第七話 来訪者は宿敵(旧友)とまみえる
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ニーダルは近くの通信ボックスから警察に匿名で通報を入れると、眠りに落ちたジェニファを木陰に横たえた。
このトンチキ騒ぎが終われば、すぐに救援が来るだろう。そして、ニーダルは水性ペンを手になにやら思案を始めた。
「やっぱり額に肉かな」
「寝ている女性に悪戯する馬鹿がいますかっ。GABURIっ!」
「あはいってえ!」
当然のごとく制裁を受け、灰色熊のぬいぐるみに左腕を噛みつかれたニーダルは、ぶんぶと腕を振って逃げ惑った。
「……なぜ真相を話さないのです」
「深窓? 令嬢かあ、心躍る言葉だな」
墓場から離れて道路に出たニーダルは、痛む腕を庇いながら、無精ひげの浮いた頬を掻いた。
「真実を言えばいい。自分はやっていない。真っ赤な嘘っぱちで、真犯人は!」
ぬいぐるみ、ベルゲルミルは八年前の真実を知っている。軽い言葉では納得できるはずもなかった。
「ケヴィンはぶっ殺したが、奴の一派はまだこの国に巣食っている。真相なんて、彼女を苦しめるだけだ」
「だからってっ」
「ベル。俺は”王国を滅ぼす”よ」
意味が違う癖にとベルゲルミルは歯噛みする。
この男が憎んでいるのは、この男が滅ぼしたがっているものは――。
「後悔しますよ」
「……公開? いいだろう。見ろこの肉体美。隠すものなど何もない。世界中に見せつけるがいいさ」
「###」
コートをはだけて脱ぎだしたニーダルを、灰色熊のぬいぐるみは、容赦なく蹴りあげて殴りつけ地上へと叩き落とした。
「行きましょう」
てふてふと歩き出す灰色熊のぬいぐるみの横で、のびたニーダルの額をイスカが手巾で拭う。
「パパ。だいじょぶ?」
「うう、イスカ。ベルの奴、ちょっと見ない間で、短気になってるんじゃないか?」
「ベルね。げんきなかったの。パパといっしょじゃないとさみしいって」
「身近にサンドバッグが無いとストレスと体重が増えて増えて」
「まさに家庭内暴力の危機!? 助けろ誰かあっ」
ぬいぐるみのつぶらな瞳がギランと光った瞬間、振動が走り、ビルから崩れた柱が道路に落ちてきた。
ニーダルはとっさにイスカとベルゲルミルを抱きかかえ、空高く跳躍する。
飛来した黄金色の鋼刃が、高層建築の一部を削りとったのだ。
「流れ弾か。ヘタクソがっ」
1km先の市街で、白銀の巨人が黄金の大剣を手に、純白の巨人に斬りかかっていた。
「銀だの、白だの、わかってないな。もっと都市迷彩を意識しろってんだ」
「へえ、あなたなら何色に塗るんです」
「赤一択」
「あなたに聞いた私が馬鹿でした」
二つの巨人の争いは争いにすらなっていなかった。銀の巨人が斬りつけて、純白の巨人は危うい足取りで逃げ惑うだけだ。
「あの動き、姉様…、白い人形を動かしているのは、おそらく素人です」
「ド素人にしちゃ、避け方だけはサマになってやがる。イスカはどう思う?」
「ン? 白いほうがかつ!」
「っ……」
ニーダルには、イスカの予想に戸惑う時間は与えられなかった。
彼は矢継ぎ早に高層建築の壁を蹴り、看板の角を足場に方向を変えながら、地上へと落下した。
石弓の矢が空を切り、先ほどまで二人とぬいぐるみがいた場所に、突き刺さる。
放ったのはナラールの迷彩服を着た一団だった。ざっと一分隊、10人程度。しかし、膨大な魔力の気配でわかる。第六位級契約神器の盟約者が数名混じっている。
ベルゲルミルが怒気を含んで喝破した。
「ここで裏切りを働くか!」
「我らナラールを軽んじる共和国が悪いのですよ。戦場での不運な事故。備品が壊れることなどよくあることでしょう? 残された神器をどう使おうと我々の自由だ」
「貴様っ」
