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「あの、私も念のために君も武器を持っていたほうがいいでしょうか」

「ええ、そのほうがいいですね」

 ルイーズはキッチンの戸棚から包丁を取り出すと後ろ手に隠した。

 俺達が戻ってみると、リックは居間でソファに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。

「何をしてたんだい? ルイーズ。遅かったじゃないか」

「いや。トイレに紙がなくって、出してもらってたんですよ」

 リックは俺の顔を見て、少し眉を顰めた。

「おかしいな。さっきまではあったような気がするんだが。見間違いかな?」

 がたん、と何か重いものが落ちる音が聞こえた。振り向いてみるとルイーズの足元に包丁が落ちている。ルイーズが慌てて包丁を拾おうと屈んだので、俺はリックから見えないようにルイーズの前に身体をずらした。

「ごめんなさい。カップを落としてしまったわ」

 ルイーズは包丁を拾うと、急いで背中に隠した。

 リックはルイーズの様子を不審そうな顔で見ていたが、すぐに俺のほうに視線を戻した。

「デビィ。そんなところに立っていないで座ったらどうだ?」

「え。ああ、そうですね」

 俺はリックの向かい側に腰を下ろした。

「ところでさっきの話の続きだが、君は人が人を殺すことをどう思う?」

「さあ。基本的にはよくないことだと思いますが、場合によりますね」

「ほう? 例えばどんな場合かな」

 リックは興味深そうな顔で身を乗り出してきた。

「自分や仲間の命が危ない時です」

「なるほど。君はよほど仲間が大事なんだねえ」

 そう言いながら微笑んだリックの顔には今にも舌なめずりをしそうな不気味さがあった。俺はゾンビになってから人間に恐怖を抱くことはほとんどなくなったが、それでもその邪悪な表情を見た瞬間、背中に冷水を浴びせられたような気がした。いや、怖がる必要などない。俺はリックの顔をまっすぐに見つめ返して言ってやった。

「ええ。大事ですよ。ですから、どんなことがあっても俺は彼を守ります」

「それは素晴らしい。君みたいな友人を持った彼は幸せだね。いや、友人以上の関係なのかな? 君達は」

「いいえ。そういう関係じゃないです。よく間違えられますけどね」

「ああ。そりゃあそうだろう。あれだけ綺麗な男はなかなかいるもんじゃないからね。なあ、デビィ。もしも彼が目の前で解体されたらどんな気持ちがするだろうね? まだ息があるうちに腹を切り裂かれる彼を君は正気のままで見ていることが出来るだろうか?」

 リックの目が次第に狂気を帯び、呼吸が速くなってきている。

「……どういう意味ですか? リック」

「ああ、気にしなくてもいいよ。ただの冗談だ」

 そろそろ先制攻撃するべきだろう。俺は拳を強く握り締めた。 


 その時、遠くからチェーンを巻いた車が雪を踏み固める音が聞こえてきた。やがて玄関のすぐ前で車が停まり、ドアの開閉音が響く。続いて雪を踏みしめる足音が玄関ドアの前で止った。ドアが激しくノックされ、リックの表情が一瞬にして強張った。

「こんばんは。マーカスです。夜分申し訳ありませんが、急用なので」

「はい、ちょっとお待ちください」

 ルイーズが居間を出て、玄関のドアを開けると、俺も続いて玄関に出た。

「あれ? スージーは?」

 スージー? スージーって誰だ?

「ええ。奥にいますよ。とにかく中にお入りください」

 玄関に入ってきたのは中綿付きのスエードのジャケットを羽織り、保安官バッジをつけた赤毛の若い男だった。

「すみません。スージーを呼んでもらえませんか」

 その瞬間、俺は全てを理解し、思わず大声で叫んでしまった。

「駄目だ! その女は」

 マーカスが何事かという顔で俺を見た瞬間、ルイーズの手が素早く動いた。床に音を立てて血が滴り落ちる。呻き声を上げ、腹から血を流しながら、マーカスはゆっくりと膝を折り、床に倒れた。

