邂逅
片田舎に建てられた、とあるオンボロアパートの一室。
所々がヒビ割れた窓ガラスから一人の男、桐生が帳の降りた空を眺めている。
空から一滴の雨粒が降ってくる。今朝の天気予報で夜は雨天になると伝えていた事を思い出した桐生は残念そうな表情を浮かべて窓を閉める。
桐生という男は幼い頃から夜空を見上げるのが好きで、夜になるといつも窓から満点の星空を眺めていた。不思議と飽きる事はなかった。何かに取り憑かれているように毎晩、空を眺めているものだから、両親には「早く寝なさい」とよく注意された。
桐生の住むアパートはお世辞にも綺麗とは言えない、所謂訳あり物件と言われている物件だ。不動産屋の話では過去にこの部屋で自殺した人間がいるらしく、自殺した元住人が夜な夜な現れ、何かしらの悪事を働くらしいのだが、このアパートに越して来て以来そう言った怪現象は一度も起こっていない。
六畳一間の中心に置かれた炬燵に腰を降ろす。秋の夜長、炬燵は実に重宝する。
炬燵の上には愛煙しているキャスターと、シンプルなガラス製の灰皿が一つ。キャスターの箱から一本だけ抜き取り、コンビニに売っている百円ライターで火を付ける。
煙草の先端に火が灯り、一筋の紫煙が舞う。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。紫煙を肺の奥底まで吸い込み、勢いよく吐き出す。桐生にとっての何事にも変え難い至福の瞬間。
部屋に満ちた紫煙で視界が曇る中、厚みの無い壁に掛けられた時計が午前十二時を告げる。
明日も朝から仕事があるから、もう寝なければならない。だが、今日はなんだか寝ようと思わない。久し振りに夜空を眺めた所為だろうか、などと煙草を吹かしながら感慨に耽っていると、外で降っている雨が強くなってきている事に気付いた。
腰を上げ、窓に近付きヒビだらけの窓を開ける。夜空に星の姿は見えない。雨が降っているのだから、当然と言えば当然なのだが、久し振りに見上げた夜空が雨空なんて、実にテンションの下がる話である。
その時、何処からか視線を感じた。桐生の住む部屋はアパートの二階。まさか、空から俺に対して視線を向ける人間なんている訳がないだろうと思い、そんな事を一瞬でも思ってしまった自分に苦笑しながら、闇夜に包まれた道路に目を向けるが、そこには寂しげに街灯が立つばかりで人影らしきものは見当たらない。
では何処から視線を向けられているんだ。今も視線を向けられているような気がして気が気でない。オロオロしながら辺りを見回していると急に雨脚が強くなり、頬を打つ雨粒の量と勢いが度を越したものになった。
両腕で顔を覆う。視界は閉ざされ、黒一色の世界が瞼の裏に広がる。
何処からともなく声が聞こえてくる。
「雨は嫌いかしら?」
ハッとして、顔から両腕を除ける。
雨脚は弱まり、小降りの雨がパラパラとアスファルトの地面を打つ。
自らの鼓動に似た雨音に心地良さを感じる。生まれてこの方、感じた事のない雨に対する感情。雨とはこんなにも優しい音を奏でるものだっただろうか?
「何を惚けているの?」
再び何処からか声が聞こえてくる。辺りを見回すが、やはり誰もいない。
「ここよ、ここ! ここだってば!」
一際大きな声が耳に届く。
声のした方、つまり上空…小雨が舞う夜空に視線を移す。
「やっとこっち向いた!」
小雨に変わった空には雲の間に切れ間ができ始めていた。切れ間の向こうで金色に輝く夜の立役者がこちらを覗いている。
立役者こと、お月様が声の主を照らし出す。これが御都合主義というものかなどと心の内で零しつつ、桐生はそれに目を奪われる。
傘を持った彼女は月光を背に空に経っていた。