陰険に笑うかまきりを連想させるナラール軍人に、かみつこうと飛び出した血の気の多いぬいぐるみの後ろ首を掴んで制止させ、ニーダルは首をかしげた。
「確か先輩から聞いた覚えがある。卑劣漢のガイドラインだったかな。卑劣漢が裏切る確率は150%。裏切る確率が100%で、一度裏切った相手に謝罪と賠償を要求してくる確率が100%。あわせて、おや?」
「200%ですね。って、どんな計算ですか!? GABURIっ」
「OUCHI!」
遊びの時間は、もう終わりだ。三日月十文字鎌槍をくるりと回転させて、ニーダルは娘と相棒に退避を促した。
「先に俺がぶちのめす。イスカ、さがれ」
「ヤダ」
イスカはふるふると首を振り、コートの裾を掴んで嫌がる。
「…わかった。今日は帰ったら一緒にスキヤキだ」
「パパのてづくり?」
「おう」
「いっしょにたべる?」
「ああ、一緒にだ」
イスカは俯いて、ベルゲルミルを肩に乗せて、顔をあげた。
「うん。まってる」
「アレを使うのですね」
灰色熊の人形は、悔しそうに白い巨人を見つめていた。
因縁はあった。遠くからでもひしひしと感じるその存在。大きすぎて収まりきれない憎悪と悲哀。
けれど、もっと大切でもっとおおきな感情が、ベルゲルミルの器を満たしていた。
「ベル。イスカを頼む。悪りいけど、あの白い神器とのケリは、俺に預けてくれ」
「私はイスカを、かけがえのない娘を得ました。情けない盟約者と戦っても、勝つ意味なんて無いでしょう」
決着は必ずつける。ただ、それが今ではないだけだ。
「逃がすものか。ここは王国。お前の同類も助けにこれまい。大人しく降伏しろ」
「ひひ。おにいさんたちが天国を味あわせてあげるからね」
ニタニタと笑顔を浮かべて包囲を狭めてくるナラール軍。その欲望を露にした顔が酷くニーダルの癇に障った。
「へえ……。誰が助けにこれないって?」
「どけ民間人。貴様に用は、な、に」
かまきり男の視線が、ニーダルをとらえ、頭からつま先まで値踏みするように見定めた。
赤いコート。異装の槍。石弓の矢を避ける体捌き。……該当する人物はひとりしかいない。
「ば、馬鹿なっ。紅い道化師だと? 王国嫌いの貴様がなぜここにィ!?」
「天国か、一度行って感想を教えてくれや」
ニーダルが一歩踏み出すや、迷彩服の集団は震えながら三歩下がった。
「お、お、お。脅えるなっ。いくら紅い道化師といえこの数でかかればっ」
「そうとも、こっちは十人もいるんだ」
「この神器でこいつを倒して、故郷のあの子に告白してやるぞ」
「アク―セスッ」
ニーダルの背から、何かが迸り、契約神器の防御を消し飛ばした。
武器を構える暇もあたえずに、全員をまとめて蹴り飛ばしたのは言うまでも無い。
「テンプレ通りに、負けフラグを立てる馬鹿がいるか」
もちろん、この時、道化師の頭から、戦いから帰ったら夕食を一緒に食べよう♪ という趣旨の台詞が抜け落ちていたこともまた、言うまでもなかった……。
☆
「はめられた」
ベルゲルミルは歯噛みした。
ナラールは神器が欲しい。ヴァイデンヒュラー軍閥は、殺戮人形が神器の保有者であることが教義上許せない
ドクトル・ヤーコブが裏切ったかどうかはわからない。今回の王国派遣は、直接の指揮者であるヨゼフィーヌ・ギーゼギング教官によって進められたものだから。
だが、おそらくは、しめし合わせたのだ。
「なんで、いっしょに戦わせてくれないのかな。パパのために戦って死にたいのに」
娘の嘆きに、それこそが理由だとベルゲルミルが伝えても、イスカはわかってくれない。
メルダーマリオネッテは、善悪の物差しさえ定まらぬ頃から、戦って壊れることこそが愛情と刻み込まれた。
一番から十九番までが、その偽りの愛情を向けるのが共和国パラディース教団なら、二十番が愛情を捧げるのが父親であるというだけのことだ。
