表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

第四話 若人は狭間にて選択する


 子供の時、積み木遊びをしたことはあるだろうか?

 土や、砂でお城を作ったり、石を重ねるのも楽しいものだ。


 あるいは、一生懸命作ったお城を壊すことに、背徳的な喜びを見出す者もいるかもしれない。

 価値を知っているものだからこそ、大切であることを知っているからこそ、壊したい。

 ここまではいい。子供の純粋さは、時に嗜虐心や加害心への純粋さにも通じるから。

 だが破壊への渇望は、稀に狂気という炎を宿し、留まる事を知らず燃え広がる。

 自分ではない誰か、その誰かが大切にしているものだからこそ、奪いたい、破壊したい。

 遊び半分で蟻の巣を潰す。虫の四肢をもぎとる。猫を、小動物を、そして、人間を……殺める。

 流れる血は美しいだろう。かけがえのない命だからこそ、輝きを摘み取り、己が手で汚泥に落とす。

 それは、なんという快楽か!


 どうということはない。ガートランド警察の検問を突破し、町を破壊しながら海岸を目指す彼らは、とっくに壊れていた。

 王国に一泡吹かせる偉大なる作戦。その気付けにと打った薬物で、彼らの理性は消し飛んだ。

 替わりに膨れ上がったのは、まるで神に成り代わったかのような万能感と、裏腹な、鼠の如き劣等感だった。

 自分達は一万年前から続く偉大な文化の創造者であり、礼と徳をもって敬われた至高の民族の末裔だ。

 古来より王国を繁栄させる様々な文化を与え、王国の政財界を牽引し導いてきた。

 だというのに、何だ? 王国民は、自分達への感謝を忘れ、傲慢に振舞っている。

 彼らが謳歌する栄光は、すべて、我らが与えてやったものなのに。

 購わねばならない。――頭を垂れ、靴を舐めて、土地と女と財宝のすべてを差し出して、許しを請わなければならない。それこそが友好、それこそが隣人愛、それこそが王国の取るべきただひとつの道だ。

 購わねばならない。――これまでの人生でこれっぽっちも苦しみを味わったことがない糞どもに、我らの強さと偉大さを見せ付けなければならない。

 購わねばならない。――我らの味わった屈辱を、王国民の血と命で購うのだ。そのときこそ、彼らは身の程を知るだろう。恐怖に怯え、許しを請うだろう。

 さあ、殺せ、潰せ、破壊しろ。今こそ圧倒的な力で、蹂躙するのだ。偉大なるナロールに栄光あれ!


 狂気である。

 論理的に破綻しているし、矛盾していた。

 ナロールには、王国に影響を与えるような文化はなかったし、事実、文化的に価値あるとされる遺物が一つも残っていなかった。

 ナロールに、王国の政財界を牽引し導くほどの才覚があったなら、いつの時代も困窮し、王国に援助を求めることもなかっただろう。

 王国に奪われただの、共和国に奪われただのといった言い訳に意味はない。ナロールは、自身が与えたと主張する文化を、全く維持することができなかった。

 それも当然だ。大陸史において、ナラール・ナロール地方は、西部連邦共和国とガートランド王国を結ぶ、ストローに過ぎなかった。

 文化的交流の中継点ならば、まだ救いがあっただろう。異文化の中継を担った地方は、多くの場合、融合、発展させ、独自の文化を生み出すものだから。

 だが、ナラール・ナロール地方は、神焉戦争後千年の長きに渡り、西部連邦共和国の属国として、何一つ他国に誇りうる独自の文化を育むことができなかった。あるいは、育もうとしなかったのかもしれないが。


