闇のサンタクロース
グロテスク描写あり。苦手な方はご注意ください。
クリスマス・パーティが始まったのは午後六時だった。ワンルーム・マンションの鏡子の部屋には小ぶりのクリスマス・ツリーが置かれ、壁や窓には色とりどりの装飾が施されていた。
鏡子は中学時代からの友人であるヒナとユリカを招いていた。
「メリー・クリスマス!」
立て続けに飲んだワインの為に既に酔いが回ってきているユリカがグラスを高々と差し上げて叫んだ。
「いやだ、もう酔っぱらってるよ、この人。ほんっとアルコールに弱いんだよね」
駅前のデパ地下で買ってきたチキンを齧りながらヒナが呟く。
「いいって。酔っぱらったらうちに泊まっていけばいいし」
テレビのお笑い番組を見ていた鏡子がどうでもいいような口調で言葉を返す。
「でもさ、あたしら十九だから酒飲んだら駄目でしょ」
「何いってんのよ。昔からモラルなんてないじゃん、あたし達」
「それもそうだね。あたしなんかゴミの分別だってしたことないよ」
「ってか、彼氏はどうしたのよ、ヒナ。結構いい男だったじゃない」
「ああ、あいつ浮気しやがったから別れた。ビンタくれてやったら泣きそうな顔してたよ、あの馬鹿」
結局、ふられたってことでしょ、と鏡子は心の中で呟いた。
「そうだったんだ。酷いやつだね」
鏡子はワインが空になっているのに気付き、席を立ってキッチンに向った。その時、玄関のチャイムが鳴った。
「すみません。ハンコをお願いします」
宅配便の配達員が運んできたのは鏡子の背丈ほどもある何の飾りもない樅の木の鉢植えだった。
「ええ? こんなもの頼んでませんけど」
「あれ、ここは広田さんのお宅ですよね?」
「そうですけど」
「すみませんが、差出人を確認していただけますか?」
配達員が差し出した伝票には実家の住所と母親の名前が書かれている。
――変ね。ママは何も言ってなかったけれど。
樅の木を配達員に部屋の中まで運んでもらうと、鏡子はしばらく黙ってそれを眺めていた。
「どうしたのよう、鏡子。それ、頼んだの?」
ヒナが座ったまま、興味深げに樅の木に視線を向けてきた。
「頼んでないよ。ママが送ってきたみたいだけど……」
でも、クリスマス・ツリーなら判るけど、何で樅の木だけなのだろう、と訝しげに鉢の中を覗くと、土に赤いカードが差し込まれているのに気が付いた。引き抜いて開いてみると、そこにはこう書かれていた。
『お久しぶりです。以前はお世話になりました。私から心をこめてプレゼントを差し上げます。闇のサンタクロースより』
闇のサンタクロース? 突然、忘れかけていた記憶が蘇り、鏡子はぞっと身体を震わせた。
高校受験を目の前に控えた中三の冬、鏡子とユリカは日頃のストレスを大人しくて弱気な純香にぶつけていた。
特にきっかけがあったわけでもない。誰かが、あいつ、気に入らないと言い出したからかもしれない。
二人は最初は机に落書きをしたり、文房具を隠したりしていたが、そのたびに泣きそうになる純香が面白くて、イジメは次第にエスカレートしていった。
しまいには鏡子が下駄箱の純香の上履きに犬の糞を入れ、それに気が付かずに純香が履いてしまったことがきっかけとなって、クラス全員が純香を「バイ菌」扱いするようになった。
誰とも口をきいてもらえず、人に近付けば「汚い、あっちへ行け」と言われるようになった純香は次第に学校を休みがちになっていった。純香は片親で、母親は昼は工場で、夜はスナックで働いていたので心配を掛けたくなかったのだろう、純香は誰にもそのことを相談できなかった。
このまま、純香が学校に来なくなったら面白くないと思った鏡子はある名案を思い付き、それを実行した。
「ねえ、純香さん。闇のサンタクロースの話を聞いたことがある?」
学校の帰りに立ち寄ったファミレスで、チョコパフェを突きながらヒナが純香に小さな声で囁いた。
純香が久しぶりに登校して来た日の放課後、ぼんやりと自分の席に座っていた彼女にヒナは声を掛けたのだ。
あなたのことは前から可哀そうだと思っていたの。あの二人は本当に酷いよね。あたしも仲のいいふりしているけれど本当は大嫌いなの。何処にも縋るところがなかった純香はヒナのその言葉を信じてしまった。
「いいえ。それって何ですか?」
おずおずと純香が訊ねた。目の前に置かれたオレンジ・ジュースは一口も飲んでいない。