……それは同じではないだろう。根っこの部分から異なっているだろう。
しかし、だからこそニーダルは、イスカから離れたのだろう、とベルゲルミルは思う。
イスカと彼女の姉兄達を救い出すには、ニーダルは一度彼女を手放さざるを得なかった。
だが、それ以外に、自分の傍に置くことで、イスカが死に近づくことをニーダルは承知していたはずだ。
(己が憎むものも、愛するものも、関わるものを等しく殺し尽くす、この世界最悪の呪詛……)
意図の有無に関わらず、あんなものを残した時点で神剣の勇者は、万死に値する。
「見つけたぞ。あの殺戮人形を逃がすな。殺せ!」
魔術文字が輝く剣や、弓を手に襲い来る新たなナラールの兵士たち。
ナラール国が送り込んできた、イスカからベルゲルミルを奪うための部隊、盟約者があれだけで終わるはずが無いのだ。
けれど、彼らは知るまい。
ニーダル・ゲレーゲンハイトは、イスカ・ライプニッツに、彼女にとって絶対の鎖よりも強固な三つの枷を嵌めた。
ひとつ、仲間を殺してはいけない。
ひとつ、己に武器を向けていない相手を殺してはいけない。
ひとつ、死を辱めてはいけない。
手を縛る枷は、もはやナラール兵には適応されないことを。
ジェニファ・ポプキンスが優秀な古強者であり、彼らが装備でも技能でも遠く及ばないことを。
イスカは、己の命を奪うために襲いくる敵に、応報の銃を向ける。
口ずさむのは、五番目の姉が教えてくれた葬送の歌。……彼らの死を悼む別れの歌だった。
―――
―――――
「主。動けますかっ」
「まだ、いけるっ」
射出される黄金の鋼刃と、振り下ろされる大剣に刻まれ、装甲の大部分を砕かれながらも、赤枝の操る雪巨人は立ち上がった。
「王国人っ、守りながら闘うのは大変よなあ」
「やかましい」
赤枝が最優先したのは、ブルースの安全だった。比較的頑丈そうな建造物の陰に気絶した彼を隠し、近づけないように奮戦していた。
だが、雪巨人もこれ以上はもたないだろう。この機体が壊れれば、赤枝も、ユミルも、ブルースも殺される。
「無駄な足掻きなのだよ。近い将来、政権交代はなるだろう。そうすれば、党員と投票サポーターに国籍条件を設けなかった傀儡政党の代表、王国首相は我ら在ナラール・ナロールの膨大な票によって左右される」
白銀の巨人の操縦者は何を言ってるんだ? と赤枝は戸惑い、すぐに事情を理解した。
なるほど、それは見事なまでの最低最悪な乗っ取りだ。そんな利権政党を許すから金にまみれた民主主義はいけない、と、脳裏でこぼす。
日本共産党の党員資格は日本人だけだ。議員の中には外国人参政権に賛成する利権屋も多いけれど。
「その暁には、王国憲法第十五条を事実上無力化できる。貴様ら王国民は固有の権利である選挙権を我々に奪われ支配されるのだ。
ナラール・ナロールに土下座し、あまたの金と女奴隷や農作物を貢ぎ、奉仕させるための法律を整えよう。子供手当賠償法条約破棄参政権領土割譲請求カードは無数にあるっ。ナラールの黄金時代はまもなく到来する。貴様は、その絶望の未来を噛み締めて死ね!」
「うるさい。俺は共産主義者だ。民主主義の不備欠陥を歌い上げたところで、そンなものは、馴染みの子守唄にしか聞こえない」
赤枝基一郎は思い出す。
そういえば、昔、部室でジュースの肴に、そんなことを駄弁ったことがあったか。
理想的な政治について、赤枝は有能で無私なるエリートに導かれる共産主義をあげ、紫崎先輩は「わたしの支配」と清清しく独裁を主張し、近衛は宗教を廃した政治とのたまい、高城は……。
ああ、そうだ。たとえ誤っても、国民自身の手で過ちを止められる民主主義、なんて甘いことを抜かしやがった。そんなに人が綺麗で理性的なものか。それでもお前は、良心を信じられるのか高城悠生!?
