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誰も知らない。  作者: キタガワミサ
3/19

消えかける存在

DVに変身した男の呪縛から解かれながらも

自分の居場所を失い、空虚感におそわれる主人公、柏木眞弓。


自分は何のために存在しているのかを自問自答しながら深い沼に入り込んでいく第3話。

ドクン。


「やっぱり心臓はここに存在するんだ」


そんな事が頭の中をかすめながらも一瞬で体が硬直した。


久しぶりに耳にしたメロディがテーブルの上で震えながら鳴った。


気を抜いて油断していた私は、床から体が数センチ跳ね上がるほど体中に電気が流れた気もした。


街中どこでも聴くこのポップな曲が、私にとっては魂そのものを動かぬよう固められる合図の始まり。


コンビニで買ったサラダをつまみかけた箸が床に弾け飛んだ。


「もしかして」と不覚にも期待が少し混じった心境で画面を覗き込んだ。


実家 母、の文字が目に飛び込んできた。


「ないか…」


落ち着きを払うかのよう呼吸を整え携帯電話を手に取った。



「眞弓?お母さんよ」


何ヶ月ぶりかに聞いた母の声。


「うん」


私の返事にかぶせるように

「眞弓の同級生の美樹ちゃん、さっき亡くなったんよ」


落胆している様子が電話越しに伝わってきた。



おろそかにしていたわけじゃなかったが、ここ数年は田舎に帰っていなかった。


大学までは地元にいたが就職してから一度くらいしか戻ってなかった。


美樹ちゃんは中学高校と仲良くしていた子だった。

ピアノが上手だった記憶が甦る。

「事故だったんよ、子供もいるのに…」


美樹ちゃん、結婚してたんだ。

誰かに愛されていたんだ。



人の人生がガラリと変わるほど時間が流れている事に愕然とした。


それと同時に自分には何も起きていない、誰にも愛されていない事実にも直面した。




母に頼み、告別式には行かなかった。


いや、行けなかった。


三日くらいの休みは簡単に取れたが、美樹ちゃんの姿、美樹ちゃんの親族を見る勇気が今の自分にはなかった。



この頃から左肩が時々痛むようになった。

忘れていたのだが、洗ってまだ水気の切れていない厚手のフライパンを振り下ろされた時に負傷したのだった。


このまま直撃したら頭蓋骨が割れてしまうのではないかと思うほどものすごい勢いで鉄の塊が正面に向かって来た時に咄嗟に避けて当たったのだった。



冷却湿布で応急処置して難を逃れ「日にち薬」と言い聞かせていたが、寒いせいもあってかバッグを肩に掛けるのが困難な日も出てきた。


もう治る事はない、仕方ないと思った。


一見ポジティブのようだが全く違う。


私の悪い癖かもしれない。


彼の気分を損ねたための制裁、私が悪いんだと言い聞かせながら冷却湿布を替えていた。


ちっとも自分を大事にしていなかったんだと美樹ちゃんの死で思い知らされた。




相変わらず独りのランチ。


味気ない手作り弁当をただ口に運ぶ。


非常階段はわりと風が通らないが、それでもビルに囲まれ日当たりが悪い場所。

く居たら体が芯から冷え切ってしまい、遭難し凍死寸前の人のように段々と瞼が下りてくる。


まるで、気功師が後ろから蜘蛛の糸で私を引っ掛け、こっちへおいで、こっちへおいで、と幽体を引っ張っているようだ。



エレベーターで色んな階に行ってみたが、独りで弁当を食べるような、人目を気にせず過ごせる場所は見つからなかった。


間が持たず半分ちょいの昼休憩を済まし、急いでもいない書類をコピーする事で時間潰した。


コピーされた生温かい用紙が数枚押し出されたところで停止ボタンを押した。


まだ休憩時間はあるが、一枚コピーすれば十分だというのを気づかれたら部が悪いのでそそくさと席に座った。



「眞弓ちゃん」


痛み出した肩をちょんちょんと誰かがつついた。


聞き覚えがある声に懐かしさが加わりキュンとして振り返った。


彼との別れに非常に関係がある重要人物が立っていた。


「眞弓ちゃん先月はありがとう。彼からメールが行ったでしょう?アドレス教えたの、私」


そう言いながら軽くウインクした。



森田夕希は以前同じフロアで働いていた。


同期で隣同士の席になりお互い田舎者というので話も合い仲良くなった。


彼女が別の部署に異動になると、社交的な彼女はあちらですぐ仲良い子が出来、自然と私との距離があいていった。


彼女がいたから今この部署にいる同僚とも一緒にランチをするのか日課になった。


たまたま帰りが一緒になった時、短い立ち話から食事の約束をし先月の一件になった。


彼が遅くなる日を見計らって日時を合わせてもらった。



ほとんど治っていた右太もも辺りが疼いた。


思い出したくなかったが釘が刺さったようなあの痛みがフラッシュバックしそうだった。



「大丈夫よ。まさか同じ大学だなんてね」


彼女には何も話していない。


自分の彼が送った礼メールで私の状況が悪化したなんて知ったら、この傷の事を知ったら…何て思うだろうか。


「あれから結婚の話も出てるの」


腰をかがめながら私の耳に顔を近づけ内緒話のようにこう告げた。


眞弓ちゃんのおかげ!と私の手をギュッと握った。


私はただただ愚痴のようなノロケ話を聞いていただけなのに。


「また詳しく教えるわね」


時計に目をやりとびきりの笑顔で小さく手を振りながら慌てて部屋を出て行った。



何かを失った気がした。


友達が誰かに取られたという感情か?いやそうじゃない。


自分の身が剥がされていく…。


チーズを上から下に割いているような、ただそんな感覚に陥った。


私の顔を見ながら手を振った。



彼女には一体どんな表情に映ったのだろう…。




…続く。


これからまだまだ深く泥をタップリたくわえた沼に入り込んで行きます。

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