(2)実技の時間。①
「うふふふ。あらあら。まさか男子二人が女子に負けるなんてね。どうしたの、夏樹も郁兎もあんなに頑張って勉強していたじゃない」
「うるさい、静春! レベル10だからって調子に乗んなよッ」
「おお、怖。血気盛んな男子は野蛮ね」
「夏樹も何か言い返せよな。馬鹿にされてんのにだんまりか?」
「もうすぐホームルームはじまるし、僕は席につくよ」
静春の高笑いや郁兎の静止を気にすることなく、夏樹は長い前髪の裏から一瞥するだけで自分の席に座る。
(ほんと、自己主張のしない野郎だ。もっと自信持てよな)
郁兎は不満に思ったものの、言っても無駄だろうと心を落ち着ける。退屈そうに欠伸をした奈央が、興味なさそうに夏樹の左隣の席に腰を降ろした。
おろおろと郁兎と静春の言い合いを眺めていた悠菜が、ここぞとばかりに割って入ってくる。
「あの、落ち着いてください。喧嘩は、ダメです」
「別に喧嘩なんかしてねーよ。こんなの日常茶飯事だ」
「大丈夫よ、悠菜。私はこんな低能な男、相手にしないから」
「お前本当にひどいな!」
「事実でしょ?」
静春が愛おしそうに悠菜の頭を撫でている。郁兎は口を尖らせてそっぽを向いた。
(何でこうも静春は人の神経を逆なでするようなことを言うんだ)
本人は冗談のつもりで言っているものの、それでも郁兎にはそれは冗談じゃすまない。彼女の言葉は、ほんの少し棘をもって郁兎に突き刺さってくるのだから。
今の郁兎は、正直静春よりも弱い。中学までは、魔力がなくて学力はあれだったが、体育の成績だけは飛びぬけて高かった。『ダンジョン』に夢を見て体を鍛えもした。それでも静春に比べると、それは赤子同然の小さなことだということを思い知らされる。彼女の家はどうやら政府とのつながりがあるらしく、彼女はそんな高名な家で育てられてきたものだから、昔からいろいろと教え込まれてきたらしい。
「あの」という声で視線を向けると、悠菜が不安そうな表情で郁兎を見ていた。
郁兎は表情を強張らせそうになったが、意識して笑顔を浮かべる。
「だから大丈夫だって言ってんだろ」
「う、すみません」
(なんで謝んだよ)
郁兎はどうしても、悠菜のこういう小動物じみた言動が苦手だった。
「ふふ」と笑い声を上げ、郁兎のそんな心を見透かしたかのような目で一瞥すると、静春は窓側の席に腰を降ろす。その隣の席に、悠菜が口を開けて閉じて顔を伏せると腰を降ろした。
ため息をつきそうになり、それを止めるために口を押さえると、郁兎は一番真ん中、教卓の真ん前の席に腰を降ろした。
暫くしてチャイムが鳴り、まるで時間に正確なことを示すかのように担任の志津馬剛が入ってくる。前担任で、あの時に死んでしまった志津馬恵子の父親らしい。よく見ると穏やかな目元が似ているが、恵子先生に比べると、志津馬はうるさく、郁兎は幾度となく殴られた。
「よし、席に着いてるなぁ。ホームルームで話すことないし、さっさと一時間目の授業はじめるぞー。あ、その前に出欠席は、見たらわかるからやらんでいいな」、
適当な口調でホームルームを終わらせると、志津馬は少し早いが一時間目の授業を開始した。
今日の一時間目と二時間目は必須科目だ。郁兎の瞼が知らず知らずのうちに、うとうとと下がって行く。
●
高校を受験するとき、二つの選択肢がある。
一つは、魔力とは無縁の生活を送ること。『ダンジョン』に潜りモンスターを倒すことなく、『魔力』を抹消されて普通の人間としていく道。自分の中にある未知なるものから逃れるため、恐怖から、またはただの嫌悪から、こちらを選ぶ者は少数だが存在する。
一つは、魔力学園に通い、『魔力』を学び、『ダンジョン』に潜る道。多数がこちらを選ぶが、その理由は様々だ。一番大きな理由としては、一度『魔力』を使ってみたいというものだろう。郁兎もそうだった。
大きな欠伸をすると、郁兎は立ち上がった。
一時間目開始早々、夢の世界で旅をしていると、いつの間にか二時間目も終わっていた。郁兎が目を覚ますと、クラスの無慈悲な連中はもう教室にいなくなっている。三時間目は実技の時間なので、別の教室に向かったのだろう。
時計を見ると、次の授業まで後三分しかない。
郁兎はその場で慌てて体操服に着替えると、教室を後にした。
(遅刻だ!)
● ● ●
どうやら郁兎は遅刻しているらしい。
チャイムが鳴ってもやってこない郁兎のバカ面を思い浮かべ、夏樹はため息をつく。
本日三時間目の授業は、実技だ。『魔力技能』という授業名で、『魔力を使う術』を叩きこまれる時間。夏樹はいつも付けている緑色の耳栓を外し、ポケットに閉まった。
実技の先生は中年の女性で、肩ほどにつく髪の毛を苛立たしそうに触っている。他の授業は志津馬が担当しているものの、どうやら志津馬は実技で教鞭をとることが許されていないらしく、週に三回あるこの授業だけ別の先生に教えてもらっていた。先生の名前は、確か七尾だったか。下の名前は興味がないので覚えていない。
先生が組んでいた手を組み直し、そして顔を上げる。
「もういいです。はじめましょう」
「遅れた!」
騒がしいのが教室に入ってきた。
七尾先生が胡乱気な目で彼を見る。郁兎は、汗をだらだら流しながらも笑顔でそこにいた。
「遅刻」
「すみません!」
「減点」
「いや、そこをなんとか」
「これで何回目ですか?」
「すみません以後気をつけます。……あいつの授業が眠いのがいけないんだ」
「何か言いましたか?」
「いえなんでもありません」
郁兎が頭を垂れて、夏樹たちが集まっているところにやってくる。
コホンと咳をして、七尾先生は改めて授業を開始した。