が慣れて来たようだ。
僕は布をもう一枚手に取りそれぞれたたみ、くるくるとまとめて脇に抱えた。
今は快適な温度だが、この先どうなるのかわからない。夜になって冷えて来たら、毛布の一枚でもあった方が便利だろうと考えたのだ。
二枚にしたのは、この先で誰かに会った時に、会話のきっかけや交渉材料として利用できるかも知れない、と思ってのことだった。
可能ならもう二、三枚持った方がいいだろうが、荷物があまり多くなると、それもまた動きづらいだろう。
布が散乱しているということは、使用していた人たちがここに何人もいたということだ。布団からそのまま抜け出した、というようなトンネル型になっている布がいくつかある。
そのトンネルの方向もてんでバラバラで、だが数人分、まとまって頭を寄せ合っていたような形になっているものもあった。
しかし、どうして僕にはこの布が与えられなかったのだろう……僕だけひとり、離れた所に寝かされていたからだろうか。
残された布のそれぞれの形状から、どんな人たちがいたのか想像しながら僕は進んだ。するとやがて、未使用であろう布がきっちりたたまれて山積みになっている所に突き当たった。
――そうか、みんなここから自分たちで持って来たのかな。
大量の布を眼前にして僕は、抱えている布をそこに置き、新しいものを二枚丸めて抱え直した。
ここにたくさん人がいたのだ、という安堵が湧いた後、急に『見知らぬ人の使用済み』を手にしていることに嫌悪感を覚えたのだ。
こんな時に贅沢なことを考えるなぁ、と自分で呆れながら布の山を通り過ぎる。と、少し先にうっすらとした陰影があり、真っ白な空間の中に四角を形作っているのが目に入った。
――まさか。
期待と不安で心臓が、どくん、と鳴る。駆け出したい衝動が湧き上がったが慎重に歩いた。
だがその四角い『何か』は大き過ぎた。日常生活での感覚で、せいぜい体育館や劇場などでよく目にする広めの開口部かと思いながら進んだが一向に辿り着かず、途中で焦ったのは内緒だ。
それは、一般的な建物なら二階の天井まで届くような大きさだったのだ。
結局そこまでは、予想していた約二倍の距離があった。
ぽかんと、頭上の淡い影を見上げる。
何しろ比較できるものが他にないので、自分の感覚を頼りにするしかないが……これはでかい。確信。
手を触れると、間違いなくこれはこの空間の端で――真っ白い壁で、四角い部分は大きな出入り口になっていた。
慎重に、次の空間の様子を窺う。ひとりでもそこに倒れていたり、ヤバそうなものが落ちていたら、進むのをやめてここにいようと考えていた。
だがやはり次の空間も真っ白でシミひとつなく、人っ子ひとりいなかった。
ホラーゲームのような突然の大参事は起こらなさそうだ――と安堵してからようやく、僕は壁を通り抜ける。
壁の厚さは意外にあって、僕の一キュビットといったところだった。
何しろ長さを計るような道具もないのだから、物差しは僕自身に頼るしかない。
通り抜けて数歩進むと、後ろで空気がすれるようなかすかな物音がした。
はっとして振り返る。
開口部が消えていた!
思わず駆け戻る。確かに通り抜けたはずなのに、繋ぎ目ひとつない『壁』に変わっていた。どっと冷汗が湧く。
開口部の縁だった辺りをぐるっと目で追い、反対端の辺りに辿り着いた時――あ、何か小さな突起があるじゃないか。
近づいてみると、パネルスイッチのような四角い物が壁に張り付いていた。
とりあえず押してみる。すると先ほど聞こえたシュッというかすかな音と共に、開口部が出現した。
丁度真ん中辺りから左右に開く形になっていたが、閉じてしまうと繋ぎ目がわからない。これは、すごい技術なんじゃないだろうか。
スイッチをもう一度押すと、シュッと閉じる。安堵してもう一度押す。シュッ。ようやく壁に背を向けて、改めてまた歩き始めた。
数歩進んだところでシュッ。またまた勝手に閉じられていた。
――つまり、あのスイッチ以外の何かによって、あそこが閉じられたってこと?
