最終話 かくて幕は閉じ、若者は誓いを秘めて次なる舞台を目指す
18
出会いは、必然だった――。
イスカ・ライプニッツは父親に会う為に走り、ジェニファ・ポプキンスは仇を探して町を駆けた。
同じ目標を追う二人は、商店街外れの交差路でぶつかって、淡い恋が生まれる……わけもなく。
イスカは右手の銃剣を振るい、ジェニファは諸手で持った半月状の大剣で受け止めていた。
「もう、おきたの?」
「早起きは美容の秘けつよ。アナタにはまだ早かったかしら?」
「ン。その神器でといた?」
イスカはうつむく。彼女の小さな胸がざわざわした。
背負った狙撃銃に意識を向ける。銃倉に残った弾丸はもはや一発きり。これを使うのは父親の為と決めていた。
(やっとパパと会えたのに、どうしてじゃまをするの?)
先程墓地で交わされた、二人だけ通じ合っているような会話や、親しげな雰囲気が、なにかイヤだった。
イスカは、不可解な感情をのせたまま刃を閃かせるも、半月刃によって受け流されてしまう。
一方、防御に徹するジェニファもまた、もやもやした疑問に支配されていた。
(この子、強いには強いのだけど、ね)
手足のような、致命傷にならない部分を狙って斬りつけて来るから、まるで殺意を感じない。
彼女の体捌きはむしろ急所を狙うものだから、余計にチグハグになって、ひどく窮屈に見えるのだ。
(アイツをパパって呼ぶのもよくわからないし)
実子だとすれば、計算がギリギリ合わない気がする。
ロリコンに目覚めたのだとすれば、わざわざ愛人に戦う力を与える必要が無い。
「ひょっとしてアナタ、黒孩子……?」
口をすべらしたのは、ジェニファにしては、配慮が欠けた行為だったかもしれない。
「……」
しかし、肯定するかのように灰色熊のぬいぐるみの表情が怒りでゆがみ、イスカの攻撃もまた更に速度と鋭さを増した。
黒孩子とは、共和国に存在する現代の奴隷だ。――彼らは生まれながらに戸籍がなく、教育を受ける権利が全く認められず、まともな仕事にありつくこともない。ヒトとして認められず、ただモノのように消費されるための、共和国政策の闇が生んだ子供達。
ジェニファの脳裏で、レンガを積むように仮説が組みあがってゆく。
たとえば、どこぞの共和国マフィアに飼われている少女がいたとしよう。もしあの馬鹿がジェニファの知っているままのお人よしだったら、どうにかして助けようと試みるだろう。
(この娘の動き……、民間組織じゃないわね。ある程度大きな軍閥の私設工作部隊?)
まるで変わっていない。相手がどれほど強大でも、ひるむことはなく救おうとするその姿。
(死んだケヴィン・エンフォードのシンパがでっちあげた与太話なんて、信じたわけじゃない。でも、この一千年、レヴァティンの呪いから逃れたものはいない)
だからこそ、ジェニファ・ポプキンスは、辻褄あわせでも信じるしかなかったのだ。呪詛によって発狂し、変質したルドゥイン・ハイランドが、大切なものすべてを奪い去ったのだと。
もしそうでないのなら、ニーダル・ゲレーゲンハイトがルドゥイン・ハイランドと変わらぬ存在であるのなら、何もかもの前提が崩れてしまう。
「!!」
ジェニファの思索と、イスカの剣舞は唐突に打ち切られた。
ダンスパートナーが無防備にも背を向けて、急に走り出したからだ。
「まちなさいっ」
☆
「まって、ください」
西部連邦人民共和国とナラール国工作部隊による契約神器奪取作戦は、ニューカルナフィア州東海岸地区に甚大な被害をもたらした。
二体の機械の巨人の激突と、二人の戦士の激闘を経て、もはや原型を留めなくなった無人の商店街の中央部……一人の少女が、倒れた少年を庇うように、マジックを十指に挟んだ男の背に声をかけた。
少女。プリシラ・エリンは、栗色の短い髪を風になびかせ、青い海のような瞳で、毅然と、紅いコートを着た黒髪黒眼の偉丈夫を見つめている。
