第八話
駅までの桜並木が彩る今日この頃。時は四月、春真っ只中、そして今日はかりんの小学校の入学式だ。かりんは入学式用の紺色のワンピースに身を包み、真新しいランドセルを背負い何度も何度も鏡の前で鏡の中の自分を吟味して見る。化粧を終えたあずさはいつもと変わらない仕事着身につけ、鞄の他にデジカメを手にそんなかりんを見てあきれたように言う。
「どっからみても、いつもと変わらないよ」
本当にその通りだ、入学式用の紺のワンピースにランドセルを背負っているだけでいつもかりんと変わらない。そんなことをあずさは心の中で思う。でも当の本人はそうは思っていないらしい。まじまじと自分の姿を目に焼き付けた後に鏡越しにあずさを見る。鏡越しに目が合うとあずさは手に持っていたデジカメでかりんを撮る。
「入学式に遅れるよ」
といってあずさはデジカメを鞄にしまい玄関に向かう。かりんもそのあとをくっついて行く。
バスから見える桜並木を横目にかりんは少し不安そうに、そして楽しそうにあずさの手を握る。あずさもかりんの手から伝わるものを感じながら携帯をとりだし、今日は遅い出勤になることを上司に連絡を入れる。小学校につくとかりんと同じ年の子供がたくさんいた。
バスを降りてすぐ目の前の横断歩道をわたるとすぐ目の前にはかりんが明日から通う小学校がある。そして小学校の門の前にたてられている看板の横にかりんをたたせて写真を撮る。雪が帰ってきた暁にはこれを焼いて一枚百円で売ろうとしていることはあずさしか知らない。
「かりん、もう少し笑ってよ」
「じゃぁ、あずさが笑わせてよ」
かりんもずいぶんとあずさにものを言うようになり始めた。
「無理、ほら笑って」
とあずさは素っ気なく断言する。すると、かりんは少しだけ口角をあげる。上出来、と心の中で呟いたあずさはデジカメを鞄にしまった。
写真を撮り終わると校舎内へ入って行った。最初の方は人見知りの激しいかりんはあずさの手を握ったままだったが、同じ幼稚園の子を見つけるとあずさに許可をとりその友達のもとへ駆け寄って行った。遠くで、かりんの友達のお母さんがあずさに笑顔で会釈をする。あずさも軽く会釈を返す。そのときあずさは思った。幼稚園のときは保護者同士の交流は仕事を理由にさけてきたが、小学校に入学するとそうも行かなくなるだろう。保護者会やPTA、授業参観などのイベントが増える。嫌でも保護者同士の交流が増える、もしかしたら関係を持たざる得ないかもしれない。これからどうしようか、あずさは笑顔を崩さないままその戦略を考えるのであった。あずさもかりん同様、もしくはそれ以上か、かなりの人見知りだ。できることなら誰とも関わりたくないのが今のあずさの本心だ。そんなことを考えている間に入学式は無事に終わり、本当は連絡を前もって入れてあった卒園した幼稚園にかりんを預けようと思っていたが、かりんの友達の早苗ちゃんのお母さんがあずさが帰るまでに預かってくれるというので、かりんも早苗ちゃんと遊びたいというオーラを放っていたため、あずさはその言葉に甘えて早苗ちゃんのお母さんにかりんを預けてあずさは仕事へ向かった。
その日の帰宅途中にあずさは早苗ちゃん宅へ、お礼のケーキを持ってかりんを回収しに行った。初めてかりんの友達宅に訪れるのであずさは少し緊張していた。カメラ付きインターホンの前にたって少し深呼吸をした後に軽くインターホンのボタンを押す。そうすると早苗ちゃんのお母さんが優しく出迎えてくれた。
「こんばんは、かりんちゃんいい子にしていましたよ」
と早苗ちゃんのお母さんは優しい口調で隣にたつかりんを見つめる。
「そうですか、突然お預かりしていただいてありがとうございました。これ、もしよろしかったらご家族で召し上がってください」
「そんな、おき使い無く。こちらこそなんだかすみません」
こんなやりとりを一、二分ほどしてかりんをつれてあずさはかりんと一緒に家路を歩く。たったさっきのことだけでもあずさにとってはかなりの体力を消耗する。あんなことがこれからしばらく続く考えると憂鬱だ、と考えながらあずさは部屋の鍵を開ける。
「かりん、脱いだ服はハンガーにかけてね」