だとすると、さっきの部屋に何かしらの、例えば赤外線とかのセンサーがあり、最後のひとりがあの部屋を出たから閉じられた――とか。
このふたつ目の空間は、四十歩ほどで次の壁に行き当たった。壁の手前にはやはり布の山があったが、数枚床に落ちて山が崩れていただけだった。
ここには誰もいなかったのか、いたとしても、さきほど僕がいた部屋――部屋というには、僕の感覚では大き過ぎるが――に他の人たちがいたのでみんなそちらに移動してたとか、そういうことなのだろう。
壁には先ほどと同じ大きな開口部があり、通り抜けると自動的に閉まる。
それぞれの部屋のサイズが同じくらいとするなら、僕は最初の部屋の、反対側の壁際近くに寝かされていたということになりそうだ。
初めに足の方に進めば、十歩も行かないうちに壁に当たっていたのかも知れない。そうなったら今度は壁伝いにぐるっと一周してみるだけだったのだが。
そして更にふたつの壁を超える時、つまり、最初の部屋から数えて三つ目の部屋を出ようとする時、僕はようやく、何かの気配を感じ取ることができたのだった。
* * *
四つ目の部屋にも何もなく、その次の部屋から話し声らしきものが聞こえて来る。明瞭ではないが、随分大人数でざわざわと喋っているようだ。
この部屋の、先に続く部分は閉じられていた。僕は開口部の右の端側をできるだけ真っ直ぐ進むようにして歩いていたのに、目の前は滑らかな壁しかない。
左手にスイッチがあるかも知れない、と思って壁伝いに進む。
しかし、開口部の反対側であろう辺りの壁には、何も付いていなかったのだ。
――ここまで来たのに?
僕は愕然とする。
ようやく合流できると、安堵した直後だった。
まさか壁一枚隔たった空間で、ひとり取り残されるなんて……急に恐怖を感じ、膝ががくがくと震え出した。
手にも力が入らず、抱えている布を落としてしまう。
慌てて拾い、丸め直して布をぎゅっと抱える。柔らかい肌触りが僕を落ち着かせてくれる――そこで改めて気付いた。この部屋には布の山がない。
――そんな莫迦な。
出入り口もなく、布の山もない。ということは道を間違えたのかも。
周囲を見回す。僅かな陰影で探さなければいけない、あの真っ白い山――あ、あった。
それは今まで進んで来た部屋とは違い、部屋の右手の方に作られていた。
声は確かにまっすぐ正面、こっちから聞こえる。だが布の山はあっちだ――悩むまでもない。声はたえず聞こえている。気持ちを奮い立たせ、布の山に近づく。
果たして。
そこの先の壁には、山に隠れるように、エレベーターサイズの四角い開口部と、その脇にパネルスイッチが存在していたのだった。
僕はホッとして、だがその先を確認することも忘れずに、慎重に部屋を出た。
部屋の外側の壁伝いには通路があった。
部屋ではなく通路、と思える程度に幅が狭い。天井が低く、ゆるくカーブして、やはり白く明るい。とはいえ、天井は吹き抜け三階分くらいの高さにあったし、通路の幅もざっと片側一車線道路くらいの幅に感じられたけど。
僕は通路を通り、先ほど声が聞こえた方向へ進む。
通路はしんと静まり返っていて、その行き当たりは閉じられていた。だがスイッチがあるのを認め、安堵する。
そういえば、通路に出た時に自動扉が閉じられたかどうか覚えていない。よほど気が動転していたんだろう。
そんなことを思い返しながら、僕はスイッチに触れた。
五つ目の部屋への扉が開いた途端、人々の話し声がどっと押し寄せ――るのかと思ったのに、そうではなかった。
いや、ざわめきは聞こえているが、遠い。
さっきの部屋の壁越しでは随分近くに聞こえていたのに。何故? と思いながら見回すと、右手側――多分今まで通った部屋の並びに沿った方向に、移動する人の列が見えた。
ここは待機所で、みんなここで並び、進んでしまったということだろうか。
僕は焦りながらも、部屋の中を見まわした。今までの部屋よりは天井が低く、通路と同じくらい、つまり三階分の吹き抜けであろう高さに天井が見えた。
部屋の広さは今までと同じくらいとすると、今までの部屋をぎゅっと上から押し潰したような形になっているのだろう。
床には細々としたものやトレーのようなものが散らばっていた。端に寄せてあるそれらを確認すると、野球のホームベースのような形をしたトレーに、紙皿がいくつか。そして、食べかすのようなもの。
