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当作品はサイトからの転載です。

 二月の初め。その日は前日からの雪が激しく降り続いていた。午後七時。俺達は別の街に移動中だったが、暗くなったのでヒッチハイクした車から降り、シアトルの近郊にある小さな町にやってきていた。着いてすぐにレイはホテルを探そうとしたが、俺はとりあえず一息つきたくて町外れにあるバーに足を踏み入れた。


 テーブル席では十数人の男達がいくつかのテーブルに別れてポーカーに興じていたが、まるで申し合わせたように一斉に俺達のほうを見た。どいつも同じように無精髭を生やし、胡散臭そうな顔で俺とレイの顔を交互に見ていたが、やがて意味深な笑い声を洩らしながらカードに目を戻す。

「何だ。女じゃねえのか」

「まあ、少なくとも完全に男ってわけでもなさそうだな」

 下卑た笑い声が店中に響き渡る。レイはふっと眉を顰めた。

「デビィ。ここは嫌な匂いがする。他へ行こう」

 レイが耳元で囁いた。確かに嫌な匂いがした。ハンターの匂いだ。それも複数。だが外は酷い雪だし、他に立ち寄れそうな店は一軒も見当たらなかった。

「一杯引っかけるだけさ、レイ。だから我慢してくれねえか」

 レイはふっと溜息をついたが、やがて諦めたようにバックパックを下ろすとカウンター席に腰を下ろした。だがベージュのショートコートを脱ごうとはしなかった。俺はビールを二杯頼んだ。カウンターの奥にあるテレビにはニュース番組が映し出されていた。

『最近、シアトル周辺で起こっている連続強姦殺人事件について警察は犯人は二人組と断定し……』

 レイはやる気のなさそうな太ったオヤジからビールを受け取ると、そっと口をつけた。長い髪と睫毛には払い損なった雪が残っている。

「とにかく早くここを出よう、デビィ。居心地が悪すぎる」

「ああ、そうだな」

 確かに彼の風貌はこの店には似つかわしくない。レイがビールを飲み干し、俺が代金をカウンターに置いて立ち上がろうとした時だ。


 レイの隣にミリタリーコートを着た男が腰を掛けると同時にレイの左のこめかみに素早く銃を押しあてた。

「よう、レイ・ブラッドウッド。会えて嬉しいぜ」

 そう言いながら、男は左手で後ろの男達に合図を送った。三人の男が店から出ていくのが見えた。

「なんだ、てめえ!」

 思わず立ち上がり、その男に掴みかかろうとした俺の手をレイの右手が押し戻した。彼は表情ひとつ変えずに男に答える。

「誰を探してるのか知らないが、人違いだよ。それにいきなり人の頭に銃を押しつけるとはずいぶん失礼じゃないか?」

「は! 笑わせるな。そのくそ長い金髪に青い目は見間違えようがねえぜ! 違うってんなら、牙を調べさせてもらうぜ」

 男は銃を押しつけたまま、レイの口に左手を伸ばしてきた。次の瞬間、矢のように素早く伸ばされたレイの左手が男の顔面を殴りつけた。男が吹っ飛ぶと同時に手から離れた銃が床に落ち、ブレイクダンスのダンサーのように回転して暴発し、カウンターの板に綺麗に穴を開けた。男達が一斉に立ち上がって銃を構える。俺は手近にあった二脚の木の椅子を両手で掴むと男達に向かって思い切り投げつけた。悲鳴を上げて数人が床に倒れ、残った男達の銃が火を噴いた時には俺達は店の外へと飛び出していた。