「ルドゥインさんですよね?」
答える男、ニーダル・ゲレーゲンハイトの声は、先ほどまでの激闘が嘘のように、まるで半世紀分年老いたかの如く枯れていた。
「そうだ。君の父親を殺した男だ」
「嘘です、よね…?」
ああ、懐かしい鈴の音が響くような、凛とした声。けれど朗らかだった表情は疑惑と不安に曇っていて心がぎしりと痛んだ。
「お兄さんから離れてください」
「どうして?」
ニーダルはマジックを紅い外套のポケットに放り込むと、唇を半月のカタチに歪めて、中空に魔術文字を綴った。焔に包まれて三日月十文字槍が転送されてくる。愛槍の穂先を、殊更目立つように気絶した少年へ近づけた。
少年? 呪われた男は自嘲する。先程聞き届けたはずの好敵手の名前が抜け落ちている。ザ、ザ、と砂嵐のようなノイズが彼の意識を蝕んでいる。魔力が枯渇するまで戦ったのは、やり過ぎだったようだ。呪詛が、ニーダル・ゲレーゲンハイトの身体を乗っ取ろうと、歓喜の叫びをあげて踊り狂っている。……急がなければならない。
「危ないから、です」
「人殺しが、言って聞くとでも?」
「そのひとは、お母さんを助けてくれました。離れて、くださいっ」
プリシラは、震える手でめくれあがった道路から尖ったガレキの破片を拾い、ニーダルに向けた。
(それでいい。先輩の娘に討たれるのなら、悪くない決着だ)
ニーダルは、名前を忘却した少年、赤枝基一郎とプリシラ・エリンの間にあった関わりを知らない。知ろうとも思っていなかった。ただ、一歩ずつ一歩ずつ彼を守ろうと近づいてくる、先輩の遺児を微笑ましく思った。
(背中を押す一言は、お前の親父は最低だった、とかかな。…うわ、先輩にあの世で袋叩きにされそうで嫌だな)
埒もないことを考えながら、ふと昔誰かに言われたことを思い出す。――キミは大根役者だ。人を騙すには適性が無い。
「離れて。離れないのなら、あなたを……」
「「ころす」」
状況を断ち割るように、聞こえたもの、感じ取ったものは、声ではなく気配だった。
正確に父親を避けて、プリシラだけを穿つ弾道に、ニーダルは三日月十文字槍を挿し入れた。
飛来した弾丸は、ミスリル製の槍の柄を微塵に粉砕し、わずかに逸れる。
「あ」
プリシラが足をもつれさせ、すとん、と前のめりに倒れた。彼女を狙い撃ったのは、銃弾だけではない。暗殺者が向ける本気の殺意だ。戦場と縁の無い一般人があんなものを受けて、意識があるだけでもたいしたものだ。そして、弾丸を撃ち込んだのが誰なのか、ニーダルにとっては火を見るより明らかだった。
「イスカ! やめろっ」
残弾を使い果たしたか、万にひとつの誤射を恐れたか? 灰色熊のぬいぐるみ、ベルゲルミルに狙撃銃を預け、イスカは銃剣を両手に掴んで疾走してくる。愛娘の憎悪を露にした表情に、ニーダルは背筋に氷柱を差し込まれた気分を味わった。
彼女は、負傷した父を危めようとしたプリシラに対し、本気の殺意を向けている。
愛槍は砕けた。魔法はガス欠。コンディションはあの馬鹿のせいで最悪以下だ。この条件で枷の外れたイスカを抑えろと?
(ちくしょうっ、もっと早くラクガキしてやれば良かったっ!!)
吹き飛んだ槍を手放し、咄嗟に掴んだ鉄パイプでプリシラへの斬撃を阻めたのは、使命感が成せる業だろう。
「パパ? あやつられてる?」
「イスカ。いいんだ。良いから、銃剣を置くんだ」
「いま、たすける!」
最悪の誤解もいいところだった。いや、そうとも言い切れないだろう。プリシラがニーダルに向けた殺意が本物であったからこそ、イスカは彼女を敵と見なしたのだから。
感情のない人形ならば、どうとでもあしらえた。だが、ニーダルの制止すら聴かず、致死の刃を振るってくる本気の戦士をどう止める?