「ルイーズ。あんたも犯人の一人だな?」

 ルイーズは血まみれの包丁を構えて俺のほうに振りむくとにやりと笑った。

「ええ。そうよ。あんたには死んでもらうわ。あんたの大事なお友達にもね」

 その時、背中の後ろを誰かが走り抜けた。振り向くとリックが階段を駆け上がって行くところだった。急いで後を追おうとした俺にルイーズが叫び声を上げながら飛び掛かってきた。包丁を持った手を抑えつけると、今度は左手で無茶苦茶に胸を殴りつけてくる。抑えた手を捻りあげて包丁を奪い取り、顎を殴りつけるとルイーズは一瞬、よろけたが、すかさず右足で蹴りを入れてきた。俺はその足を掴み、持ち上げるように振り払う。ルイーズはバランスを崩して床に倒れた。再び起き上がろうとする女の顔を俺は思い切り殴りつけた。

 

――誰かが近付いてきている。そいつは酷く興奮している。腹をすかせた狼のように奴は俺の血を見たがっている――レイは切迫した危機感によって夢から現実へと引き戻された。毛布が一気に引きはがされる感触に目を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは銀色の弧を描いて身体に突き刺さろうとしている鋭いナイフの刃だった。

 レイは咄嗟に右手で男の右腕を掴み、素早く身を起こした。レイのベッドの右側に立っていた男は、一瞬怯んだようだったが、すぐににやりと気味の悪い笑みを浮かべると、掴んでいたナイフを手離し、同時に左手を振り上げた。

「つっ!」

 激痛を感じて、レイは男の手を離した。右腕の外側から血が噴き出している。男の左手には別のナイフが握られていた。

 間髪をいれず、男に飛びかかろうとすると、男は素早く身を翻してドアを出て行った。レイはベッドから飛び降り、後を追う。右の脇腹が、ずん、と痛みを訴えてくる。ここが何処なのかは判らなかったが、とにかくあの男を行かせてはいけない気がした。その時、別の部屋のドアを開ける音と同時に子供の甲高い悲鳴が響き渡った――


 ルイーズが口から血を流しながら呟いた。

「あの子の悲鳴が聞こえたわ。今頃、腹を裂かれているんじゃないかしら」

 ヒステリックに笑いだしたルイーズの腹を蹴って気絶させると、俺は階段を駆け上がった。レイが寝ているはずの寝室を覗いたが誰もいない。正面にある子供部屋のドアは開けっぱなしで、再び子供の悲鳴が聞こえた。薄暗い部屋の中に飛び込むと、レイの後ろ姿が見えた。よかった。無事だったか。もちろん彼は杭を打たれない限り死ぬことはないし、生身の人間に力で負けるはずもない。それでも俺はほっと胸を撫で下ろしていた。

「おや、どうやら無事だったようだね、デビィ。君も一緒に解体ショーを見るかね?」

 薄暗い部屋の奥で、リックは左腕にパジャマ姿で手足を縛られた少女を抱えて立っていた。まだ六歳くらいのプラチナブランドのセミロングの少女は目を見開き、恐怖に身を震わせている。リックの右手のナイフの刃先は少女の喉元にぴったりと当てられていた。

「いいか。少しでも近付いたら、この子の喉元を掻き切ってやる。黙ってこの家から去るんだな」

「おい。もう止めるんだ。お前はもう逃げられねえんだぞ、リック!」

 俺が叫ぶと、リックの手が素早く動いた。少女の首筋から一筋の血が流れ落ちる。少女が痛みと恐怖で叫び声を上げる。リックは血のついたナイフをべろりと舐めた。

 レイがぎゅっと眉を顰め、固く拳を握りしめた。彼の身体中に殺気が漲ってきているのが判る。

 とにかく何とかリックの気を逸らさないといけない。タイミングが悪ければ少女の喉は切り裂かれてしまう。

 その時だ。

「止めてえっ!」

 部屋の左の隅から悲痛な叫び声が響いた。リックが声のしたほうを見た瞬間、レイが跳躍し、奴の頭に強烈な回し蹴りを浴びせた。彼は血を噴いて倒れたリックの腕から、少女を抱えあげると、震える小さな身体をそっと抱き締めた。

「大丈夫。もう大丈夫だよ」

 優しく声をかける彼の顔は優しく、先ほどまでの厳しい表情は消え失せていた。

「レイ。こいつは連続殺人犯なんだ。もう一人の仲間の女は俺がやっつけた」

「そうか。今朝ニュースで言ってた奴だな」

「だろうな」

 俺は母親のスージーを縛りあげていた縄を男の持っていたナイフで切ってやった。スージーは娘によく似たプラチナブランドのショートカット。グレーのセーターにジーンズという地味な服装にも関わらず、はっとするほどの美しさを持った彼女は薄いグリーンの瞳が魅力的だ。彼女はすぐに娘に駆け寄り、強く抱きしめて頭を撫でた。

