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第二話 来訪者は未知に迷う


 発端は数ヶ月前に遡る。

 どうしてこんなことになったのか、赤枝基一郎にもわからない。

 学校からの帰り道、いつもの交差点を、いつもの仲間達と歩いていて。

 覚えているのは、黒いトラックの巨体と、白いライト、重く、鈍いブレーキ音。

 有り得ないのだ。

 カーブミラーは確認済みだった。

 排気音も聞こえず、道路の振動もなく、気配すら感じられなかった。

 まるで涌いて出たようなトラックに、赤枝たち演劇部の七人は撥ねられて、目を開ければ、そこは”異世界”だった。


「これは、なんの冗談だ?」


 事情を全く理解できずに、呆然と立ち尽くしてしまったのも無理は無い。

 赤枝の体は、事故の衝撃にも関わらず傷一つ無く、しかし、先ほどまで歩いていた裏通りとは似ても似つかぬ風景に、ただ一人で取り残されていたのだから。

 西洋風の木造建築が立ち並び、石畳の道路を古風な馬車が駈けてゆく。

 見慣れない髪の、肌の、瞳の、人間達が歩道を闊歩して、看板の文字は読めず、地図を探しても滅茶苦茶だ。

 言葉も通じない、お金なんて使えるわけがない。

 

 赤枝は捜し求めた。仲間の姿を。

 日本大使館、日本企業、どこでもいいから、助けを求められる場所を。

 走って走って、足が棒になるほどに走り回って、赤枝の藁をも掴むような希望は、どこにでもあるような建設現場を見て、完膚なきまでに粉砕された。


「誰か嘘だと言ってくれ……」


 木材を手作業で運ぶ国もあるだろう。重機で吊り上げるのは一般的だろう。

 だが、身長5m近い巨大な金属製の人形に乗り込んで運び、建物を組み上げるなんて聞いたことがない。


「ははは……」


 赤枝は笑った。

 笑うしかなかった。

 こんな国が、地球上に存在しているはずが無い。

 人形は結構な数が普及しているらしく、道路の石畳をひっぺがしたり、橋の支柱を支えていたり、縦横無尽に活躍していた。

 鉄道の客車や貨物車らしい窓付きの箱を牽引するのも、四つ足の獣のような人形だったし、消防車や救急車らしいサイレンを鳴らして走るのも、そういった小型の獣人形に引かれた車だった。

 コンクリートではなく石を敷き詰められた歩道、丁寧に埋め込まれた街路樹、排気ガスがないせいか、空気は酷く澄んでいた。


「石炭も、石油も消費しない社会だって? 有り得ない。燃料電池が実用化されて、問題の多い原子力循環機関プルサーマル計画が完全に成功したとしても、そんな社会機構は作れない」


 赤枝は、納得せざるを得なかった。

 ここは、日本ではない。

 未来にも、過去にも、こんな風景は存在しえない。

 夢でもなく、時間を跳躍したのでもないならば、物理法則や基礎観念とでもいうべき、世界常識が異なる「どこか」へ吹っ飛ばされた。

 言葉も通じず、一銭も無く、常識すら疑わなければならない「世界」に、ひとりぼっちで立っているのだ。


 赤枝基一郎は、眼鏡を外した。

 鞄から眼鏡拭きを取り出し、曇りをぬぐう。

 手持ちの食料は、菓子包みが少し。

 所有する衣服は、学生服と上着のコート。

 他には教科書と”資本論”他、マルクス著作の文庫本が数冊。

 これだけが、この世界を生き抜くための道具。

 眼鏡を、掛け直す。


「皆生き延びろよ。俺がじきに、迎えに行ってやる」



 赤枝基一郎の執念は凄まじかった。

 生きるためにはおあしが必要になる。

 金を稼ぐには、働かなければならない。

 が、働こうにも言葉は通じず、身元を証明するものは無く、社会機構についても無知では、雇ってくれる場所が無い。


(ちくしょう、腹が空いた…)


 泥棒は避けたかった。この世界にも警察のような、治安機構はあるだろう。

 日本ならまだいい。

 犯罪者の人権にも配慮し、無用な暴力は振るわない。

 たとえ有罪になっても、刑務所は、中国や韓国の犯罪者から『天国』と揶揄(やゆされるほどに規律と環境が整っている。

 おかげで、”外の世界”では生きられないと、軽犯罪を重ねて戻ろうとする犯罪者も多く、社会問題になっているほどだから。

 では、アメリカなら? 運が悪ければ、万引き一つでも命が危うい。ヨーロッパ諸国の警察機関にもやはり問題はあるし、ロシアだったら冗談で済まない。南アジアや南米だったら、金が無い時点で命取り。中東、アフリカ、こっちも遠慮したい。