ここでみんな休憩して食事を摂っていたということなのか。部屋を通り抜けながら急いで確認して回るが、食べ残しや手が付けられていないトレーは見あたらなかった。
――もらい損ねたんだ。
そう思った途端、耐え難い空腹に襲われる。だがみんなの列に追いつくことが先だ。僕は今にも鳴りそうな腹を押さえて、行列の後を追い掛ける。
平べったい部屋をふたつ通り抜けたところで、だいぶ列に近付いた。
七つ目の部屋であるそこは、今まで見た中で一番大きく広く、どこかの工場に迷い込んだかというほどの空間になっていた。
ふと後ろを振り返ると、開口部が閉じる瞬間だった。
列は空間の中央に向かってだらだらと行進している。
――もう少しだ。
僕は布を抱えてダッシュした。
* * *
カシャン……
カシャン……カシャン……
遠くで、何かが鳴っている。なんの音だろう――聴き覚えがあるが、随分昔に聴いた音なのだろう。すぐには思い出せない。
あとほんの数メートルの差。息が切れたので早足歩きに変更する。
「今日は何人通るんだい?」
「――ざっと八十九人ってとこかな」
「少ねぇなぁ」
「――この辺は田舎だからね」
どこからか会話が聞こえる。
列はまだ先なのに横から、いや上から? 予想外の方向から聞こえていた。歩きながら見上げたが、真っ白な天井には何も見えない。
「では次の方――」
ようやく追い付くと、そんな声が聞こえた。やはりここは病院で、健康診断か何かなのだろう。
どうしてここにいるのかわからないが、連れて来られたからにはこれを済ませなければいけない、という強迫観念に近い思いが僕の中には芽生えていた。
相変わらず空腹だが、一通りの検査が終ってから腹いっぱい好きな物を食べればいいだけの話だ。検査での食事なら、検査料に込みかサービスで出されたんだろうとは思うけど……そこはまぁしょうがない。諦めよう。
ぐぅぅ~~
はっとして腹を押さえる。が、遅かった。
列の最後尾の数人が振り返り、急に現れた僕を見てぎょっとしている。
ぱたぱたぱたとサンダルのような足音と、カツカツカツカツと足早なヒールのような靴音が、前方から近づいて来た。
「――あらぁ? さっきのアレで、まだ食べ足りないっていうんです? 随分な欲張りさんですこと」
僕の左側からヒールの靴音の主が、僕を見下ろして怪訝そうな声を出した。
――え、っと……ここ、ちゃんとした病院だよね?
なんでこの人こんな――ハイヒールのミニスカナースなんだろう?
* * *
「『流離井ヒデキ』さま?」
ミニスカナースがカルテを指でなぞりながら声を張る。
流離井ヒデキ――今呼ばれたのは僕だ。その高圧的な声に、思わずびくりと肩を震わせる。
周囲の白い目がなんか怖い。
「こんな所にいたんですかぁ、流離井さまぁ。あなたの場所はこちらですよ?」
反対側から、ちょっと鼻に掛かった甘えたような声で僕を呼ぶのは、カルテを見ている厚化粧のミニスカナースとは対照的な人物だった。
と思った途端に、がしりと僕の腕を掴んだ。というかしがみついた。
こちらのナースは背が小さい。顔もふっくらと丸く幼く、体型もストンとつるぺ……いや、成長の途上にある、その、まぁ平たくいえば子どものようだ。
ぱたぱたサンダルはこの人だったんだ。
「もぉ~失礼だなぁ」
「え」
「あたしたちナースには、これが付いてますからぁ」
そう言うと、ロリナースはキャップをひょいと持ち上げる。
と、目の前に巨大な蝶が舞った――かのように見えた。
「わ、わ、看護婦さん、あなた勤務中にアクセサリーなんて、いいんですか?」
僕は現状を忘れ、ロリナースを咎めるような口調になる。
「アクセサリーじゃなくてぇ、これ、あたしたちの耳なんです。これをね、ひらひらってさせると聞こえて――あ、そうそう。看護婦じゃなくて、今は『看護師』っていうんですよぉ?」
僕の一キュビット分はあろう、ひらひらと揺れるそれは、蝶の翅よりも柔らかそうだ。むしろ蝶よりは金魚の尾びれに似ているかもしれない。あの、水の中にゆらゆらとたゆたう薄衣。
縁日の金魚すくいの目玉商品。彼女にいいとこ見せたくて、勇んで挑んだ僕だけど、ポイが何本破れてもすくえなかった、苦い思い出……
ロリナースの話は半分も理解できないし、そもそも聞き流して、僕は感傷に浸っていた。
だがロリナースの耳についてるそれは、金魚とは違う物を模しているらしい。先端に向かって徐々に水色に染まっているのだ。金魚ならばやはり赤だろう?