 外には二人の男が待ち構えていた。レイは一人の首に掴みかかり、瞬時に首の骨を握り潰した。俺はもう一人の男を殴り倒す。

「どうする? レイ」

「相手の人数が多すぎる。ここは逃げたほうがいい」

「え? ああ……そうだな」

 道の遥か先には暗く深い森が広がっている。降り積もる雪に足を取られながら俺達は全速力で走りだした。

 どれくらい走り続けただろう。道を外れ、森の中でようやく立ち止った頃には、追手の影はまったく見えなくなっていた。

「もう大丈夫かな、レイ」

「ああ。ハンターの匂いはしなくなったよ。少し休もう。……どうしたんだ? デビィ」

「いや、あれぐらいの人数なら、やっつけられたんじゃねえかと」

「まあね。でも今日はそんな気分じゃなかったんだ。たまにはこんな時もあっていいだろ?」

 レイはそう言いながらちょっとすまなそうな顔をした。

「そうだな。必要以上に人を殺す必要もねえしな。っていうか、そんな顔すんなよ。何だか俺……」

 お前に悪いこと言ったみてえじゃねえか。その言葉を俺は飲み込んでしまった。無意識にレイがハンター共を殺戮することに期待していた。そして俺自身も奴らを……。

「いや、何も気にしてなんかいないよ、デビィ。たぶん、お前の考えていることのほうが自然なんだ」

 そうだよな、レイ。俺達は常に命の危険に晒されているのだから。

「でも、人間の血を見たくない時もたまにはあるのさ。甘いのかもしれないけどね」

「ああ、甘いな。確かに」

 レイはふっと柔らかな笑みを見せた。まあ、いいか。そういう甘さもまた彼らしいと言えるしな。


 レイは背中からバックパックを降ろすと近くにあった木の下に置いた。

 俺はバッグパックの紐に手を掛けながら何となく気になって背後の森を振り返って見た。森の奥から何やら俺に向かってまっすぐに伸びている赤い光の線が見えたような気がした。身体を見下ろすとちょうど俺の腹のあたりに赤くて丸い光が当たっているのが見える。何だろうと考える暇もなかった。

「デビィ、伏せろ!」

 叫び声と同時にレイが俺を突き飛ばした。鋭い銃声が響き渡ると同時に生温かい液体が飛び散り、俺の顔に降りかかってきた。しまった。風下に敵がいたのか。

 レイが俺の横でうつ伏せになって倒れていた。周囲の雪がみるみるうちに深紅に染まっていく。彼の脇腹の肉はまるで齧られたリンゴのように抉りとられ、血の色の塊が飛び散っていた。レイは苦しそうに顔を歪めながら小さな声で呟いた。

「逃げろ……デビィ!」

「何を言って……」

 雪の中から立ち上がりながら、そう言いかけた時、何者かが雪を踏みしめる音が徐々に近付いてくることに気付いた。俺は急いで木の陰に隠れた。

 赤外線レーザーポインター付きのでかいライフルを抱えた迷彩服の男が姿を見せ、ゆっくりとレイに近付いてきた。畜生、こいつがレイを撃った奴か。男はしきりにあたりを気にしている。俺を探しているのだろう。俺は男が通り過ぎた瞬間、真後ろから飛び掛かり、押し倒して首に腕を絡め、きつく締めあげて骨を砕いた。男の力が抜けると同時に強い食人衝動が襲ってきた。こいつを食いたい。腹を切り裂いて肝臓に齧りつきたい。ただもうそれしか考えられず、跪いて男の服に手をかけたところでレイの呻き声が聞こえ、我に返った。こんな時に俺は何をしようとしていたんだ。強く首を振り、歯を食いしばって衝動を無理やり抑え込み、立ち上がるとレイに走り寄った。

「立てるか? レイ」

「いや……どうやら肝臓が吹き飛ばされたみたいだ。身体に力が入らない。デビィ、これ以上追手が来ないうちに逃げるんだ。俺は置いていっていいから」

「馬鹿野郎! そんなこと出来るかよ!」

 俺はレイのバックパックを肩に掛け、彼を抱き上げると森の奥に向かって歩き出した。

「デビィ。やっぱり、俺、甘かったみたいだな」

「いいから喋るな。治りが遅くなるぞ」

 レイは寂しそうに微笑んでそのまま目を瞑った。


 外気温が下がってきているのだろう。雪は少しずつ固くなり、次第に歩くのが辛くなってくる。追手はもう来ないようだったが、二時間近く歩いたところでかなりの疲れを感じて俺は立ち止った。さすがにバックパック二つ背負ったまま人を運ぶのはきつい。レイは目を瞑ったまま浅い息をしている。既に血は止まっているようだ。人間もそうだが、肝臓という臓器は再生が早い。明日には歩けるようになるかもしれない。俺は雪があまり積もっていない大きな木の下にレイを寄りかからせると、血まみれのコートを脱がせた。それから自分のコートを脱いで掛けてやり、傍らに腰を下ろした。やがて雪が止み、ふと気が付くと森の奥のほうにうっすらと灯りが見えた。俺は立ち上がり、灯りのほうへ歩いて行ってみた。ふいに森が開け、細い道に出た。道の先には小さな家が見えた。あそこまで行って泊めてもらおうか。レイを少しでも楽な状態にしてやりたいし、俺のコートを着せてしまえば傷は隠せる。それに酷く腹が減っていた。だが、不審に思われて通報されたら元も子もない。空を見上げるとまたちらちらと雪が舞い始めた。よし、一か八かだ。俺は森の中へ戻ってレイを抱え上げると暖かそうな灯りに向かって歩き始めた。