 こんなわけのわからない世界では、犯罪行為はそれだけで命取りになりかねないのだ。


(我が身になって、隣国から日本に犯罪者が大量流入してる理由が理解できたな)


 警察白書では、日本における外国人犯罪検挙数のうち、中国籍と朝鮮・韓国籍が長年不動のワンツー・フィニッシュを決めている。

 本国に比べ、隣国の罰則が緩ければ、犯罪者だって嬉々としてやってくるだろう。


「言葉と文字を覚えなきゃ、死んじまう」


 道端のごみ箱を漁り、まだ食べれそうなパンのようなものをかじりながら、基一郎は覚悟を決めた。


 ……が、覚悟だけでどうにかなるほど、異世界での生活は甘くなかった。


 なにせ「”異世界”和辞典」なんてものは存在しなかった。

 人名らしきものから推測するに、どちからかというと、この国の言語は、ラテン語から英語に近い発展をしたらしい。

 だが、発音が違う上、単語や意味も大幅に違うため、基準として考えるのは早計だった。

 更には、防寒を兼ねて拾った、新聞らしきものの文字が理解不能だった。どこのアラビア語かというくらい、意味不明な線の羅列が綴ってある。

 もしも赤枝に、オカルト的な趣味があれば、くずれたルーン文字に似ていると想像できたかも知れない。

 とはいえ、彼は無神論者の上、そういった趣味は無く、手がかりは得られなかった。


(なるほど、犯罪を迫られる気分というのは、こういうものか)


 雨を避けながら、赤枝は郊外にある海岸線へと歩き続けていた。

 いわゆるホームレスやストリートチルドレンにだって縄張りがある。町中はそういった集団の抗争もありえるため、危険だと判断したのだ。

 食うや食わずの生活がもう三日目。睡眠不足と疲労から身体中の筋肉が悲鳴をあげて、腹は鳴りっぱなし、頭痛が早鐘のように響いている。

 正常な判断力が失われてゆく。


 ほんの少しドアを叩き破って、食料を奪えばいい。

 ほんの少し暗がりで殴りかかって、金と服を奪えばいい。

 それだけで、今の悲惨な状況からおさらばできるのだ。


(いやなこった)


 絶対に必要な手段ならば、迷うことなく実行する。だが、”それ”は違う気がする。

 他に手段があるのに、最悪を選ぶわけにはいかない。帰るのだ。元の世界に。

 だから、自分で自分を貶めるような真似はできない。


「大丈夫だ」


 赤枝は左手で学生鞄を掴み、ゆっくりと右拳を握り締めた。

 熱狂的な共産主義者だった両親が、なぜ幼い息子を空手道場にやったのかはわからない。ただ、そこで習った精神は、技術以上に赤枝の根幹に根付いていた。空手とは、人を殴る力を学ぶのではない、己を律する強い心を学ぶのだ。

 歩き続けると、昔は社宅だったのだろう寂れた木造のアパートと、その前にある、申し訳程度に作られた公園が目に付いた。

 赤枝は、腐食しかけた木製の遊具の中に潜りこみ、毛布代わりの襤褸切れを身体にまとった。

 今夜の夜露はどうにか凌ぐことができそうだ。これだけ綺麗な環境なのだ。海にたどり着けば、魚や貝が取れるだろう。そうすればきっと、いいアイデアだって浮かぶはずだ。


「明日はきっと……」


 意識が闇へと落ちてゆく。

 だから、カンテラの光が目を刺して、5・6人の集団が自分を取り囲んでいる事に気づけたのは、幸運だった。

 逆行で顔は見えないが、誰もが角材やら棒切れやらを手にして、剣呑な雰囲気をまとっていた。

 ドスのきいた声で、何かを言っている。赤枝は遊具の中から出ようとしたが、出口は回り込まれていた。用件は、出ていけではないらしい。


「ご同輩かよっ!」


 ああ、なぜ忘れていたのだろう? 夜、人目につかない場所なんて、追いはぎには最適じゃないか。

 言葉がわからなくても理解できた。リーダー格らしい男が、荷物と金を寄越せと脅しつけている。


「悪いが、俺は、無抵抗主義とは縁のない性格なんだ」


 財布から硬貨を取り出し、右掌に握りこんだ。喧嘩の手段としては褒められたものじゃない。だが、黙って殺されるわけにはいかない!