(洒落にならんぞ…)
たぶん、これこそが完成系だ。自らの感情を薪として意思の焔にくべて、氷が如く冷徹に暗殺の技を振るう影。ドクトル・ヤーコブが目指し、クライアントの命に背かぬよう、創りあげること叶わなかった最強の暗殺者。
イスカは、建物の壁やガレキの山を次々と蹴り飛ばし、跳ねるように三次元移動を繰り返しながら距離を稼ぎ、再びプリシラへと迫った。彼女を守る為、ニーダルもまた重い足取りで大地を蹴る。
二撃を限度に鉄パイプは使い物にならなくなった。牽制に投げたマジックはきっぱりと無視されて、素手で腕や袖を掴もうにも、繰り返した練習が仇となり、すべて避けられる。呪詛のノイズに集中をかき乱され、負傷と疲労が色濃いニーダルでは、盟約者たるイスカの速度を上回ることができない。
(ああ、これは駄目だ)
一度距離を取ったのは、障害となったニーダルを誘い出し、無防備になった標的を確実に仕留める為だろう。普段なら陽動として機能しない策も、今この時だけは腹立たしいほどに効果的だ。けれど、プリシラ・エリンを、イスカ・ライプニッツの手に掛けさせるわけにはいかない。
(イスカ、ごめんな)
夕食の約束を果たせないことが心残りだった。ニーダルは、最後の瞬間、残った力の全てを振り絞って二人の間に割って入った。びゅうという、大きな風切り音が耳に残って。
あかい、赤い、紅い、鮮血が……迸った。
GABURI!
死を覚悟した瞬間、ニーダルが感じたのは冷たい刃ではなく、頭部への慣れ親しんだ痛みと聞きなれた牙の音だった。
ぴゅーぴゅーと血が噴き出すが、眼前にぶら下がった灰色熊のぬいぐるみが邪魔で、状況が良く掴めない。
「ぎゃー、血が、血が」
凶器はニーダルの胸先一寸のところで止まっている。イスカは、まるで死人のように青ざめた顔で小刻みに震えていた。
「当然の報いです。イスカに父親殺しをさせる気ですか?」
「こいつ、そうゆうとこあるのよね。頭に血が昇り過ぎだっていうの」
「すまん」
少女の踏み込みを緩めたものは、父親目掛けて飛来した半月状の刃だった。
大きな風切り音を立てて、舞い降りたソレからニーダルを守ろうと、イスカは全身のバネを使って速度を殺した。
結果、二本の銃剣は父を貫くことなく止まり、半月状の刃……ジェニファ・ポプキンスの神器に乗っかっていたベルゲルミルは、満を持して噛み付いたのだ。
「空中サーフィンかよ? というか、お前が乗る必要ねぇえだろう?」
「ガジガジ」
ベルゲルミルの返答は、更なる噛み付きだった。なんかもう、頭痛が呪詛によるノイズなのか、歯を立てられる物理的な痛みなのか、よくわからなくなってきた。
「パパ…、良かった。いつものパパだ」
イスカが、ニーダルにしがみついて、泣き出した。
「ああ、泣くなよ。イスカ、ほーらパパは元気だぞー。怪我ないぞって、血ぃ垂れてるよ。いい加減降りろハラペコ熊」
「御仕置きですから」
どこか呑気なぬいぐるみとニーダルの遣り取りを見て、ジェニファがにやにやと笑う。
「へえ”いつも”御仕置きされてるんだぁ?」
「い、いつも齧られてるわけじゃないぞ。誤解するなよ」
「へえ、ゴカイもオキアミも無いわよ。アンタ、いつまで経っても馬鹿と女癖の悪さは治らないのね」
「帰ったら家族会議です」
無駄に息を合わせて非難するジェニファとベルゲルミルに、ニーダルはツッコミを入れずにはいられなかった。
「ジェン! ベル! お前らはァ、どうしてそんなに息合ってるんだよ!?」
「「アンタの被害者友の会だから」」
頭上乗っかったまま、ジェニファとハイタッチを交わすベルゲルミルに、がっくりと脱力した。
プリシラ・エリンを見る。彼女もまたイスカと同様に、震えながら、涙すらこぼしながら、それでも立ち上がっていた。
「わかりません。ルドゥインさん、どうして貴方はお父さんを……、どうして」
ニーダルに応えることは出来ない。顔を伏せるように、昔の同僚に言付けた。
「ジェン。そこで寝ているやつ」
名前が『まるで記憶から意図的に削除されたように』出なかった。
「そこの馬鹿、あそこで潰れてるナラールの銀ピカを退けて、俺に一騎打ちで勝ちやがった。町の被害を抑えたのは、そいつの手柄だよ。ちょいとメンドーみてやりな」
ジェニファ・ポプキンスのポカンとした表情は、見物だったろう。……どっかの素人にしか見えない子供が、仮にも一国の契約神器を破壊して、ルドゥイン・ハイランドに、”紅い道化師”に勝利した?