僕はロリナースに腕を引っ張られて、列の最前のグループへ連れて来られた。
「はいこっち、そこに服を脱いで、手荷物――? あら、コレいらないですよって説明したのに、持って来ちゃったんですか? まあいいや、それはこっちのカゴに入れて」
ミニスカナースの朱い口が無感情の平坦な声で指示を出す。
列の前には大きな丸い皿にしか見えない物体があった。それも真っ白だ。床は皿の手前ですっぱり切れているように見える。
皿の向こう側がどうなっているのかは、よく見えない。
着ていた物を脱ぎ、パンツ一丁になったところで「あの……」とナースに振り向く。が、無情にもナースは「それも」とだけ告げる。
――うぅ、なんか屈辱的……
銭湯や温泉なら平気なのに、他の人たちが着衣の状況で自分だけ脱がされるのがこんなに恥ずかしいものだとは知らなかった。しかも、看護婦――看護師とはいえ、女性が見ている前で、全裸。
ともあれ、僕は生まれたままの姿になり、大きな丸い皿に向かう列につく。
カシャン……
カシャン……
音は頭上で響いた。こちらでカシャンと鳴ると、続けて柱の向こうでもカシャン、と同じ音がする。
音が鳴るたびに皿が揺れる。ああそうだ、これって、まるで――
「これはなんの装置なんですか?」
僕は両手で前を隠し前屈み気味になりながら、傍らのロリナースに問う。
遅れて来たのが心配なのか、彼女はずっと僕の右腕を掴んで離さないのだ。
できれば離れていてくれた方がありがたいんだけど。
「あなたの重さを量りますぅ」
にっこりと微笑みながらロリナースは答える。
やはり体重計だったのか。それにしては随分大袈裟な。
全裸の列が目の前にあるため、乗った人がどんな大きさに見えるのかは確認できないけど、二、三十人は一度に乗れそうだ。距離感がおかしくなる。
皿の縁の高さだって、よじ登らなきゃいけないんじゃないのか。
ひょっとしたら、象が乗っても壊れない体重計だったりして――でもそんなんで、人ひとり分の重さを量って正確な数値が出るんだろうか?
カシャン……カシャン……
音は絶え間なく続く。
人が乗り降りしているらしい多少の揺れがある以外、大皿に変化は見られない。
「向こうでも同時に計量しているのですね?」
キョロキョロしているだけでは間が持たず、相変わらず離してくれないロリナースに、僕はまた話し掛ける。
「いいえ、あちらもあなたを量るのですぅ」
「よく……わからない」
大きな柱の向こう側に見えるのは、皿の端の一部だ。
あんなに離れていて、というか、実際どのくらいかわからないけど数メートルは確実に離れていて、どうやって僕を量るんだろう?
僕の困惑を見て取ったのか、ロリナースはまた口を開いた。
「わかりやすくいうとぉ、あなたの魂の――命の重さを量っているんですよぉ」
――全然わかりやすくない。
「命の重さは平等なのでは?」
暇つぶしにからかわれているのか、ナースジョークなのか……ってか、ナースジョークってなんだよ。そんなジャンルあんのかよ聞いたことないよ。
「道徳の教科書じゃないんですからぁ」
ロリナースは苦笑した。
「つまりですねぇ、あなたはこれから、どこに進むのかを決められるんですぅ。でも閻魔様もご多忙な故、我が国と彼の国の精鋭が集まって造り上げた――その名も『全自動選別機 霊光センサー 閻魂』とはこれのこと!」
ものすごく自信満々で胸張って――張っても平らだけど――彼女渾身のナースジョークだったんだろうけど……ごめん。残念ながら僕には合わないようだ。
っていうか、まず全自動じゃなさそうだし。
「はぁ……全然聞いたこともないですけど――」
「ぬぁんですってぇ?」
傍らのロリナースじゃなく、反対側の後方から割り込んで来た声。
と、共に、スパコーン! 頭を横殴りに殴られた。
「ぃいった……っ!」
咄嗟に頭を押さえ、振り返る。首が飛んでくかと思ったじゃん。
ミニスカナースが怒りで顔を真っ赤にして僕を睨んでいた。なんで?