あずさは生気無くかりんに言う。かりんは無言であずさに言われたことをこなす。あずさもそれに続いて服を普段着に着替えて服を洋服ダンスに入れて台所に向かう。そしてスーパーで買ってきた出来上がったおかずを暖め始める。おみあげのケーキを買うときにタイムセールで半額だったのと新入社員の教育に疲れて今日の夕食を作るのがだるかったのが主な理由だ。かりんは暖め終わったそれらを無言で口に放り込む。いつもならいただきますと大きな声で言うのに、と思いながらも特にあずさは指摘しないで自分もそれらを口に放り込んだ。
「あずさがいつも作るのよりおいしい」
「そ、」
怒りも何もこみ上げてこない、あずさ自身それを認めているらしい。かりんはあずさが何も言い返さないことに少し不満を抱きながらも、明るく今日あった出来事を話す。
「クラス早苗ちゃんと一緒だったよ、あとね早苗ちゃんちでお人形遊びしたの、早苗ちゃんいっぱいお人形持っているんだよ」
「へぇ〜」
あずさは明日から始まる新入社員の教育方針やこれからのかりんの学校行事などのことを考えてかりんの話を聞いておらず生半可な合図値をうつ。
「…あずさ、聞いてるの?」
「うん」
あずさはどこを見ているのかわからない目で言った。
「…早苗ちゃんのお母さん、優しかった」
かりんが、少し怒った口調で言った。その言葉であずさの食事を運んでいた箸が止まる、そして少しいらだちのある面持ちでかりんを見る。かりんはもぐもぐと口をせわしなく動かして食事と唾液を口の中で混ぜている。あずさとは目を合わせようとしない。
「何?じゃぁ、もっと優しくしてほしいの?お人形とかたくさん欲しいの?」
なんの感情も読み取れない口調であずさは言う。あずさ自身、自分が優しい人間でないのは誰よりも知っている、怒りはない。ただ何をすればいいのかわからない、そんな感情があずさを取り巻き始める。かりんは沈黙し続ける。沈黙が苦手なあずさは口の中の物を飲み込むと続きを言った。
「私は早苗ちゃんのお母さんじゃないから優しくもないし、たぶん私は誰にも優しくなれないと思う、そういう人間だから。だから私には何も期待しないで」
こんなこと子供に言ってもどうしようもないとわかっていながらも、あずさは言葉を止めることができなかった。かりんは寂しそうにあずさの目を見つめる。あずさは何も気にしていない様子を装う。しばらくの沈黙のあとにかりんは小さく
「ごちそうさま」
と呟いて食器を食洗機に入れて寝室に向かった。あずさもその少し後に食器を食洗機に放り込んで洗濯物し始めた。
翌日になっても、かりんの機嫌は治っていなかった。あずさは機嫌の治っていないかりんにいらだちを覚えながらも、いつも通り出勤の支度をしてかりんと一緒に自宅を出た。かりんは小学校の前でおりてあずさの方を振り向きもしないで、小学校の門をくぐって行った。あずさは会社につくと同時に談話室に行ってブラックコーヒーを買って談話室のソファーに座る。しばらくするとあのときの清掃のおばさんが談話室に入ってきた。いつもこの時間に清掃しているんだと思ったあずさは清掃のおばさんと目があう。そしてお互い小さく会釈をするとおばさんがあずさに話しかけてきた。
「まるで、彼氏に別れ話を持ちかけられたみたいな顔してるね」
「彼氏なんていません」
「子持ちだもんね、でも知らなかったよ。鉄の女に子供がいたなんて」
「…鉄の女?」
なんでもないと、にこにこしながら清掃のおばさんこと田中さんははぐらかすのであった。話しかけてきた田中さんにあずさは昨日の出来事を話す。すると田中さんはポケットからあめ玉を取り出してあずさに渡した。あのときのかりんと同じように。
「簡単なことだよ、話を聞いてあげればいい。目を見て、ね」
田中さんは、笑顔をそのままに
「その、あめ。かりんちゃんに」
と言い残して談話室を後にした。
その日の夜、まだかりんが機嫌が悪かった。あずさは夕食後に、今朝田中さんからもらったあめ玉を取り出してかりんに差し出した。かりんは不思議そうな面持ちでそのあめ玉とあずさを交互に見る。
「今日、学校どうだった?」
あずさが無愛想に質問する。かりんは少し口角をあげてあずさの手の中のあめ玉を受け取って口に放り込んだ。そしてそのあめ玉が溶けきってもずっと学校であった話を話続けた。あずさはつきまとわれることを疎ましく思いながらも、ことあるごとに目を見て合図値をうった。だるい、と少しあずさは思った。でも、かりんの話すとき顔が生き生きしているのを見て、こういうのも悪くないかと自分に言い聞かせるのであった。明日、田中さんと会ったときに言うお礼の言葉を考えながら。