 属国として困窮するナラール・ナロールは、恥辱に満ちた「史書や遺物に裏付けられた歴史」ではなく、妄想としての「あるべき歴史」を必要とした。

 だがどれほど精緻に妄想を形作ろうと、それは、現実によって覆される。その落差は、新たな恥辱として、ナラール・ナロールを焼いた。

 やがて、彼らはひとつの価値観を作り上げた。


『恨の精神』――怨み、嫉妬、不快感、他者から己が感じたあらゆる負の感情を恨みと呼び、それを晴らすことを善とする倫理観を確立させた。


 水に流したり、昇華するのではない。『己が恨みを抱いた相手を手段を選ばず不幸にすること』を、『道徳的に善なる行為』と位置づけたのだ。

 屈辱や嫉妬の内因を自身に求めるのではなく、常に他者に転嫁する思考法は、結果的に個人の成長を阻害し、円滑な社会交流をも阻害する。

 マイナス面を指摘されて、それを恨みに思おうと、自身を改善しないかぎり、欠点は欠点として残り続ける。

 なにより、一方的な主観から『恨』を抱かれ、『不幸になれ』と付け狙われる対象には、たまったものではないだろう。

 この価値観は、ナラール・ナロールを蝕み、両地方に関わった多くの国や個人を不幸に導いた。

 そして、それは、異世界に招かれた赤枝基一郎とて、例外ではなかった。



 この異世界が平穏だと、どうして信じられたのだろう。

 赤枝基一郎は、ブルースとともに、夕焼け空の下、ひびの入った石畳の廊下を走りながら歯噛みした。

 響く轟音、湧き上がる悲鳴と、逃げる群衆。非常事態と避難勧告を告げる鐘の音が響き渡る町を、複数の巨大な人形が蹂躙していた。


「なぜだ。なぜこんなことを……」


 わけがわからない。理解できない。自分達は、普通に暮らしていただけなのに。どうしてこんな目にあわなければならない?


 深緑色に塗装された、全長10mを越える金属製の巨人が、全部で七体。

 明らかに戦闘目的で作られた、無骨で巨大な西洋甲冑(フルプレートアーマー)が、地面を踏みしめるたび、石畳の道路は砕け、彼らが塗装と同じ色の棍棒を振るうたび、木造の家々が悲鳴をあげて倒壊した。

 王国警察が馬車を集めてバリケードをひいても、阻止することなどできはしない。

 蹴り潰され、殴り壊され、悲鳴と絶叫が増えるだけ。警棒や石弓程度の火力で、あの怪物どもを止められるわけがない。

 軍隊は何をやっているのか。これでは、まるで性質の悪い怪獣映画だ。


「怪物め……」

「違うぞ。アカーシ。あれは、人間だ……」


 無意識の呟きに、先を走るブルースが、どういうつもりで応えたのかは、赤枝にはわからない。

 かつて、遺跡から迷い出た本物のモンスターと闘い怪我を負ったブルース。本物の怪物は、これ以上に恐ろしいものなのだろうか。

 違う、と、赤枝は直感した。

『怪獣は、怪物は、人を殺さない』のだ。それらは、ただ己の心のままに暴れるだけだ。

 人間が、人間こそが、悪意から銃をもち、その引き金を引ける。化学ガスを噴霧し、ビルに旅客機をつっこませ、弾道弾を発射できる。


 たとえば。

 日本では、殺戮衝動に突き動かれた男が、包丁を片手に学校を襲ったし。

 米国では、妄執に囚われた韓国人留学生が、ヴァージニア大学で銃を乱射して三十余名を殺害した。

 韓国では、祖先に親日派のレッテルを貼られた途端、隣人に墓を掘り返され、子孫は財産収奪の上民衆に暴行を受ける。

 中国では、共産党政府によって、東トルキスタンや内蒙古等の少数民族が、民族浄化のために堕胎や不妊手術を強いる拉致拷問を受けて。

 露西亜では、軍隊がチェチェン人の四人に一人を殺害する地獄絵図が日常だった。


 戦争が起こらなくとも、暴力やテロルの種は、どこにだって潜んでいる。

 原因は個人の異常か。国家の異常か。あまりに多くて果てがない。

 だが、平和も、平穏も、安全と生命を守ろうとする意思が無ければ、容易に崩れる。


 武器も軍隊も所有しない国を攻める国がどこにありますか?

 この問いかけに対する返答は簡単だ。


 ――全部。


 有史以来、野心をもった国で、弱兵の国を侵攻しなかった国はない。

 逆にこう聞き返すべきだ。

 武器も軍隊も所有しない国で、攻め滅ぼされなかった国はどこにありますか? と。

 表向き非武装を謳う”平和の国”コスタリカは重火器で武装した自国警察と米軍が常駐し、長く中立を守ったスイスは女性すら銃を習う国民皆兵。

 米軍を追い払ったフィリピンは中国の侵攻を招き、武力のなかったチベットに至っては殲滅された。


 つまるところ、脅威に対し、止める力が無ければ、災厄は引き起こされる。

 アルカイダによる9.11同時多発テロ。オウム真理教による地下鉄サリン事件。『災厄は起こりえない』という前提こそが、間違っている。

 だから、それはこの異世界でも同じこと。ガートランド王国は、人災に対する備えが準備されていなかった。


「アカーシ、あと少しだ。頑張れっ」

「ああっ」


 あがりそうな顎を、力づくで落として、何度も息を吸って吐く。

 足はガタガタで、足首はまるで熟れた木の実のように腫れている。

 まるで血を吸ったように赤い空の下、路地裏を踏み分けて、赤枝たちは、ひとつの建物を目指していた。

 自治会館。そこの裏庭に、作業用の馬車がひとつ置かれていた。

 地域住民の避難を誘導し、ブルースと赤枝は最後までこの地に残った。警察の用意した大型人形駆動の輸送車に、避難民と共に乗り込んだ自治会長が託したのが、その車庫の鍵だ。

