第八話 プロポーズ
王宮の裏庭、白亜の休憩小屋。
そこは選ばれし者が入ることを許された、王族のプライベート空間。
咲き誇る薔薇の香りと、高級茶葉の香ばしい匂いが漂う、まさに天上の楽園。
だが、私のアラート機能は『コード・レッド』を点滅させている。
目の前で震えているお嬢様が、いつ爆発を起こすか分からないからだ。
「ロザリア、来てくれて嬉しいよ。今日の君は、まるで初夏の空のように爽やかだ」
クロード殿下が、キラキラとしたオーラを背負って微笑む。
爽やかすぎて、直視すれば角膜が焼かれそうな笑顔だ。
対するお嬢様は、淡いブルーのドレスの裾を強く握りしめ、顔面蒼白でガタガタと震えている。
「う、うぅ……」
「どうしたんだ? 今日は顔色が悪いようだが」
殿下が心配そうに手を伸ばす。
その瞬間、お嬢様がビクリと跳ね上がり、反射的に口を開く。
「ち、近寄るな、この発光体! その無駄な輝きでわたくしを灰にする気なの! 半径3メートル以内に立ち入ったら殺すわよ!?」
開幕早々の暴言。
これには護衛の騎士たちもピクリと眉を動かす。
初手から危機的状況の中、私は呼吸をするように二人の間に入る。
「殿下、主人は『貴方様の輝きがあまりに眩しくて、直視すると心が焦がされてしまいそうです。あまりお近くにいらっしゃると、胸の鼓動が早すぎて死んでしまいそうですわ』と申しております」
殿下は「なるほど」と納得し、少しだけ距離を取り、椅子に座った。
「すまない。君の美しさに、つい引き寄せられてしまったようだ。さあ、座ってくれ」
テーブルには豪華なケーキと紅茶が並ぶ。
お嬢様は、ぎこちなく椅子に座ると、視線が一点に釘付けになる。
殿下の手元にある一冊のファイル。
そう、あの『ポエム・コレクション(没収品)』である。
「ひぃっ……! な、なななんで、それがここにあるのよぉぉぉ!」
「ああ、これか。昨夜も読み返していたんだ。ロザリア、君の言葉選びは本当に素晴らしい。特にこの『愛の迷宮で迷子になった子羊』という表現、実に哲学的だ」
殿下が真面目な顔で称賛するたびに、お嬢様のライフポイントが削られていく。
顔から火が出るどころか、全身が発火しそうだ。
「読み上げないでいいわよ! それは呪いの書よ! 読んだら死ぬのよ! わたくしが!」
「何も謙遜する必要はないよ。僕は君の情熱に心を打たれたんだ」
二人の会話が噛み合っていない。
殿下は『照れ屋なロザリア』というフィルターを通して世界を見ているため、お嬢様の悲鳴が「喜びの歌」に聞こえているらしい。
お嬢様は涙目で私に助けを求める視線を送ってくる。
「お願い、アメリア。わたくしを殺して、いっそ殺して」という目だ。
私は無慈悲に首を横に振る。
「お嬢様、諦めてください。これは公開処刑ではなく、愛の確認作業です。耐え抜けば、サザランド家の未来は安泰です」
「鬼畜! 貴方には人の心がないの!?」
お嬢様が小声で罵るが、私はすまし顔で紅茶を注ぐ。
すると、殿下がフォークを手に取り、ショートケーキの苺を刺した。
「そういえば君の日記に書いてあった。『いつかクロード様に甘いお菓子を「あーん」してもらいたい』と」
「ぶっっ!!」
お嬢様が紅茶を吹き出しそうになり、私はハンカチで優雅に口元を押さえる。
完璧だ。クリーニング代の発生を未然に防いだ。
「何を言っているの!? そんなこと書いてないわよ!」
「10月15日のページだ。『妄想日記』というタイトルで詳細にシミュレーションしてある」
「書いてたわぁぁぁ!!」
お嬢様が頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
殿下は微笑みながら、苺を差し出した。
「さあ、ロザリア。夢を叶えてあげよう」