「お前は、アレだ。大物ぶってるけど、世紀末救世主漫画で、ヒャッハア言って登場するモヒカンと変わらない」
銀の巨人が”聖剣”と呼ぶ黄金の剣は、自在に宙を舞う12枚の鋼刃となって赤枝を苦しめたが、すでに手品のタネは割れていた。
使い手の問題か、あるいは兵器としての欠陥か、これらの刃は精密さに欠ける大雑把な切り込みしかできないのだ。
確かに遠隔操作による全方位攻撃は、正しく使えば恐るべき兵器だろう。
想像してみるといい。エースや達人が群れとなってあらゆる方向からただひとりを狙い撃つ光景を。きっと怖気がふるう。
が、それはあくまで、”腕利き”が包囲するから、という前提だ。使い手が三流なら、三流に包囲されているだけのこと。
ひとりぼっちで道を失い、フクロにされた公園の夜の方が、よっぽど怖くて心細かった。
「俺には聞こえるぜ。お前達を煉獄へ帰すレクイエムがよっ」
『裁きをもたらす正しき審判者よ
裁きの日の前に、ゆるしの愛をお与えください』
白銀の巨人の黄金の剣が輝きを発しながら、半ばで弾け、六枚の刃となって射出される。
『子羊はトガビトのようになげき
罪をはじて顔を赤らめます
かみさま、ゆるしをねがう者になさけと愛をおあたえください』
赤枝は、雪巨人が背から廃棄する蒸気代りの氷霧を高層建築物に吹き付けて足場を確保し、ローラースケート、否、アイススケートの要領で氷壁を伝って上方へ逃れる。
『くいあらためた娼婦をゆるし
盗人のねがいをもお聞きとどけになったかみさまは
子羊達に希望を与えられました』
小細工を。なんて負け惜しみを怒鳴りながら、6枚の刃を方向転換させて、雪巨人を追わせる白銀の巨人。
無能めと赤枝は唇を歪ませた。死角から切りこめばこそのオールレンジ攻撃だ。ただ機体を追うだけの自動追尾に過ぎないならば――。
『いのりは価値のないものですが、
優しくかんだいにしてください。
子羊達が永遠のほむらに焼かれないように』
容易く殴りつけられる!
高層建築を八艘跳びで伝いながら、時間差で襲い来る6枚の標的を、魔術文字が輝く雪巨人の拳で叩き落し、氷塊の中に閉じ込める。
『よき人々の中にせきをあたえ
あしき人々からとおざけて
かみさまのそばにおいてください』
自身の焦りに気づいたのだろう。
白銀の巨人は、自身の前に2つの黄金刃を配置、残り4つの刃を赤枝を四方から挟むように飛ばしてきた。
『のろわれた者たちがしりぞけられ、
はげしいほのおに飲みこまれる時、
しゅくふくされた者たちとともに子羊達をおよびください』
正しい選択だと、赤枝は笑う。
あの二枚は盾であり、近づこうとする者を威圧する壁となる。
踏み込むのをためらった隙に、切り刻もうという魂胆だろう。
けれど赤枝には、加速を緩める気はもとよりないっ。
『灰のようにくだかれた心で、
子羊達はひざまずき、ひれ伏してこいねがいます。
終末の時をおはからいください』
契約神器はともに宝だ。そう、白銀の巨人が怒鳴った。
しかし、貴様と私には民族的序列という絶対の差が存在する。
輝けぬ黄金と輝く黄金の違いを教えてやろう!
『涙の日、その日は
罪ある者が裁きを受けるために
灰の中からよみがえる日です』
くだらねえ。と、赤枝は思う。
この世界には無いだろうが、学問のすゝめを読みやがれ、とも。
アメリカ合衆国独立宣言に曰く、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云う。
ならば現実に、賢い人、愚かな人、貧乏な人、金持ちの人、身分の高い人、低い人という差が存在するのはなぜか?