 ブルースが蹴りあけるような勢いで門を乗り越え、閂を外す。赤枝は門を開いて裏庭の車庫を開き、ブルースが馬を連れてくる。

 準備は整った。脱出するのは、彼らが最後だ。多くの物を失い、被害は出るだろうが、それでも人命の損失は最低限に抑えられた。


「ハイヨォオオ!」


 ブルースは御者席に、赤枝は客席に乗り込み、自治会館から走り出す。

 脇道を出て、大通りへ。あとは、真っ直ぐ進むだけで―――。


「「!!」」


 その時、その光景を見なければ、あるいは二人の運命は変わっていたかもしれない。

 だが、ブルース・ハックマンは見てしまった。

 車椅子に乗せた婦人を押す少女が、深緑色の巨人に追われ、逃げ惑うのを。

 二つ先の交差点だ。馬車でなら、どうにか追いつかれずに逃げのびられるかも知れない。

 見捨てることもできた。見ないふりをすることもできた。巨人は明らかに悪意をもって、奇妙な踊りを踊りながら、凶器の脚を踏み鳴らし、親娘らしい二人を嬲っていた。

 ブルースには、脅威に襲われる二人の姿が、離縁した妻と子に重なって見えた。


「アカーシ、すまん」

「何謝ってるんだ? ブルース。つきあうさ」


 無人の通りをUターンし、ブルースの駆る一頭立ての馬車は、巨大な悪魔へと向かってゆく。


「イヒヒヒヒ。イーッヒッヒ」


 人形の音声素子から、操縦者らしい男の笑い声が響いている。覚せい剤でもやってるんじゃないかと疑うほど、正気から外れた高揚した声だ。


「こっちだ! 来い!」


 赤枝は、扉を開いて車椅子を押す少女を呼ぶ。

 少女は、まるで血の池で天へと伸びる糸を見つけたように、陽の差した顔で微笑み、母親らしい女性を抱きあげた。

 馬車が走る。


「ヒッ、ヒャッハァアアア」


 巨大な西洋甲冑は、狂った笑い声をあげながら、まるで虫でも払うように深緑の棍棒を振り下ろす。

 しかし、その一撃は幸運にも外れる。石畳を穿つ轟音を聞きながら、赤枝は少女から女性を受け取り、胸に抱くような形で少女を馬車へと救出した。

 交差点の近くだったのが幸いした。Uターンの必要も無く、脱出路へと逃げ延びる。


「助かりました……」

「ありがとう……」


 どうやら、二人は本当に親娘らしかった。年齢は30の半ばと、中学生くらいだろうか。

 母親の方は長く、娘は短かめだったが、どちらも栗色の髪で、瞳は海のような澄んだ青。

 街の方の住人なのか、上着は騒動のせいで土埃に汚れていたが、ここらでは見かけぬ質の良いものに見えた。


「いいさ。助かって良かった……うわっ」


 馬車が唐突に左折して、赤枝は少女と婦人に抱かれるように、座席に押し倒される。


「ブルース。もう少し、丁寧にできないのか。俺だけじゃないんだぞ!」


 香水と甘い匂いに、赤枝の頬が朱に染まる。彼は、苦手なのだ。女性というものが。


「わかっちゃいるが、非常事態だ。もう一体、来やがったっ」

「っ」


 客席の三人は息を呑んだ。もう一体の金属の巨人と、巨人が乗る馬型の巨大人形が引く輸送車が、進路の先に見えていた。


「挟み撃ちかよ?」

「……」

「そんな……」


 ブルースは、少しでも二体の人形から距離を取ろうと馬車を駆った。

 だが、巨人もまた動くのだ。馬型の人形に乗った巨人はともかく、狂気じみた笑いをあげる巨人の方は明確に、馬車を追ってきた。


「イーッヒッヒ。掃除だ。掃除だ。ソウジソウジソウジィイイイイイ」


 あいも変わらず、ビッコを引くような、奇妙な踊りを踊りながら、少しずつ距離を詰めてくる。


「イヒヒヒ。オカシイだろう。オカシイじゃないか? 障害者なんて生きる価値のないゴミなのに。なんでお前らに選挙権があって、俺らにはないんだ。掃除。そうジ。ソウジ。ごみはソウジシナキャアァアアア」