「ごめんなさい、ジュリア。気が付いたらあなたが殺されそうになってて。だのに身動きがとれなくって叫ぶことしかできなかったの。ああ……すぐに傷口を手当てしなくちゃね」

 母親譲りのジュリアの大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

「ママ…ママ!」

 俺は二人の姿を見ていて思わず涙が出そうになり、慌てて首を振った。今は感傷に浸っている場合じゃない。

「スージーさん。マーカスが刺されたんです。すぐに警察に連絡しないと」

「ああ……そんな! ……判ったわ。ところで、あなた達は?」

「俺達は旅の途中なんですけど、友人が気分が悪くなって、泊めてもらおうと思ってこの家にやってきたんです。詳しい話はまた後で。とにかく下に降りましょう」

「ええ、そうね」

 スージーは娘と一緒に部屋を出て行った。

「デビィ。君は先に下に降りててくれ。俺は後から行くよ」

 レイはそう言いながら、倒れているリックを見下ろした。瞳が青く輝き始めている。

「判った。でも、殺すなよ。それから終わったら奴を縛っといてくれ」

「判ってるよ」

 レイは俺の顔を見てふっと笑みを浮かべた。彼は酷く体力を消耗している。食事が必要なのだ。


 スージーは保安官の車の無線を使って警察に連絡を取り、戻ってくると娘の首の傷の手当てをした。俺はマーカスを抱えあげて居間のソファに横たえ、傷口にタオルを当てた。それから気絶しているルイーズに猿轡を噛ませ、ビニール紐で縛り上げた。


 やがて、レイが下に降りてきた。彼はルイーズの傍に寄ると、身を屈めて耳元でそっと囁いた。

「失礼。腹が減ってたんであなたの彼氏の血をいただいたよ、お嬢さん」

 ルイーズははっと目を覚まして、しばらく呆気にとられたようにレイの顔を見ていたが、やがて悔しそうに顔を顰め、身体を震わせて呻き始めた。


 マーカスに刺さった包丁の傷は浅く、幸い臓器を傷つけなかったようで、出血はほとんど止まってきていた。俺達は居間で救急車と警察の到着を待っていた。

「俺はスージーに殺人犯に気をつけるようにと忠告するためにここへ立ち寄ったんだ。まさか既に入り込んでいたとはね。相手が女だから、てっきり友人なのかと思ったんだよ。迂闊だった。君達には感謝してるよ、デビィ、レイ」

 マーカスは痛みを堪えながら俺達に話しかけてきた。

「でも俺もルイーズがてっきりこの家の人だと思い込んでいたんだ。もう一人は上にいるものだとばかり思ってたから」

 スージーはソファに寝かせた娘に毛布を掛けると、俺達のほうを見て、笑みを浮かべた。

「デビィ、レイ。本当にありがとう。あなた達が来なかったら私もジュリアもマーカスも殺されていたわ。でも、驚いたわ、あなた達がヴァンパイアだなんて。だって、普通の人間と全然変わらないじゃない。私はヴァンパイアってずっと恐ろしいモンスターだと思っていたのよ」

 俺はなぜここにやってきたのかを正直に話していた。レイが受けた酷い傷のことも。


「いいんですよ。普通の人達は俺達の本当の姿をあまり知らないんです」

 レイはソファに寄りかかって、柔らかな笑みを浮かべた。傷痕はだいぶ再生してきているようだ。

「ねえ、マーカス。外は雪だし、今は真夜中よ。娘も私もショックで疲れ果てているし、デビィとレイはハンターに追われているの。この家は現場検証で使えないかもしれないけれど、今晩一晩だけ何処かで休ませてもらうことは出来るかしら」

「そうだね。君達は病院に連れていきたいところだけれど、それじゃあジュリアが可哀想だしね。今夜は俺の家で一晩過ごすといい。デビィ、レイ。君達は明日の朝、出発して構わないよ。ヴァンパイアは俺達の守備範囲じゃないんでね」