 近付いてみるとそこは山小屋風の木造でポーチのついた一軒家だった。ドアをノックしてしばらくすると鍵を開ける音とともに扉が少しだけ開き、ブルネットの長い髪に薄い茶色の瞳の若い女が顔を見せた。黒いワンピースを着たそばかすだらけのその女の顔は疲れきっているようで化粧ひとつしていない。部屋の奥からビーフシチューの匂いがしてくる。どうやら食事中のようだ。

「すみません。俺達、旅行中なんですが友人が具合が悪くなってしまって。部屋の片隅でもいいですから泊めてはいただけないでしょうか」

 女はレイの顔を見て、怯えたように後ろを振り返った。

「ごめんなさい。娘が病気で寝ているんです。お泊めすることは出来ません」

 女は俺の返事を待たずにドアを閉じようとした。俺はその態度に怒りが込み上げてきて足で強引にドアを押し開いた。

「ご迷惑はお掛けしません。朝まで休ませていただければいいんです!」

 俺はドアを背中で押し開け、唖然としている女を残して玄関に入りこんだ。

「ああ、構わないよ、ルイーズ。泊めてあげなさい」

 左手にある居間の奥から出てきたのは短い黒髪に銀縁の眼鏡を掛け、仕立てのいいシャツを着た紳士的な態度の男だった。

「でも……」

 ルイーズと呼ばれた女は蚊の鳴くような声で呟いた。

「大丈夫だよ、ルイーズ」

 男は俺に近付いてきた。

「なるほど。ご友人はかなり具合が良くないみたいだ。医者を呼べればいいんだが、あいにく電話が故障していてね」

「ああ、疲れているだけですので、休ませていただければ結構です」

「とにかくご友人をベッドに寝かせてあげよう。こっちへ」

 男に従って正面の階段を上り、廊下を左に曲がると右側にあるドアを開けた。そこは寝室で、シンプルなベッドがふたつ置かれていた。

「この部屋は来客用なのでね。自由に使って構わないよ」

「そうですか。ありがとうございます」

 俺は手前のベッドにレイを寝かせると毛布を掛けた。レイの呼吸はすっかり落ち着いてきている。

「コートは脱がさなくていいのかな?」

「ええ。寒がっていたんで。このままで大丈夫です」

 俺は男に続いて部屋を出ようとした。すると隣の部屋から泣き声が聞こえてきた。小さな女の子の声だ。

「娘さん、泣いてるみたいですよ」

「え? 私には何も聞こえないが……風邪をひいてね。悪い夢を見てるのかもしれない。ちょっと見てくるから居間に戻っていてくれ」

 男が廊下に出て奥の部屋のドアを開けると、女の子の声が一瞬途切れ、再び泣き声が聞こえてきた。何だか酷く怯えたようなその声は悪夢のせいなのだろうか。

 俺が居間に戻ると、ルイーズが何か言いたそうな顔で俺を見ていた。

「すみません、ルイーズさん。感謝してます」

「え、いいえ。あの……」

 男が部屋に戻ってきた途端、ルイーズがびくりと身体を震わせた。

「あ、あの。よかったらシチューはいかがですか?」

「ええ。いただきます」

 俺はダイニング・ルームの男の横に腰を下ろすと、改めて部屋の中を見回した。広い窓には薄茶色のカーテンが掛けられている。飾棚には子供が好きそうなキャラクターの人形や、趣味のいい食器がいくつも飾られている。きちんと整頓された部屋。だが、何か違和感がある。電話だ。それは誰かが電話線を引っ張ったみたいに斜めに置かれていて、受話器が少し浮いているように見えた。この二人、夫婦仲がよくないのかもしれない。きっと俺達が入ってくる直前にも口喧嘩をしていて、奥さんが何処かに電話を掛けようとし、旦那が電話を乱暴に……。