「っ」


 揺れる車内で、赤枝の血が沸騰する。

 沈痛な顔で娘を抱く母親。唇を閉じて、手を震わせる娘。

 きっとあのろくでなしは、赤枝たちが助けに行くまで、口の腐るような罵詈雑言を二人に浴びせていたのだろう。

 赤枝はようやく得心した。びっこをひく踊り。あれは、”病身舞”だ。人の尊厳を踏みにじる、そんな不道徳極まりない伝統芸能が、赤枝たちの世界にもあった。


「あの野郎!」


 もしも拳が届くなら、殴りつけてやりたかった。

 だが、赤枝の拳は届かない。非力な自分達は、ただ追われるだけ。

 ブルースが懸命に馬を走らせる。距離が僅かに開く。


「ソウジィイイイイイッ」


 その時、深緑の巨人が行った蛮行を、赤枝は信じられなかった。

 巨人は、棍棒を置くと、背に負った箱らしきものから、大きな石弓を取り出し。――射た。


「うわあああああっ!」


 衝撃が、赤枝たちを襲った。

 動く標的を射る等、簡単なことではない。

 鉄柱は、馬車を外れて、しかし、着弾の爆発で飛び散った石畳のかけらが、運悪く馬車の車輪を直撃した。

 転倒する。人形駆動車ではなく馬車だった事、ギリギリでブルースが速度を緩めたことが幸いしたが、それでも屋根へと叩きつけられる痛みは強烈なものだった。

 それでも、車内の赤枝たちは、マシだったのだ。ブルースは放り出され、直後に振り飛ばされた御者席の下敷きになった。


「ブルース……」

「ついて、ねぇな」


 全身打撲と下半身に裂傷。

 ゆっくりと血のにじむ石畳で、髭もじゃのブルースは、痛みをこらえて気丈に笑って見せた。

 娘が、ブルースを下敷きにした御者席にかけより、持ち上げようとしている。


「おい、アカーシ」

「わかってる」


 赤枝は、倒れている婦人を抱き上げ、幸いにも傷を負わなかった馬へと乗せた。


「いけません……。元はと言えば、私達が」

「いいんだよ。あんた達のせいじゃない」


 そうだ。この人たちは悪くなんて無い。悪いのは、深緑の巨人に乗った腐れ外道と、……その外道を止められない自分達の非力さだ。

 赤枝は、服が裂け、手から血が滲むのも構わず、御者席を動かそうとする娘の手を引いた。


「待って。待ってください。一緒に持ち上げてっ」

「お嬢ちゃん。気持ちは嬉しいが、俺一人の方が楽なんだ」

「そんな、そんなことはないです」

「頼みがあるんだ。助けを呼んで来てほしい」

「助け、を」


 少女の瞳が開かれる。

 震える身体を持ち上げて、赤枝は、娘を母親と同じように馬へと跨らせた。

 喉を鳴らす馬の鬣を撫でさする。


「いい子だ。頼んだぞ」


 赤枝は、馬車と馬を結ぶ綱を解いた。 

 巨人が来る。次の一撃は、石弓か、棍棒か、……直接踏み潰すのか。

 その前に逃がさなければならない。


「行くんだ」

「お名前を、せめてお名前を教えてください。私は、プリシラ。プリシラ・エリン。母は、セシリア・エリン。お兄さんとおじさまは?」

「俺は赤枝基一郎。彼は、ブルース・ハックマン。覚えていてくれ」

「アカエダ? わ。忘れません。必ず、必ず助けを呼んできますからっ」

「頼んだぞ」


 赤枝は、馬を押した。走り出す。何度も何度も振り返る親娘を乗せて。

 救援は間に合わない。間に合うはずが無い。あの親娘が、鞍もない馬から転げずに、この惨劇地帯から逃れられるかどうかさえ危うかった。

 だとしても、意味はある。ブルースが、命を賭けた意味が。


「オレは、一緒に逃げろと言いたかったんだけどな」

「生憎、乗馬なんてハイソサエティな真似は出来無くてね」

「馬鹿野郎」


 赤枝は、馬車の残骸から手ごろな木片を拾って、梃子の原理で、御者席をもちあげようとする。

 力を込めると、木片は半ばからボキリと、折れた。


「ぐっ」

「悪い。今助け出すから」


 鉄が必要だ。ジャッキまでは求めない。せめて梃子ひとつあれば、御者席を持ち上げられる。