「なに、それ? 悪い冗談?」
「事実だ」
冗談だと思いたいのはニーダルも同じだった。活人拳と殺人刀、方向性こそ真逆だが、おそらく彼の才能はイスカにも匹敵するだろう。
「あと、そいつの馬鹿面にラクガキしてくれると俺が喜ぶ」
GABURI!
「ち、血ガァアアアア」
再び灰色熊のぬいぐるみに噛みつかれて、無駄に血を流すかつての同僚に、ジェニファは別れを告げた。
「警察庁指定重要指名手配被疑者ルドゥイン・ハイランド。貴方を逮捕します」
「悪いな。まだ、俺の首はやれねえよ」
ニーダルはべそをかいているイスカを背負い、後頭部をベルゲルミルに噛みつかれた、まったくしまりのない格好で逃げだした。
追っても無駄だろう。あの幼子が本気を出せば、ジェニファはともかくプリシラの命が今度こそ失われる。
(ちぐはぐ、か。たぶん人殺しだけを教えられた子に、殺めない術を教えたのね)
なんてあいつらしい。と苦笑いを浮かべる。
「大丈夫。泣いていいのよ」
両手を強く握り締め、肩を震わせるプリシラを、ジェニファは優しく抱きしめた。
「~~~~~~~~~~っ」
少女の温もりが自覚させる。ああ。そうか、かつて私もまた泣きたかったのだと、そう思いながらも、彼女は最後まで大人を演じ続けた。
19
事件は決着した。
公安の資料倉庫でユミルの修理を見学した赤枝基一郎は、その足で書店と青果店に寄り、ブルース・ハックマンの入院した病院へ向かった。
「おーい。ブルース、土産を持ってきたぞ」
病室のドアを軽くノックした彼の目に飛び込んできたのは、ベッドの傍で泣きながら怒鳴りあいながらも、奥さんと息子と、仲睦まじく抱き合っているブルースの姿だった。
「お幸せに、ってか」
赤枝は、それ以上声を掛けることなく後ろ手でドアを閉め、踵を返した。果物は後日もう一度届けることにしよう。
そして、とりあえずブルースの名誉の為にも、頼まれたエロ本は川原で焼いておくことにした。
川べりの冷たい風に晒されて、流木を薪に燃える焔の熱が心地よい。
燃えてゆく肌色冊子の残滓を眼鏡のレンズに映しながら、赤枝基一郎はあれからあったことを思い出した。
―――
――
あのいけすかない紅コート野郎との戦闘のあと、不覚にも意識を失っていた赤枝は、ジェニファ・ポプキンスという王国警察官によって救助された。
プリシラ・エリンや、警官達も無事だった。あのドクサレテロリストに逃げられてしまったのは残念だが、そこまで求めるのは欲張りというものだろう。
他の被害者達と一緒に臨時キャンプで怪我を癒していた赤枝を、カーティス・エンフォードと名乗るどこか病的な印象をにじませた国会議員が招いたのは、それからすぐ後の事だった。黒尽くめの男達に連れられて、無駄に金の掛かってそうなホテルの一室へ案内された赤枝を、老議員は開口一番こう言って出迎えた。
「ありがとう。アカエダ・キイチロウ君。キミの活躍で巨人機を操っていたモンスターは無事退治された。今日招いたのは他でもない。ヒーローであるキミに”ニューカルナフィアの守護者”という称号と賞金を与えたいからだ」
「モンスターだって!? ちょっと待てよ。あのデカい鎧には人が乗っていただろう?」
「人だって? 馬鹿いっちゃいけない。異世界からの客人たるキミには少々刺激が強かったようだが、この平和な国で戦争やテロルなど起こるわけがないだろう?」
「てめえら」
老人のムナクソ悪い態度が、同じように腹立たしい紫崎先輩との会話を想起させた。
確か部室でインスタントラーメンを啜っていたら、なぜかそっちに話が転がったのだっけ。
『この国は平和、ねえ? 知っているかい? 愛と平和が大好きな赤枝基一郎クン?』
1970年代後半から行われた北朝鮮による政府認定だけで17人を数える日本人の拉致。
1965年の日韓基本条約締結まで行われた、韓国による日本漁船328隻の拿捕と、日本人44人の殺傷、3929人の拉致抑留。
2006年8月には北方領土周辺海域で、ロシアによって第31吉進丸が銃撃・拿捕され、1名の船員が殺害された。