賢者と愚者を分かつ理由はひとつ、「学んだか、学ばなかったか」だ。
民族的序列だ? 支配だ? 奉仕だ? そんなくだらないことに拘って、愛と平和のこころを学ばないから、こんな腐った真似が出来る。
『かみさま、この者をお許しください。
いつくしみふかきかみさま
彼らにやすらぎをお与えください』
石畳の道路に着地、”バールのようなもの”を振り回して、四枚の鋼刃の直撃を避けながら、赤枝はひたすらに走り続けた。
装甲が多少破られようとも構いやしない。
最後の二枚が金梃子を直撃し、半ばから断ち切られた。
けれど、まだ四肢は無事で、手の届く距離まで踏み込んだ。零距離ならば、操作の甘い遠隔兵器では狙うに狙えまい。
オマージュだ。と、赤枝は呟く。
こう近づけば四方からの攻撃は無理だな!
『やすらかなねむりを(エイメン)』
火花と霜が、散る。
白銀の巨人が苦し紛れに突き出した柄による打撃を容易く避けて、純白の巨人は本命をカウンターで叩き込んだ。
赤枝が参考にしたのは、そりの合わなかった近衛の居合いの型だった。
彼女が練習していた踏み込みと同時に抜刀、斬り伏せる一撃を、雪巨人の手刀でもって再現した。
上半身を捻りながら、白銀の巨人の左脇腹へと抉りこんだ右手刀は、腹部を半ばまで断ち切っていた。
「こ、この私が負けるはずが無い。我々にはあるのだよ。世界を革新し、正しく導く資格と血脈がっ。愚鈍で罪深い王国人など、どれほど粋がっても、我らナラールに奉仕するために生まれた存在だろう!?」
「俺は愛と平和を信じている。だからお前らをぶちのめす。革新だって? 時計の針を逆に回して何を言うんだっ。お前らのような支配や暴力の信徒こそが人類愛の敵だ。だからこの拳で目を覚まさせてやる!」
言葉を交わし、刃と拳を交わす。
背後から迫る脅威に純白の巨人が身を屈めると、殺意を宿した”聖剣”の欠片が六つ、白銀の巨人に突き刺さった。
「私はナラールが誇る”聖剣”が盟約者。偉大なる勇士、キリル・フラムチェンコフ!」
赤枝は、砕けた装甲を零しながら、鋼刃を組み換えて折れた大剣を造り、大上段に構えるキリルを哀れに思った。
紫崎先輩が昔教えてくれた、北欧神話で英雄の中の英雄と歌われた男の台詞だ。
『勇者がなまくらで勝利を得た例はあれど、臆病者が名剣で勝利を得た例はなし』
(聖剣はてめえには過ぎた力だ、メッキ野郎)
「死ねぇええええええっ!」
「俺はひとを殺さないっ!」
赤枝の駆る純白巨人の正拳突きが、キリルの操る白銀巨人の頭部を破壊し、無力化する。
赤枝は読み違えた。白銀巨人が狙うのは自分だと無邪気に信じていた。ゆえに、折れた大剣が振り下ろされる前に、戦闘能力を奪えると過信した。
……たとえ己が不幸になろうとも、相手を不幸に落とすことこそを善と位置づける道徳観。それは赤枝の世界にもあったのに。
「ひっひゃひゃはははっ!!」
「ブルースゥゥウっ!?」
白銀の巨人が殺そうと狙ったのは、黄金の大剣を両手で放り投げた方向は、怪我で動けない恩人を隠した高層建築。
木造の住宅や商店が、まるで溶けたバターのように断ち切られ、崩れてゆく。
必死で倒壊を止めようとする純白巨人に背を向けて、キリルは黄金の短剣を手に、大破した白銀巨人の操縦座から脱出した。
「……ひひっ。甘ちゃんが」
俺はひとを殺さない? 殺せないの間違いだろう、素人めと、石畳の上でキリルは嘲笑う。
乗機を失ったのは手痛いが、所詮は共和国からの借り物だ。この黄金の聖剣……神器の核さえ無事ならば、器などもう一度作れる。
「おい、誰か! 誰かいないか!?」
「ハイ、ここに」
キリルの誰何に、土煙と霧の中から現れたのは、かまきりじみた印象のナラール軍人だった。