 木材等の非金属であらゆる製品を賄う、この世界の技術水準には舌を巻くが、こういうときは腹立たしい。

 強度が絶対的に足りないのだ。


「いいんだ。アカーシ。逃げるんだ。こんなことに、つき合わせて悪かった」


 呻くブルースの顔色から、血の気が引いている。

 危険だ。早く病院に連れて行かなければならない。

 御者席を、なんとかずらそうと、赤枝は両手に力を込める。

 動かない。壊れた御者席は、手に血が滲むほどの力を込めても、寸分も動かない。


「アカーシも行くんだ。生き延びたら、伝えてくれないか? 妻と息子に愛していたと」

「ふざけろよ」

「オレは、もう駄目だ。お前だけでも」

「ふざけろって言ってんだよ!」


 赤枝の走り回った足にも、腕にも、力が入らない。

 怒りが、激情だけが、赤枝の崩れ行く身体を支えている。


「何かっこうつけてんだよ。生きろよ。ブルース。生きて、自分で会いに行け。愛してるんだろうがっ!」


 赤枝は思う。演劇部に入る前の、高城たちに出会う前の自分なら、逃げ出しただろうと。

 褪めた視線でカッコをつけ、上っ面だけ綺麗な言葉を投げて、自分ひとりだけを大事にするのが格好いいと、そう思っていたから。

 だが違う。それは違う。守りたいものがあるのなら、たとえ泥にまみれても足掻かなきゃいけない。

 それを向こうの世界で教えてくれたのが高城で、この世界ではブルースだ。


「今度は俺が、あんたの力になる番だ」


 御者席は動かない。


「イヒッ。イヒッ。ヒヒャハハハハハ」


 巨人が近づいてくる。

 赤枝は、動け、動けと、ただ力をこめ続けた。


「アカーシ、もういい。死ぬつもりかっ……」

「死なない。死ねない。死んでたまるかぁあ」


 高城悠生に、苅谷近衛に、高城円に、紫崎先輩に、後輩の美鳥や蔵人に、もう一度会うのだ。

 彼らと共に、元の世界に帰るまでは、命を落すわけにはいかない。


『そう、貴方には、死ねない理由があるのですね』


「ブルース?」


 何かの振動が、石畳越しに伝わってくる。

 先ほど鉢合わせになった、巨人が乗る大型人形駆動輸送車が、まるで弾丸のような速度で赤枝たちへと直進していた。

 狂った笑いをあげる巨人は、掃除掃除と喚きながら、ビルほどもある棍棒を振り上げた。

 避けられない。轢かれるのが先か、棍棒で潰されるのが先か。


「ちくしょうっ」


 赤枝たちに到達したのは、大型人形駆動輸送車の方が先だった。

 馬型の人形が引く高速で走る越重の質量が、赤枝たちをギリギリ避けて、殴り潰そうとした巨人に突っ込んだ。

 まるで、喜劇のように、撥ねられた巨人が道路を吹き飛ばされる。

 輸送車を牽引する人形にのった巨人も無事ではない。頭部がもげて、首のない屍じみた姿をさらしている。

 それだけではない。

 遠方から見たときには閉じられていたはずの、後方のコンテナ部が開いていた。

 中に仕舞われていたのは、白い大きな人形だ。

 金属で作られながら、まるで木造彫刻を思わせる、全体的に丸みを帯びたシルエット。

 まるで雪のように、全身を純白に塗装された人形が、コンテナから身を乗り出して、深緑の巨人の頭部を手刀で貫いていた。


『死ねない理由があるのなら、私が力をお貸ししましょう』


 白い人形がコンテナを出て、赤枝の前に膝をつく。

 頭部にある二つの赤い視覚素子が、真っ直ぐな視線で見つめていた。


「俺に言っているのか。力を貸してくれるって……」

『はい。私は、貴方が立ちふさがる障害を乗り越え、貴方に降りかかる厄災を払う、一助となりましょう。……ですが、これは、契約です』

「契約?」

『そう、契約です。私が貴方に仕える代わり、貴方は私の望みを一つ叶えてください』

「望みとは、何だ?」

『我が母を。黒衣の魔女テラーを止める事』


