第三話
今朝目が覚めると、雲は厚く空に浮かんでいた。それをカーテンの隙間からあずさは見ていた。
冬の朝に弱いあずさだが今日は珍しく早く起きてしまった。理由はわからない。強いて言うなら、何かが起こるのを彼女の体が察知したかのように起きてしまった。芯から冷えるようなクリスマスの朝。隣で寝ているはずの、昨日訪問してきた雪とその子供のかりんがいない。親子でトイレかな?と思ったが、一応客人の不在の事態が気にかかったのであずさは洗面台に向かった。だがそこには誰もいなかった。昨晩久しぶりにはめを外して飲まされたシャンパンのアルコールが抜けていないことを確信したあずさは、せっかく洗面台まで来たのでと、あずさは冷たい水で顔を洗った。顔をタオルで拭っているとき、あずさはかすかに聞こえた親子の会話を聞いた。
「かりん、何か困ったことがあったらあずさに言うんだよ」
「うん」
「すぐには帰って来れないかもしれないけど、必ず迎えにくるから」
「うん、約束?」
雪は少し鼻の側面をこすった後にかりんの手を握ってつぶやいた。
「…約束」
「できない約束はしない方がマシだよ」
その声に親子があずさのほうを見る。雪は驚いたように、かりんは状況を理解していない様子だ。あずさが二人に近づきながら言う。
「雪ちゃん、嘘つくときいつも鼻の側面こするよね。そのくせ治ってないんだね」
「あずさ」
雪は申し訳なさそうにあずさを見上げる。
「人の家で朝から何してんの?、悪いけど雪ちゃんがしてること私の理解の範疇をこえてるんだけど?」
雪が視線をあずさからはずし再びかりんを見つめる。かりんはわかっていないように母の手のぬくもりを感じてるだけだった、それとまだ少し眠たそうだ。できることならもう一度母と同じ布団で睡眠欲を満たしたいところだが、それは自分のわがままだと小さなその頭ではきちんと理解してた。
「事情は昨日の夜、話したでしょ?」
雪は雑巾の用に振り絞った勇気でやっとも思いで言葉を声にして言った。
「お酒飲んで、正直昨日のことあまり覚えてない」
うそ、本当は鮮明に覚えている。心の中で寂しそうにあずさはつぶやくのであった。でもここで、昨日のことを肯定して「はいそうですか」と言う訳にはいかない、言ってはならないと心の中の自分が叫ぶ。それが級友の気持ちを裏切ることになっても。あずさは悲しそうに昨晩の会話を思い出す。
「旦那は殺された?誰によ」
「わからない、でもそれだけはわかる」
「どうして?」
「彼の死後しばらくして彼から手紙が届いたの、そこに彼の見てきた物すべてが書かれていた。彼の死が事故だとは思えないの、何か見えないもの私たちが触れてはならないものに、殺されたんじゃないかって。私は、私自身の能力を生かして真実を知りたいの」
「ちょっと待ってよ。旦那の死に動転しておかしくなってるんじゃないの?報復でもしようって?」
酒の酔いが早いあずさは少し嘲笑気味に言う。
「違う!これはかりんにも関係があるの!」
珍しく雪が声を荒げる。寝室で寝ているかりんが「うぅ〜ん」と寝返りをうつ、その声で雪は少し我に帰る。あずさは特に気にした様子はなく会話を続ける。
「どういう意味よ」
「こんなインチキな世界で未来を紡いで行くのは他の誰でもない今を生きる子供たちなのよ。私は、かりんの未来を守りたい。…詳しい話は、あずさを巻き込みたくないから話せないけど」
あずさは頭を掻きながら学生時代を思い出す。雪は聞きたくなるような話し方をしておいて結局お預けするたちの悪いしゃべり方をする。変わってないなと懐かしむところだが、なんだか今のあずさにそう思えなかった。学生時代からそういう会話に陥った場合たいていあずさがごり押しして雪の口を割っていたが、今回ばかりは雪の尋常じゃない雰囲気をあずさは理解していた。だから今回は追求しないでおいた。
「じゃぁ、いいよ。でもわざわざ私にそんなこといいにここまで来たって言うの?」
あずさは大体の予想はついていた、疲れて眠ってしまったかりんを横目にその悪い予感と戦った。雪はうつむき様に意を決したようにあずさのもとに訪れた理由を述べた。
「かりんとは一緒に帰れないの」
あずさは黙ってその続きを聞いた。
「親族には預けられない、理由は、」
「危険だから?」
雪は苦しそうにうなずく。あずさは何もかも意味が分からなくなってきた。久しぶりに口にしたアルコールのおかげでだいぶ理性が飛んでいるため、普段(素面)なら発狂しているところだが、なぜだか今は素直に雪の話を聞くことができた。
「雪ちゃんがどんなことに首突っ込んだか気になるけど、聞かない。でもさ、後先考えないで行動するなんて雪ちゃんらしくないんじゃないの?あの子にとって雪ちゃんは唯一無二の母親なんだよ!まだ小さいのに…あの子を手放すの!?」
思わず、声をあわげてしまったことに少し後悔の色を見せたが、あずさは雪がするであろう申し出を承諾しない姿勢を見せた。雪は少し悲しそうな目をした後に笑顔を見せた。
「そうだよね、私馬鹿だったよ。あずさに御説教されるなんて初めてかもね」
確かに学生時代はどちらかというと、何事にも無関心なあずさの方が、雪に尻にしかれていた方だ。
「せっかくのクリスマスイブで二人だけの同窓会なんだから、この話はやめようか」
といって雪はあずさのグラスにシャンパンを注いだ。あずさは少しふてくされながら注がれたシャンパンを口にした。そしてしばらくして、二人で思い出話にしたり始めた。
雪は寂しそうにかりんの手を握る。かりんは不思議そうに二人を見つめる。体が冷えたのか、かりんがくしゃみをすると雪は夢から覚めたかのようにかりんから手を離した。そしてポケットから茶封筒をとりだし、かりんに渡した。雪は立ち上がりかりんを見下ろしてにこりと笑った。
「またね、かりん」
雪は勢いよく玄関のドアを開けた。そしてその笑顔をあずさにも向ける、そして聞こえるか聞こえないかの声で
「ごめんね」
雪は手のひらで溶けて消えてしまう雪のようにクリスマスの朝に消えていった。
あずさは何もいえなかった。「行かないで」「ふざけるな」「自分の勝手で答えを選ぶなよ」いろんな言葉があずさの頭をぐるぐるまわる。涙がでないのはかりんがそばいるからだ。そんなところ誰にも見られたくなかった。かりんはそんなあずさの気も知らずにあずさによちよち歩み寄る。
「ママ、どこに行ったの?」
かりんはそういいながらあずさの手を握る。かりんの手は小さくて柔らかくて、雪の温もりが残っているのかほのかに暖かった。その温もりを感じると同時に涙腺が緩まる。あずさは思わずかりんの小さな手を振り払った。というよりも触られてほしくなかった、もともと子供が嫌いなのもあるが今のあずさには正直こたえた。
「触らないで」
それだけ言い残してあずさは寝室に戻り再び布団に潜り込んだ。冷えた心と体を温めるために、そしてまた眠りについて目が覚めたらすべてが夢であることを願うかのように。