ドミトリー・カウフマン。キリルの副官であり、”もうひとつの神器”の確保を命じていた。
「あの小娘とぬいぐるみは捕らえたな」
「ハイ。キリル様の御命令どおり、手足の腱を切って縛りつけています」
「フン、神器をひとつ得られたなら、作戦は成功だ。元帥への顔も立つ。
憂さ晴らしだ。あの小生意気なぬいぐるみの目の前で、小娘のまたぐらを白濁く染めてやろう。くやしがる顔が目にうか…ぶ?」
笑みを浮かべようとして、キリルの顔は激痛に歪んだ。
ズサリという音が聞こえた。
背が、はらわたが焼け付くように熱い。
刃が突き出た腹が、あかく、赤く染まってゆく。
「成功したのは我々です。あなたじゃない」
「ドミトリィ…ごれはなんの」
「戦場ではよくある事故ですよ。貴方が悪いのです。共和国から神器を借りている身でありながら楯突こうなどと。謝罪と賠償に、このアーティファクトはいただいてゆきます。ああ、聖剣なんて気障ったれた名前や無意味なギミックは遠慮します。重要なのはやはり火力。威風堂々と敵を打ち破ってこそ、栄光あるナラール軍にふさわしい」
「ぎざ、ま。……いやだ。じにだぐっ」
「ひはははは」
乾いた嗤いが響く白い霧の中で、肉を刺す音とともに真っ赤な血が石畳を染めていった。
(阿呆が)
キリルによって倒壊した高層建築の梁や柱を、ただ一本の槍で支えて創りあげた空間で、悲鳴を聞いたニーダルは嘆息した。
見逃せば、こうなると予想はついていた。
だから、追撃を中断し、先回りしたのだが、どちらにせよ結末はろくでもないものだったらしい。
(ま、ゆっくり休みな。地獄に堕ちるか、天国に昇るかは知らないが)
人倫にもとる行為を行う外道には必ず相応しい末路が待っている。
キリル・フラムチェンコフはここで果て、ドミトリー・カウフマンは、ニーダルが手を汚さずとも必ずや相応の最期を遂げることだろう。
「悪、か。はは」
そうだ。悪党は悪党らしく高笑いをあげて登場しよう。それが美学であり、浪漫というものだろう?
「はははっ。ははははは。あーっはっは!」
翼にも、獣にも似た炎を羽ばたかせ、空を閉ざす木材を消し飛ばす。
ニーダルは保護した民間人、ブルース・ハックマンを背負って跳躍し、公園に降り立った。
三日月十文字槍は置き去りだが、あとで取りに戻ればいい。
「ちくしょうブルースっ。返事をしてくれ。どこだっ!? 無事か!?」
純白の外装を黒く汚し、半狂乱になって探す巨人に、ニーダルはジャングルジムに仁王立ちして声をかけた。
「ぴいぴい啼くな小僧! 探しているのはコイツだろう?」
「ブルース? 良かった…」
がくりと膝をつく巨人に、ニーダルの胸がみしりと痛んだ。
「手当てはしておいた。入院すれば、じき元の生活に戻れる」
「あ、ありがとう、」
「おいおい俺っちに感謝する必要はねえ。当たり前のことをしただけさ」
軍人は、剣もたぬものを、民間人を護るために剣を取る。
(そうだろう? エリン先輩)
たとえ王国と敵対することになっても変わらない、刻み込まれた誓約だ。
けれど、ツイていないな、とニーダルは哀れむ。
声からして、まだ20に届かぬ少年。彼がどんな葛藤を乗り越え、どんな覚悟でその神器と契約を交わしたのかはわからない。
本当にツキがない。……強すぎるのだ。少年が手にした神器は。
ナラール兵が操る巨人の整備がずさんで、照準や追従性に酷い問題を抱えていたのは事実だろう。
盟約者が、本人が思い込んでいたほどに腕利きで無かったのも確かだろう。
『俺はひとを殺さないっ!』
……だが、初陣の小僧が手加減して勝てるほど、甘い相手などではなかった!