 ……何を電波がかったことを言っているのか、と赤枝は困惑した。

 黒衣の魔女とは、この世界の神話における最大の邪悪だ。千年前、魔物の軍勢を率いて、九つあった大陸の八つを沈め、世界を滅ぼす直前に神剣を授かった勇者に討たれた魔王。

 オカルトに詳しい紫崎先輩が言っていた、最終戦争における666を刻印された竜とか、サタンとかルシファーとか、そういう存在に近いだろう。

 己を、魔女の子と名乗るのも異常なら、それを止めるなんて契約条件も馬鹿げている。

 無茶を言うな。


「本気で言ってるのか?」

『はい』

「ただの高校生の俺に?」

『はい』

「それって、戦えって意味だよな」

『場合によっては』


 赤枝は、御者席の下敷きになったブルースの血の気の引いた顔を見た。

 遠くの方で、起きあがろうとする深緑の人形を見た。


 そして、海に沈もうとする太陽と、藍色に染まりゆく空を見上げた。


 ここが選択だと、赤枝は理解した。

 きっと白い人形と戦うことを選べば、当たり前の、昼の世界には戻れなくなる。

 黒衣の魔女テラーの話が嘘だろうと本当だろうと、関わってしまえば、闘争と謀略渦巻く夜の世界に巻き込まれる。

 決断は、簡単なことではない。

 だが、黄昏の時間は短く、いつまでも立ち止まる時間は与えられない。

 赤枝は、眼鏡を外し、内ポケットに忍ばせた不織布で、汚れを拭き取った。

 眼鏡を、かけ直す。


「わかった。契約を結ぼう」


 力が、必要だ。

 今、ブルースを病院に届けるための。

 深緑の巨大人形と渡り合うための。

 演劇部の仲間達を探し出すための。

 

 たとえその先に待つのが夜の世界だとしても。

 もう一度皆で過ごせる朝を再び迎えるために。

 あえて闇へと身を投じよう。


「俺の名前は赤枝基一郎。人形、お前の名前は?」

『私はユミル。母より始まりの巨人の名を与えられた災いを穿つ杖。これより我が主、赤枝基一郎の剣となり、鎧となりて、主が前に立ちはだかる全ての禍を払うことを誓います』

「……お前の願いを叶える事を、俺自身の誇りにかけて誓う」

『主よ。貴方が求める”言葉”を。その言葉を以って、我らが契約の徴とします』

「……”愛と平和”」


 人が求めて止まず、決して永遠には得られない。そう、赤枝が信じるもの。


『本当に、主は皮肉家なのですね』

「悪かったな」


 白い人形と、赤枝の右手の甲に、光が疾った。

 刻まれたのは、”愛と平和”を顕わす魔術文字。

 痛みはなかった。ただ、日常との決別の痛みを、感じた。


 ユミルは、鋼の掌で赤枝を掬い上げ、後頭部へと誘った。

 人間で言えば延髄に当たる部分に、コックピットへの入り口があった。


(……水?)


 往年の飛行機の操縦席のような、数百近い計器類を想像していた赤枝は、少し拍子抜けした。

 人形の胎内に設えられた操縦室には、ただなみなみとした水だけが満たされていたから。

 入り込む。

 酸素はあるようだ。息はできて、身体も少し動かせる。

 実際に動かしたときの振動が心配だったが、あれほど強烈に輸送車に跳ね飛ばされた深緑の人形が起き上がり、奇声をあげて棍棒で踊りかかってくる。

 あれと同じかどうかはわからないが、おそらく操縦区画の衝撃等への対策は、相当万全に施されているのだろう。

 赤枝は、魔術文字右手の甲に導かれるように、周囲に浮かぶ明滅する文字に触れてゆく。

 太陽が、ついに沈む。

 黄昏は終わり、星星の煌く蒼い夜に招かれるように、赤枝と白い巨人は立ち上がった。


『「第五位契約神器――万能戦術兵器”雪巨人・《愛と平和》”――起動!」』



「イヒャヒャヒャ、死ネ。死ネ。ゴミはキエウセロォオオ!」


 起動と同時に、赤枝が行ったのは回避運動だった。

 深緑の巨人が、叩きつけてくる凶器を、右後方に飛びのくようにして回避する。


(感覚と素子が、思考と行動がリンクしている?)


