「『イデア』と空」
がんばります
Ⅱ
「本当に何も覚えていないんですか?」
「あぁ」
「本当に、何も、何一つも?」
「あぁ」
「自分の名前も、刷新暦も、あの国家のことさえも?」
「何回聞く」
僕は座っていたソファにもう一度深くもたれかかり、「ふぅ」とため息を漏らす。同じくソファにもたれ掛かっている彼は落ち着かない様子だった。肘掛けに肘を掛けるでも掛けないでもなく、その中間。あるいは4:6の割合をうろちょろしているような状態である。こういう気まずさから来る逡巡というやつを眺めるのは背徳的で悪い気はしないのだけれど、彼の状況を踏まえるとそういうくだらない事を考えるべきではないなと思った。
ふ、と書類に目を落とす。いわゆる「依頼信託書」と呼ばれるもので、僕たちが今取り組んでる依頼について法的な情報が綴られている代物。内容はこうだ。
『依頼主・ピース・プロジェクト
依頼内容・囚人0の処刑
依頼先・探偵事務所「イデア」』
《囚人0》。この表現に対して僕がどんな感情を抱いたか、せっかくだし当ててみてほしい。《もっと人間らしい名前を付けてやれ》《ちゃんとした書類なんだから本名書け。お宅んとこの仕組みに口出すつもりないんだからそういうのはお宅の敷地で仕舞っといてくれ》《じゃあオマエはフォーマルな場で嫁のことを《女1》、娘のことを《女2フロム女1》とでもいうつもりか?》......どれも惜しいが、すんでのところで違う。僕はそんなに喧嘩腰ではない。
だからといって聖人君主のつもりもないが。
答えはこうだ。
《かっこいーーっ!》
アウトローな囚人と1より前の『0!』のマッチアップ。0なんて、これもまた異例が起こった違いない。でなければ0なんて使わないはずだ。アウトローと異例、二乗。
なんだかバフかかってるみたいじゃん。イカしてるぜ。
さて。
彼に向き直る。
「とにかく、名前が分からないってのは正直面倒ですから、仮の名前があったほうかいいかもしれません。『あなた』とか『君』とかってのはよそよそしくてあんまり良くない」
彼は納得して頷いた。
「....空。今のあなたは空っぽで人という器として相応しくないほど底をついている。......ピッタリだと思うんですが、どうです?」
我ながらひねりのない提案だが、しかしそんなことは些事に過ぎない。そんなものあったところで彼の箔や、過去や、不死身体質は七転も八倒もしないのだから。
「どうせ死ぬならな」
「じゃあそういうことで。よろしく、空」
敬語終わり。実はあんまり得意じゃないし。
僕はソファから立ち上がる。そこでいつの間に体が前のめりになっていたことに気がづいた。僕はいまだ座っている空のところまで歩いていき、右手を差し出した。空は座ったままそれに応える。
そして僕は手を握ったまま、探偵として、空に言葉を掛ける。
「僕達は。『探偵事務所「イデア」』は、依頼に基づいて空...君を殺す。その上で君が満足のいく死を迎えるためのサポートに全力を尽くすと誓う。だから安心しろ、なんて言えるほど僕は甲斐性ある人間ではないけれど.......ま、カッコよく殺してみるさ」
空は暫くの間真剣な目つきで僕を見つめるだけだった。しばらく経ってから値踏みが終わったのか彼は笑みを浮かべて一言。
「.....騙されてみるよ、少年」
「...沢村。沢村達。伝えてなかったな」
オレンジ色の蛍光灯が僕ら二人を照らした。
氷の溶け合う音が部屋に響いた。
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