表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/23

第一話

「かりん〜、起きないと学校に遅刻するよ。」

台所からする声はとても優しい声だった。ベットルームではかりんと呼ばれた少女が芋虫のように布団にくるまっている。もぞもぞと動いてはいるものの布団から出る気配はない。

「早く起きないとふわふわスクランブルエッグ全部私が食べちゃうよぉ〜」

声が近づいてくる。かわいい脅しに少し反応をしたが芋虫は形を崩さない。

「私も冬の朝は弱いけど、頑張っているんだから、かりんも根性出しておきなさい!」

今の季節は氷点下を軽く超えるくらいの、日本の冬。芋虫が少し動いてからかりん(中身)が少しだけ顔を出した。

「ナテラある?」

機嫌の悪い声でかかりんは聞いた。

女性は執事のごとく深々とお辞儀をしてエプロンのポケットからうやうやしくナテラを出した。かりんは布団から飛び出て女性に抱きついた。

「あずさだいすきぃー!」

あずさと呼ばれた女性はかりんを抱きとめてさりげなく上着をかりんから引き離した。

「はい、じゃ〜私今ベーコン焼いてるから着替えてからキッチン来てね。」

その手際の良さはベテラン主婦顔負け。だが、あずさはシングルマザーでも主婦でもない、それ以前に結婚すらしていない。かといって家政婦でもベビーシッターでもない、しがない少し腕の立つプログラマーだ。以前の彼女はこのような女性ではなかった。だが、かりんとの出会いが彼女を変えた。

 着替え終わったかりんが席に着くとそれと同時に、白いお皿にほのかに甘い香りを放つナテラ付きトーストと、焼いたベーコンとふわふわスクランブルエッグがおかれる。寝起きの食欲をそそるに十分な香りを放つベーコンたちを目の前にしてかりんは両手を合わせ元気よく、

「いただきます!」

と叫ぶ、が『ます』の時点で彼らを口に放り込んだ。かりんは幸せそうに口の中の彼らを味わう。あずさも自分の分をお皿にのせてかりんの向かい側の席に座り、同じように勢いよく彼らを口に放り込んだ。その光景はまさに本当の家族のようだ、だが彼女たちの関係はそれに等しいが戸籍上家族ではない。

 しばらくしてあずさは、自分より早く食事を始めたかりんより先に食べ終わり、自分の食器を食洗機に放り込むみ、仕事の支度を始めた。かりんも食事が終わるとあずさと同じ手つきで自分が汚した食器を食洗機に放り込む。あずさが忙しそうに仕事に向かうための支度をしているというのに、かりんは容赦ない。

「あずさ〜!緑のマフラーがない!」

「こないだ洗濯して自分でたたんでタンスに入れたでしょう!?」

かりんの叫びにあずさも叫ぶ。二人が乗らなければならないバスの時刻が近いのであずさに余裕は無い。それに乗り遅れると両者ともに遅刻になる。今朝、かりんを起こすのにいつもより一、二分ほど手こずったことをあずさは心の中で後悔している。彼女にとって一分はかなりの命取りになる。

「なぁ〜〜〜いぃ〜〜〜!!」

かりんの声に怒気が混じる。私だって大変なのに!と心の中で悲鳴を上げるあずさはてきとうに物を自分の鞄に放り込んでから、かりんの部屋へとダッシュ。かりんはちゃっかり、あとマフラーさえ身につければ完璧という状態だ。私はまだ化粧もしていないのに、と怒りをおさえながら、タンスをかき回す。するとかりんが何かに気がついたかのように、「あっ!」と短く叫ぶ。元おもちゃ箱だった今は文房具やら幼稚園の頃に使っていた鞄などがはいっている『何でも箱』に近づき探していた緑色のマフラーを引きずり出す。かりんが自分でそれを自分の首に巻いてにこりと笑って

「見つかった」

と言うがその場にはあずさの姿はなかった。あずさはかりんの問題解決を見届けず洗面台に向かい軽く化粧をして、左手に荷物、右手にかいりの小さな手を握りアパートの一室を出た。

「忘れ物は!?」

とあずさが叫ぶとかりんは

「お弁当!」

と元気に答える。あずさは瞬きの早さで弁当を取りにもどりかりんの手持ち鞄に突っ込んだ。こういう日に限って小学校で給食が出ないのかと心の中であずさは訴えた。実際はそんな根性は持ち合わせていないので心の中だけにとどめておく。

 そして、腕時計を見るとタイムリミット(バスの到着時間)まで五分とない。ここからバス停まで歩いて十分。あずさはかりんに

「バス停まで競争!」

と言って走り出した、『彼女』に似て負けず嫌いなかりんはすかさず

「ずるいぃ〜!」

とあずさを笑って追いかけた。本人にはあずさの努力が伝わっている様子が全く感じられない。かりんがあずさに追いつくと同時にバス停が見えてきた、そこにはバスが客を乗せている最中だった。間に合ったとあずさは笑顔をこぼす。だが、その後ろで

「いでっ」

ダイナミックにしかも絶妙なタイミングでかりんがこける。わざとかと思えるくらい。

あずさはすかさずかりんを抱き上げてバスに向かって走る、だがバスの運転手はバックミラー越しにあずさをとらえていなかったらしい。あずさの気持ち空しくバスはその場を立ち去って行った。あずさは魂が抜けたかのように、バス停にたちつくした。腕の中のかりんは

「行っちゃたね」

と罪の意識は無く目の前で起こったことを口にする。あずさは、かりんを放り投げたい気持ちを押さえてその場に優しくおろす。

次のバスは三十分後。それがつくまでに、かりんの小学校と自分の職場に電話をいれる。かりんは電話越しにぺこぺこと謝るあずさの横にたち暇そうに時刻表を眺めるのであった。

 電話を切って遠くを見つめると自分の吐く息が白いことに気づく。かりんと出会ったのも今日見たいに寒い日だった。今までの自分はこの吐いて消える白い息のようにつかみ所の無い、はかなく消えてしまいそうな存在だった。消えてしまいそうなというか、消えかけていた。自分なんて存在しなくてかまわないと思っていた。そんなとき、かりんが現れた。『彼女』につれられて。かりんはそんなことを考えていたあずさのぬくもりを求めて自らあずさに歩みよってきてくれた。自分の手がとても柔らかくて冷たいってことを教えてくれたのはかりんだった。かりんに憎しみを抱いたり、その手を振り払ったことの方が、もしかしたら今の時点では多いかもしれない。

 あずさはそっとかりんの手を握った。かりんはその手をやさしく握り返してくれた。そしてあずさは嬉しくなって聞こえるか聞こえないかの声で言う。

「今日も寒いね」

かりんは鼻を少しすってこくりとうなずく。しばらくして、遠くをみつめるかりんが感じたことをそのまま言った。

「あずさの手、冷たい」

申し訳なさそうにあずさが答える。

「ごめんね」

「いいよ別に、熱が出たときあずさの手気持ちいいし。嫌いじゃないよ」

「もったいないお言葉です」

あずさはふざけて返事を返したが、それは彼女なりの照れ隠し。

(本当に私なんかにはもったいないよ)

と心の中で本来かりんの側にいるべき『彼女』に言うのであった。

雪が降りそうな曇もった朝、あずさはかりんの手のぬくもりを感じながらあの日のことを思い出してた。

本編中に登場するナテラとは、主にトーストに塗るチョコレート風味のヘーゼルナッツをベースにしたペースト状のもの。簡単に言うとパンに塗るチョコです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