 水の中にいるはずなのに、吹きつける秋の風を、空を切る棍棒の唸りを、外れた棍棒が穿つ地の震えを、己がことのように感じていた。

 先ほども、文字を介さずに、ただこちらの方向に避けねばと念じただけだ。

 赤枝は、白い巨大な人形を、まるで己が手足のように自在に動かす事ができた。


『はい。この雪巨人を動かすのは、私と貴方の意思です』

「便利じゃないか。だけどっ」


 次に撃ち込まれるのは、石弓の射撃。

 赤枝がかわした重い鈍器の弾丸は、轟音と共に、近くの商店の外壁に突き刺さり微塵に破壊した。

 幸い、舞い落ちた破片はブルースの方には届いていないが、いつまでもこのままというわけにはいかないだろう。


「避けるばかりじゃ埒があかない。何か武器はないのか? こう頭部から機関砲とか、目からビームとか、腕が飛んでって殴るとか」


『雪巨人には、使用者に合わせて変化する固定武装が装備されています。創造してください。我が主。貴方の闘争心を顕わす、唯一無二の武器を』


 唯一無二の武器だって!?

 赤枝は一瞬、躊躇した。


(武器と言うと、やはりオーソドックスなのは剣か? いや、槍もあるし、斧とかも破壊力がありそうだ。冷静になれ、強いのは射程がある銃だろう。いや、残弾を気にして戦えるのか? そもそも俺は射的で当てた試しが一度もないだろう? 意表をついて鞭なんかはどうだ? バットなら手軽に使えそうだし、そう言えば昔、トンカチが必殺技なロボットアニメもあったなあ)


 急に想像しろと言われても、迷うものだ。

 そういえば、さっきなんて思っただろう。


(確か、ブルースを助けるのに、金梃子があったら便利だな!!)


 瞬間、水の中の赤枝の甲から文字が溢れ、閃光と共にひとつの武器を創り上げた。同様に、雪巨人にも、大きく長い、同じ得物が握られている。


「って、何だ。この”バールのようなもの”は?」

『主が望まれた武器です。棍棒、でしょうか?』

「……どこの左翼の内ゲバだぁっ」


 赤枝は、深緑の巨人が叩きつけてくる棍棒を、”バールのようなもの”で受け止めた。

 雪巨人と同色の白色に塗られた鋼の棒は、深緑色の金属の塊を見事に支えて見せた。


「ああ。いいさ。どうせ俺にはヒーロー役など似合わないっ」


 白い巨人は、深緑の巨人の腹を蹴り上げた。

 赤枝は、足に鈍い痛みを感じたが、補正されているのか、それほどの衝撃は無い。

 一方で、深緑の巨人は有り得ないものでも見たかのように、一瞬動きを止めて、もう一度棍棒で殴りかかってきた。


「ユミル!? 操縦者を殺さずに無力化するならどうすればいい?」

『頭部を破壊してください。ゴーレムは、頭部に制御中枢が集中しています』

「了解!」


 赤枝は、一歩下がって敵の打ち下ろしをいなすと、右の逆手でバールのようなものを持ち直した。

 フルスイングで、甲冑の兜を殴りつける。金属のひしゃげる音がして、引きちぎられた油と板片を撒き散らし、頭部が歪んだ。


「イヒャヒャヒャ、お、オカシイ。おでは正義ノミ方。王国人は悪。ゴミ、ゴミ、ゴミはけさナキャア。ソウジイイイ!!」


 頭部から火花を散らして、深緑の甲冑が逃げようとする。

 違う。よりにもよって、倒れて動けないブルースを狙って、石弓を放とうとしていた。

 考えるよりも先に、赤枝の身体は動いていた。

 深緑の巨人が矢を放つ前に体当たりして射線をずらし、回り込んで左の肘うちで凶器を叩き落す。

 右の前蹴りを浴びせて棒立ちにさせて。


「穿て。俺の拳っ!」


 半壊した兜部を、狙いすました正拳突きで撃ち抜いた。

 ユミルの助言は正しかった。頭部をもぎとられた人形は、力を失って倒れた。

 音声素子を介さない狂笑が、いまなお続いていたから、操縦者はまだ生きているのだろう。


『主。武器は、いらなかったかもしれませんね』

「……いるだろう」


 赤枝は、拳を開いて、見た。

 精密さが要求されるはずのマニュピレータが、あれほど荒い使い方をしたにも関わらず、問題なく動いている。

 つまり、この人形を作った製作者は、徒手空拳での格闘戦を行うことを想定した上で、この巨人を作り出したのだろう。


(何か、ひっかかる)


 思えば、最初に追いはぎにあったときから感じていた違和感。

 異世界だからと見逃していた、ひとつの空白。


(殴られたり蹴られた瞬間、追いはぎも今のあいつも困惑していた。まるで、こんな攻撃は見たことが無いとでもいうように)


 日本ほどではないにせよ、様々なサブカルチャーが商売として成立するこの王国で、無手護身術の看板だけはみかけなかった。

 それにもかかわらず、人型兵器のマニュピレータには打撃を可能とする謎。いったいこのギャップは、何故だ?