「!!!」


 声にならない咆哮をあげて、赤枝は地面を蹴りこんだ。

 追いはぎの頭は、驚いたように角材を振りあげ、横薙ぎに振るってくる。

 一撃を、背をかがめることで回避する。

 遊具を飛び出しながら、がらがらの鳩尾に肘を叩き込み、勢いのままに顔面を殴りつけた。

 暗闇にしては上出来だ。歯を数本叩き折ったらしく、追いはぎは血反吐を吐いて転倒する。

 そのさまを見て呆気にとられたか、ランタンを持ったまま立ちすくむ、見張りらしい男の胸板に、正拳突きを叩き込んだ。

 くの字に折れる追いはぎの髪を左手でひっつかみ、顔面に膝打ち。鼻のひしゃげる感触と悲鳴を聞きながら、投げ捨てた。


「~~~~」

「っ」


 赤枝は、痛みを奥歯でかみ殺した。

 背後から角材で殴りつけられ、熱い衝撃を背中に感じた。

 めったうちだ。

 奇襲から快復した追いはぎたちは、容赦なく棒ッキレを叩きつけてきた。

 額から血がだくだくと流れ、こみ上げる痛みと空腹に吐きそうになる。

 それでも、赤枝は殴りかかる。

 話の通じない悪党相手に降伏はありえない。

 情けを請えば、嬲り者にされるだけだ。

 今生き延びる道はただひとつ、打ち倒すことのみ。


「~~~~っ」

「どけよっ」


 振り下ろされる棒きれを半身をずらして回避、空いた敵の顎を狙って拳を繰り出すも、距離が足らずに外れた。

 視界が揺らぐ。スタミナ切れだ。空腹と疲労が仇になった。

 殴るよりも蹴る方が距離は長いが、複数人相手の乱戦で足を止めれば、ボコにされて終わりだ。


「~~~~!!」

「死なない。死んでたまるかっ」


 赤枝はコートの下に、ゴミ箱から拾った雑誌と布切れを巻きつけていた。

 防寒を意図したものだったが、幸いにもある程度の衝撃を受け止めてくれていた。

 でなければ、とうの昔に倒れている。

 1対6で、二人を戦闘不能に追い込んで、残りは四人。

 勝機は薄いが、諦めるわけにはいかない。


「「~~~~~~~~」」


 怒声をあげて殴りかかってくる追いはぎの一人に、掌に握りこんだ硬貨を投げつける。

 もはや赤枝の身体は死に体だ。息はあがり、足に力は入らず、構えを取る余裕すらない。

 それでも、戦う。

 どんなわずかな活路でも見出して、生き延びる。

 左肩に棒切れの直撃を受けながら、ヘッドバットを眉間に叩き込み、腹部を角材で抉られながら、敵のわき腹を蹴り上げた。


(ヤバい。持たないか)


 でも、もう体力がもたない。

 もんどりうって赤枝は転倒し、追いはぎたちは歓声と怒声をあげて殴りかかってくる。

 しかし、トドメはこなかった。

 誰かの太い腕が満身創痍まんしんそういの赤枝を抱きとめていたから。

 木造アパートから次々と、別の男達が飛び出して、追いはぎたちを包囲していた。

 屈強な者、細い者。着ている服もまちまちで、少し汚れていて、でも皆等しく追いはぎたちに敵意の視線を向けていた。

 よくやった。そう、言われた気がした。


(ここは、彼らの縄張りで。追いはぎは敵対していて。俺は……彼らの仲間と間違えられたのか?)


