第五話
かりんが台所を去ってからずいぶんと静かなので。様子を見に行くと静かに窓の外を眺めていた。手には雪が忘れて行ったと思われる緑色のマフラーが握られていた。かりんがあずさの気配に気がついたのか、あずさの方を振り向く。
「ホワイトクリスマスだね」
そういってかりんは窓の外を指差す。窓の向こうでは都会では珍しい雪が悲しく静かに降っていた。あずさがその雪に見とれているとかりんが歩み寄ってきてあずさの手を握った。
「メリークリスマスあずさ」
「メリークリスマス、かりん」
あずさの冷たい手をかりんは優しく握りながら言った。
「雪はきっとサンタさんからのプレゼントだね」
「…だと、いいね」
あずさの答えは素っ気なかった。でもあずさはあずさなりに考えて答えを出した方だ。「雪」と言う言葉を聞いて皮肉でも言いたくなったのだろう。かりんの手はとても暖かかった。自分の手はこんなにも冷たいのかとあずさはこのとき初めて知った。
「つもるかな?」
「さぁね」
かりんは少しつまらなそうにあずさを見上げる。あずさはそんなこと気にも留めていない様子で窓の外の雪を見る。
「外行きたい!」
子供ならではの純粋な提案にあずさは思わず、
「こんな寒いのに!?ふざけてんのか!」
あずさは思わず素の自分になってしまってはっとはなる、だけどかりんは気にせず続ける。
「いきたい!いきたい!いきたい!」
だから子供は嫌いなんだよ。と心で自分をのろいながら気がつけば雪がしとしとと降る近所の公園にいた。公園でかりんは滑り台に乗りながら空から音も無く降ってくる雪をじっと眺めている。何が楽しいんだか、とあずさは心で毒を吐く。あずさは子供心を理解できないままさっき買ってきた缶コーヒーをすすりながらかりんを観察する。考えてみれば、この事態で一番酷な立場なのはかりんだ。女の子には母親が必要不可欠だ。これから小学校に通い始める少女ならなおのこと、友人関係や体の成長のこと恋の相談だって母親が教え、相談にのるべきじゃないのか?その母親が今不在でしかも急に昨日会ったばかりの人間と生活をともにしないとならないなんて正直酷なことだ、とあずさはかりんの心理を想像していた。
「かりん」
滑り台に乗っていたかりんがあずさに呼ばれて駆け寄ってくる。
「今日の夜、何が食べたい?」
かりんはじぃとあずさの目を見つめていた。そしてぽつりと
「おでん」
寒いもんね、と心の中であずさは呟いて立ち上がり駅前へと歩き始めた。かりんはおいて行かれないようにあずさについて行く。横をよちよち歩かれる行為が初めてのあずさにとっては、少し気まずかった。かりんはあずさを横目で見上げながらそのあとにあずさの手に視線を落とす。何か言いたそうだけど、まだ遠慮があるのか何も言わない。あずさはそれを理解していながらもあえて聞かない、めんどくさいからという理由で。
駅に着くととりあえず本屋に行って本を立ち読みしたり、適当な雑貨屋を冷やかしに行ったりして夜までの時間をつぶした。そんな時でも二人に会話はなく、周りから少し不自然な目で見られたが本人たち(特にあずさ)は気にせず時間を過ごした。夜になって仕事帰りのサラリーマンたちが増える頃、駅はクリスマスのイルミネーションで彩っていてとても美しかった。かりんはそれにみとれる、あずさは地球温暖化促進の原因の一つと心の中で毒を吐く。すれ違うのはプレゼント片手のサラリーマンとかいちゃつくカップルとか様々だ。あずさはどいつもこいつも、へらへらと笑いやがって。とまた毒を吐く。そしてしばらくしてから駅前から少し歩いたところにあるおでんの屋台に入る。かりんもつられて入る、そしていすによじ上って座る。
「オヤジ、いつもの。あとこの子には適当に見繕って」
「おやまぁ、珍しい。お子さんいたんですか?」
オヤジと呼ばれたおでん屋の亭主は天然記念物を見るような目であずさの隣のかりんを見る。
「結婚もしてないのにどうやって作るのよ」
あずさは少し投げやりな態度で返事をする。こういう冗談じみたことが言えるということはあずさがここの常連客だということがわかる。
「不倫相手とのお子さん?」
「私がそんなことする奴だって思ってたわけ?」
あずさの声に少しだけ怒気が入る。ははは、と笑いながらオヤジはあずさに焼酎、かりんにはオレンジジュースを差し出す。そして手際よくおいしく煮えたおでんをお皿に載せ、かりんの前においた
「熱いから気をつけてね」
と一言添えて。
「冗談ですよ、もしあずささんがそんなことしてたら赤飯炊いて届けます」
「意味わからないんだけど」
焼酎に口を付けながらふてくされるあずさを見ながらオヤジはあずさの分のおでんをお皿に載せて行く。
「まぁ、それはともかくこの子どうしたんですか?」
「友達の子供、しばらくの間私が預からないと行けなくなったの」
それはまぁ、と呟きながらおでんの乗ったお皿をあずさの前にも差し出す。そしてあずさはもともと割っておいた割り箸でそれらを口に運んで行く。
「どうですか?お味の方は」
オヤジがまるで孫を愛でる祖父のようなまなざしで問いかける。あずさが「いつもとかわらない」と言おうとしたそのとき。
「おいしい!」
ととなりのかりんが元気よく言った。オヤジの目は完全に溶けていた。端から見れば完全におじいちゃんと孫だ。
「そうか、そうか!お嬢ちゃん、お名前はなんて言うの?」
「かりん」
「かりんちゃんかぁ〜」
その後しばらく気持ち悪いオヤジを見るはめになったあずさはおでんの鍋からあがる湯気をじっと眺めながら時が過ぎるのを待った。オヤジはずいぶんとかりんを気に入ったようで、かりんのためにとお土産におでんを包んでくれた。これでしばらくはもつなと心の中でガッツポーズをしながらあずさはかりんと家路を歩いた。そのときももちろん無言。だけど夜道だったからか自然と二人は手をつないで歩いた。といってもかりんが一方的に握りしめているだけであずさはそれを握り返そうとはしない。あずさはかりんの手が触れている面積だけ温もりを感じながら、空を見上げた。するとそこにはかすかながら星が瞬いていた。オリオンが瞬くその空はどこか寂しそうだった。そして忘れていたことを思い出した。
「かりん」
「ん?」
「お誕生日おめでとう」
「…ありがと?」
あぁ、ケーキ買うの忘れた。あ、でもおでんあるからいいか。あずさはそんなことを考えながら、かりんの手を握り返した。かりんはあずさを見上げながら少しだけ口角をあげた。あずさもそれを横目に見て悪い気はしなかった。とりあえず、小さなことから初めてみよう、始めることに意味があるってどっかの誰かが言ってたような気がするし。と心の中で自信なさげに呟く。夜空の星を見えなくする街頭はそれを代償に成長しようとしている彼女たちを優しく照らすのであった。