(もう誰から聞いたかも覚えていない、あいまいな記憶だ)
『――勇者がなまくらで勝利を得た例はあれど、臆病者が名剣で勝利を得た例はなし』
王者の中の王者。英雄の中の英雄と謳われ、軍を率いては万軍を撃ち破り、戦士としては人の身で竜を滅ぼし、神々の王すらも退けた男がいた。
勇敢なる者。彼に足りなかったものは、わずかな思慮。あるいは余ったものは、わずかな過信。
策を案じて止める恋人に、勇敢に帰還を約束して出立した彼は、結果的に姦計にはめられて、己が愛する女を死に追いやり、己を慕う娘を修羅道へと引きずり込み、自らも身内の裏切りによって果てた。
戦士の中の戦士は、数多の乱の火種を残し、人間以上の残酷な死を与えられて、『英雄』となった。
(小僧。そいつとお前は同じだよ)
英雄が鍛え、手にした刃は、鋼鉄を泥のように裂き、竜の息吹や、川の流れすらも断ち切ったという。
小僧が盟約を交わした契約神器のかつての名前はユミル。黒衣の魔女が最初に創りあげ、神剣の勇者が戦友の杖として、後に創られた彼女の妹弟、そのことごとくを撃ち破った最強の魔杖。
クソクマ…、ベルゲルミルが唯一”及ばなかった”と認める最強の神器の成れの果てだ。
「小僧。お前は誰も殺さなくていい」
最強の剣を手に、勇敢なる者は覇道をゆき、乱を呼ぶだろう。
殺さずに制せるという傲慢さが、今見たような悲劇を増殖させる。
だから、綺麗なココロ、綺麗な手のままで、ここで散れ。
俺はお前を笑わない。お前の志を讃えもしよう。
「だから、ここで、俺に殺されろ」
アクセス。呪われた翼をはためかせ、ニーダル・ゲレーゲンハイトは、純白の巨人を蹴り飛ばした。
☆
雪巨人は、自身の五分の一の高さの人間に腹部を蹴り飛ばされ、数十mの距離を吹き飛んだ。
石畳がめくれあがり、複数の木造建築を粉砕して、ようやく止まった。
レッドアラート。警報が痛む頭を殴りつけ、真っ赤に染まった操縦席の水に無数の警句が並ぶ。
「そったれ、赤い彗星かよ」
ずり落ちた眼鏡を、赤枝基一郎はかけ直し、奥歯を噛み締めた。
やわいと思ったのだ。
アレだ。さっきのメッキ野郎はいわば、前座。ここはお任せをとシャシャリ出てきて瞬殺される雑魚。
ステージボスは、このわけのわからない赤コート野郎だ。
『誰も殺さなくていい。だから、俺に殺されろ』
赤コートの先ほどの言葉に、赤枝は咳き込みながら歯噛みする。
「この俺が、平和憲法を唄いながら、チェ・ゲバラやカストロ議長を礼賛する詭弁家に見えるのかよ」
”安全とは思い込みにすぎません。現実には安全というものは自然界に存在しないし、人類が経験することもまたありません”
ヘレン・ケラーの残した台詞だ。この言葉は、こう続く。
”長い目で見れば、危険を避けるのは、危険に身をさらすことより安全ではないのです”
聴力と視力を失い、言葉を失い、それでも彼女は自らの道を切り開いた。
ただ立ち止まり、目を塞ぎ、耳を閉じて、口を閉ざしているだけでは、安全も、平和も勝ち得ない。
『主っ。逃げてください。私を置いて行ってください。その男から逃げてっ、あれは』
「逃げる? 馬鹿言うな。ここで逃げたら、紫先輩に笑われる。近衛に呆れられる」
そして、高城悠生に二度と顔向けできなくなる。
一番の常識人に見えて、あいつは無駄に男の美学とかにうるさいから!
「そうかい」
目に映るのは、天を焼く禍々しい紅い焔。今ならわかる。
もしも赤枝基一郎が、この世界に招かれた意味があるとするならば。
「俺の魂が囁くんだよ。あの焔は、この俺が信じる”愛と平和”にかけても、絶対に止めなきゃいけないシロモノだってなっ!」