そして、2010年9月の尖閣諸島中国漁船衝突事件……。
『数え上げればまだまだあるがね。こういった近隣諸国からの攻撃や暴虐は、愛と平和を標榜する左翼政治家や運動家、あるいは日教組のセンセイ方によって、”なかったこと”にされようとした過去がある。いや、現在進行形で工作は続いているといいなおすべきかな。そして中国は殲撃20型のようなステルス戦闘機まで開発中だ。ま、中国の技術水準から見て、過剰な評価は禁物だけどね。肝心要の防空システムが無い、それっぽい格好だけ整えた船を中華製イージス艦だと言い張るお国柄だし。で、これらの兵器は、いったいどこの国を仮想敵国にしたものだと思う?』
日本国もまた平和なんかじゃない。テロルは頻発し、戦争もまたギリギリの水際で食い止められているだけなのだ、と、そう紫崎先輩は釘を刺したのだ。
詳しい内容は、赤枝は耳を塞いで「アーアーキコエナイ」とやっていたから覚えていないが、今さらちゃんと聞いておけば良かったと後悔した。
(……あの時は、またいつもの先輩か、としか思わなかったが)
身近で経験すれば、どれほど恐ろしいことかよくわかる。モンスターという格好のスケープゴートが存在するこの世界では、このガートランド聖王国とやらまた、一歩踏み込んで今回の事件を”なかったことにする”わけか。
「ああ、本当に、どこの世界でも政治家は気に食わない」
赤枝基一郎はうんざりした声をあげた。
まあ政治家大好きです。なんて共産主義運動家がいたら、それはそれで笑い噺になりそうだが、それを差し引いてもこのタヌキオヤジの話は酷すぎた。あの日の犠牲をなかったことにしようとするばかりか、『王国国籍を与え、当座の収入を保障する代わりに、ユミルとの契約を破棄せよ――』という取引を持ちかけてきたからだ。
もしもこの話を持ってきたのが、親身に世話を焼いてくれた風変わりな女性警察官、ジェニファ・ポプキンスだったら、赤枝も恩義との板ばさみで少しは迷ったかもしれない。だが、すでに返答はすでに決まっていた。戦友をこんな下衆に売り渡せるものか。
「俺はヒーローなんかじゃない。帰化手続きもクソ食らえ。俺は王国民なんかじゃない。俺は」
日本国民?
「地球市民だからな」
そう、告げた。きっと紫崎先輩には爆笑され、高城にはナイスジョークと肩を叩かれるだろうが、構わない。眼前のロクデナシの提案の方が、よほどに黒い冗談だったから。
(俺にはユミルが必要だ)
行方不明の演劇部の仲間達を探すには、世界を回る足と身を守る武器が必須条件となる。日本人拉致事件を例に挙げるなら、小泉純一郎が被害者中のわずか五人を連れ帰るまで二十年以上を要したのだ。こんな大陸東端の国で仲間達の発見を待つつもりなど、赤枝基一郎には一切無かった。
カーティス議員とこれ以上言葉を交わす意味を見出せず、赤枝は交渉の拒否と別れを告げて席を立った。老議員は苦々しい声で、それでも鷹揚な態度を崩さずに問いかけた。
「ふむ。キミはたった一人で、どこに行くつもりかね?」
「どこへだっていけますよ。俺には足があり、心がある。そして、あの人形が、ユミルが力を貸してくれる」
扉が開き、閉じる。もう赤枝が振り返ることは無かった。
隣部屋に隠れていた秘書と、黒尽くめのボディガード達が影のように部屋に集ってくる。
「面倒な手合いだよ。利益の為ではなく、青臭い理想のために運動に走る愚か者だ。……懐かしくはあるが、ね」
「ナラールへの、契約神器譲渡は失敗と判断せざるを得ません」
秘書がカーティスに、NPOやNGOに偽装したナラールの武装工作拠点、そしていくつかの犯罪結社が壊滅したと報告を伝えた。
犯人は不明だが、おおよその見当はついている。ナラール国にとっても、カーティス議員たちにとっても、無能な用済みの始末と証拠隠滅の手間が省けて、むしろ万々歳だ。
”可哀想なモンスター”の中身は、すでにナラールによって処分されていた。ナラール国の軍備増強と王国恫喝という今回のプランは確かに失敗した。だが、遠大な目的の手段が、たまたま一つ欠けただけのこと。