「ええと……君の名前は」

「デビィです」

「私はリックだ。君達は何処から来たのかね?」

「ロスです。シアトルまで行く途中だったんです」

「そうか。あそこは実にいい街だよ」

 ルイーズは俺の向かい側に座るとテーブルの上で組んだ手を落ち着きなく動かしながら居間のほうを見つめている。

「お代わりはいかがですか? デビィ」

 リックの声に多少の苛立ちを感じたのは気のせいだろうか。

「ええ。いただきます」

 ルイーズが俺の皿を持ってすぐ隣のキッチンへ入ってしまうと、男は愛想笑いを浮かべながらこう言った。

「妻は神経質でね。あんまり他人と接することが好きではないんだよ」

「そうですか」

 ルイーズがシチューのお代わりを持ってきた。レイも腹をすかしているだろうけれど、今は寝かせておいたほうがいいだろう。

 リックはその後、しばらく黙っていたが、いきなり立ち上がると窓際に置かれた小型のテレビのスイッチを入れた。

『犯人は母子二人暮らしの家ばかり狙っており、母親をレイプして殺害した後、子供を殺すという実に残忍な……』

「君はどう思う」

「え? 何のことですか」

「この犯人だよ。実に酷い犯行だと思わないかい?」

 ああ、この殺人事件の話なら今朝のニュースで見た覚えがある。

「ええ、そうですね。人間のすることとは思えません」

「噂によると子供の目の前で母親を殺すそうだ。きっと子供の怯えた顔が堪らないんだろうな。すでに犠牲者は二組。どちらも母親の腹は切り裂かれて内臓が取り出されていたらしい」

 レイと同じだ。彼の母親は彼の見ている前でハンターに殺され、首を切り取られた。だが……。

「子供も殺されているんですよね?」

「ああ。それがどうかしたのかな?」

 子供が殺されているのに、どうして『子供の目の前で殺された』ことが判ったのだろう? どちらが先に殺されたか、なんてニュースでは言っていなかったが。

 まさか……いや、まさかとは思うが、もしかしたら……。

「すみません。バスルームをお借りしたいんですが」

「ああ、キッチンの先の右側だ」

 俺は急いで立ち上がり、キッチンを抜け、バスルームに入った。洗面台の棚の中を覗いてみる。使用している歯ブラシは二本。大人用と子供用。髭剃り用のカミソリやシェービングクリームは一切ない。

 俺の推測が当たっているとすると大変なことだ。とにかくこれはルイーズに確かめてみるしかないだろう。

 バスルームのドアを開けると、俺は大声で叫んだ。

「すみません。ルイーズ。ちょっと来ていただけますか?」

 ルイーズは酷く心配そうな顔でバスルームにやってきた。彼女を入れてドアを閉める。

「ルイーズ。あの男、娘さんを監禁しているんじゃないですか?」

 ルイーズは唇を震わせて、しばらくの間俺を見ていたが、やがてふうっと息を吐き出した。

「ええ……ええ。そうなんです。あの男達、食事の支度をしていたら、いきなりうちに上がりこんできて、娘を縛りあげて……私が言うことを聞かなければ娘を殺すって……。電話線も切られてしまいました。私、どうしたらいいんでしょう?」

「男達? 犯人はもう一人いるんですか?」

「ええ。娘の部屋に」

そうか。どちらにしても先にリックを始末するしかないだろう。

「あの男は武器を持ってますか?」

「ええ。サバイバルナイフを椅子の下にあるバッグの中に隠しています」

「判りました。いいですか? ルイーズ。居間に戻ったら出来るだけ自然に振舞ってください。俺が隙を見て奴をやっつけます」

 ルイーズは大きく目を見開いた。

「でも……それではあなたが」

「俺は大丈夫ですよ。娘さんは必ず助け出しますから」


――レイはたった一人で暗い森の中を歩き続けていた。声を嗄らしてデビィの名を呼び続ける。何処からも返事はないし、何の気配も感じない。たださらさらと音を立てて雪が降り続くばかりだ。突然、子供の泣き声が聞こえてきた。恐怖で震えているようなその声は大きくなり、小さくなり、レイの周囲を旋風のように巡り続けている。この声はなんだ? 思わず耳を塞ごうとすると、子供の声に被さるように別の声が聞こえてくるのに気が付いた――

 

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