「さっき待機所で最後の晩餐を配ってる最中、ずっと説明映像流してたじゃないですか。あんなに何回も何回も何回も何回も繰り返してたの覚えてないって、あんたの頭はカボチャかピーマンでできてんじゃないのぉっ?」
ロリナースがオロオロしながらミニスカナースをなだめているのを眺め、僕はため息をつく。
なんかえらい剣幕だが、僕はその時必死で部屋を通り抜けていた最中だったので、聞いてなくても仕方ないんだよ。
と、急に二人のナースがそろってきょとんとした。
「どういうことですかぁ?」
「え? あんたあの場にいなかったの? 迷ってたって?」
「え、な、なんでそれ――」
お前、エスパーかよ、と僕は一瞬驚いたけど、そういえばさっきのひらひらでわかるとかなんとかほざいてたっけ。ほんとなんだすげー。
「いや、うちらの耳のことはどうでもよくて、あんたどこにいたの? みんなと一緒にここまで来たんじゃないの?」
「あぁ、それなんですけど――」
そこでようやく、僕はここまでのいきさつをナースな二人に話して聞かせた。
* * *
カシャン……カシャン……
話している間にも列は進み続け、僕の前には三人ほどになった。
ふと、大皿の方に視線を向ける。
真っ赤なロン毛のひょろ高い男が皿の方へ向かって行くところだ。
それと同時に、柱の向こうの皿の前にも、誰かが立っている。女性のようだ。
あの人が一般的な身長だ仮定すると、皿の中心から中心までの距離は、一般的な体育館の長辺の端から端まで……いや、それよりももう少し遠いかも知れない。
皿の間には皿より更に太い直径であろう、巨大な柱がそびえている。
「さらよりさらに、だって。うぷぷ」
ミニスカナースが、プクスーって顔で僕を見る。
ジョークのつもりじゃなかったのに、そんなとこ拾って莫迦にしなくてもいいじゃないか。
「――で、通路を見つけて――」とミニスカナースをスルーしながら、なんの気なしに柱がどこまでそびえているのか目で追い、見上げ過ぎてめまいを起こしそうになった。
「それにしてもでかいですね、この柱……っていうか、あれ? あの皿って上から鎖になってるんですか? てっきり、下に計測器があるのかと」
問いつつ、変な日本語だったなぁと自分でも思う。上から鎖になってる、って。
「そりゃ当たり前でしょ。上から――――が見てるんだから――――なのは」
ミニスカナースが呆れながら言うが、
「今、なんて?」
僕には途中の言葉が理解できなくて訊き返す。
「あなたはぁ、大事な説明を聴けなかったのね」
ロリナースが同情的な表情で僕に言う。
「つまりですねぇ、あの『最後の晩餐』は食べたいだけ食べてもいいのですけどぉ、食べれば食べるだけ俗世とは離れ軽くなり、戻れなくなるのです。そしてあなたが脱いだ服は向こうで浸されてぇ、ゴクちゃんたちが――」
――ごめん、やっぱり何を言ってるのか……って、ええ?