「愚かな民衆に媚びる民主国家など不要なのです。何もかもが役立たない、できそこないの政治機構など潰してしまえばよい。――必要なのは選ばれた優秀なエリートと、物言わぬ家畜です。その点、共和国やナラール、王国というエサさえ与えれば簡単に操作できるナロールは実に素晴らしい」
「その通りだ。すべては我々の、支配のために」
――
―――
肌色冊子が灰色に崩れて原型を失い…、焚き火の炎がくすぶり始めた頃 いったいどうやって見つけ出したのか、汚れた白衣からちゃんとしたスーツに着替えたジェニファ・ポプキンスが川辺に姿を見せた。
「はろはろー、キイチロウ! ユミルちゃんの修理、もうすぐ終わるわよん」
そう言って銀紙で巻いた小ぶりな芋を二つ、灰の中につっこんだ。手回しが良すぎるというか、監視されているんだろうなあ、と赤枝は顔に出さずため息をついた。
ジェニファは、芋が焼けるまでに、今後のことを話してくれた。
公安がユミルの修理とメンテナンスに一部の予算を回すこと。倉庫に保管し、有事には転送可能な準備を整えておくこと。
王国軍とアメリア軍への紹介状を用意したこと。うまく交渉すれば、兵器の実践実験という名目で装備の補給だって受けられること。
しかし、赤枝は、表向き”存在しない”人間だから、切り捨てられる危険性は大きく、国家間の移動もまた非合法な手段に頼らざるを得ないこと――。
「これ。急いで用意させたのよ。王国のグリーンカード(永住許可証)、渡しておくね」
手渡されたジェニファの好意を、赤枝は素直に受け取ることはできなかった。
「いらないよ」
「そう言わずに持っておきなさい。ナラール国に拉致された王国人の調査に向かうっていう貴方の申し出は、公安警察としては喉から手が出るほど有難いものよ。でもね。今まで何十年もかかったものを、外国人の高校生ひとり送り込んで進展するなんて夢想を、私は信じちゃいない」
「だろうな。帰さないってことは、すでに殺害されたか……。帰せないほどに危ない情報に触れて、厳重に隔離されてるってことだろう」
夕日が沈み、焚き火の炎が小さくなってゆくのを見ながら、苦渋を飲み込むように呟いた。赤枝たちの世界、地球で不可能だったことが、この世界では上手くいくなんて保障、あるはずもない。
「この世界には異世界漂流民保護条約ってのがあって、加盟国は異世界からの来訪者を保護する義務があるの。カーティス・エンフォードの提案なんて蹴っちゃっていいわよ。王国帰化の手続きなら、私にだって知り合いの代議士や弁護士がいる。こっちにも世界市民なんて言葉あるけどね、どこの国も守ってくれなければ、生きてはいけないわ」
確かに、と。赤枝は、この世界にきた初めの頃を思い出して、苦笑いした。
頼るべき母国を失ってはじめて知った。あの大嫌いな国に、どれほど守られていたのかを。それでも夢を見たいのだ、と思う反面、それが夢に過ぎないことも思い知った。それでも――。
「ポプキンスさん。好意は嬉しいけど、結果は同じなんだろう? ”平和な”王国に火種は不要だ。俺はユミルを取り上げられ、陽だまりの中で優しく日常へと溶け落ちてゆく。仲間たちを置き去りに! それだけはごめんだ」
決意は変わらない。黄昏は夜に変わり、やがて朝が来るだろう。けれど、朝は自ら目覚めようとしなければ、絶対にやってこない。仲間たちのいない夢に、溺れる事なんて認められない。
「貴方の選んだ道は、茨なんてものじゃないわ。覚えておきなさい。この世界もまた優しくはない」
「十分に、優しかったよ」
赤枝は思う。落ちたのがここで良かったと。この町でなければ、ブルース達がいなければ、もっと悲惨な生活だったに違いない。同じようにこの世界にひきずりこまれただろう演劇部の仲間たちは、そんな境遇で生死の境をさまよっているかも知れないのだ。
(紫崎先輩の場合、売春宿あたりに放り込まれても、一ヵ月後には乗っ取っていそうだけど……)