 委細はわからない。

 本当に追いはぎだったのかもしれないし、グループ抗争に巻き込まれただけかもしれない。ただ、こう思った。


(ああ、これでやっと、眠れる……)


 そうして赤枝の意識は、穏やかな闇へと落ちていった。





 王国暦1110年。紅森の月10日目。

 ビッグセントラル州にある、会館で、紺のスーツを着こんだジェニファ・ポプキンスはあくびをかみ殺していた。

 『在王国ナラール・ナロール人の参政権についてのシンポジウム』と垂れ幕の掛かった壇上では、講師として招かれた市民団体の代表が、唾を飛ばしながら熱弁を振るっていた。

 ガンガンと机を叩き、拡声器も割れよとばかりにドラ声を張り上げる。


「皆様もご存知の通り、在王国ナラール・ナロール人の政治参加について考える際に、よく障害にあげられるのが、国旗と国歌です。しかしながら、ともかく王国の象徴だから嫌いだというような理由では、ちょっと情けないのではないでしょうか? 王国人でも「国旗・国歌」は嫌だという人はいますし、逆のことを言えば、在王国のナラール・ナロール人の中でも、白地に紅の獅子を描かれた王国の国旗を掲げて、軍艦マーチかけながら走っている人もいるわけです。在王国のナラール・ナロール人が右翼団体をやっているケースも少なくありません」


(というより、右翼団体のほとんどがアンタ達でしょうが)


 短く切ったとび色の前髪の下、眠気でひっくきそうな目蓋をどうにかこうにか開きながら、ジェニファは内心でツッコミを入れる。

 理想主義者のコドモが騙されやすいサヨク団体ならいざ知らず、今どき街宣右翼なんて誰もなりたがらない。

 では、誰がなるのか?

 政治団体という看板を欲しがるヤクザや暴力団、自作自演で被害者を演じたい左翼主義者、そして不法滞在中のナラール・ナロール人犯罪者などだ。

 公安の調査では、右翼団体の大半がそういった王国人犯罪者とナラール・ナロール人で構成されていることが明らかになり、対応に頭を痛めていた。

 まあ、一昨日は左翼団体で、昨日は右翼団体、今日はNGOで、明日はNPOという日替わりの市民活動家も多いから、いまさらと言えばいまさらだが。

 市民団体代表の演説はいよいよ熱が入り、会場いっぱいの来訪者もいよいよ興に乗っている。


「我々マイノリティーのイメージを変えるためにも、私は国籍法を生地主義に改めて、二世以降は○○系王国人になるように、王国人の概念を拡大して、”王国人”イコール”王国の血や文化、精神を継承するもの”にならないように変えていこうと思います。一世世代についても、三年ぐらいで市民権的な権利を持てるようにしていくのが肝要です」


(むぅ。ひとの国でやらんでも、アンタ達には自分の国があるじゃないか……)


 あまりに身勝手な言い分に少しだけ目が覚めた。

 周囲のナラール・ナロール人達は興奮状態だ。そうだそうだと盛んに相槌を打っている。


「実際問題として、我々が王国国籍をとるということになるとガートランド王家の問題をどうするのかという人がいますが、外国人がたくさん王国籍を取ったほうが、早く王家は潰れると思います。といいますのは、この先もどんどん外国系市民が増えます。ある統計では、一〇〇年後には五人の内三人が外国系になるといいます。そうなれば、王国では純粋王国人がマイノリティーになるのです。だから、私はあと一〇〇年生きて、なんとしても王国人にめにものみせたい。これが私の夢なのです!」


 会場は熱狂的な熱気に包まれていた。

 そうだ、それこそが我々の夢だ。

 王国を乗っ取ろう。この国を我々の新しい約束の地に!


「二年後の州議員選挙に、私は夢を叶えるために王国籍をとり、選挙に打って出ます。どうか、我々の夢を叶えるため、熱い支援をお願いしたい」


――――

―――――

 

 どこの祭りかというほど盛り上がった会場から出ると、秋の風が肌に沁みた。

 一緒に会場に入ったナロール人の友人、サラが紙コップ入りの黒豆茶を売店で買ってきてくれた。

 会場の近くにある道沿いのベンチに二人で腰掛けると、秋の涼やかな風にあてられていた熱気が冷まされてゆく。


「ごめんね。ジェニー。急に動員かかっちゃって。サクラ、いらなかったみたい」

「ん~、気にしない。気にしない。政治にこうゆうのはつきものだって。で、どうすんの? あのオッサンの言うとおり、あんたも帰化する?」


 ジェニファの問いに、サラは困ったように眉をひそめ、黒い茶を一口すすった。


「特別永住権をもつナロール人は、税金とか色々優遇されてるから。選挙権は欲しいけど、あたしは今の生活も捨てたくない。王国人になってしまったら、働きながら生活保護ももらえないんでしょう?」