「十二月二十四日の晩、午前零時ちょうどに、部屋を真っ暗にして鏡に向かって闇のサンタクロースに願い事をすると何でも叶えてくれるの。これは嘘じゃないよ」
「何でもですか?」
「そう。あたしも前にやったことがあるの。近所のいじめっ子が怪我をするようにって。そしたら、次の日にその子、交通事故にあって大怪我したの。いいザマだったわ」
「それって……凄いですね」
「でしょう? あなたもやってみなさいよ。あの二人を痛い目に合わせたいんでしょう?」
「それはそうですけれど」
「いいじゃない。もし何も起きなくたって問題はないわけだし。やってみなさいよ。ただね、一つだけ条件があるのよ」
「なんですか?」
「今、自分がいちばん大事にしているものを壊さなくちゃいけないの。 要するに代償みたいなものね。私は貯金して買った大好きなネックレスを壊したわ。すごく悲しかったけど」
そう言いながら、ヒナは純香ににっこりと笑いかけた。
「もしよかったら、あたしが一緒にやってあげてもいいわよ。一人じゃ不安でしょう?」
純香の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、ヒナさん」
そして十二月二十四日の深夜、ヒナから鏡子に電話があった。
ヒナは午後十一時頃に純香の家に行き、「闇のサンタクロース」の儀式を純香に行わせた。純香は半分泣きそうになりながら、いちばん大事にしていた真っ赤なコートを自らカッターで切り裂いたのだという。
『母親に買ってもらって、まだ一度も着てなかったんだってさ。ざまあみろだよね。明日、どんな顔をしてくるか楽しみだね~。ってか、鏡子ってイジメの天才だね』
そうだよね。あんな話に引っかかるなんて純香って本当にバカ女だね。そう返す鏡子の言葉にヒナは大笑いしていた。
十二月二十五日の朝、鏡子達とヒナが笑いながら話をしていると純香が教室に入ってきた。彼女は三人を見るとふっと顔を曇らせた。
「あら? どうしたの? 純香さん。がっかりしたような顔して」
そう言ったのはヒナだった。
「あんた、まさか本当に鏡子とユリカに呪いが掛かったなんて思ってないわよねえ? 残念だけどあれは作り話だから」
ヒナのその言葉に、純香は顔を強張らせた。
「騙したのね? ヒナさん」
そう呟いたときの純香の顔を鏡子は思い出した。憎しみと悲しみの籠った歪んだ顔を。
「許さない。あんた達をぜったいに大人にはさせないからね」
その声はいつもの純香の声ではなかった。しゃがれた男のようなその声に鏡子は背筋が凍ったのを覚えている。そのまま、純香は教室を飛び出していき、それ以来学校には来なくなってしまった。
数日後、純香が学校をやめ、引っ越したことが担任の口から告げられた。その後の彼女の消息は不明のままだ。
――まさか、あの純香が? そんなはずない。
鏡子は急いで実家に電話を掛けた。
「もしもし、ああ、ママ? あたしに樅の木を送ってくれた?」
『え? 何にも送ってないけど、いったい何のこと?』
だとしたら、可能性はひとつしかない。肌が粟立つような恐怖感がぞわりと浮かび上がってくる。
「ああ、いいの。何でもない。じゃあね」
「ママじゃないわ。純香よ。あいつが送ってきたのよ」
鏡子はカードをヒナに見せた。
「闇のサンタクロースって何だっけ? ああ、あのあんたが考えた作り話よね」
「そうだけど」
それは確かに鏡子が考え付いたことだ。ドイツの伝承のブラックサンタを捻っただけのいい加減な作り話だった
「誰かのイタズラじゃないの? あの話、何人かには話した覚えがあるし」
本当にそうだろうか? と鏡子は思った。それにしても実家の住所や母親の名前を知っていて、それを騙って送ってくるなんて悪戯にしても性質が悪すぎる。
「これ……捨ててこようかな」
「いいじゃん、せっかく送ってきたんだからもらっとけば。それよりオーナメントがないのは寂しいね。一緒に送ってこなかったの?」
「これだけ。だから気味が悪いのよ」
「あ、あたしアイス食べたいからコンビニに買いに行ってくる!」
ユリカがそう叫ぶとふらふらしながら部屋から出て行った。
「ねえ、ヒナ、これ、一緒に部屋の外に運び出してくれない?」
そう呟いた直後、鏡子は一瞬、目眩がして目の前が真っ暗になった。
「鏡子、ねえ、鏡子。寝ちゃったの?」