 その後、数台のパトカーと救急車が到着し、二人組は逮捕され、マーカスは応急処置を受け、簡単に事情を聞かれた後、病院へ搬送された。俺とレイとスージー達は、マーカスの部下の車で、森を抜けた先の町にある彼の自宅まで送り届けてもらった。マーカスは奥さんと離婚してからずっと一人暮らしとのことだった。

 スージーはジュリアをベッドに寝かせ、レイは血のついた服を着替えて、そのままベッドに横になり、眠ってしまった。

 俺は横になったが眠れず、居間に戻って見るとスージーも眠れないらしく、居間のソファに座ってぼんやりと考え込んでいた。

「コーヒーでも飲みますか? スージー」

「ええ」

 コーヒーのカップを二つ持ってスージーの向かい側に座ると、彼女は壁に飾られているマーカスと前妻の写真をじっと見つめていた。

「彼、いい人だね。スージー」

 はっとしたように俺のほうを見た彼女の頬がうっすらと赤く染まった。

「……そうね。マーカスはジュリアにもとても優しくしてくれるのよ」

「彼、あなたの恋人なのか?」

「……そうなりたいんだけど、ちょっと怖くて」

 スージーは目の前に置かれたコーヒーのカップを両手で包むように握ると、また手を離した。

「ジュリアの父親は乱暴者でね。私も彼女も酷い虐待を受けていたの。結婚する前はすごく優しかったのに。だから、私は……その……また同じ目にあうんじゃないかと思って」

「俺、今日会ったばかりでこういうことを言うのもどうかと思うんだけど、彼はそういう人間じゃないと思うよ」

「どうしてそんなことが判るの?」

「俺達は毎日、ハンターに襲われる危険を感じながら暮らしてる。だから、相手の優しさが本物なのか偽物なのかもだいたい感じ取れるんだ。彼のは本物だよ。あなたやジュリアを見つめる目は本当に優しいしね。あれは偽物なんかじゃねえ」

 スージーの顔がぱっと明るくなった。

「その言葉……信じさせてもらってもいいかしら」

「もちろん」

「ありがとう、デビィ。今度、彼を食事に招待してみるわ」


 翌朝、雪は降りやみ、空は青く晴れ渡っている。軽い朝食を済ませると、レイはマーカスのクロゼットから茶色のウールのコートを取り出した。もう彼の身体の再生はほとんど完了している。

「デビィ、お前も服を借りるか?」

「ああ、俺はいいよ。腕が切れてるけど目だたないし、着れないって訳じゃない」

「判った。スージー、このコート、勝手に借りますけどマーカスに一言言っておいてください。後でクリーニングに出してこちらに送り返しますから」

「ええ、判ったわ」

「スージー、うまくいくことを祈ってるよ」

「ありがとう、デビィ。二人とも気をつけてね」


 俺達は町を抜け、ヒッチハイクをして別の町へと向かった。レイは道路の端に立っている時も車を捕まえるまで、ずっと警戒を怠らなかった。

「お前、スージーやマーカスが裏切ると思ってるのか?」

「いや。でも、他の連中はどうだろう。昨日やってきた警官達の中に俺達の正体に気付いてハンターに通報した奴がいるかもしれない。いずれにしてもリックの首筋には俺の咬み痕が残っているしね」

「でも、俺達は人を助けたんだぞ!」

「そのとおり。でも、そのことはたぶん、公にはされない。政府に対する宗教界の圧力は大きいからね。ヴァンパイアが正義の味方なんてことは、悪魔が人を救ったのと同じことなんだよ」

「そういうものか。何だかやりきれないな」

 レイは俺の肩を軽く叩いて、穏やかな笑みを浮かべた。

「まあ、いいじゃないか。少なくとも三人の人間は俺達のことを判ってくれた。それだけで十分だよ」

 

 ワゴン車の後部座席の窓から濃いブルーの空を眺める。俺達が安心して暮らせる日々がいつか来ることはあるのだろうか。膝に重さを感じて気が付くと、レイの頭が乗っていた。こいつ、ふざけてるのか。だが、彼は穏やかな寝息を立てて眠っている。眠りは束の間の安らぎだ。俺は彼が目覚めるまでそっとしておくことにした。


 後日、殺人犯逮捕の陰にヴァンパイアが大きく関わっていたことが噂として広まった。もちろん、その噂を流したのは俺達じゃあない。


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