「生活保護は、本来働けない人への救済措置だからね」


 だったら嫌かも、とサラは呟いた。


「それに、ちょっと怖いんだ。ああいう風な理由で帰化する人が増えたら、きっといつか王国人はナロール系の帰化人を、そういう風な目で見る気がする。ジェニーも今日の演説、いい気はしなかったでしょう?」

「そりゃ、私も王国人のはしくれですから」

「だから、あたしはまだやめておこうかなって」


 ずっと、今の生活が続けばいいのにね。そう、サラは続けた。


(だけどね、サラ。貴女の今は、本当は不公平なものなんだよ)


 王国に滞在する外国人の中で、ナラール・ナロール人だけが法外な恩恵を受けている。

 王国人の公民権など吹き飛ばすような過剰な恩恵には、合法的なものもあるが、政治献金による汚職や、右翼・左翼団体の政治的圧力を駆使した、違法、脱法的な要素も十二分に含んでいるのだ。

 いつか、王国人が、「王国人同様に」ナラール・ナロール人が法律を守ることを求めれば、その瞬間にナラール・ナロールのコミュニティには激震が走るだろう。


(その時、現場に出るのは私か)


 どこの国籍だろうが、友人には変わりない。

 サラが悪人でない事を知っているジェニファは、その「いつか」が来る前に、サラが法律を守り、自分の足で立つようになることを望まずにはいられなかった。

 それからも、たわいのない話を続けていると、手提げ鞄からぴりぴりというベルの音が聞こえた。


「あら? 呼び出しだわ。ちょっと待ってて」


 名紙型のカードをサイドポケットから引き抜くと、中央の液晶画面に、緊急を意味する暗号が映されていた。

 7年前に製作され、『ポケットベル』と名付けられたこの商品は、コミュニケーションツールとして爆発的に普及した。

 試作品がただの呼び出ししかできなかったのが、数桁の数字を送れるように改良され、ついには文字すら送れるように進化した。

 ジェニファにとって思い返すのもおぞましい、開発に協力していたある男は、「数年以内に異なる通信媒体にとって代わられるだろう」と不吉な予言を残したが、見事に外れて、ちゃんと今も通信媒体の花形だ。

 高位の魔術師や『神器と契約した盟約者』ならば、水晶を使って通話などという離れ業も可能だろうが、そんな能力者なんてほとんどいやしない。

 受信専用機とはいえ、ほとんど魔道技術に頼らず、誰にでも使える『ポケットベル』は、同時代に開発された複合情報魔道演算機パーソナルコンピュータと相互接続型地脈通信システムと同様に、情報通信に革命的な変化をもたらしたのだ。

 ジェニファは、通りを少し走って、街路樹に横付けされた木製の小部屋に入り、幹を叩いた。

 音声をルーン文字に変化させ、信号として地脈を通し、更にそれを音声へと還元するための通信機が飛び出してくる。

 硬貨を投入口に入れて、職場への番号を押す。


「はろはろ~。どうしたんです。室長? 私、今、デート中なんですけど」


 返事は聞こえなかった。

 否、聞こえていたけど理解できなかった。

 大事件だ。

 それは、わかる。

 でも、それ以上にジェニファ・ポプキンスの胸を満たしたのは、活火山のような憤怒の激情だった。


「今すぐ、……戻ります」


 通信機を元に戻すのも忘れて、肩を震わせる。

 奴が、この国に戻ってきた。

 当たらない予言を残した男。

 『ポケットベル』の、『複合情報魔道演算機パーソナルコンピュータ』の、相互接続型地脈通信システムの原案を起こした男。

 八年前、ジェニファの、仲間の、敬愛していた先輩とその家族の、すべての運命を狂わせた元凶が。


「捕まえてやるから。お前だけは絶対に。絶対にこの手で!」


 その為に軍を辞めた。

 その為に公安警察へと入った。

 その為に西部連邦人民共和国とナラール・ナロールの組織犯罪を追う外事二課へと異動した。

 すべては、この日の為に!

 ジェニファ・ポプキンスは、扉を蹴りあけるようにして通信箱を飛び出した。


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― 新着の感想 ―
[一言] ガートランド聖王国って、びっくりするほど近代的なのですね。 五メートルの巨大人形は別にしても、鉄道や消防車なんかもあり、道路もかなり舗装されているようで。 何よりも驚きなのは、ポケベルやパソ…
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