肩を揺さぶられて鏡子は目を覚ました。ヒナがにこにこしながら目の前に立っている。テレビの番組はいつの間にかドラマに替わっている。
「ああ、ごめん。ちょっと寝ちゃったみたい。ユリカは?」
「まだ帰ってないよ。それより、これ見てよ。ドアの外に置いてあったの」
指さした床の上には大きな横長の段ボール箱が置かれていた。
「ほら、これで開けてよ、鏡子」
ヒナが差し出したのはキッチンに置いてある包丁だった。鏡子はそれを受け取ると恐る恐るガムテープに刃を当て、ゆっくりと突き刺した。悲鳴のような嫌な音を立てながらガムテープが切り裂かれていく。箱のなかには色とりどりのオーナメントが入っていた。きらきらした長いピンク色のモール、ベルやサンタや星、様々な形をした飾りを見たとたん、鏡子の不安は嘘のように消えてしまった。
「綺麗ね、鏡子。一緒に飾りつけしようよ」
「そうだね」
鏡子はさっそく長いモールを取り出した。何となく湿っているような気もしたが気にせず、ゆっくりとツリーに巻きつけていった。ヒナは針金でオーナメントを取り付ける。次第に樅の木は華やかなクリスマス・ツリーへと姿を変えていった。ひときわ赤く、輝いたハートをツリーのてっぺんに取り付けると、鏡子は満足そうにツリーを眺めた。
「なかなかいいじゃない。ねえ? ヒナ」
振り返るとヒナはいなかった。キッチンやトイレを覗いたが、ヒナは何処にもいなかった。買い物にでも行ったのだろうか。鏡子はテーブルの傍に立ちぼんやりとツリーを眺めた。
――何で私はこのツリーを飾ったりしたんだろう? 送ってきたのは純香かもしれないのに。それにしても二人は何処へ出かけてしまったんだろう。
がらんとした部屋にテレビの音だけが響いている。やがて鏡子は何だか嫌な臭いがすることに気が付き、顔を顰めた。
――生臭い。……いったい何の臭いだろう?
「お久しぶり、鏡子さん。プレゼントは喜んでもらえたかしら」
突然、後ろから話しかけられて、鏡子は驚いて振り返った。そこには真っ赤なコートを着た純香が立っていた。その顔は中学生の頃そのままだったが、その瞳は底なし沼のように暗く虚ろだった。鏡子は恐怖のあまり全身が凍りついたように冷たくなった。
「……何しに来たの? あんた、何しに来たのよ!」
純香はにっこりと鏡子に微笑みかけると、彼女の後ろを指差した。
「見てごらんなさい。あのツリー、凄く綺麗よ」
振り向いた鏡子は見るもおぞましい光景を目の当たりにした。足元には真っ赤な液体が流れてきている。鏡子は何度も悲鳴を上げながら、いつの間にか包丁を手に掴んでいた。
「あんたが……あんたがやったのね!」
鏡子は純香に飛びかかり、押し倒すと馬乗りになって何度もその胸に包丁を振り下ろした。その間も純香はまったく抵抗もせず、叫び声すら上げず、薄ら笑いを浮かべて鏡子を見つめ続けていた。
翌日、センセーショナルなニュースが日本中を駆け巡った。
ワンルーム・マンションに響き渡った物凄い悲鳴に気付いた住人が警察に通報した。
鍵の掛っていない部屋に踏み込んだ警官は、今まで見たこともないようなすさまじい光景を目にすることになった。
部屋の入口には包丁でめった刺しにされた女が死んでいた。
そして部屋の奥には腹を胸から股へ真一文字に切り裂かれた女が仰向けになって倒れていた。その顔は恐怖で目を見開いたままだ。
部屋の中央にあるものを見つけた時、警官はその場に食べた物をぶちまけてしまった。
それはぬめぬめと光った腸が巻きつけられたクリスマス・ツリーだった。枝には様々な彩りの内臓が血を滴らせながらぶら下がっていて、ツリーのてっぺんには心臓が串刺しになっている。
その傍らで包丁を掴んだまま宙を見つめ、へらへらと笑っていた女、鏡子はその場で連行された。包丁で殺されたのはヒナ、そして腹を裂かれたのはユリカだった。
樅の木に添えられていたはずのカードは何処からも見つからなかった。
この部屋で何が起こったのか、様々な憶測が飛び交ったが、時が経つにつれて次第に人々からその事件は忘れられていった。
いつの間にかネットでは都市伝説として「闇のサンタクロース」の噂が掲示板などに書き込まれるようになっていた。それが例え恐ろしい願いであっても本当に叶えられるという書き込みも日増しに増えていった。だが、この噂を最初に書き込んだのが誰なのかは未だに判っていない。