王子の手による「あーん」。世の令嬢なら卒倒して喜ぶシチュエーションだが、お嬢様にとっては致死量の毒を盛られるに等しい。
極限状態のお嬢様が、震える声で叫ぶ。
「食べないわよ! どうせ毒を盛っているんでしょ!? わたくしを毒殺して、死体遺棄する気ね! そうはいくか! そのフォークごとへし折ってやるわ!」
騎士たちが剣を抜こうとする気配。
私は即座に翻訳機を起動する。
「殿下、主人は『あまりの幸福に心臓が止まってしまいそうですわ! 貴方様の手からいただけるなら、それが猛毒であっても喜んで口にいたしますの! 死ぬまで離しませんわよ!』と、究極の愛を叫んでおります」
「そうか。命をかけるほどの愛とはな……」
殿下は感動したように頷き、さらにフォークを口元へ近付ける。
「ならば、僕も覚悟を決めよう。さあ、ロザリア。口を開けてくれ」
「いやぁぁぁ! 近寄らないでぇぇぇ!」
お嬢様が涙目で口を真一文字に結ぶが、殿下のキラースマイルと、私の無言の圧力により、観念して口を開ける。
パクり。甘酸っぱい苺が口の中に消える。
「どうだ?」
「……う、美味……いや、不味いわよ! 甘すぎて脳みそが溶けるわ! 責任取りなさいよ!」
「『貴方様の与える甘美さに、理性がとろけてしまいそうですの! わたくしの心を奪った責任、どうか一生をかけて取っていただきたいですわ!』とのことです」
「ああ、そうだな」
「ロザリア、僕と結婚してくれないか?」
「え……?」
――カラン。お嬢様の手からフォークが落ち、乾いた音が響いた。
時が止まる。鳥のさえずりも、風の音も消える。
「……今、なんと……?」
「結婚しようと言ったんだ、ロザリア。君ほど面白い……いや、情熱的で愛らしい女性は他にいない。僕の人生には、君が必要だ」
殿下は真剣な眼差しで、お嬢様の手を取る。
「……結婚?」
「ロザリア?」
「わたくしが!? 殿下と!? ついに!? あーっ! 心臓が爆発するわ! むしろ爆発して塵になりたいわ! いえ、もう塵になるわ……」
お嬢様はその言葉を最後に、泡を吹いて椅子から崩れ落ちた。
「ロザリアァァァッ!?」
私たちは慌てて駆け寄る。
気を失っている。二回目だ。
だが、その顔はどこか幸せそうで、口元はだらしなく緩んでいる。
私は素早く殿下に一礼する。
「申し訳ございません、殿下。主人は喜びのあまり、一時的なシステムダウン……いえ、気絶いたしました」
「そうみたいだな……。僕のプロポーズがそれほど嬉しかったのか」
殿下は愛おしそうに、気を失っているお嬢様の頭を撫でた。
その眼差しは慈愛に満ちている。
お嬢様の奇行も暴言も、全て好意的に変換されるフィルターだ。
私は心の中で、カシャンとレジスターが鳴る音を聞いた。
――結婚の成約確定。
これで、サザランド公爵家と王家の絆は盤石。
私の『特別成功報酬』の支給条件もクリアだ。
ふと、視線を感じてガゼボの柱の陰を見る。
そこに一人の男が立っていた。
グレン・フォン・グラウフェルド卿。
銀縁の片眼鏡が、木漏れ日を受けて冷ややかに光っている。
彼は手元のバインダーにサラサラとペンを走らせていたが、私の視線に気付くと、すぐに手を止めた。
そして無表情のまま眼鏡の位置を直し、私に一礼した。
それは言葉のない賞賛。
「見事な手際だ」という、同業者だけに通じる無言の評価。
私は小さく会釈を返す。
彼とは、これからも長い付き合いになりそうだ。
この面倒な主人たちの尻拭いをする同志として。
私は白目を剥いたお嬢様をため息を吐きながら抱き上げる。
本日の業務、これにて終了。
けれど、プロポーズされたということは、これから『結婚準備』という名の、さらなる地獄が始まることを意味する。
私の南の島ライフは、まだまだ遠そうである。