あのひとだけは別格だ。泥をすすろうと必ず飛翔する龍。だが、演劇部員の誰もが彼女のように強いわけじゃない。近衛は格闘術こそ達人だが精神の強さは豆腐並、空は危うさが服を着て歩いているようなものだし、蔵人と美鳥も見ちゃいられない。高城は、――あんな悪党のクソッタレが、高城悠生であるはずがない。
「仲間たちの捜索をお願いします。ユミルの話じゃ、ナラールや西部連邦人民共和国には異世界人を攫い集めている機関があるそうだ。俺はそこを探します」
いちいちナラール国の教科書やらを集めて回ったのは、潜入前の下準備だった。アレはどこから見ても独裁国家だ。もしも仲間達が捕らえられているのなら、放ってはおけない。
「答えは変わらないのね」
公安上層部は、今回の事件を巡る面倒な政治問題が一気に解決できる上、使い勝手の良い駒ができると歓迎していた。
市民を守るのが警察の役目なら、公安は国家を守るのが役目だ。そして、赤枝基一郎は王国の民となることを断った。いくら民間人救出の功績があるといえ、これ以上便宜を図るのは、ただの感傷でしかないとジェニファだって理解している。
『ちょいとメンドーみてやりな』
だが、同時にルドゥイン・ハイランドは言ったのだ。赤枝基一郎は彼に一騎打ちで勝利したと。そして、ユミルの視覚素子がとらえた映像データには、初陣の少年がナラールの第五位級の契約神器、人型装甲戦術機を撃破した記録が残っていた。赤枝自身に自覚は無いだろうが、彼は一国の士官に互する戦闘能力を保持しているのだ。
(だいたい、……ユミルって、伝説の通りなら元第二位の王国最強神器のひとつなのよね)
まあ、あれは戦艦だったはずだから、単なる同名の愛称だろう。有名人や神様にあやかって名前をつけるのは、よくあることだとジェニファは納得した。
「キイチロウ。もう一度言うよ。焦らなくていい。君は必ず、君の故郷の仲間達を見つけられる。私はその為の助力を惜しまない」
「感謝します」
赤枝とジェニファはパンと手を叩きあい、互いの道へと帰っていった。
(孤独に思い馳せるのは今日が最後だ。必ず俺は、アイツらを救い出す)
そういえば、と、夜風を浴びながら赤枝は思い出した。旅立つ前に、一度エリン家にも挨拶をしなければ、と。
プリシラ・エリンは、何度も医療キャンプを見舞いに訪ね、お兄ちゃんお兄ちゃんと慕ってくれた。
「高城は妹に叱られてばかりだったからな。これだけでも、アイツに披露できるネタができた」
きっと歯噛みして悔しがるだろうから、思いっきり自慢してやるとほくそ笑む。
「……いや、アイツ妹萌えとか有り得ないって、紫崎先輩に愚痴っていたような気もするぞ。ま、どうでもいいか」
この空の下で、まだ生きていてくれれば、それでいい。
もう迷いは無い。望むことはただひとつ、全員を見つけて元の世界に連れ帰る。
「さあ、行こうか」
深い深い夜道へと歩を進める。赤枝基一郎の、長い長い旅が始まった。
七つの鍵の物語【守護者】 -END-
ナラール国首都郊外の、凍死した死体の転がる裏道を、まるで針金のように細い一人の男が進んでゆく
スラムの奥、朽ち果てた家々の中に隠れ潜む尋ね人を探して、アレックス・ブラウンは取っ手の壊れたドアを叩いて声をかけた。
「こんにちは、今日はいい天気ですね?」
「……ええ、読書日和です」
「百科事典はご入用ですか?」
「是非」
問答の後、微かに開いたドアへ、アレックスは身を滑り込ませるようにして隠れ家へと入り込んだ。
腐り落ちた床に横たわる、四つ足の折れたテーブル、粉々になった椅子やたん笥の残骸。
中央には、それらをくべて焚いた火の跡がまだ残っている。
薄暗い部屋の中、頭まで毛布をすっぽりと被り、口に空腹をごまかす為の木の枝を咥えて、赤枝基一郎は客人を出迎えた。
「あなたが噂の”逃がし屋”か?」
「”逃がし屋”とは人聞きが悪いが、君が探していたのは、おそらく俺だ」
The story continues to the next episode『英雄』
ご読了ありがとうございましたm(_ _)m