「あんた相変わらず説明下手よね、ダツエ」
ミニスカナースがため息をつく。
「だからわかりやすい説明ビデオを作ったってのにさぁ……」
「あの、俗世と離れるって?」
と、僕は問うたが、ロリナースは傍らでぷうっと膨れる。
「相変わらずって、ひどいよぉケンエぇ」
――聞いてねえし……ってか、ダツエってのは随分変わった名前だな。ってか苗字かも。
「まぁ、このええっと――流離井さんが、何故アレをふたつも抱えていたのかも、これで判明したわ。この人きっと、あの食べ物も食べてない。重さ変わってないっぽいし。どうしよっか――あぁもう次だ、流離井さん」
ミニスカナースことケンエの言葉に誘導されて前方に目を向けると、僕の前に並んでいた猫背の中年男性が皿に乗る所だった。
「あいつ、他人の分まで奪ってがっついてたからなー。本当なら流離井さんが食べる分のトレーも余ってたはずなんだけど」
ミニスカケンエがニヤリとする。
「お陰で、あたしらでも今じゃ滅多に見られない面白いモンが見られるよ」
ケンエの言葉で僕の後ろの列からもざわめきが起こる。
そんなことは露知らず、猫背の中年はよたよたと皿によじ登る。やっぱりあの皿は莫迦でかい。
と、途端に――――ガシャンッ――――大皿が、がくんと急上昇した。
「えっ?」
僕だけじゃなく、列からもどよめきが起こる。
「あ、あのっ。あれあんなに上がるもんなんですか? ちょっと揺れる程度だと思ってたのに。僕、高い所苦手で……」
「まぁ見ててくださいですよぅ」
ロリダツエが僕の腕にしがみついたまま、楽しそうな声を出す。
僕はといえば、悪友たちに騙されてジェットコースターに乗せられた時の恐怖を思い出してガクブルして来る。
皿の上では中年がなにやら喚いている。騙されたとかなんとか――皿の縁に掴まって、こちらを見下ろしながら。
「ゴクちゃんたちが向こうのお皿に載せるのですぅ」
ダツエの指さす方を見ると、病院着らしきものを持ったナースが、反対側の皿に向かっていた。
「あのおじさんはぁ、長袖を着てたのです。なのに寒い寒いと言って、自分の部下っぽい人から上着を奪って重ね着したのでぇ、他の人よりたくさん着ていたのですぅ」
「はぁ――そう? ここ、寒いかなあ?」
そういえば、列の中には半袖やハーフパンツだけではなく、長袖の人や浴衣のように裾が長いものを着ていた人や重ね着をしていた人もいた。
ぼくは半袖でも――今のこの全裸でさえ、特に寒くもないんだけど。
「重たそうですね?」
ゴクちゃんと呼ばれていたナースがよたよたと歩いて、ようやく皿に荷物を載せている様子を見ながら、僕は感想を述べる。
「重いだろうねぇ」
くくくとケンエが笑う――と、同時に、
ガシャッ
中年男性の乗った皿が、またぐぐんと上がる。
首が痛くなるほど見上げる高さに皿が上がり、中年男性の悲鳴とも罵声ともつかない声が遠くで聞こえる。
呆然と眺めていると――
「え、な、なにあれえっ?」
遥か上方からぬうっと降りて来たソレを目にして、僕は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
巨大な手、というか、指が二本――ゴマ粒大の中年男性の上半身から予想すると、爪から関節までが旅客機くらいの大きさという、とんでもなく巨大な指――が、繊細なまでに器用に中年男をつまみ上げたのだ。
「アゴ、はずれそうですよぅ?」
ダツエがのんびりと僕に話し掛けていた。
* * *
「いいいいいやだいやだいやだ。あんな怖いの絶叫マシーンの方がまだましだっつのぉぉっ!」
自分の理解の範疇を越えた現象を目の当たりにして、というより単に高所恐怖症を発症して、僕は喚き散らす。
さっきの中年は断末魔の悲鳴を上げながら、あのまま上方へ消えて行ったのだ。高所恐怖症の僕は、下からそれを見ているだけで、もうチビりそうだった。
あんな巨大な指に全裸でつままれて、更に空高く持ち上げられるなんて、僕は死んでも御免だ。
だが僕の両腕はそれぞれダツエとケンエがしっかり抱え込み、ずるずると皿まで引き摺られてしまう。
よくよく考えたら、僕の両腕は捕まえられてるんだから僕のアレはナニな状況だったわけだが、その時はそんなことを考える余裕はなかった。
「ぎゃーぎゃーうっさいんだよ!」
ケンエは一喝して、嫌がる僕を皿に押し込む。
悪あがきでじたばた暴れる人間をひとりで持ち上げてんだから、ケンエはすごい腕力だ。だがもちろん、その時はそんなことを考える余裕もなかった。