「そんなことよりっ」


 赤枝は、あれほど動かすのに苦労した御者席を巨人の指二つで軽々とよけて、気絶したブルースを左手で掬い取った。

 まだ息がある。身体も温かい。安心して息を吐くと、ぼこりと、水の中で大きな泡が浮いた。彼を死なせはしない。


「医者に行く方が先だ」


 地を蹴り、加速する。

 足裏部と、背中部に隠されていた排気口から、冷気の固まりを噴射して、雪巨人は道路上を滑空した。


(己が手足のように、なんて、間違いだな。この人形、人間以上の動きが出来るのか)


 速度が上昇する。おそらく、すでに時速100kmは越えているだろう。


(ひょっとして、音速巡航まで可能なのか?)


 遠方に、深緑の人形を二機確認する。馬鹿笑いをしながら、町を破壊しているようだ。この速度なら、間合いは一瞬で詰まる。


「ウヒャヒャヒャ。コワレロ。こわれろぉ。」

「ヘヘヘ。ど、どうせ高飛びをするんだ。王国人をコレだけ殺したんだから、ナラールじゃきっと英雄だな」

「どけぇえええ」


 すれ違いざまに、バールのようなものを突きこんで一方の頭部を破壊し、もう一方を金梃子のカギ爪をえぐりこんでもぎ取った。


『主。速度を抑えて。これ以上上昇させれば、衝撃波を作りかねません』

「ユミル、空は飛べないのか」

『そこまでは、残念ながら』

「残念だ」


 町はもう少しだ。鐘の音も近い。赤枝は、病院へ向かって、速度を落としながら、滑空を続けた。


―――

――――― 


「どういうことだ。反応が四つ消えた?」


 ナラール本国より派遣された工作員で、此度の強奪作戦の指揮官でもある男。

 キリル・フラムチェンコフ大尉は、乗機のコックピットに浮かぶ文字を読んで、不快気に眉をひそませた。

 別に、ゴーレムに乗った搭乗者達の身を案じての事ではない。

 彼らは、最初から陽動目的の使い捨てだった。

 いくら王国が平和ボケしていても、自国から契約神器<アーティファクト>が盗まれれば、大問題になる。

 だから、代わりのネタを用意してやればいいのだ。

 麻薬に犯された前途ある若者が起こした重大事件。政府を叩くネタに飢えたマスコミは喜んで食いつくことだろう。政治家や役人にもすでに手は回している。どれだけ真っ当な政治家や官僚がいても、一部の欲に従順な犬がいれば工作は容易い。今度の事件は、<アーティファクト強奪>ではなく、一部の若者が犯した人災で処理される。

 偽名を使え、国籍を伏せる事の可能な、王国だからこそ効果的な手段。

 いつものことだ――。ナラール・ナロールに関わる重大事件が起こると、王国で野盗や暴力団による銃撃事件や抗争が突発的に起こってきたように、この事件も迷彩によって処理される。

 万が一ナラール・ナロールに火が飛べば、逆に王国政府を非難する準備も、在ナロール組織、在ナラール組織だけではなく、本国までこみで出来ていた。が、どれほど迷彩が上手くいっても、アーティファクトを奪えなければ意味が無い。


「忌々しい。なぜ輸送車の反応まで消えたのだ!」


 その時、彼は見た。見てしまった。

 木造建築の狭間、視覚素子の望遠能力で捉えた白い人形の影。

 あれこそが、西部連邦共和国のヴァイデンヒュラー軍閥が、ナラール国に強奪を勧めた標的に違いない。


「逆に奪われただと。なんという失態だ!」


 もはや隠れ潜む猶予はなかった。

 潜んでいた光学迷彩の魔法陣から飛び出し、キリル・フラムチェンコフは、白い巨人に猛然と襲いかかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] ロケットパンチが搭載されていないなんて! クロードのドリルを見習って! [一言] 英雄と悪徳貴族を含めても、ナラール・ナロールはヤバイ国だと思っていましたが、 守護者で語られる両国は、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