「じゃあねぇ。ぼんぼやじゅーですぅ」
ダツエは変な挨拶を僕にして、「あ、これ、どうぞ」と、先ほど別のカゴに入れられた布を渡してくれる。僕は混乱しながらも受け取り、一枚はそのまま抱えて、もう一枚ざっと広げて身体を覆う。
全裸が恥ずかしかったとかよりも、とにかく何か安心するものが欲しかったのだ。
急に飛び上がるかも知れないという恐怖に反して、皿はカシャンと揺れただけだった。むしろ徐々に下がって行く。
他の人たちは下がることもなかったので、この布の分、僕は重いのだろうか。
カシャン……
軽い振動が来て、僕の着ていた病院着が向こうの皿に載せられたのだと察する。
飛び上がるような衝撃は来なかった――と、ホッとしていると、ダツエの顔が僕の目線より高い。
「――え?」
僕の皿は、さっきの中年とは逆に、ゆっくりゆっくり沈んでいるのだ。
床から上はまばゆく白いのに、床から下は墨をこぼしたかのように真っ暗だ。
暗闇に沈んで行く恐怖なんて、経験してみないとわからないと思うが――とにかく、下までの距離がわからないこの状況は、僕にとっては高所にいるのと同じ感覚なのだが。
「あーあ、やっぱりか」
頭上でケンエの声がする。
見上げると、床の縁から僕を覗き込んでいる。隣にはダツエの顔も見える。
「あの、これ、どういう状態なんですか? ここから急に逆バンジーとかいう罰ゲームはないですよね?」
震える声で、僕は問う。
列に並んでいる最中に、こちら側の皿はずっと視界に入っていた。こんなに沈んでいるのも見たことがない。
「んー、それはだね。逆バンジーはないけど、そのまましたまで下りちゃうんじゃないかなぁ」
ケンエはニヤニヤしている。
「またお会いしましょうねぇ。ぼんぼやじゅー」
ダツエは何が楽しいんだか、僕に向かって手を振っている。
下まで下りる、ということは下の階があるのだろうか……と、勇気を振り絞ってこわごわ皿の縁から外を見ようとした途端――
「ぅ ひ や あ ぁ ぁ ぁ ぁぁぁ――!」
僕の情けない悲鳴とともに、皿が急降下、いや、自由落下を始めた――
* * * * * * * * *
――非常に情けない話だが、あまりの恐怖に気絶していたらしい。
周囲がまた白く眩しいことに気付き、僕はゆっくり目を開ける。
眩し過ぎて、薄目に手をかざそうと右手を上げる――が、なんか思ってたよりも自分の手が重い。
うんうん唸りつつようやく持ち上げると、ホータイぐるぐる巻きだ。
――いや、これどういう状況?
結局、落下時にどこかひねったのか、それとも気絶している僕をおもちゃにしてダツエとケンエがふざけたのか――そんな風に考えながら、よく見ようと右手を近づける。だがなんだか痺れている。
やたら重く感じたのは、ホータイぐるぐる巻きなせいだけじゃなかったらしい。
これはひどい。さすがにやり過ぎだ。
「ヒデキ!」
「流離井くん!」
左右から声が掛かった。
「あー……らんらよ、へんえぇ、らつえ……これひょいふらけすいらえ?」
苦笑しながら一応文句を言ってみるが、なんだか呂律が回らない。
「大丈夫? わかる? ヒデキ!」
右側からケンエ――は、いつの間に着替えたのか、OL風のスーツになっている。
退勤時間なのかな?
「流離井くぅん、あたし、あたしぃ……」
何故か泣きそうになってるダツエは、僕らの学校の制服姿で――え、制服?
――あれれ?
何かがおかしい。
「もぉ~、目を覚ましたんだからもう泣かなくていいでしょナツエぇ」
「だってぇせんせぇ。もう流離井くんに会えないんじゃないかと思ってぇ~」
――これは一体何の冗談なんだろう……?
「――ぼふ……ろうらっはんれふあ?」
「お前なぁ……いくら彼女が好きだからって、代わりに撥ねられるこたあないだろ? うっかり死ぬところだったんだぞ?」
――え?
「ごめんねぇ流離井くん、あたしが流離井くんのこと死なせちゃうのかと思ったらぁ、もう悲しくて悲しくてぇ……生き返ってよかったよぉ!」
「修学旅行一週間前だっつーのにうっかりで生徒に死なれたんじゃ、その後一生夢見が悪いだろうが、まったく……」
――あぁ。
そうだったのか――
僕はダツエの最後の挨拶を思い返す。
「聞いてんのか? ヒデキ。お医者さんの話だと、あと三日くらいは入院してなきゃいけないらしいから――」
『Bon Voyage』か……じゃあそれまでに治さなきゃな。